第二話 ブリジット・ラゴール公爵令嬢
まだ霧が包む、夜明け前の帝都の郊外。
指定された場所に、指定された服装で帽子屋と二人で待っていると、豪華な二頭立ての馬車が止まり、ドア越しに話しかけられた。
「何が釣れましたか?」
「苺ジャムがバスケットにいっぱい」
帽子屋が合い言葉を答えると、馬車のドアが開き、見知った男が顔を出す。
「ご無沙汰しております」
いつもニコニコ笑っている20歳ぐらいの優男だが、諜報部である『闇のお茶会』の責任者で、『三月うさぎ』と呼ばれる男だ。
かなりの腕利きらしく、入団わずか5年で幹部になったのは異例だそうだ。
実際、喰えない男で、こいつの気配を感じることがほとんどできない。
今も、幻と会話しているようで落ち着かない。
深夜の墓地で亡霊相手に茶でも飲んだ方が、気が休まるんじゃないかと思う。
「こちらが資料です、読み終わったら焼き捨ててください」
俺と帽子屋が馬車に乗り込むと、三月うさぎは資料の束を俺たちに渡してきた。
「どこに向かってる」
「行き先は学園。三日後の舞踏会で婚約発表――それを円満に止めてください。方法は任せます」
「任せるって……」
どうすりゃいいんだ? そこを聞きたいんだが。
むくれながら、指定された服のネクタイに手こずっていると、三月うさぎがなれた手つきで結んでくれた。
「おう、ありがとう」
三月うさぎの顔が近づき、いつも左目にかかっている、いけ好かない前髪がかすかに揺れた。
なんだか見ちゃいけない物を見た気がして、思わず目をそらす。
しかしこれ、結び目が大きすぎて、なんだかダサく感じるな。
俺がさらに不満そうに見直していたら、
「それが学園ではやっているスタイルです」
そう言って、また感情の見えない笑みを浮かべた。
本当かそれ?
俺が三月うさぎとの会話をあきらめて、ため息をついていたら、帽子屋が驚いたよう顔で俺を見た。
「あたし、クートン公国のお姫様になっちゃいました!」
そうか、良かったな。
どうやらここには、俺の質問に答えてくれそうなヤツがいないことも、良くわかった。
資料によれば、チャーリー皇子は6年前に学園を休学。
在学中もほとんど寮から出ず、引きこもっていたらしい。
ブリジット公女とは、幼少の頃、一度だけ逢ったことがあるそうだ。
添付されたチャーリー皇子の魔法による現在の肖像は、確かに俺と似てなくもないが……。
「かなりぽっちゃりしてるな」
体型があまりにも違いすぎる。頬とかもぷるぷるだし。
「資料をよく読んでください。こちらがブリジット公女に2年前に渡された肖像です」
三月うさぎが俺の読んでいた資料の中から、もう一枚肖像を出す。
「なんだこれ?」
俺が呟くと、隣に座っていた帽子屋が覗き込んできた。
「ずいぶん盛ってますね」
「いや、削りすぎだろ」
魔法で画像加工されたのだろう、こちらの肖像は、スマートでイケメンだった。
「おふたりとも似てますね。これならどちらも素でいけるんじゃないですか?」
帽子屋はそういって笑った。
嫌なことに、俺と三月うさぎはどこか似ている。兄弟だと言っても信じるヤツがいるかもしれないほどに。
しかし加工前と後の写真の共通点なんて……目の上にかすかに残る怪我の跡ぐらいだ。
普通なら気づかないぐらいの跡だから、ここも無理に変装する必要は無いだろう。
フェイクは増えれば増えるほど、逆にボロが出やすい。
まあ引きこもってばかりで、自分の使用人以外に会ってないらしいから、なんとかなるはずだ。
そうこうしているうちに学園の前で馬車が止まる。
俺たちが馬車から降りると、
「では幻想、帽子屋、幸運を祈ります」
三月うさぎがまた馬車から顔を出した。
「何か注意事項でもあるのか? わざわざお前が直接来てるんだ」
去り際、念の為聞いてみたら、
「ああ、そうでした。資料には書けませんでしたが、賢者会と帝国が現在上手くいってません。皇子の名で入学すれば、それなりに風向きが強いかもしれませんが……幻想にかかれば、大した問題ではないでしょう」
やはり感情の見えない笑みを浮かべながら、そんな大問題をサラリといって、馬車は走り去っていった。
あいつもコミ症なんだろうか? なら許せるが。
まあそれはそれとして……なんだかどんどん、難易度が上がっていくような気がしてやまない。
× × × × ×
門番に名乗ると、話が通っていたようで、わざわざ学園長室まで案内してくれた。
学園長室の前で待っていたら、
「噂には聞いてましたが、広い学園ですね」
帽子屋がキョロキョロ周囲を見回しながら、呟く。
「帽子……いや、マリー。ここは大陸でも一二を争う名門だ。あの『魔導院』と並ぶ、国境を持たない魔法認定機関『賢者会』が運営していて、設備も教諭陣も充実しているんだ」
「そうなのチャーリー、楽しみね!」
帽子屋はクートン公国第五姫、マリー・クートンを演じる。
ついでに俺との恋人設定もあるが、
「それ必要か?」
俺の腕を取って微笑むのに、意味はあるのだろうか?
「誰が見てるかわかりませんから」
そういって形のよい大きな胸をグイグイ押しつけてきた。
柔らかい感触が腕に伝わり、居たたまれない。
恋人同士って、人前でもそんなことするのか? だったら世の恋人同士はすべて爆発してしまえばいい。
俺が戸惑いながら悩み込んでいたら、光が差し込む廊下に、絵画から抜け出したようなご令嬢が立っていた。
豪華なドレスが胸元を大胆に開き、白い肌が光を弾く。
歩くたびにやや短いスカートの裾から覗く生足が、妙に艶めかしい。
メイドを連れて、花道を歩む女優のようにこちらに向かってくる。
うん、あれは間違いなく、由緒正しきご令嬢だ。なんかキラキラしてるし。
しかも、さっきの資料で見たことがある。
「貴殿はもしや! こんな所で、なんて偶然なんでしょう。やっぱり運命の……」
芝居がかった立ち振る舞いで、そんなことを言い放つ。
豪奢なウエーブのかかった金髪に、やや垂れた大きな青い目。小柄ながらも均等のとれたスタイル。
幼さの残る顔立ちだが、ふくよかな胸が女性らしさを強調している。
そしてなにより、近寄りがたいオーラのようなものが漂っていて……確かに伝説級の美少女だと納得できる。
こんな任務じゃなけりゃ、一生お目にかかることもなかっただろう。
そんな彼女の隣に居るメイドはもっと小柄で、痩せた14~15歳ぐらいの少女。
やたら短いスカートのエプロンドレスに、凶悪そうな大きな胸を押し込んでいる。
薄いグリーンの肌と、パープルの瞳がキュートだ。
青髪ツインテールで、大きなつり目の生意気そうな顔つきだが、なんだか憎めない感じが漂っている。――こちらも美少女。
そんなメイドが、手にした魔法肖像と俺を見比べて、
「なんかちょっと違う気もしますが……今日この時間に、ここに来るのは間違いないので、多分そうでしょう」
と、俺たちを無視して助言している。
「どうしよう、ナタリー! やっぱりドキドキして上手く話せそうにないわ」
ナタリーと呼ばれたメイドはため息をつくと、やれやれとばかりに首を振った。
「もう聞こえちゃってますから、ドーンといっちゃってください。お嬢様の努力はきっと報われます。おそばでずっと見ていましたから、間違いありません」
「髪型とか変じゃない? ああ、もっと違うドレスにしておけば!」
「あれこれ悩んで、2時間以上も準備にかかったんですよ……お嬢様はお綺麗です。ささ、とっとと行ってください!」
そしてツインテールのメイドは、その美しいご令嬢を足蹴にした。
あまりに高く脚を上げるから、パンツが見えそうで、一瞬視線を取られたら……。
帽子屋に脇をつねられた。――微妙にいたいんですが。
しかしなんだろうこれ? 新手のお笑い劇かなにかなのかな。
黙っていれば、二人とも絵になるのに。
どうやら俺のターンになったようなので、よろよろと前に出てきたご令嬢に、挨拶する。
「ブリジット公女様、お久しぶりです」
俺が軽く腰を折ると、
「ははは、はいー!」
ちょっと裏返った、元気のよいお返事がいただけた。
「今日復学することになりました」
「お、覚えておいででしたか?」
「もちろん、お目にかかるのは2度目ですよね」
その言葉に感極まったのか、ブリジット公女は両手を口に当てて涙ぐむ。
後ろに控えていたメイドまで、ハンカチで涙を拭いている。
――まあ、こっちの態度はどこか嘘くさいが。
「ブリジットは、あの時の約束を守るため……。あなたに恥じないよう、今日まで努力を続けておりました」
困ったな。その辺りの詳細は資料になかった。
アドリブ? こんな状況じゃあ、もちろん俺には無理だ。
今までの潜入捜査は暗殺集団とか、敵国の軍部とか。血生臭くて汗臭い場所ばかりだったからな。
状況が違いすぎる。
なんとかしようと、マリーこと帽子屋を見る。
まだ腕にしがみついていた帽子屋が、困ったようにコホンと小さな咳をした。
するとそれに気づいたブリジット公女が、やっと目に入ったとばかりに、帽子屋を見上げる。
「まあ、気づきませんで、申し訳ありません。私ブリジット・ラゴールと申します」
「こちらこそ、クートン公国から来ましたマリー・クートンと言います。どうかお見知りおきを」
お互い優雅にドレスの裾をつまみ挨拶すると、ブリジット公女は不思議そうに俺を見た。
「あのー、こちらの方は、どのようなご関係で」
さて、どう説明するべきか。仲良く腕を組んでいたし。
円満な婚約破棄となると……ここは、設定どおりちゃんと説明するのがベストなのだろう。
きっとそのための設定なのだから。
「はい、公女様。こちらのマリーとはお付き合いさせていただいております」
「お付き合いというと、男女の、その、あれでしょうか?」
「はい、たぶんその、あれですね」
俺が答えると、手を胸の前で組んだまま、ピタリとブリジット公女の動きが止まった。
表情は笑顔だが、呼吸が止まっているし、心音も低下している。
「大丈夫ですか?」
思わず俺が声を出すと、立木が崩れるかのように、その姿勢のまま後ろにスーッと、倒れていった。
すんでの所で、ツインテールのメイドが受け止める。
「この、女たらし!」
ツインテールのメイドは俺を睨んだ後、その体格に似合わない怪力でブリジット公女を軽々と担ぎ上げ、来た方向へ去って行った。
「なんだったのあれ?」
俺の質問に、帽子屋は深くため息をつく。
「イリュージョン様、サイテー」
そして、ジト目でそうおっしゃった。
強引に腕を組んできた、そっちに責任はないの? 悪いのは俺だけ?
まったく、意味がわからない。
やはりこの任務は、かなり難易度が高いようだが……。
――無理筋でも、任務は任務だ。頑張ってやりきろうと、俺は決意をあらたにした。




