第27話 ノルディア剣魔大会2
第二回戦の開始を告げる鐘の音が遠くに響く。控室の扉が静かに開き、試合場へと通じる通路からまばゆい光が差し込んだ。
ざわめく観客の声が次第に大きくなり、熱気を帯びた空気が肌を打つ。俺とマユは並んで歩き出した。まだ少し残る疲労を押し隠しながら、気を引き締めて歩みを進める。
——そして、その姿を見た瞬間、俺の心臓が一度、大きく跳ねた。
広い試合場の向こう側、対戦相手として立っていた大柄な男。分厚い腕に、無遠慮な目つき。そして、あの時と同じ、不気味な笑み。
「……お前……森でマユを襲ってた……!」
無意識に言葉が漏れる。マユも俺の声に反応し、男の顔をじっと見つめた。
「……あの人……なんか、知ってる気がする。すごく……嫌な感じ。森の、あのとき……?」
俺は頷き、声を落として言う。
「ああ、間違いない。あの時の人攫いの……兄貴って呼ばれてた奴だ」
そのとき、男の方もこちらに気づいたようで、ゆっくりと口元を歪めた。
「へえ……見覚えがある顔だと思ったら、あのときのガキか。」
不快な声が耳に刺さる。俺は一歩前に出て、父さんが観客席にいる方向を向いて大声で叫んだ。
「父さん! こいつ……こいつが何年か前、森でマユをさらおうとした人攫いの頭だ!」
観客がざわついた。控室の外、関係者の誰かが動き出した気配もあった。でも、試合はもう始まる。今、この場で決着をつけるしかない。
男は喉を鳴らして笑った。
「名乗ってやろうか? 俺の名前はガロス。せっかくだ、覚えてから地に伏せな」
マユの目がすっと細くなる。あの夜にはなかった強さが、今の彼女にはある。
「——なら、やるしかないね」
開始の合図は、まるで空気が切り替わったかのように訪れた。
「第二回戦、始め!」
審判の声が響いた瞬間、観客席からどっと歓声が上がる。
俺は小さく息を吸って、隣に立つマユに視線を向けた。
「マユ。……やっちゃっていいよ」
その言葉に、マユはわずかに目を細めて頷いた。静かな炎のような気配が、彼女の中に宿っているのがわかる。
ガロスが肩を回しながらゆっくり前に出てきた。その巨体が地面を踏み鳴らすたび、土がわずかに沈む。隣には、ペアの若い男。緊張で口元が引きつっていた。
「さぁて、一発かましてやるか」
ガロスが俺たちを見下ろしてニヤついた瞬間——風が、唸った。
「——ストームラッシュ」
マユの声と同時に、地面を叩くような風のうねりが爆ぜた。
彼女の姿が消えたと思った瞬間、風が両者に襲いかかる。
ズドンッ!!!
観客席が揺れたかと思うほどの衝撃。まず、若い男が吹き飛ばされ、試合場の外にまで弾き出された。防御する暇もなく、地に落ちた彼は白目を剥いたまま動かない。
「なっ、くそッ!」
ガロスが反応するが、遅い。もう一陣の風がマユの足元から吹き上がる。
「風縛——《ウィンドバインド》!」
空気が絡みつくようにガロスの体を締め上げ、次の瞬間には彼の巨体も宙を舞った。
ドガァン!!
そのまま地面に叩きつけられ、土煙が舞い上がる。
「ぐ……っ、動け、体……!」
呻き声を漏らしながらも、ガロスは起き上がれない。恐怖と混乱が交じった目でマユを見上げる。
マユは歩みを止めない。無言で、まっすぐにガロスに近づいていく。
「ま、待て……! 悪かった! あのときのことは、もう忘れてくれ……!」
必死な声。でも、マユの目は一切揺れていない。ただ静かに、冷たく彼を見下ろしていた。
「泣き叫んでる私を、あんたは笑ってた。……殴って、無理やり引きずって。あのとき、死ぬかと思ったんだよ……!」
マユの声が震える。でもそれは恐怖じゃない。あの夜を乗り越えた者の、怒りと決意の震えだった。
「そんなことして今更忘れろ……?ふざけないでよ。」
マユの掌に風が集まる。うねる空気が拳にまとわりつき、唸りをあげて渦を巻く。ガロスがその気配に気づき、顔をひきつらせた。
「や、やめろ……! 本当に、もうやめてくれ! 俺は——」
言い訳の声が風にかき消された。マユは静かに呟いた。
「これは……私のケジメだから」
次の瞬間、風を纏った拳が閃いた。
ズガァン!!
鈍い音が鳴り響き、ガロスの巨体が地面に沈むように崩れ落ちた。二度と立ち上がることはない。
会場が静まり返る。風だけが、まだマユの周囲で余韻のように舞っていた。
俺は一歩、彼女に近づいて声をかけた。
「マユ……」
俺が声をかけると、彼女は少しだけ振り返り、そのまま静かに俺の方を見た。彼女の顔には怒りも、悲しみも、何もない。ただ、淡々とした表情が浮かんでいる。
「大丈夫か?」
彼女は一瞬、何も言わずに俺を見つめた後、ゆっくりと頷いた。風が落ち着き、周囲の空気もようやく静かになった。その瞬間、審判が素早く試合を締めくくる言葉を口にした。
「第二回戦、終了! 勝者、リオ・ヴィサス、そしてマユ!」
観客席から一気に歓声が上がる。どこか遠くから、拍手と歓声が重なり、響き渡る。だが、俺とマユの間には静寂が流れ続けていた。
俺は言葉を探していた。だが、彼女に対して何を言うべきかがわからなかった。マユは目を逸らすことなく、ただ前を見つめて歩き出している。
その後ろ姿を見ていると、これまでの試練や苦しみが、彼女をどれだけ強くしたのかが伝わってくる。怒りや痛みを乗り越えた彼女が、今、この瞬間にどんな感情を抱えているのかはわからない。ただ、あの一瞬の風の力が全てを物語っているようだった。
俺がもう一度声をかけようとしたその時、審判が近づいてきた。
「リオ、マユ、お疲れ様。とりあえず彼らは衛兵に突き出すことにした。君のお父さんのさんの指示だ。」
その言葉に、俺は少し驚きながらも頷いた。試合を終えて、ようやく少しだけ安堵の気持ちが込み上げてきた。
「分かりました、ありがとうございます。」
マユもその一言に対して、軽く頷いた。
その後、試合の結果を告げるために、関係者が勝者の名前を掲げることになる。しかし、俺たちの心にはそれ以上のものがあった。勝敗を越えた、何か大切なものが、やっと終わったのだと実感した瞬間だった。
「次も、頑張ろうな。」
俺がそう言うと、マユは軽く微笑んだ。彼女の表情は、どこか満ち足りていて、強くなったことを感じさせた。
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その後も俺達は順調に勝ち進んだ
準決勝では、魔術師コンビが相手だった。彼らは巧妙な魔法の使い手で、俺たちにとっては手強い相手だった。しかし、マユが必死に戦い、俺が動ける隙を作ることでなんとか勝利を掴み、決勝へと駒を進めた。
準決勝の勝利が告げられたあと、場内に次のアナウンスが響く。
「これにて準決勝、すべての試合が終了! 決勝戦に駒を進めたのは——リオ・ヴィサス&マユ組! そして対するは、オムイス&カロイ組!」
観客席からどよめきが起きる。
決勝戦。ついに最後の戦いだ。
「……オムイスとカロイ、か。」
あの二人と、俺たちがぶつかる。ここまでの全ての戦いは、この一戦のためにあったのかもしれない。
深呼吸をひとつ。気を引き締める。
控室に戻って、最終準備を整える時間だ。
俺たちが控えのベンチで水を飲んでいると、決勝の対戦相手であるオムイスとカロイが近づいてきた。
「お〜いお疲れさん、いやあ、見ててヒヤヒヤしたわ〜。まさかあんなギリギリで勝つとは思わなかったぜ」
先に口を開いたのはカロイ。相変わらずの軽薄な笑みを浮かべながら、舐めきった視線をこちらに向けてくる。
「てか、大丈夫か? こっちはまだほとんど汗もかいてねぇってのに、そっちはもうヘロヘロじゃん。決勝まで体持つか〜?」
マユを見て、わざとらしく眉をひそめたかと思えば、口角を吊り上げて続ける。
「なあリオ、隣のお嬢ちゃん、もう立ってるのもしんどそうだぞ? 試合始まる前にぶっ倒れたりすんなよ? ……あ、そっちの方が楽か? 不戦勝ってやつ?」
その瞬間、俺の中で何かがカチリと音を立てた。
……だが、横からオムイスが軽くカロイの肩を叩いた。
「カロイ、それくらいにしときなよ。ごめんね、こいつ口悪いんだよ。……君たちの試合、ちゃんと見てたよ。すごかった。」
オムイスは柔らかく笑いながらも、目だけは鋭かった。穏やかな語り口の奥に、しっかりとした闘志が潜んでいるのが分かる。
「いい勝負にしよう。お互いに全力を出し切ろう!」
俺はその言葉に、自然と微笑んでいた。
「……ああ、もちろん。」
隣でマユも小さく頷いた。まだ完全には回復していないだろうに、その瞳には強い意志が宿っている。
「……一つ言っとくけど」カロイが鼻を鳴らして口を挟む。「いい勝負なんて思ってねえからな。潰しにいくだけだ」
言葉に棘はあったが、それもまた本気の証拠なのだろう。俺は黙って受け止める。
「それじゃ、会場で会おうか」
オムイスはそう言って軽く手を振り、カロイを促して立ち去っていった。
背中を見送ったあと、マユがぽつりと呟いた。
「……あの二人、前の模擬戦みたいにはさせないから。」
その声は小さく、それでいて確かな決意に満ちていた。
模擬戦——あの時、俺たちは何もできずに敗れた。力の差、経験の差、すべてが痛いほどわかる試合だった。けれど、あれから俺たちは、もがきながらも前に進んできた。
俺は拳を握る。心の底から、燃えるような感情が湧き上がる。
「……ああ。あの時と同じだと思ったら、アイツら驚くだろうな。」
俺たちはもう、あの時のままじゃない。
悔しさも、怖さも、全部この身に刻み込んで——今ここに立ってる。
「見せてやろうぜ、マユ。俺たちが、どれだけ強くなったかを。」
マユはふっと微笑んだ。そして、力強く頷いた。
「うん。やってやろう。」
決勝の鐘は、もうすぐ鳴る。
——燃える。心も、魂も、すべてが。




