第十話 奇術の種
交渉の結果、エリンは帽子屋が住むはずだった一軒家に泊まることになり、引き続き帽子屋は、この屋敷の使用人部屋で暮らすこととなった。
もちろんその交渉で、俺の意見などただのひとつも聞かれていない。
俺はずっと床で正座していたからな。
エリンと帽子屋は終始ニコニコと談笑していたが、部屋の気温が徐々に下がって行った気がしてならない。
まあ、落とし所としては妥当だから、特に異論はなかったが。
× × × × ×
「イリュージョン様がどこかでまた女性を口説いていた間に、あたしは必死になって任務を遂行しておりました」
「いえ、女性を口説くなど、俺には不可能です」
「言い訳ばかりしてると、夕飯も報告書もお預けにしますよ!」
床に正座する俺を、ふくれっ面の帽子屋が、生足でぷにぷにと俺の身体を突く。
なんだか、異様にくすぐったい。
相変らず男物のシャツに脚の根元まで見える薄手のショートパンツ姿だから、官能的な脚線美が全開で、叱られているのかご褒美をいただいているのかわからない。
まったく、世の中わからないことだらけだ。
しばらくすると突き飽きたのか、帽子屋が夕飯の準備をしてくれたので、一緒に食べることにした。どうやらもう、椅子に座っても良いようだ。
「ありがとう、助かるよ。ああ、夕飯はポトフなんだね、好きなんだこれ」
「知っててご用意しました! ちゃんと褒めてくれないと、報告書もポトフも渡しません」
そう言いながら唇をとがらせそっぽを向くが、ちゃんと報告書も夕飯も、テーブルに並べてくれる。
俺が何度もお礼を述べたら、しかたないとばかりに大きなため息をつくと、帽子屋の機嫌が少しだけ良くなった。
エリンとなにがあったのかの説明をする。
しかし『虚無の賢者』の話は全部省いた。
この件は確証を得るまで、秘密にしておいた方が良い気がしたからだ。
「あーでも、模擬戦の刺客って教諭陣だったんですね!」
帽子屋の関心は、襲撃の犯人だった。
「冷静に観察してれば気づけたかもな。指揮を執っていたのはミザリー教諭だろう。あそこが指示を出せる特等席だ」
「だからムカつくんですよ! インチキじゃないですか」
「それが戦いの基本だろ。俺たちだって、そうやって……」
――いや、待て。
観客を騙すのが奇術の基本だが、今回の模擬戦の襲撃はあまりにも上手すぎる。
ミザリー教諭からの指示は、どう出ていた?
俺や帽子屋に気づかれず、待機していた教諭陣だけに届けるには、出す側も受ける側も、事前に相当な訓練が必要だ。
アイスジャベリンの攻撃もそうだ。
種がわかれば、俺が防げなければミザリー教諭が代わりに防いだとわかるが、それだって、ギリギリを攻めすぎだ。
相当あのアイスジャベリンの刺客の腕が良いか、ミザリー教諭との連携に自信があったのか。……いや、その両方だな。
そもそも、学園の教諭陣は奇術の基本を知っている可能性がある。賢者会は虚無を研究し、実戦に取り入れようとしているのだろうか?
実際、図書館までの追走も“虚”と“実”の入れ方が、通常の包囲戦とは……。
「イリュージョン様考え込み過ぎ、冷めちゃいますよ」
食事の手が止まったら、帽子屋がまた唇をとがらす。
そうだな、虚無の件は、いったん保留にしよう。
情報が少なすぎるから、今悩んでも始まらない。
俺は苦笑いして、ポトフを口にしながら、報告書に目を落とす。
南部風の味付けは酸味が強く、帝都じゃなかなか食べることができない逸品だ。
「懐かしいな。やっぱり帽子屋の料理は最高だ」
「えへへ。初めて出会った頃を思い出しますね」
そうだ、帽子屋と初めて出会ったのは3年前。南部の田舎町での任務だった。
『楽団』と呼ばれる暗殺集団にいた帽子屋に、命を狙われたのがきっかけだ。
その後、帽子屋は『闇のサーカス』にスカウトされたのだが……。
「帽子屋は、最初は諜報部だったな。三月うさぎは3年前からあの髪型か?」
「あー、あの左だけ妙に長い前髪のことですか? 初めて会ったときは、もっと長かったかな? 左目がほとんど隠れてましたから。まだましになった方ですよ、あれ」
報告書によれば、チャーリー皇子休学の原因は、模擬戦による負傷。
ただし相手は、戦闘訓練の特別教官で、この模擬戦で命を落としている。
「この特別教官って、どんなヤツだ?」
「バーム王国から派遣された元近衛騎士で、国内では名うての剣士だったそうです」
「模擬戦の内容は?」
「噂ですが……相手は魔剣を抜いて襲いかかってきて、皇子は模擬専用の木刀だったとか」
話半分でも凄すぎるな。6年前なら、皇子はまだ13歳だ。
「皇子の負傷具合は?」
「顔に傷を受けた程度だと」
「左目の上か」
「どうしてわかったんです?」
「魔法肖像の左目の上に、傷跡があっただろ」
「あたしぜんぜん気付けませんでした」
帽子屋が首をひねって、何かを思い出そうとする。
「魔剣の攻撃って、回復魔法でもなかなか癒えないそうですね」
魔剣の種類や、扱う剣士の腕によって違うが……4~5年で完全回復は難しいだろう。
俺も受けたことがあるが、厄介だった。
「それで、帝国と賢者会との確執が始まったのか」
「そうなんですが、根底の問題は王国連合からの留学生です」
俺はポトフを食べながら、報告書を読み込む。
王国連合からの留学生の一部が反帝国思想を広め、徐々にそれが学園に浸透する。
この動きを煙たがっていた帝国が事件を機に、留学生受け入れ拒否を学園に勧告する。
しかし国家間の平和を提唱する賢者会がそれに反対し、事態は暗礁に乗り上げる。
反皇族思想は、皇子が事件の発端だったから、ついでに湧き出たのだろう。
報告書を見る限り、どこにでもあるつまらない話で、婚約破棄には今ひとつ絡んでこなさそうだが……。
「なぜ皇子は命を狙われたんだ?」
「これも噂なんですが、皇子は“虚無”の使い手なんだそうです」
ここにきて、話がややこしくなる。また“虚無”か。
「どうしてそれが、命を狙われる理由に」
「王国連合は『魔導院』が主流ですよね。あそこは虚無を詐称だと言って、認めてないんですよ。まあ、魔力至上主義の信仰のようなものですけどね」
帽子屋があきれたように両手を上げた。
この手の信仰は厄介だ。根底は必ず政治的な言い訳。
金や利権やエゴが絡まり、醜悪で、決して薄れることがない。
「バーム王国は、魔力保量による階級制度がまだ残ってたな」
「王国連合は、どの国でもそうですよ。魔力保有者による非魔力保有者の差別も酷いですし」
非魔力保有者で、元王国連合からの難民だった帽子屋が、心底嫌そうな顔をする。
「でも実際、虚無なんて存在するんですかね? あの賢者様の逸話は、全部嘘臭くって」
帽子屋が自分のポトフを頬張りながら、納得いかないとばかりに首を傾げる。
「さあな、意外と身近にあるかもしれないぞ。それから、ブリジット公女とバームの王子については、なにか掴めたか?」
俺は、話を強引にもとに戻す。
「うーん。ちょっと、わがままな王子のようで、ブリジット公女ちゃんに戦争をチラつかせたり、魔導院からの刺客を送って、脅したり。いろいろしてたみたいです」
「随分わかりやすいヤツだな」
「まあ、明日来るのも、それが目的みたいですし。例の因縁の騎士の仲間とか、魔導院の凄腕とか引き連れてくるそうですから」
「了解。なら、これで役者もそろうし、戯曲の変更も完了だな」
「そうなんですか? それで……円満な婚約破棄が?」
帽子屋がテーブルに手をついて、乗り出してくる。
「ああ、充分だ。こいつは内気すぎるバカ皇子と、一途すぎる美しい姫が招いた悲喜劇だ。責任は当事者にとってもらう」
「どうやるんですか?」
そして、ワクワクした表情で瞳を輝かせたが……。
「ブリジット公女が惚れてるのは、チャーリーであって皇子じゃない。なら皇子と婚約破棄して、チャーリーと結ばれればいい」
俺がそう言ったら、詰まらなさそうに、ポンと音を立てて椅子に座り直した。
「なんか哲学的な話ですね」
「いや、物理的な問題だ。チャーリーは既に皇子じゃないんだ。いや、チャーリーですらないかもしれないが」
俺の説明に帽子屋が首をひねる。
まあ、明日にはわかるだろうし、ここは上手く説明できる自信がない。
「詳細は明日、本人にでも聞いてくれ」
「承知しました!」
説明下手な俺に慣れてしまった帽子屋が、元気よく微笑む。
「でも、バームの王子は結局フラれるんですよね。納得してくれるんですか?」
「脅しや力押しでくるような相手は、同じ方法で撃退すべきだ。それ以外の手は、結局意味を持たない」
「うーん、じゃあ戦争になっちゃうんですか?」
帽子屋がスプーンをくわえて腕を組む。
「その前に止める。お付きのヤツらを全員倒せば、王子は下がるだろう。恐怖をきっちり、心に刻んでやればいい。そっから先は政治の責任だ」
「あたしの仕事は?」
戦争にならないことに安心したのか、くわえていたスプーンを抜き取り、嬉しそうにポトフたいらげた。
「明日のショーの準備と、当日のちょっとした演出だな。場所が限定できているから、大道具も使える。明日は派手に演じよう」
俺もポトフ食べ終えると、帽子屋に笑いかける。
「これから詳細の打ち合わせと、リハーサルだ」
俺の言葉に帽子屋は、こくりと頷いて立ち上がり、
「じゃあお皿洗ってきますね。そうそう、食後の紅茶は必要ですか?」
いつもの明るい笑顔で、空になったテーブルの皿を片付けだした。
× × × × ×
「うわー、凄いですね。こんな部屋があったんだ」
「チャーリー皇子の趣味だったようだな。引きこもって演奏ばかりしてたんじゃないか?」
防音完備されたその部屋には、ズラリと弦楽器が並んでいる。
ホコリよけのシーツを外すと、どれも手入れが行き届いていて、いつでも演奏できそうな状態だった。
帽子屋がチェロの弦を弾いて、チューニングしながら簡単な演奏を始める。
「使えそうか?」
「いけそうですね、良い楽器です」
「じゃあ早速、そいつと大道具をまとめて、明日メインホールに……」
しかし、しばらくしても帽子屋は、懐かしそうに演奏を続ける。
美しく奏でられたメロディーは、どこか寂しそうでもあった。
「さすが元、『楽団』の天才少女だな」
「殺しばかりしてましたが、演奏の方が好きでした」
笑顔に少しだけ、影がある。
辛い過去を思い出させてしまったのかもしれない。
思わず謝罪しようとして、言葉を飲み込む。
それは、違うのかもしれない。他人の過去を勝手に哀れむのは、失礼な行為だ。
俺の過去だって、決して誉められたものじゃない。
だがそれが、今の俺を形成している。
――どうすればいいか、こんな時、いつも悩む。
「イリュージョン様も一緒にどうです? 旅一座でバイオリン弾いてたって聞いたことありますが」
だが、彼女がチャンスをくれた。それを逃す手はないだろう。
こんな時、道化は道化らしく振る舞えばいい。
笑顔を取り戻すのが、仕事なのだから。
「了解だが、俺のは大道芸だ。帽子屋のような、ちゃんとしたオーケストラじゃない」
探したら、バイオリンも見つかった。思わず安堵の息が漏れる。
「演奏できる曲も限られてるぞ」
「合わせますから、好きにやってください」
俺は道化らしくオーバーに腰を折って、リクエストに応える。
「では、悲劇の皇子のための序曲を」
そう呟いてから道化師達が入場する時に奏でた行進曲を、ステップを踏みながら、テンポよく演奏した。
「あはっ! 面白い」
俺のコミカルな動きに合わせて、帽子屋は脚でリズムを刻み、アドリブで弾むような音を重ねてくれた。
愉快なリズムが、部屋を揺らす。
今を心から楽しむ、帽子屋の笑顔が嬉しい。
帽子屋も、ブリジット公女もエリンも、その悲劇がいつかすべて、喜劇として吹き飛んでしまえばいい。
俺は心からそう願いながら、バイオリンを弾き、しばらくの間……。
ふたりだけの前夜祭を楽しんだ。




