第26話 ノルディア剣魔大会1
陽の光を受けて、仮設競技場の入口は白く輝いて見えた。踏みしめる足元の土はよく踏み固められていて、ここがこの日だけの場所とは思えないほど整っていた。
観客のざわめきが、一歩進むごとに大きくなる。歓声、どよめき、笑い声……そのすべてが、俺の鼓動と混ざって加速していく。
「リオ……ちょっと、手……握っててもいい?」
マユが小さな声で言った。見ると、彼女の手はわずかに震えている。
「ああ、もちろん」
そっと手を握ると、マユは安心したように笑った。そしてそのまま、俺たちは並んで競技場の中央へと歩き出す。
周囲を囲む観客の視線が、一斉にこちらへと向けられる。誰もが、これから始まる一戦を見届けようとしていた。
「第一試合、リオ、マユ組、入場!」
声が響き、歓声が上がる。その中で、俺は深く息を吸った。
「……さあ、やろうか」
小さく呟いたその言葉は、観客には聞こえない。でも隣のマユは、しっかりと頷いていた。
――その時だった。
「リオー!思いっきりやってこーい!」
観客席の上段から響いた、聞き慣れた太い声。振り返らずとも分かる。父さんだ。
思わず笑みがこぼれる。たった一声だったけど、それだけで胸の奥にあった緊張が、ふっと軽くなった気がした。
父さんの声に背中を押されるようにして、俺たちは競技場の中央へと足を踏み入れた。足元はしっかりと整地された土。歩くたびに靴の底が細かく砂を踏みしめる。
対面のゲートが開く音が響いた。俺たちの最初の対戦相手が現れる。
現れたのは、長身で鋭い目をした青年と、小柄で素早そうな少女。どちらも見た目からして経験者の風格を漂わせていた。武器の構えも無駄がなく、油断ならない相手なのが一目でわかる。
「……いきなり強そうだね」
マユがぼそりと呟く。俺は頷いて、視線を前へ戻した。
「でも、やることは変わらない。俺たちのやり方で、ぶつかるだけさ」
その時、観客席のざわめきが静まり、審判役の男が手を挙げて告げる。
「第一試合――開始!」
風を裂くような合図とともに、試合が始まった。
「行くよ、マユ」
「うん!」
俺は軽く手を振る。空間が軋み、裂け目が走る。その奥から現れたのは、俺の愛用の剣。
剣を引き抜いた瞬間、足元に力を込めて跳ねる。地を蹴り、長身の男、レーンへと一直線に距離を詰めた。
「なっ、速——」
言葉が終わる前に、俺の剣がレーンの肩に迫る。彼は慌てて曲刀を振るうが、狙いが甘い。その刀身を押しのけるように弾き、俺の剣が彼の肩をかすめた。
「くっ……!」
レーンが後退する。追撃せず、あえて止まる。代わりに、背後からマユの魔力が満ちる気配が迫る。
「風よ、切り裂け!『ウィンドカッター』」
マユの魔法が空を裂き、レーンへと奔る。避けきれず、彼はさらに大きく後退した。
今度は、盾を構えた女——シェラが前に出る。だが、俺はすでにその動きを読んでいた。
シェラが前へ出ると同時に、俺は一歩引いた。剣を構えながらも、左手を軽く掲げる。
「雷よ、奔れ——『スパークショット』」
短い詠唱とともに、空気が一瞬で張りつめた。杖などない、ただ指先に光が灯る。次の瞬間——
バチッと雷光が閃き、シェラの足元へ直撃した。
「くっ……!」
彼女は盾を構えるが、間に合わない。雷撃が足場を砕き、勢いを止めたその隙に、俺は剣を構えて突っ込む。
「速……!」
光と雷鳴の中、俺の斬撃が盾の上から叩きつけられる。重たい金属音と共に、シェラが大きく後退した。
「おい……あいつ、杖も持ってねぇのに……魔法だと……?」
レーンの声が震える。
「剣も魔法も……って、まさか両適正型……? そんなの、滅多に……!」
口にした自分の言葉に、自分で驚いているようだった。
その隙をついて、マユの風魔法が再び走る。
「動揺してる暇なんて、ないよっ!」
風の刃が舞い、試合の空気は一気に傾きはじめた。レーンは身を低くして避けるが、その背後に俺の気配が迫る。
「——っ!」
振り向く暇すら与えず、俺の剣が横薙ぎに迫る。レーンはとっさに受け止めるが、体勢は崩れたままだ。
そこへ、さらにマユの魔法が畳みかける。
「風よ、舞え——『ストームラッシュ』!」
連続で撃ち出される小型のウィンドカッター。それを防ぐため、シェラが盾を前に突き出す。
シェラの盾がウィンドカッターを受け止め、金属音とともに火花を散らす。だが、マユの魔法は一発ごとに角度と速度を変えていた。二撃、三撃と、盾の隙間を狙うようにして押し寄せる。
「っ、ぐ……!」
重さに耐えきれず、シェラの足がわずかに滑る。今だ。
「マユ、もうひと押し!」
「うんっ!」
俺は低く構え、一気に地を蹴る。風刃の死角から、斜めに切り込むようにシェラに迫る。
「しまっ——」
気づいたときには遅い。彼女が盾を戻すより早く、俺の剣がその脇腹すれすれで止まった。
「……動かない方がいいよ」
静かな声に、彼女は目を見開いたまま硬直する。
同時に、レーンが駆け寄ろうとした——が。
「風よ、包み、縛れ!『ウィンドバインド』!」
マユの魔法がレーンの足元を絡め取り、風の鎖となって彼の動きを封じた。
俺はすぐに間合いを詰め、レーンの背後を取る。剣を喉元すれすれで止めると、彼の全身から力が抜けた。
「……降参だ」
レーンが剣を手放す。審判の声が響いた。
「勝負あり、リオ・マユ組の勝利!」
会場がざわめき、そして割れるような歓声に包まれる。
マユが駆け寄ってくる。
「リオ、やった、勝ったよ!」
マユが笑顔で駆け寄ってくる。その顔を見て、俺も自然と笑みがこぼれた。
「……ああ、ありがとう。マユのおかげだよ」
手を伸ばせば、マユが迷わず両手で掴んでくる。観客の歓声も、司会の声も、今はどこか遠くに感じた。
やっとだ。
最近、ずっといいところ無しだった。オムカロとの模擬戦とか、魔獣討伐のときとかうまくいかないことが多かった。
正直足引っ張ってるんじゃないかって気になっていた。
でも——
「……今日は、少しは役に立てた、かな」
呟いた言葉は風に消えたけれど、自分の中では確かに何かが報われた気がした。胸の奥が、ふっと軽くなる。
「立てたどころじゃないよ! さすリオだよ!」
マユがぱんっと俺の肩を叩く。思いきり笑ってくれるその顔が、妙にまぶしくて、俺は少しだけ視線をそらした。
「はは……そりゃどうも」
試合が終わり、勝利の歓声がまだ会場に響いている中、俺たちは控室に戻ることになった。試合後の疲れが少しずつ体に染みつくけれど、心の中はどこかすっきりしていた。
控室に戻ると、さっきまで感じていた高揚感が少しずつ落ち着きはじめ、俺はベンチに腰を下ろした。マユも隣に座って、水筒から一口飲んでから、俺の方を見てにこりと笑う。
「……ふふ、なんか変な感じだね」
「何が?」
「こうして、リオと並んで試合して、勝って、控室で休憩してるの。夢みたい」
「夢ってほどのもんか?」
「うん、だって……前はこんなふうに一緒に何かするなんて、想像もしてなかったし」
その言葉に、俺は少しだけ笑って、天井を見上げる。
「そういうもんなのか。……でも、悪くないな。こういうの」
「うん。リオとなら、何でもできる気がする」
そう言ってマユがこちらに寄りかかってくる。俺はちょっとだけ体をこわばらせながらも、それを振り払うことはなかった。
「じゃあ、次も頼むぞ。魔法使いさん」
「はいはーい、剣士くんもね」
軽口を交わしながら、二人で静かに次の試合を待った。控室の外では、まだ試合の音が遠くに響いている。その一つ一つが、俺たちにまた戦いが近づいていることを知らせていた。




