第一話 道化は闇と踊る
陽が差せば必ず闇が落ちる。
国家にも人の心にも、まるでバランスを取るように。
それは、必然として。
道化は闇と踊り、陽の差す場所に向かってショーを続ける。
誰かの笑顔を願って。
――それが、任務だから。
× × × × ×
夜の闇が帝都を包んでいた。
給仕に変装して慌てて会場に踏み込むと、闘気と呼ばれる属性の魔力を膨らませた筋肉質の男が、血塗られた大剣を片手に、下品な笑いを俺に向ける。
その横にいる斧と盾を構えた大柄なヒゲの戦士は、冷めた視線で俺を見下した。
「あら坊や、何をそんなに縮こまってるのかしら?」
男達の後ろからは、貧弱な体躯でオロオロする俺を、バカにしたような女の声も聞こえてくる。
女のぴっちりとした魔道士服が、胸の谷間を強調し、腰のくびれを際立たせる。大胆過ぎるスリットから覗く太ももは、挑発的に光を反射していた。
命令書にあったとおり、豊かに揺れる凶悪な胸……じゃなく、強力な魔力は確かにS級だ。
特徴的な杖も持っているし、人相風体も一致する。
こいつが問題の魔法使いで間違いないだろう。
むせかえるような血の臭いが漂う、このパーティー会場で生きているのは、この3人だけ。
狙われたであろう貴族達だけではなく、それを護衛していた騎士、仕えていた給仕やメイドまで、もうすべて見る影もない。
「あなたはちょっと、やり過ぎたようだ」
俺の態度に腹を立てたのか、女魔法使いが眉根を寄せながらつまらなさそうに呟く。
「そんなに早く死にたいの? それともヒーローにでも憧れているの?」
「残念ながらヒーローじゃない。――闇、そう呼ばれている」
俺の言葉に、女魔法使いが冷めた笑いを漏らす。
「また帝国の闇組織? 懲りないわね。何度返り討ちにされたらわかるの? でも、坊やからは何の魔力も感じないわ。嘘をつくならもっとましな……」
女魔法使いが杖を構えると同時に、俺は懐にしまっていたビンを床にたたきつける。
白煙がもうもうと立ちこめる中、俺は道化のマスクを被り、シルクハットとマントを身につけ、対魔法糸を四方に巡らす。
自称転生者の妙な爺さんから伝授されたこの『奇術』は、魔力を欺き、魔力を持たない俺をこの世界の『無敵』へ昇華させる。
マスクのおかげか、高揚感と開放感が俺を包む。
俺はこれから、世間を欺く幻想になる。
――舞台は整った。悪いが、ここはもう俺の独壇場だ。
「何が起きたの? あんた達、なんとかしなさい!」
「魔力が感じ取れねえ、視界も遮断された……くそっ、これじゃあ探せねえ!」
俺は男ふたりと女魔法使いを糸で絡め、拘束する。
白煙の中、剣士と戦士は糸を力業の物理攻撃で破ろうとしたが、もう遅い。
俺は懐から取り出した物理攻撃用のカードを投げ、意識を刈り取る。
徐々に晴れてきた視界の中で、再確認する。
捕獲命令がかかっていた女魔法使いは……魔力を封じる糸が、胸を押し上げ、太ももに食い込み、息遣いが荒くなっている。
色気と危うさが混じった光景に、思わず唾を飲み込む。
「俺の魔力に勝てるかな? “傾国の魔女”」
「この程度……、帝国の犬ごときに私が負けるとでも? 魔導院から“魔女”の称号を得たあたしをなめないで!」
挑発に乗った女が魔力を膨らます。
「貧弱な魔力だな」
俺はいかにも魔法を駆使したかのようなアクションで、使えもしない呪文を口ずさみながら、さらに糸で拘束して行く。
「あっ、ダメ、やっ、やめて、死んじゃう!」
体中に糸を張り巡らされた女は、身体をヒクヒクさせながらもだえ苦しみ、涙をため、やがて動きを止めた。
――奇術の基本は、相手に“種”を気づかせず、常にペースを握ること。
蜘蛛のモンスターから採取したこの糸は、魔力は無効化できるが物理攻撃に弱い。
しかし女魔法使い相手に、魔法攻撃に弱い物理攻撃用カードで意識を奪うことはできなかっただろう。
もし挑発に乗らなかったら、俺の負けだった。
生け捕りが命令だったから、糸の拘束を少し緩める。
「ゲホッ」と息を吐き、涙と吐き出した涎で汚れた顔で、女魔法使いは俺を睨んだ。
「その姿は……帝国の“闇”最強、魔法殺しの『幻想』――ただの噂だと思ってたけど、実在したのね」
「さあ、なんのことやら」
「ねえ坊や、あなたは踊らされてるだけよ! 帝国が正しいとは限らないわ。これだけの力があれば、どこでもやっていけるでしょ。あたしたちに寝返って、普通の生活を楽しまない? なんなら、今から、お、お姉さんが恋の手ほどきしてあげる……」
女魔法使いは拘束されながらも、扇情的に誘うようなポーズを取る。
その見事な手のひら返しは、いっそすがすがしい。
この魔女が恐れられてきたのは、ある意味、この美貌やしたたかさも理由なのだろう。
なるほど……チラチラと見える黒い下着も、なかなかだ。
俺が“傾国の魔女”について考察していたら、背後から殺気が……。
「幻想様、コレは私が処分しますのでお急ぎを」
振り返ると、ピッチリとしたボディースーツに、俺と同じ道化のマスクを被った女性が立っている。
俺に気配を悟らせないのは、さすがだが、なぜだろう?
――無言の圧が怖い。
「“帽子屋”か。ああ、後は頼んだ」
彼女は同じ『闇のサーカス』の団員で、このマスクや糸の作成をしてくれている錬金術師でもある。
同僚の中でも数少ない背中を任せられるヤツで、この姿で現場もフォローもしてくれるのだが……。
防御力に優れて動きやすいからだそうだが、スタイルが良い彼女が着ると、目のやり場に困る。
上向きの形のよい胸とか、くびれたウエストとか、引き締まったお尻とか。
形がハッキリわかっちゃうので。
「チッ」
と舌打ちしながら、帽子屋は女魔法使いを蹴飛ばすと、汚物でも扱うように袋に押し込む。
冷静で頭のキレる女だが、時折意味不明なことをする。
今も対抗するように真っ赤な髪をかき上げながら、自分の胸の膨らみを俺に見せつけてくるのに、意味があるのだろうか?
「そんな下品な体でイリュージョン様を誘惑するなんて!」
なんて声まで聞こえてくるし。
「任務はこれで終了だな。後は頼めるか?」
怖々訪ねると、
「承知いたしました。命令書にあったS級魔法使い1名。それからこちらは、指名手配中の剣士と戦士ですね。どちらも高額賞金がかかっています」
帽子屋は通信用の魔道書を開きながら確認すると、俺を見て微笑む。
「さすがですね、他の“闇”の工作員が既に3人も殺されてます。これほどの実力者を一瞬で生け捕りにできる団員など、『闇のサーカス』でも他にいません」
「いや、褒められることじゃない。もう少し早く踏み込めたら」
「それはイリュージョン様の責任ではなく、連絡が遅れた諜報部の……」
俺は帽子屋の言葉をさえぎり、無言の観客を弔うためシルクハットを脱ぎ、マントをひるがえしながら会場に祈りを捧げた。
ショーの終幕は、いつだって寂しい。
もう擦り切れてしまった感情のせいか、涙すら出ない。
帝国に踊らされていることぐらい重々承知。
だが道化は、陽の当たる場所の観客が笑ってくれるよう、踊り続けるのが任務だ。
どんな正義を掲げたって、こんな無言の観客を増やすやつらは信用できない。
袋詰めにされて運ばれる女を見て、失笑がこぼれる。
本当に、バカバカしい。
ヒーローに憧れている? 普通の生活? 恋だって? 闇のサーカスに入団したとき、そんなつまらない感情は、本名と共にゴミとして捨てた。
――今はもう、俺はただの『幻想』なのだから。
× × × × ×
「号外だ号外! また闇のサーカスが現れたのか、帝都を恐怖に陥れていた“傾国の魔女”が捕まった。動いたのは、あの幻想か!」
『錬金術工房マッド・ハッター』の店内から外を眺め、俺はあくびをかみしめながら紅茶を口にした。
俺たち『闇のサーカス』は、普段は平民のふりをして帝都に住んでいる。
この錬金工房は“帽子屋”のアジトで、任務を受ける情報交換の場でもあった。
店から見える朝の大通りは買い物客で賑わい、大声で叫ぶ少年から号外を受け取り、口々になにかをささやき会っている。
「紅茶のおかわりはいりますか?」
「ありがとう」
セミロングの赤い癖っ毛と、形のよい二つの膨らみを揺らし、“帽子屋”は空になったカップに紅茶を注いでくれた。
突然近づいてきたので、驚いて距離を取る。
その態度に、帽子屋が「もう!」と唸る。
店先に立つときは質素なワンピースを着ているが、それでも抜群のスタイルは隠しきれていない。
彼女の整った目鼻立ちと素朴でチャーミングな笑顔と、あの凶悪な膨らみが、この店が繁盛している要因の一つだと俺は踏んでいる。
店内に舞い込んできた号外を拾い上げると、帽子屋は誇らしげに頷く。
任務中は道化のマスクのおかげか、ノリノリで話もできるが……冷静になると、彼女のような美少女との会話なんて、俺には荷が重い。
「せっかく秘密裏に捕まえたのに、どうして公開するんだ? それに俺の任務だって、なんで噂が流れる」
誤魔化すように愚痴ると、頬を膨らませた帽子屋が、吐息がかかるほどの距離まで顔を近づけてきた。
なんか甘い匂いもするし、プックリとした大きな下唇も艶やかで、直視できない。
「上層部がなに考えてるのかなんてわかりません。どうせ噂も、故意的に流してるんでしょうけど。プロパガンダには興味ないので」
耳元でささやくと、硬直した俺を見てクスクスと笑う。
「イリュージョン様って、普段はなんか冷たいですよね。距離を感じるっていうか。あたしを救ってくれたばかりの時なんて……」
俺は帽子屋から目をそらして、そっと距離を取る。
帽子屋との会話は随分慣れたが、こんな風に詰め寄られたりすると困る。
そもそも俺は、人付き合いが苦手だ。
特に年頃の女性がダメだ。
「そうそう、これ」
からかい疲れたのか、ため息をついた後、帽子屋がカウンターの下から魔法紙を取り出す。
「任務か?」
帽子屋は無言で頷いた。
俺が紙を持つと同時に、任務内容が浮かび上がる。
宛先は『幻想』と『帽子屋』とあったので、声を出して読む。
「賢者会が運営する『帝都魔法学園』に潜入せよ」
そして次の文章を見て、俺は紅茶を吹き出した。
「なにやってんですか? えーっと、どれどれ」
帽子屋が慌ててタオルで俺の顔と命令書を拭く。
「帝国の平和を維持するため、帽子屋を恋人として幻想は第九皇子を演じ、公爵家三女ブリジットとの婚約を破棄しろ……?」
そして帽子屋が引き続き命令書を読んで、首を傾げる。
「えっ、やだ。なんだか照れちゃいますね。恋人役かあ……そうそう、ブリジット公女って噂の才色兼備なご令嬢ですよね。他国の王子や有力貴族が求婚したけどすべて断ったとか、有名絵師が肖像画を描きたいと申し出てやまないとか。伝説級の美少女ですよ」
「そうなんだ……」
文末には明日の時間と場所が指定してあり、そこに“帽子屋”と共に行けとあった。
「任務ですが、なんかちょっとワクワクしますね! 学生って一度やってみたかったんです。えへっ、イリュージョン様の恋人役? そーかー、うふ、うふふふ」
帽子屋のテンションがおかしい。うふうふ笑いながらスキップしている。
任務だぞ? そんなに学生役が楽しみなのか?
しかし帽子屋と恋人役? 魔力のない俺が魔法学園? 俺が皇子役? で、婚約破棄? しかも相手は伝説級の美少女??
――この任務、俺が達成できそうな要素がどこにもない。
まったく上層部はなにを考えているのか……俺にもさっぱりわからなかった。




