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才媛自刃  作者: 内海郁


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5/12

5話

¥〈三〉



「ぅ、ぅう……」


 体が痛い。首が痺れるかのようだ。


 痛々しい覚醒の中、吟の視界に飛び込んできたのは。

 ほんの爪の先も期待していない。

 いやらしい男の笑顔であった。


「ああ、目を覚ましましたねぇ」


「アンタ……」


 歪む視界の中、反射する丸眼鏡。

 間違いない。

 彼は編集のーー。


「い、今村……」


 担当編集者の今村。

 毎週毎週、懲りもせず存在しない原稿を引き取りにくる男だ。

 その胡散臭い笑顔を浮かべ、嬉しそうに手を合わせる。


「はァい、どうも。あらいやだ、苦々しいお顔」


「目を冷まして1番最初に見たのがお前なんだ、苦い顔を浮かべたくもなる。

 今すぐアタシの視界から消えな」


「まァなんと、起き抜けに罵詈雑言のご褒美を感謝いたします。

 ところで原稿は上がっておりますか?」


「は? 上がっているわけなんてないだろう。

 アタシはたった今、首を吊って……」


 はっと首筋に触れる。

 痺れるような鬱血の跡をなぞり、ゾッとした。


「おい、アタシは首を吊ったはずだ。

 なんで寝ている」


 確かこの卓袱台の上で……。

 そう回想して天井を見上げる。

 そこには昨晩かけたはずの縄も、ひと月ほど前に開けたはずの穴もなかった。


 おかしい。確かについ先ほど、首を吊って命をたった。

 そのはずなのに。


「畜生、一体何が起こっているんだ……」


「先ほどから何を考え込んでいるのですか? 

 私には、昼寝をしているようにしか見えませんでしたがーーところでセンセ、原稿は」


 昼寝? 

 では、夢か。

 首を吊った一連の出来事は夢。

 ならば全て辻褄が合う。


 ……それにしても随分と鮮明な夢だった。

 首が締まる、熱。

 つい数秒前のことのように、鮮明に思い出せる。


「畜生。なんで夢なんだ。

 現実じゃあ……」


「ところでセンセ、原稿の方は」


「さっきからうるさいなぁ!」


 突如として、吟は叫んだ。

 その顔は青くも赤くもあり、血走った瞳で今村を睨みすえる。


「原稿、原稿原稿原稿! 

 オマエはそれしか言えないのか!

 この一旦木綿が!」


「おや、妖怪に例えられるとは新手の罵倒でしょうか。

 仕方ありません。

 私は編集者、貴方様……作家先生から原稿を頂戴するのが役目の伝書鳩……」


「何度も何度も言っているだろう。

 私はもう小説は書かない。

 2度と筆を取ることはない! だからうちに来るなと」


「まぁ、そう何度も怒鳴らなくても」


 今村は櫛を差し出すが、怒れる吟の手によって床に叩きつけられてしまう。


「お前が理解するまで、喉が枯れるまで叫んでやろう。

 今後! 清水吟の新作は! 上がることはない! さっさと帰れ!」


「あいたっ」


 尻を思い切り打たれた今村は、畳の床に崩れ落ちる。

 そして、その有り余る胡散臭さの風呂式を広げるように、なよなよしくと口元を押さえて見せる。


「そんなァ。

 私は先生の大ファンなのですよ? 

 もうあの『悪だう(あくどう)』のような、人間の憎悪に塗れた生き様を文字として読めんないだなんて。

 編集者になった意味がァ。ヨヨヨ」


「ゲェ、みっともないぞ大根役者。

 その嘘泣きをやめろ」


「涙は演技であろうとも、言葉は本心ですよ?」


「急に泣くのを止めるな! 気持ち悪い。芝居なら外でやれ!」


「あーれー」


「だから黙れと言っている!」


 くるくると滑稽に回りながら玄関に押し出される今村。

 彼に靴を履かせると、吟は玄関の外へと追い出したのだった。


「二度とその胡散臭い顔を提げて、うちの敷居を跨ぐんじゃない。わかったな!」


「センセェ……ヨヨヨ……」


「うるさい!」


 ピシャリ、と吟は戸を閉めた。

 今村を追い出して数秒。

 小さく乾いた唇はふう、とため息をつく。


 1人になった、嗚呼何と心地よいことか。

 これでひとつ、安心できる。


 吟は、まるで吸い込まれるように。

 自分が夢で首を吊ったはずの部屋へと向かう。

 そこには、なにもなく、空虚な冷たい冬だけがあった。

 本当に、夢だった。

 現実を見せつけるような隙間風は、吟の頬を撫でる。


「……畜生」


 胸の奥に蟠る不快感に焦がされ、ピシャリと戸を閉めた。

 そして、玄関先に放りっぱなしにしていた褪せた朱色の襦袢を羽織り、外に出た。




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