第22話 魔獣討伐・中編
第2章 7話
「リオ!!」
私の声が、喉を裂くように響いた。
宙を舞った彼の体が、木の根に叩きつけられる。血の匂い。土の感触。魔獣の唸り声――すべてが現実なのに、どこか遠く感じる。
息が詰まる。足が震えて、前に出せない。
怖い。けど、それより――胸の奥が、痛かった。
(こんなの……また、同じじゃない)
視界が滲んだ瞬間、頭の奥が焼けるように熱くなった。
突然、世界が反転する。
――――――――――――――――――――――――――
あの日も、雨が降っていた。
制服の肩にしみ込む冷たさと、水たまりを踏むたびに足元から伝わる湿気。グレーに染まった空の下、私は傘をさしながら、年下の男の子と並んで歩いていた。
あの子は私より少し小さくて、髪は少し跳ねていて、表情がころころ変わる子だった。何か嬉しいことでもあったのか、足取りは軽くて、私の前を歩きながら、時々振り返っては話しかけてきた。
なんの変哲もない帰り道。でも、その穏やかさが、私は好きだった。
――なのに。
けたたましいエンジン音が、雨音を裂いた。
突き刺すような黒い影。視界の隅で、信号を無視して交差点に突っ込んでくるトラックが見えた。
時間が、止まったように感じた。
体が勝手に動いていた。手にしていた傘を放り、全力で前に駆け出す。
あの子は、私を見ていた。何も知らずに、笑って。
私は彼の思いきり背中を突き飛ばした。その小さな体が押し出されて、私はそのまま、何かにぶつかるように宙を舞った。
身体が跳ね飛ばされ、地面に叩きつけられる。何かが折れる音がして、でも痛みは遠く、ただ雨が冷たくて、重くて。
遠くで、泣きそうな声がした。
しゃがみ込むあの子の顔が、滲んだ視界に映る。
助けられて、よかった……
安堵と、もう少しそばにいたかったという未練が、胸の奥で交じり合う。
まぶたが重くなる。世界が、暗くなっていった。
――――――――――――――――――――――――――
さっきまで感じてた冷たい雨の感触が消える。
代わりに、焼けるような熱と、土の匂いが鼻を突いた。
――違う、ここは……。
薄く目を開けると、視界には揺れる木々の影と、不規則に踏み荒らされた地面。そして、倒れたまま動かない彼の姿。
リオ――。
記憶と現実が、重なる。
あの時、守った“その子”の面影が、今、目の前にいる彼と重なって見えた。
私は気づけば走り出していた。足の震えも、恐怖も、すべて振り払うように。
たとえ相手が魔獣でも、どんなに怖くても。
私がこの手で守れるなら、それだけでいい。
胸の奥で、何かが脈打った。
心臓の鼓動と重なって、体の中から熱がこみ上げてくる。
私の中に無かった何かが目覚めるのを感じた。
魔獣がこちらを睨んでいた。けれど、私はもう目を逸らさなかった。
「お願い……この子を……リオを……」
私の言葉に応えるように、胸の奥で鼓動が跳ねた。
その瞬間――。
ふわり、と音もなく光が舞い上がる。
足元から、金色の粒が溢れ出した。それはまるで、私の想いが形になったように、柔らかく、優しく空気を満たしていく。
「ルミナス・ヴェール」
その言葉が、自然と口をついて出た。
光はやがて、私を中心にして半透明の幕となって広がる。包み込むように、リオの体を覆った。
小さな光の粒が、彼の傷口に集まり始める。血が引き、擦り傷がふさがっていくのが見えた。
彼が、微かに息をした。
「……っ、リオ……!」
私は駆け寄り、そっとその手を取る。まだ意識は戻っていないけれど、彼の鼓動は確かにそこにあった。
スキルの発動は、私の“想い”によるもの。
私は、この子を――リオを「守りたい」と、心から願った。
魔獣が一歩踏み出す。
でももう、私は引かない。
「……行かせない。これ以上、大切な人を傷つけさせない……!」
光の幕が脈打つように明るさを増す。
私は立ち上がり、震える手を広げて魔獣を睨んだ。
「私が……この手で守るって、決めたんだから!」
光がさらに膨れ上がる。
私は、守る力を――“この想い”を、確かに感じていた。
だが、魔獣は怯まない。
吠え声と共に再び突進してくる。幕は耐えている。でも――限界は、確実に近づいていた。
足が震える。呼吸が苦しい。それでも、私の意志は揺るがない。
そのとき――
「下がってろ、マユ!」
低く、鋭い声が背後から響いた。
次の瞬間、閃光のような一閃が魔獣の横腹を斬り裂いた。
「ヴァルクさん……!」
魔獣は悲鳴のような唸りを上げ、地を転がる。ヴァルクはひるむことなく追撃を加え、鋭い剣筋が一閃、喉元を貫いた。
「よし……こいつが最後だな」
肩で息をしながらも、ヴァルクは周囲に目を配る。倒れた魔獣の周囲には、既に何体もの屍が転がっていた。彼は、リオとマユが相手をした個体を含め、群れの大半を一人で仕留めていたのだ。
「さすが、ですね……」
呆然とつぶやくマユに、ヴァルクは少しだけ口元を緩めて返す。
「何か雰囲気変わったか?」
そう言って微笑むヴァルクさんに、私は肩をすくめて返した。
「……まぁ、いろいろありまして」
それ以上は、言葉にしなくても伝わる気がした。自分の中で何かが変わった。それはたぶん、私自身が一番感じている。
だけど――その安堵も束の間だった。
空気が、変わった。
「……?」
ヴァルクさんが視線を森の暗がりに向けた。私もそれにつられて見た瞬間、木々がざわりと揺れ、大きな影が姿を現した。
「……来やがったか」
ヴァルクが剣を構える。
木々の間から姿を現したのは、一回り――いや、二回りも大きな黒い影。しなやかで鋭利な筋肉をまとった狼のような魔獣。漆黒の毛並みは月の光すら弾き返し、その瞳は、燃えるような金色に輝いていた。
他の個体とは明らかに違う――群れの支配者。その圧倒的な存在感に、私は思わず息を呑んだ。
「……群れの主か」
ヴァルクさんが低くつぶやき、再び剣を構える。私の前に立ちふさがるその背中に、さっきまで見せなかった緊張が走っていた。
「リオが起きるまで、こいつは俺が引きつける。お前は下がってろ」
言うが早いか、ボス魔獣が地を蹴り、突進してきた。
その動きは、これまでの魔獣とは別次元だった。
「っぐ……!」
ヴァルクさんの剣が火花を散らしながら激突する。だが、ボスの力は凄まじく、受け止めたまま後方へと弾き飛ばされた。
「ヴァルクさん!」
私が叫ぶより早く、彼は受け身を取りながら起き上がる。けれど、肩で息をしているのがわかる。先ほどまでの戦いで、すでに消耗していたのだ。
「……まいったな。こりゃあ長くはもたねぇかもな」
それでもヴァルクさんは、へらりと笑って剣を構え直す。その背に、私は祈るように言葉を飲み込んだ。
――お願い、リオ。
もう、誰も傷ついてほしくないの。
だから――
「早く……目を覚まして……!」




