第十二話 戦士ナタリー
室内から燃えさかる炎と、屋外からラオス学長が仕掛けた凍結魔法がせめぎ合い、ギシギシと炎と氷が不吉な音を立て、対魔法レンガの壁をめくり上げる。
赤と青のうねりに飲み込まれた3階建ての豪華な屋敷は、まるで地獄のようだ。
屋敷の窓を破り、給仕服を着た若い男女が数人、炎と煙から逃げるように口を押さえながら這い出てくる。
逃げ遅れ、崩れ倒れたメイド服の少女を抱き上げると、慌てて俺の腕にしがみついた。
「お嬢様が、まだ中に!」
「ここは?」
「ラゴール……。ブリジット・ラゴール様のお屋敷です」
少女をミザリー教諭達がいる場所まで、避難させる。
そこでは徐々に集まってきた野次馬が、あまりの光景に驚いていた。
「回復魔法の心得のある者は手を上げろ、怪我人を一ヶ所に集めるんだ!」
ミザリー教諭の的確な指示が飛ぶ。
俺は振り返って、はやる気持ちを抑え、炎の動きを再確認する。
こんな時は、ひとつの判断ミスが救える命の数を減らしてしまう。
この燃え方は、内側からの出火。
火属性の魔法による放火か、最悪……放火襲撃の最中だ。
憤怒の形相で魔法をコントロールしているラオス学園長に話しかける。
「学園長、正面玄関周辺の凍結魔法を一時解除してください」
俺が燃え落ちた玄関周辺を指さすと、ラオス学園長は不思議そうに首をひねる。
「最も燃えとる場所じゃが」
「人の気配があります」
俺の言葉にラオス学園長が無言で頷く。
ミザリー教諭が俺に近づき、
「突入援護は必要か!」
俺に向かって叫んだ。
「タイミングは任せます」
俺はミザリー教諭に頷き返すと、火柱が立ち上がる玄関ホールに向かって走り込んだ。
建物に近づくと同時に、崩れ落ちる瓦礫や火柱をブロックするように、ストーンウォールが現れては消えを繰り返した。
時折、正確無比なストーンキャノンが、弾け飛ぶ炎や瓦礫を打ち落とす。
バケモノのようなラオス学園長の魔法に圧倒されていたが、ミザリー教諭のレベルもあきれるほど高い。
間違いなく、あの“傾国の魔女”より上だ。
玄関ドアがあった辺りまで走り込むと、
「助けて……チャーリー様……」
聞き慣れた声の、悲痛な叫びがこだまする。
耳を澄ますと、炎が広がる音に混じり、剣と剣がぶつかる音も響く。
俺は帽子屋が新調してくれたマントを羽織り、マスクとシルクハットを被り、燃えさかる炎に飛び込む。
マスクが粉塵を防ぎ、マントが炎を遮断する。
待っていろ、俺はこれからキミを欺く幻想になる。
――舞台は、燃えさかる豪奢な屋敷に、助けを求める麗しき姫。
もう準備なんて必要ない。道化の真骨頂を見せてやる。
今からここは、俺の独壇場だ!
× × × × ×
炎のカーテンをくぐり抜けると、ホールは静寂に包まれていた。
俺はいったん、焼け落ちたシャンデリアを止めていた金具をワイヤーで絡め、天井に位置取る。
3階分を吹き抜けにした玄関ホールはまるで劇場のようで、奥にある螺旋階段は既に焼け落ちていたが、火事の被害は少なかった。
意図的に被害を少なくしている感がある。
なら、ここに放火した術者がいるはずだ。
今立っているのは、5人。皆、まだ俺に気づいていない。
天井に帽子に仕組んだセンサーを当てて、建物全体の気配を探るが、逃げ遅れた人間はもういないようだ。
正面から見て左側に、ススだらけのドレスで剣を握るブリジット公女。
その前で、血塗られた大斧を構えるツインテールのメイド。
ホール右奥には、ツインテールのメイドとよく似た大斧を構える、背が低いが体格の良い黒い鎧姿の戦士と、痩せて長身な双剣を持つ赤い鎧の剣士。
さらにその後ろには、魔法使いのローブをひらめかせる女がひとり。
相対する2組の中央には、既に事切れた剣士や魔法使いが無残な姿をさらしている。
「お嬢様、逃げください」
「でも、ナタリー……」
自分より大きなハルバートを器用に振り回す様は、歴戦の戦士の風格がある。
中央で眠る襲撃者達を葬ったのも、彼女で間違いないだろう。
「いいかげん諦めちゃくれねえか? 公女さんさえ渡してくれりゃあ、命までは奪わねえ」
大斧の黒い戦士が、ため息交じりに呟く。
その後ろの赤い双剣も、女魔法使いも不気味だが、この男……だらりと構える姿にスキがない。
「何人殺したかわかってるのか? 今更、そんな戯言が意味を持つとでも」
ツインテールのメイドの視線の先には、屍となった騎士の姿が数体あった。
「そんな醜い見てくれだが、俺と同じドワーフ族の血も混じってるだろ。同胞は殺したくねえんだ」
黒い戦士のあざ笑うような言葉に、女魔法使いがヒステリックな声を上げる。
「つまんないこと言ってないで、早くして。あのラオスに結界を張られたのよ!」
あせりながら炎を操る姿に、余裕はない。
ラオス学園長の介入は計算外だったのだろう。
「しかたねえ、俺があのメイドを殺る。お前はそのスキに公女をさらえ」
黒い戦士の言葉に、赤い双剣の剣士が頷く。
ツインテールのメイドがハルバートを低く構え、決死の闘気を爆発させる。
「あたしの命に替えてでも、お嬢様は守る!」
その言葉に合わせるように、黒い戦士と赤い剣士の脚が動いた。
狩りの最大のチャンスは、獲物が狩りをする瞬間だ。
研ぎ澄ました集中力は、他方向からの攻撃を見落とす。
俺は黒い戦士と赤い剣士の、それぞれの進行方向に白煙瓶を投擲する。
瓶が割れると同時に、ワイヤーでブリジット公女とツインテールのメイドを縛り、天井まで引き上げる。
ふたりは俺と目が合うと驚いたが、状況を察して、無言で頷いてくれた。
「なんだこりゃ?」
「くっ!」
続いて黒い戦士と赤い剣士の間に、マントをひるがえしながら着地する。
まだ白煙の残る中、物理攻撃用のカードでふたり同時に攻撃を仕掛けたが……。
「おもしれえ!」
意識を奪えたのは、赤い双剣の剣士だけだった。
薄れ行く白煙の中、大斧で俺のカードをたたき落とした黒い戦士が、嬉しそうに俺を眺める。
襲撃のスキを突くタイミングも、攻撃手段も完璧だったが……まさか避けられるとは。
やはりこの男、かなりの腕だ。
「誰だお前」
「――闇、そう呼ばれている」
討ちもらしたせいで、女魔法使いがフリーになってしまった。
建物もきしみ始めている。――あまり時間の猶予もない。
三人とも捕縛して、公女とメイドを助け出すつもりだったが、プランも変更しなきゃいけない。
思わず、奥歯をかみしめてしまう。
「帝国の闇部隊ってやつか! つまらん仕事だと思ってたが、楽しくなってきやがった」
黒い戦士の闘気が一気に膨れ上がり、だらりとしていた構えが消えた。
30歳前後だろうか、無精ヒゲを生やした酒臭い男が、ニヤリと笑う。
同時に、ねっとりとした、殺人を楽しむヤツら特有のプレッシャーが襲ってくる。
「俺の名は、ダグラス・ウッド。戦斧のダグラスって呼ばれてる」
そう名乗りを上げると、男は楽しそうに笑う。
女魔法使いは、消えたブリジット公女を探すように、キョロキョロしている。
「遊んでるんじゃないわよ、早く公女を探しなさい!」
叫ぶ女魔法使いにダグラスは嫌そうな顔を向けると、大斧を俺に向けながら呟く。
「こっから起死回生は無理だろ。なあ、あのぶら下がってるお嬢ちゃんを渡してくれねえか? もう前金もらってて、断り辛いんだ」
ダグラスは、ブリジット公女がいる場所まで気づいている。
俺から視線を外しているが、まったくスキを感じない。
余裕なのか、誘っているのか……。いいかげんそうなヤツだが、実力は確かだ。
このクラスの戦士相手に、正面から仕掛けなしで戦うのは愚策。
ここにきて、準備不足が露呈してしまう。
だが、活路を見出すためには、一か八かで、踏み込むしかない。
なぜか異常に息苦しい。
ダグラスのプレッシャーと合わせて、なにか不吉な予感が俺の足を止める。
緊張のせいで震え始めた手を、気取られないよう握りしめる。
しかし……、なかなか動かないダグラスに業を煮やした女魔法使いが、ファイヤーボールを俺に撃とうとして発火に失敗し、「ちっ」と、舌打ちしてくれた。
――そうか、この息苦しさは風不足だ。
爺さんに火を扱う奇術を教えてもらったときを思い出す。
「火は風がないと燃えない。密室で消えかけた炎は眠っているだけで、このような『危険な箱』になる。わずかな隙間から風が入り込めば、一気に爆発する」
爺さんはそう言って、密封された火がくすぶる箱に穴を開け、大爆発させたことがあった。
今ここは、放火した魔法使いとラオス学園長の魔力が作った『危険な箱』だ。
――舞台は整っていた。しかもこの状況は、悪くない。
「どうかな? 窮地をくぐり抜け、姫を助け出すのが舞台の醍醐味だろう。誘拐に加担するような三文役者は、安酒場でくだでも巻いてればいい」
大見得を切って不敵に笑う俺に、ダグラスと女魔法使いの顔が歪む。
カードを切るチャンスさえあれば、逆転できる。
あせるな、諦めるな、“虚”と“実”を操れ。主導権を握れ。
ショーはまだ終わっていない。
「なめてもらっちゃ困るな。見所はあるが、まだ俺とやり合って勝てるほどの腕じゃねえ。魔力も感じねえし……やれるもんならやってみな!」
ダグラスの表情が怒りで歪む。
俺は複数のカードを懐から取り出し、派手なアクションでシャッフルしながら高々と宙に舞わせた。
「本物の奇跡を楽しんでくれ!」
「はっ、なんのつもりだ? そんなもの、なんの攻撃にもなってねえ」
力なく舞うカードにダグラスは鼻で笑ったが、その1枚が天井付近の光取りの窓を割り、冷めた空気がホールに流れ込んだ瞬間、女魔法使いの顔色が変わる。
さすが放火魔だ。
何かに気づいたようだがもう遅い、奇跡は既に始まっている。
冷えた空気を追うように、ほとんど鎮火していた炎が、一気に床を這う。
「なんだ、いったい……魔力を感じねえのに、なにが起きた!」
縦横無尽に走り出した炎に慌てる、ダグラスのスキを突いて、ワイヤーで一気に天井まで登る。
ぶら下がっていたブリジット公女とツインテールのメイドをマントにくるみ、割れた窓に向かってジャンプする。
その瞬間、「ズシン」と低い爆発音が響き、建物が崩壊した。
爆風に煽られ高く打ち上げられた俺は、自分が住んでいる屋敷の壁にワイヤーをかけ、飛行を制御する。
「ととと、飛んでます!」
驚くブリジット公女と、
「……」
無言で両目を見開くツインテールのメイド。
二人のふくよかな胸に挟まれ、まさに両手に花。
苦労したから、フィナーレにこのぐらいのご褒美は、受け入れてもいいのかもしれない。
ちょうど皇子の寝室の窓が目の前に来たので、そこを蹴破って、ベッドの上に着地する。
「きゃっ!」
「……」
無事着地に成功した俺は、二人の怪我の具合をチェックする。
服はボロボロで、あちこち煤け、擦り傷も多いが、致命傷は見当たらない。
これなら回復魔法ですぐ癒やされるだろう。
今の俺の格好は何かと不都合があるから、一度着替え、皇子としてふたりを出迎えよう。バレているとしても、今後の対応の問題が残る。
それに、ラオス学園長たちや帽子屋たちのことも気になる。
俺はふたりを部屋に残し、なにも言わず立ち去ろうとしたら、
「待って!」
ツインテールのメイドに呼び止められた。しかも、かなり切羽詰まった表情で。
驚いて振り返ると、ブリジット公女がツインテールのメイドに微笑みかける。
「ナタリー、私は大丈夫ですから」
ブリジット公女はそう言って、心配そうにギュッとベッドのシーツを掴む。
何か事情があるのだろうか?
念の為深く帽子を被り、無言で会釈してから部屋を出る。
すると、ツインテールのメイドもブリジット公女に頭を下げて部屋を出た。
さて、どうしたものかとツインテールのメイドを見たら、あちこち破れたメイド服を気にしながら俺を追いかけてきて……。
破れた肩周りを直す最中に、ポロンと大きな胸を片方こぼした。
しかも下着をしていないようで、張りのある美しいそれが、直にドーンと出てしまっているのに、なぜか隠そうともしない。
慌てて目をそらしながら、マントを差し出す。
「申し訳ないです、不快なものを見せちゃって」
すると、そんな声が聞こえてくる。
「不快?」
「あたし亜人だし、こんな肌の色ですから……欲情するやつなんていませんよ。もう23歳なのに、見た目も幼いですし」
そして、そんなことを言って苦笑いする。
マントで身を隠した、痩せた14~15歳ぐらいにしか見えない、ツインテールで、大きなつり目の生意気そうなその女性は……。
亜人として特徴的な、青髪とパープルの瞳と、薄いグリーンの肌を持つ。
帝国では最近、人権は認められたが、まだなお深い差別の念が残っている。
王国連合では、いまだに家畜同然に取引されているとも聞く。
そして青みを帯びた髪や瞳や肌の色ほど、商品価値が低いとも。
「あなたは、ビックリするほど美しい」
俺はそっぽを向いて、ついつい、そんな声を漏らしてしまう。
「えっ、へ?」
するとナタリーは大きなつり目をパチリと瞬かせ、羽織ったマントの前をギュッとマントをとじ合わせると、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
あー、しまった。俺なんか、また変なこと言ってしまったかもしれない。
まったく……女生との会話は、難しい。




