表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
才媛自刃  作者: 内海郁


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/12

10話

〈七〉



 しんしんと雪の降り積もる帝都。

 その影、その路地裏に、二つの番の蛇腹傘が歩く。

 狭く白いビルディングの迷路を抜け、足早に迷いなく進む。

 そんな今村の隣を吟は口先を尖らせながら歩いていた。


 ちらりちらり。真っ直ぐ正面を見据える今村の表情を伺い、踵を返す瞬間を見計らっていた。


「無駄ですよォ」


 雪の静寂に、今村の声が響く。


「貴方、帰れるんですか? 帰れないでしょう。

 今の今まで私の顔しか伺ってこなかったんですから。

 征き道を見てらっしゃらない」


「は、ハッタリだね」


 嘲笑混じりの一言に、今村は呆れるように呟いた。


「じゃあ、やってご覧なさい。お帰りなさって結構ですよ」


「…………」


「ほゥら。やってごらんなさい」


 だが、吟は動かない。

 レンズ越しの視線から逃げるように、動揺に揺れた目をそらす。


「わぁ、不機嫌をモロに出した顔ですねぇ。

 酷い酷い」


 再び、靴が雪を食む音が響く。


 嗚呼、癪に障る。癪に障る。


 吟はぎらりと犬歯をむき出し、今村に喰ってかかった。

 その上等なスーツの袖を引き、怒鳴りつける。


「アンタ、女を行き先言わず連れ出すなんて。

 全くもって礼儀がなっていないな。

 はっ、鬼の世界では当たり前なのか?」


「鬼。鬼ぃ? 面白いことを。

 それに、食事だと言ったはずですが」


「どこのだ」


「私の行きつけの店、とでも言いましょうか」


「違う、違う違う違う! 呆けるのもいい加減にしろ」


 凍てつく殺気を放ち、吟は言い放った。


「ここは、『この空間』はどこなんだ」


 待ってました。


 そう言わんばかりの今村は、わざとらしく微笑んでみせる。


「ん? 何をおっしゃるのですかァ、センセ。

 帝都トウキョウでございますよ」


「馬鹿。私が何年この、あの場所に住んでいるか知らないのか。

 こんな所、存在しない。

 少なくとも、あの順で道を行けば、行き止まりに着くはずだ」


「おやまぁ、生まれてこの方帝都暮らしという貴方が知らぬ場所とは。

 まぁ、人が余り来ない故、低いのでしょう。知名度が」


「今村ァ!」


 唸るような声は、彼には届かない。

 そんなとき、今村はまるで自宅の扉でも開くかのように、一枚の引き戸に手をかけた。

 狭い路地を何度も折り曲がった先にある、『はざま」と相応しい名の暖簾が掲げられている店の。


 はざま。


 どんなオンボロ料亭に通されるかと思えば、何とも小綺麗な、品のある店先に思わず面食らう。

 ぼうっと眺める吟を横目に、今村は慣れた調子で店の中へと入っていった。


「丹波さーん。予約、予約してまァす。今村でェす」


 そう呼びながら、今村は暖簾をくぐる。

 中はこぢんまりとした小料理屋であった。こちらも小綺麗。

 所々置かれた調度品も質素ながら粋を感じる。

 ここの店主はさぞ几帳面な人物なのであろうと察しがつく。


「いらっしゃいませ……ああ、今村さん。

 どうも、席はありますよ」


 顔を出したのは、三〇半ばの凛々しく角ばった印象の料理人。

 店の信用と違わない、なかなかに真面目そうな。

 端正な顔立ちをしている。

 彼は二人を奥の席へと促し、厨房の中へと消えていった。


 大人しく席に着いた吟は、わざとらしくため息をつく。


「ま、まぁ悪くない趣味だな。

 オマエがこんな店を知っているなど、知らなかった」


「おやおや、さっきとはえらい態度の違いようですねぇ」


「見直しただけ。そう、見直しただけさ」


 ふい、と他所を向かれた視線の声が、静かに震えている。

 察しがついた今村は、ニヤリと吟の顔を覗き込んだ。


「まさか、ふふふ。怖いんですかぁ?」


「こ、」


 吟の眉がピクリと動く。


「怖いんですか、と聞いたのです。

 貴方、貴方はあれほどまで死にたがっていた。

 なのに、いざ知らない場所に来れば、子供のように震えて癇癪を起こす。

 滑稽ですねぇ」


「は……」


「根性なし」


 冷淡な一言が、香味の香り漂う空間を凍て付かせた。


「アンタ、今なんて」


「根性なし。根性なしと言いました。

 もう一度言いましょうか、根性なし! 所詮貴方は現実逃避がしたいだけでしょう? 

 想像と創造という役目を自らに課しながら、堂々とそれから逃げて死のうとする。

 役目を放棄しようとする。自戒すら守れぬ根性なし!」


「黙れ!」


 吟の掌が、食卓を叩いた。

 乗っていた醤油のツボが、がたがたと揺れる。

 騒ぎを聞きつけたのだろう。

 厨房に入った店主の男が、そろりと暖簾から半分顔を出した。


「貴様に何がわかるこの鬼が! 産みの苦しみなぞ知らぬこの鬼が!」


 喉から絞り出される怒声。感情を山ほどに乗せた怒声。


 血が出るほどに握りしめられた拳を解き、吟は今村の襟元を掴み上げた。

 細腕から出るとは思えない怪力に、見守っていた店主は肝を冷やす。


「なあ、なあ! 

 1文字1文字にこんなにも喉を絞められる心地を、お前は知っているのか!

 お前のやっていることはな、人を殺すことより何倍も罪深い。

『生きろ』と筆を握らされる行為が! どれだけ苦しいか!」


「さあ」


「さあ? んだよ。

 わかってねぇじゃねぇか! ああ、ああ! 教えてやる。

 どれくらいかって? 言ってやろうじゃあないか!

 首を吊った時の顔の熱さより、溺水した時の脳の痺れなんかより、割腹した時の臓物の絞られる感覚なんかより。

 何倍も、何倍も苦しいんだ!」


 その声は徐々に潤んでいき、鼻を啜る音、まばらな嗚咽が聞こえ始めた。


「意味もなく湧き上がる涙。

 意味もなく絞まるこの胸の内。

 数多の傑作に自尊心を踏み荒らされ、焼き狂わされる嫉妬の情が、どれほど情けなく疎ましいか」


「…………」


「生きれば生きるほど、苦しいんだ。

 私だって書きたい、書きたいよ。それが本懐なんだ。

 されど、身体が。それを拒絶する」


 緩くなった吟の拳は今村を解き、力無く沈んでいく。

 肩を震わせる姿を目にした今村は、微動だにせず、ただ矮小なその身を見守った。


「情けない。死にたい、かきたい」


 うわ言のように、それを繰り返す。

 声が震える。その正体は悔恨だ。

 悔しい、情けない、こんな自分が、許せない。


 吟自身、本当に筆を執りたいという意思があるのだろう。

 だが、不幸なことに彼女という名の人間の捩子は歪に緩み外れている。

 正常に生きられない。嗚呼、此は病と言うが正しいか。


 そうだ。創作とは、病なのである。

 今生を支配する、不治の病なのである。


 そうですか、と今村は微笑む。


「ならば書けばよろしい。

 本懐を果たし、死に逃げればよろしい」


「オマエ、今私の話、聞いていたか……っ!」


 今村はすました顔で、その手を伸ばす。

 爪の尖った、人ならざる手で、ペンを握る吟のそれを包んだ。

 そして。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ