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第十一話 氷結の賢者

「たたた、大変です! 学園長“氷結の賢者”ラオスがカチコミにきました!」


 俺は寝ぼけ眼をこすりながら、物置部屋に敷いた寝袋から顔を上げる。


 窓の外から朝日が差し込んでいるから、もう朝なんだろう。

 今朝の帽子屋は俺のシャツをお腹の辺りで絞るように結び、やたら短いスカートを履いていた。


 例のメイド服よりはマシだが、微妙に不思議な着回しだ。

 まあ、おしゃれな感じなのだが……あいつ自分の服、ちゃんと持ってこなかったのか?


「フライパンなんか握りしめて、どうしたんだ?」

「今朝はパンケーキを焼いていて……いえそれより、ラオスです!」


 時計を見ると、まだ6時前だが、先方にも都合があるのだろう。

 学園長ともなれば、来賓の相手とか。きっと今日は分刻みのスケジュールだ。


「客間にでもお通しして。先方は何人?」

「例の金髪年増女とふたりです」


 ミザリー教諭かな? だったら話が早い。


「イリュージョン様、落ち着いてますね?」

「まあ、いつかは向こうから訪ねてくるだろうと思ってたからな」


 俺があくびをかみ殺しながら、近くにあったシャツを着ていると、


「あの、あたしはどうすれば……」


 ソワソワしている帽子屋が、フライパンを握りしめて謎の素振りしはじめた。

 くるくる回ったりするから、またパンツが見えちゃいそうだ。


 フライパンであの生きる伝説のひとり、氷結の賢者ラオスと戦うつもりなのだろうか?

 やっぱり帽子屋は大物だな。


「パンケーキは何枚焼いたの?」

「2枚ずつで、ふたりで食べようと、合計4枚」


「ちょうどいい、1枚ずつ皿にのせて、紅茶と一緒に出しといて」

「了解です!」


 帽子屋が急いで駆け出す。

 まさか本気にしてないよな?


 俺は少し不安になったが、もう少し寝ていたい衝動を抑え込み、なんとか客間に向かって歩き出した。




 客間のドアノブに手を触れた瞬間、眠気が吹っ飛んだ。

 制御しているだろうが、冷えたオーラが、ドア越しにビリビリと伝わる。


 20年前に終結した人魔大戦で、最も多くの魔族を葬ったといわれる男。

 虚無の賢者と並び称される、生きた伝説のひとりだ。


 帽子屋の謎の行動も、今なら頷ける。


「お待たせして申し訳ありません」


 ドアを開けると、そこに立っていたのは背の低い白髪の貧相な老人と、ミザリー教諭。


「チャーリー皇子殿、朝早くから突然の訪問、申し訳ない」

「こちらこそ、わざわざご足労、痛み入ります」


 握手を求めて近づいてきたので、慌てて俺が手を握ると、ラオス学園長は顔を近づけて耳打ちした。


「さすがだねえ、このオーラを出している儂に、殺気を向けてくる相手は20年ぶりじゃよ」


 そして俺の胸ポケットに、そっとカードを差し込む。


「お返しするよ、これもなかなかじゃった」


 ポケットの中身は調べなくてもわかる。

 模擬戦のとき俺が投げたタロットカードだ。


「恐縮です。学園長殿も、素晴らしいアイスジャベリンでした」


 引きつりそうな眉をなんとか押さえ込んで、ふたりを席に案内したが、座ったのはラオス学園長だけ。

 ミザリー教諭は、無言でその後ろに立った。


 俺が正面の席に座ると、


「ふむ、腹の探り合いはやめようかの。お互いあまり時間ななさそうじゃし」


 ラオス学園長はそう言って、立ちこめていたオーラを完全に遮断した。

 何気なくやっているが、これも凄い芸当だ。


「では単刀直入に、ご用件は」

「今件から、手を引いてくれんかのう? もちろんそれなりの対価は出そう。エリン君の処遇も考え直す」


 逃げ切った甲斐があったのだろう、初手から思ったより好条件が出た。

 後ろに立つミザリー教諭が、ちょっと悔しそうなのが嬉しい。


 だがもう一声必要だ。


「今件が何を指すのかわかりませんが……僕の条件は、今晩ブリジットと舞踏会で踊ること。エリンが研究をまっとうできるようにすること。そのふたつです」


「ふたつはのう……どちらかひとつにはならんのか?」


 これは本音だろう。


 ブリジット公女とチャーリー皇子が婚約を正式に交わしても、エリンがいなければ、王国連合や魔導院の工作から学園を守る自信がある。


 逆にブリジット公女とチャーリー皇子の婚約が破談になり、ブリジットがバーム王国に嫁げば、急激に工作が進むことがなくなるため、エリンも学園も守り切れる。


 だが俺の任務は、前提が違う。


「学園長殿は、なにか勘違いをしておられるようですね。僕の条件は、ブリジットと踊ること。婚約は破棄しても構いません。エリンの研究はまっとうすることが条件で、彼女が学園から姿を消しても問題はありません」


 俺がそう告げたら、ラオス学園長はニヤリと笑った。

 こいつも喰えない爺さんだ。賢者ってのは、こんなヤツばかりなんだろうか?


「面白そうな話じゃな。皇子よ、もう少し詳しく教えてくれぬか」


 そこでちょうど帽子屋が入室し、パンケーキと紅茶を配って、にこやかな笑みで去って行った。


 うん、本当にパンケーキがドーンと1枚、皿に乗っかっている。

 これから帽子屋に冗談を言うときは、細心の注意を払おう。


 しかしラオス学園長には、これが受けた。


「ふむ、これは南部風のパンケーキじゃな! 焼き方が帝都のそれとは違って、パリッとしておる」


「ええ、そうです。彼女は南部の出身で……」


「そうかそうか。以前皇子を探りに深夜に訪れたら、あの少女が窓にしがみついて中を覗いておったので、驚いて帰ったが……。うむ、このようなパンケーキを作るとは!」


 そうか、一度マーカーが反応した夜があったな。

 なるほど、あの時帽子屋は、やっぱり俺を覗いていたのか。有益な情報ありがとう。


 あとで帽子屋は説教だな。


「学園長様、急がないとバーム領事との朝食会が……」


 美味しそうにパンケーキを食べ始めたラオス学園長を、困ったように止めにかかるミザリー教諭。きっとこんなことがよくあるのだろう。なんか苦労がにじみ出ている。


「バームの領事など、なんとかしておけ。ミザリーも食べてみればわかる」


 ミザリー教諭は諦めたように、手にしていた通信魔道書を開き、なにか書き込んでから、ドカリと椅子に座って俺を睨んだ。


「ではチャーリー、その条件とやらの詳細を話しなさい。我々教諭陣も大切な学生を学園の生け贄になどしたくないのです。良い案があるのでしたら、協力は惜しみません」


 そしてミザリー教諭は怒ったように、ガブリとパンケーキにかぶりついた。


 そもそも俺を復学させたくないために、わざと、あんなこと言っていたんだろう。

 見ればすぐわかるほど、不器用な人だ。


「では、まず……」


 俺が話し出そうとしたら、ラオス学園長とミザリー教諭が同時に喉を詰まらせた。

 そうだった、この固いパンケーキ、美味しいけど、なれてないと喉に詰まるんだよな。


 俺が帽子屋を呼ぶと、慌てて水と紅茶を持って駆けつけてくれた。

 朝食は、やっぱり賑やかな方が良い。



 俺は帽子屋も座らせ、皆でパンケーキを食べながら、舞踏会の演出プランを説明した。


 これでメインホールに大道具をこっそり運ぶ手間も省ける。

 今夜のショーが楽しみだ。



   × × × × ×



 ラオス学園長とミザリー教諭を玄関まで送ると、


「ふむ、皇子よ。そういえば虚無の賢者は元気かね」

 ラオス学園長が、ふと呟く。


「さあ、僕にはわかりません」

 にこやかにそう答えたら、隣にいた帽子屋が首を傾げる。


 ふたりを見送った後、


「イリュージョン様って、虚無の賢者様を知ってるんですか?」

 帽子屋がそんなことを聞いてきた。


「どうなんだろう? 存在するのかどうかもわからないのが、虚無なのかもしれない」


 自分で言って、笑ってしまう。

 エリンの話が本当なら、俺はあの爺さんの奇術に長年騙されていたことになる。


 まあそれが、“虚”と“実”を操る奇術の神髄なのかもしれないが。


「イリュージョン様って、説明下手を通り越して、哲学者みたいですよね」


 帽子屋があきれたように俺を眺めていたら、かわいらしいピンクのパジャマに身を包んだエリンが慌てて走ってきた。


 ちょっとブカブカだから、帽子屋のパジャマなのだろうか?


「チャーリー、マリーさん、た、大変です!」

「エリンちゃんどうしたの?」


「と、隣の家が、か、かっ、火事です!」


 その声に振り返ると、屋敷の斜め奥から煙が出ていた。


「うそっ!」

 帽子屋が驚くと同時に、冷たい疾風が俺の横を通り過ぎる。


 その後ろを、ミザリー教諭が追いかける。

 なら、さっきの風はラオス学園長だ。


 くそっ、――目視すらできなかった。


 俺も慌ててその後を追うと、燃えさかる屋敷一軒を、氷の球体が覆い尽くす。

 その正面に、ラオス学園長が杖を構えて立っていた。


「皇子、建物は任せろ。中を頼む、逃げ遅れた人がおらんか確認してくれ!」


 信じられないことに、ラオス学園長はたったひとりで、燃えさかる3階建ての大きな屋敷を氷結させはじめていた。


 ――やはりバケモノだ。


 その横では、通信魔道書を開いて、的確な指示を出しているミザリー教諭がいる。

 きっと、学園の消防や警備を担う人材に連絡しているのだろう。


 このふたりがいれば、安心して建物内の救助に専念できそうだ。


「イリュージョン様、不審な人影があたしたちの屋敷に侵入を試みてます」

 近づいてきた帽子屋が耳打ちする。


 火事場泥棒じゃあないだろう。早すぎるし、タイミングも良すぎる。


「そっちは任せる。エリンを守ってくれ」




 頷いた帽子屋を確認すると、俺は燃えさかる屋敷を睨んだ。

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