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第六話 婚約破棄の正しい方法

「いよいよ明日が舞踏会か……」

 目が覚め、寝ぼけ眼をこすっていたら帽子屋の美しい顔が目の前にあった。


「イリュージョン様、スキだらけなのでキスします」


 真っ赤な瞳を閉じ、俺の首に手を回しながら、艶やかな唇を近づけてくる。


 情熱的な赤い髪をアップにまとめ、頭の上にカチューシャのようなフリルを付け、メイクで印象を変えているが、帽子屋で間違いない。


 しかも大胆に開きすぎた首回りからこぼれそうな二つの膨らみは、やはり帽子屋で間違いない。


 夢でも見ているのだろうかと、二度見してしまったが……。

 甘い香りと温かな感覚に驚き、これは夢じゃないと、とっさに後退る。


「な、なんで帽子屋が! どうして、こんなこと!」


「恋人の練習ですが?」

「そんなもんいらん! だいたい何でここに……」


「イリュージョン様、資料まだ全部読んでないでしょ」


 クスクス笑いながら、エプロンドレスを着た帽子屋が、胸の谷間から抜き出した書類を見ると、


「なお、皇子付きのメイドは帽子屋が兼任し、昼夜を問わず恋人として過ごし、共同で任務に当たること……?」


 そんな一文が枠外に書いてあった。どう見ても帽子屋の筆跡で。


「自分の住まいはどうするんだ」

 資料改ざんの可能性が高過ぎるが、証拠がない。


 別の方法で思いとどまらせようと、説得を試みたが、


「この屋敷の裏の、小さな一軒家ですよ。公国の姫様とはいえ小国の第五姫ですから、そんなもんじゃないですか?」


 特にそちらは問題ないようだった。


「しかし……」

「連絡も密にできますし、不測の事態にも対応できるでしょ。なによりここ、部屋多過ぎですし」


 そして、理詰めでは勝てそうにない。


「わかった、共同生活の条件をのむが、その格好と、恋人練習は……なんとかしてくれ」

「しかたないですね、今回は譲歩しましょう」


 帽子屋の着ているエプロンドレスは、あまりにもスカートが短かった。

 結構長いニーソを履いているのに、太ももがハッキリと見える。


 それに、首回りが開きすぎていて、今にも何かがこぼれ落ちそうだ。

 実際ちょっとこぼれちゃってる気がして、気が気じゃない。


 サイズがあってないんじゃないか?

 少しでもしゃがんだら、前からも後ろからも、いろいろと見えてしまうのではないだろうか。


「これ、ここにあった服なんですよ。そうそう、独身の貴族様に付く若いメイドさんって、そっちのお世話もするって、聞いたことあるんですが……」


 楽しそうにクルリと回った帽子屋のスカートがひるがえり、目をそらす。

 ピンクだった。なにがとは言わないが。


「どっちのお世話か知らないが、とにかくやめてくれ。それじゃあ任務に集中できない」


「見ました?」

「なにが?」

「元気なさそうだったんで、見せてあげたんですけどー」


 俺が目をパチリとさせたら、嬉しそうにウインクしてきた。


「じゃあ着替えてきますから、少々お待ちください。ああ、それからリビングに朝食を用意しといたので、めしあがってください」


 俺の驚く顔を見て、帽子屋はニヤニヤ笑いながら部屋を出て行く。

 なぜか何かに負けた気がしてならないが、確かに思考が前向きに傾いてくれた。


「まさか昨夜の俺を監視してたんじゃ……」



 ふとそんな気もしたが、俺は首を振って、リビングに向かった。



   × × × × ×



「円満に婚約破棄って、そもそもどうするんだ?」


 用意してもらったトーストとハムエッグを食べていたら、着替えた帽子屋がアップにしていた髪を解きながらリビングに入ってきたので、この任務最大の謎を問いかける。


「さあ? あたしたちの仲を認めてもらって、身を引いてもらうか……公女様に、他に好きな相手を作るか。じゃないですか?」


 帽子屋はブカブカの男物のシャツに、ピッチリとした薄手のショートパンツ姿で、近くにあったソファーの上で寝そべる。


 胸元のボタンが外れすぎているし、生足が付け根までさらけ出されていて、これはこれで目のやり場に困るのだが……まあ、あのメイド服よりは、ずいぶんマシだ。


「婚約発表は明日だ。これから他に好きな男を作るのは無理だろう」

「じゃあ、バッチリ見せつけるしかありませんね」


 はたしてそうなのだろうか。


「政略的な障害とかはないのか?」

「資料によれば、家同士には何の問題も。ただ……」


「ただ?」

「ブリジット公女ちゃん、バーム王国の第一王子に見初められちゃってて、その求婚を断って、ちょっと問題が。そうそう、明日の舞踏会にも来るそうですよ、その王子」


 帝国に反旗をひるがえしたい王国連合の中心国、バーム王国。

 そこの第一王子がブリジット公女に夢中らしい。


 ブリジット公女の実家であるラゴール公爵家は、今や皇族を凌ぐほどの実権を握る帝国最大の貴族で、民衆からの支持も高い。


 皇族支持が低下している今、ブリジット公女の意に背き、外交目的で婚約を破棄すれば、国内事情が揺らぐ。

 かといって、王国連合を逆撫でするような事態は、招きたくない。


 資料や市井の噂から想像できる帽子屋の見解は、そんな感じだった。


「ラゴール公爵家の思惑は?」

「公爵様はブリジット公女ちゃんのためなら、王国連合ぐらい蹴散らしてみせるって」


 実に貴族らしくないご意見だ。だからまあ、民衆の支持も得るのだろう。

 豪放磊落な現公爵家当主の武勇伝は、市井でも有名だ。


「だからといって、本当に戦争をしてもらっては困る」


「その通りなんですけど。けど結婚うんぬん程度で揺らぐような政治をするお貴族様達が、諸悪の根源なんじゃないですか?」


 そこは同意するが、そうは上手く行かないのが世の常だ。


「じゃあ、そのブリジット公女が、引きこもり皇子に夢中なのは?」

「そこ、最大の謎ですね。あたしにもさっぱり……もう、直接本人に聞いちゃうしかないんじゃないですか?」


 帽子屋がリビングの窓に視線を向ける。


 その先には、ドレスアップした公女様がオロオロと立ち尽くし、その後ろでツインテールのメイドがふて腐れたように、日傘をかざしていた。


「そうするしかなさそうだな」



 俺はひとつ大きなため息をついてから、食後の紅茶を飲み干し……。

 帽子屋に朝食の礼を言って、リビングを後にした。



   × × × × ×



「今日はとても良い天気ですね」

 ブリジット公女が振り向いたので、俺は小さく腰を折る。


「ええ、あの、本当に」

 モジモジし始めた公女様を、ツインテールのメイドが睨む。


 公女様はその視線に負けたように、数回深呼吸すると、


「昨日の模擬戦は、とても素晴らしかったです」

 にこやかな笑顔を俺に向けてきた。


「お恥ずかしい、みっともないお姿を……」


「あたし実戦は苦手ですが、人を見る目と、戦いを見る目には自信がありまして。父にも、指揮官としての才があるって褒めてもらっています」


 後ろでメイドが嬉しそうに頷く。


「いや僕はただ……」


「それで、チャーリー様はなぜ道化を演じられたのですか? やはり復学されたのは、賢者会と帝国の確執を探るためなのでしょうか?」


 気づいていたのは知っていたが、思った以上に頭の回転も速い。

 さて、どんな言い訳をしようか、悩んでいたら……。


「お嬢様、その話題は後でも構いません! ここはズバッと言わなきゃです。さあ、頑張って!!」

 ツインテールのメイドが横やりを入れてくれた。


 安心してため息をついたら、公女様はメイドに向かってコクコクと頷き、一歩俺に近づくと、上目使いに呟いた。


「ああ、あのっ、あたし側室でも構いません、お側においていただけるのなら」


 するとメイドは「あちゃー」と呟きながら、自分の顔を手で押さえ、公女様はやりきったとばかりに胸を押さえて、ふたり同時に大きな息を吐いた。


 そして公女様は、腕をつかまれ、建物の隅までメイドに連行される。


「あの女をとっとと公国へ送り返せって、言う約束だったじゃないですか!」

「でもナタリー、それじゃあマリー様があまりにかわいそうだわ」

「じゃあせめて、正室は譲らないとか、なんかあるでしょ!」

「う、うん。わかったわ……」


 ふたりのお笑いネタ合わせ? が、終わると、トコトコと公女様が近づいてきた。


「あー、全部聞こえてましたが」

 俺が苦笑いしながらそう言うと、公女様は真っ赤に頬を染め、うつむいてしまった。


 しかしそうなると、帽子屋が提案する見せつけ作戦も無効だろう。

 なら、真正面からお願いするしかなさそうだ。


「正直にお話ししますと、ブリジットとの婚約を、僕は破棄しなきゃいけない事情があります。それもできるだけ円満に」


 その言葉に、ブリジット公女はゆっくりと顔を上げた。

「それは……あたしを嫌いになったわけではないという意味でしょうか」


 その問いに関する答えを、俺は持ち合わせていない。

 引きこもり皇子が、なにを考えているか知らないからだ。


 俺が苦笑いを続けていると、


「バーム王子の件ですね。でしたらチャーリー様、ひとことバームへ嫁げと仰ってください。皇族方の意向は察していますし、あたしも貴族の娘です。覚悟ぐらいできております」


 ブリジット公女は、寂しさを隠すような笑顔でそう呟いた。


「その前に、どうして僕との婚約を望んでいるのか、教えていただけないでしょうか」


 今更聞くことではないかもしれないが、なぜか質問してしまった。


「あたしがまだ醜く、太って、ただのどんくさい娘だった頃……素晴らしいと、ステキな女性だと、心から伝えてくれたのは、チャーリー様だけでした」


 ブリジット公女は、その笑顔のまま、ポタリと大粒の涙を一粒こぼした。


 俺の心の中で、感情という名の雑音が騒ぐ。


 ――やっぱり、年頃の女性は苦手だ。

 論理的じゃないし、いちいち気に触るし、だいたい……あまりにも皆、はかなくて美しすぎる。


 だからきっと、俺は腹を立てていたのだろう。


「ではブリジット公女様。皇子ではなく、どうかこの道化にひとことご命令ください。『バーム王子をなんとかしろ』と」


 俺の言葉に、ブリジット公女は息を飲む。

 彼女の人を見る目と、回転の速い頭脳が、どんな解答を出したのかはわからない。


 しばらくすると、ブリジット公女は凜とした声で、ハッキリと命を下した。


「では道化よ。どうかこの哀れな少女に、今一度、心からの笑みを」


 その命を受け、俺は深く腰を折る。

「承知しました」




 そう言い残して……皇子ではない、ただの道化は、次の舞台へと向かった。

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