第十三話 パンケーキはお好き?
「イリュージョン様、お話が」
背後からストンと着地音が聞こえ、振り返ると、マスクを被ってピッチリとした戦闘スーツに身を包んだ帽子屋がいた。
「どうした」
「お時間をいただけると」
なぜかスーツが焦げていて、あちこち大胆に開いてしまっている。
しかし怪我はないようなので、安心する。
突然表われた帽子屋に、ナタリーは一歩下がって腰を沈め、手にハルバートを顕現させた。
ナタリーの動きに、帽子屋が腰のナイフに手をかける。
「彼女は俺の仲間だ」
慌ててナタリーを止めようとして、身体が硬直する。
えーっと、マントがひるがえって、また見ちゃいけないものがこぼれ落ちておりますが。
ブルンと揺れた、素晴らしいそれに目が釘付けになると、スッとナイフが俺の首筋に伸びた。
帽子屋よ、なぜ俺を殺しにかかる。
「何やらかしたんですか?」
冷めた声が、俺の背筋を凍らせる。
「ああ、いや、別に……」
しどろもどろになっていたら、
「チャーリー、あんな大魔術初めて見たわ! あの爆発には、さすがのラオス学園長も……」
剣を握ったエリンが走り寄ってきて、俺の姿を見て驚く。
エリンのピンクのパジャマもあちこち燃えていて、ボロボロだ。
いったいなにがあった?
まあ元気そうだし、こちらも怪我はなさそうだが……。
「やっぱりあなたが『幻想』だったのね!」
俺のマスクと帽子を確認すると、急に飛びついてきた。
見た目より大きな何かが押しつけられる。
しかもこのダイレクトな感覚は、下着まで燃えてしまったのだろうか?
「どうしてそんなにボロボロ?」
「普段は魔力制限が上手くできるんだけど、本気出すと服が燃えちゃうのよ。大丈夫、火傷はしてないし、マリーさんも大丈夫だって」
そうか、犯人はお前か。
無邪気に笑うエリンから、なんとか距離を取ったら……。
「鼻の下伸ばしてんじゃねーよ」
聞いたこともない、低い声が耳元で響き……。
帽子屋が宙でクルリと回転し、俺の首と片腕を両足で捕らえ、頸動脈を内腿で絞めてきた。
完璧に決まったトライアングルチョークに満足したように、マスクの下で冷めた笑いを漏らす。
ああ、この目は、完全に落としにきている。
帽子屋の太ももに圧迫され、破れたスーツからはみ出している艶やかな下乳を目に……俺は、意識を失った。
× × × × ×
まだ意識がもうろうとしているので、覚醒させるために、紅茶を一口飲む。
客間に集まってくれたのは、エリンとナタリー。
そして、ミザリー教諭だった。
今は、情報共有が必要だ。
この不意打ちは、情報戦で後れを取ったからだ。
バームの王子を少しなめていた。
任務の機密保持も大切だが、状況に合わせ柔軟に対応しなければ、任務そのものが失敗してしまう。
ちなみにブリジット公女は、同じ学園に通う兄が引き取りに来た。
その兄は一癖も二癖もある問題児だそうだが、教諭にも学生にも信頼されているそうだ。
ラオス学園長は公務があるため既に立ち去ったそうだが、引き続きミザリー教諭が事故処理の名目で残ってくれた。
「ナタリーさんも、エリンちゃんも、朝食まだでしょ。好きなだけ食べてください!」
テーブルの中央には、山のようにパンケーキが積んである。
ニコニコと笑うショートパンツの普段着に着替えた帽子屋が、紅茶を配り終えるとドカリと音を立てて俺の横に座る。
なぜかまだ俺に対してだけ、微妙に態度が冷たい。
正面には、新しいメイド服に着替えたナタリーと、制服姿のエリン。
そして苦虫をかみつぶしたような顔のミザリー教諭。
まあ、話が早くて助かるが、この任務……男女比がおかしいような気がする。
いつもむさ苦しい男ばかりの中での仕事だったから、対応に困る。
「自己紹介は必要ないだろ」
俺がため息交じりに呟くと、皆それぞれの顔をチラ見してから頷いた。
お互い話すのは初めてのヤツもいるかもしれないが、それなりの情報は収拾しているようだ。
なら、情報のアップデートからだな。
「エリンさんは、僕らの仲間になってもらった。今件の情報は共有してほしい。それから、ここに集まってくれた人はもう気づいてると思うが……」
念の為帽子屋を見ると、わかってますとばかりに頷いてから、そっぽを向いた。
なので、しゃべり方も皇子風から、普段の俺に戻す。
「俺はチャーリーじゃない。詳細までは言えないが、とある任務でここにいる」
俺の言葉にエリンは小さく息を飲み、ナタリーはため息をつき、ミザリー教諭は無言で俺を見詰めた。
「他言無用だ。今夜までは、この秘密を守ってくれ」
続く俺の言葉に、正面の三人が頷く。
その後、ミザリー教諭がおもむろに通信魔道書をめくる。
「焼けた屋敷を捜索した。ホールにあった遺体は、ラゴール家の騎士を除くと、全員王国連合を中心に活動する傭兵や、裏稼業を専門とする冒険者だった。今夜の招待状のリストにはいない」
「赤い鎧を着た男と、女の魔法使い。それから黒い鎧を着た戦士の遺体は?」
俺の質問に、ミザリー教諭が通信魔道書を確認する。
「双剣のアラン、演炎のシャロン。このふたりなら、遺体は確認している。コンビで放火強盗殺人を繰り返していたお尋ね者だ。今回の襲撃の主犯だろう」
「黒い鎧でハルバートを使う戦士は……」
俺の質問に、ナタリーが呟く。
「“惨殺のダグラス”なら、あの程度では死なない」
その言葉に、ミザリー教諭が小さく息を吐き、自分の通信魔道書を確認していた帽子屋が素早く操作を繰り返す。
「“惨殺のダグラス”――ダグラス・ウッドでしたら、SSクラスのお尋ね者です。まさか学園にもぐり込んでいるなんて!」
俺に名のった通り名と、少し違う気もするが?
驚く帽子屋の言葉を、ミザリー教諭が引き継ぐ。
「南方戦線ではヤツに何度も煮え湯を飲まされた。厄介なヤツが現れたな。ナタリーといったな、間違いないのか?」
「間違えるはずがない。あいつが故郷の村を全滅させ、あたしの両親を殺した。その姿はいまだに目に焼き付いている」
歯を食い縛るナタリーに、隣にいたエリンがそっと優しく手を触れる。
「ナタリーの話は、そのダグラスに関することか?」
「ああ、ヤツの対策なら多少は協力できる」
ナタリーの目の奥には、復讐者特有の影がある。
復讐はなにも生まない。爺さんもそう言っていたし、俺も同意見だ。
「じゃあ後で相談に乗ってくれ。それからエリン、この屋敷を襲ってきたヤツらは?」
「魔法の使い方に“魔導院”特有のクセがあったわね。逃げられたけど深手を負わせたから、回復魔法に頼っても今晩の戦力にはならないでしょ」
すると帽子屋が申し訳なさそうに呟く。
「しかし大道具がいくつか破壊されました。ひょっとしたら、初めからそれが狙いだったかも」
そうなると襲撃者は、奇術に対する知識もあると考えるべきだ。
悩み込む俺に、ミザリー教諭が呟く。
「6年前の事件から、チャーリー皇子が“虚無”の使い手だと、王国連合は確信している。そして魔導院は、“虚無”は道具を利用する卑怯な“詐称”だと信じている」
俺は思わず吹き出しそうになり、エリンに睨まれてしまった。
でもきっと、爺さんが聞いても大笑いしただろう。
虚無がなになのかは知らないが、奇術は所詮、卑怯な詐術だ。
しかし残念ながら、利用するのは道具だけじゃない。奇術は人の心を操り、自然の力を利用する総合芸術だ。
まあ今回の襲撃は、
第一目標として、ブリジット公女の誘拐。
第二目標として、チャーリー皇子暗殺。
それも叶わなければ、“虚無”を防ぐための道具破壊。
――そんな狙いだろう。
それがわかっただけでも収穫はある。
「しかし、傭兵や冒険者を雇ったとは言え、帝国内……しかも学園で、ここまで堂々と狙ってくるとはな」
さすがにバームの王子が、そこまでするとは考えなかったのが、今回の襲撃を許してしまった原因だが。
「既に王国連合が帝国との開戦準備に入っているか……もしくは」
そこまで言って首をひねったミザリー教諭の後に、ナタリーが言葉を繋げた。
「もしくは、バーム王国が他の脅威におびえている」
ナタリーの言葉に、ミザリー教諭の眉根が寄る。
「ラゴール家がつかんでいる情報では、開戦の危機にはまだ達していない。もうひとつの可能性の方が高いだろう。しかし今、賢者会とその情報を共有することは出来ない。あたしにその発言権もない」
ナタリーがそう告げると、ミザリー教諭は頷いて、もっていた通信魔道書をパタリと閉じた。
「了解した。学園としては、王国連合と帝国の政治的な駆け引きには首を突っ込めない。協力できるのは、舞踏会で見て見ぬふりをするところまでだ」
そして、小さく息を吐いて、俺を見る。
「だが、そちらが約束を守れば、ブリジット公女とエリンの件は、我々も必ず約束を守る」
ミザリー教諭はそう言って、エリンとナタリーに微笑みかけた。
そして立ち上がると、チラリとテーブルの中央を眺める。
その姿を見た帽子屋が、微笑む。
「何枚か包みましょうか?」
「すまない」
帽子屋がテーブルナプキンでパンケーキを包み、ミザリー教諭に手渡すと、少し顔を赤らめて、
「こちらでもあらたな情報がつかめたら連絡しよう。通信魔道書のアドレスを教えてくれ」
帽子屋にそう言いながら、パンケーキを嬉しそうに鞄にしまった。
気に入ってくれたのかな? そうだとしたら、俺も嬉しい。
ミザリー教諭が部屋を出ると、エリンが元気よく手を上げた。
「はいはーい! あたしも食べていい? お腹すいちゃってて」
「どうぞどうぞ、そのために焼いたんだもん。ねえ、ナタリーさんも良かったら食べてください」
帽子屋の声にナタリーが頷き、エリンとふたりでパンケーキを食べ出す。
3人で楽しそうに笑い合う姿に心が和む。
「でさ、どうすんの? 奇跡を起こす仕掛けは壊され、予定外の強敵も現れたんでしょ」
パンケーキを頬張ったまま、エリンが訪ねてきた。
「手伝ってくれないか?」
俺の言葉に、エリンとナタリーが頷く。
「もちろんそのつもりよ! 今の話ぶりだと、あたしの希望も叶えるために動いてくれてるんでしょ」
「仇が討てるのなら、それにお嬢様を幸せにしてくれるのなら、協力は惜しまない」
ここまで巻き込んでしまった以上、中途半端に距離を取る方が危険だ。
どのみち舞台演出は、大幅に書き換えなきゃいけない。
ふたりをできるだけ安全に、なおかつ、この状況を覆す策。
火事場で思い出した、爺さんの言葉の続きが脳裏をよぎる。
「火には火の、風には風の、そもそもの理がある。魔法など使わずとも、それを知り働きかければ、おのずと力を貸してくれる」
そう、奇術は道具に頼るものじゃない。そもそもの自然の力を借りるものだ。
そしてあの程度の戦士など、爺さんならなんなく撃退した。
俺がどんな方法で見返してやろうか、頭を悩ませていると、ナタリーとエリンが同時に喉を詰まらせたので……。
まずは、そっと水の入ったグラスを、ふたりの前に置いた。




