第21話 魔獣討伐・前編
村の北端、森の奥から不穏な風が吹いてきたのは、日が沈みかけた頃だった。
焼き魚の香りが残る食卓に、緊張した空気が走る。扉を乱暴に叩く音と、若い男の声がそれを切り裂いた。
「ヴァルクさん、森に魔獣の群れが出ました! 狩人のトムが重傷です!」
一瞬の静寂のあと、父さん──ヴァルクは椅子を立ち上がる。皿の中の魚はまだ半分残っていたが、誰も気に留めなかった。
「……出たか。リオ、お前も来い」
「えっ?」
思わず声が漏れた。だが、父の目はすでに玄関の方を向いている。俺がついて来るのは当然だという表情だった。
母が声をかけようとしたが、父はそれを遮るように言う。
「新技の実戦試験にはちょうどいい。無理はさせん。俺がついているからな」
“新技”──サンダースラッシュ。この前会得した雷の魔力を刃に纏わせる技。
父さんは魔獣相手に新技を練習させる気らしい
すると、隣の部屋から駆け寄ってきた影があった。
「私も行ってもいいですか……?」
木の杖を手にしたマユが、扉のそばに立っていた。
「私も少しは役に立てると思う」
その口調は冷静だったが、どこか緊張が混じっていた。だが迷いは感じられない。
ヴァルクは一瞬だけ視線を交わし、短く頷いた。
「よし、準備しろ。時間がない」
俺もその言葉に応じ、スフィアから短剣を取り出す。マユは黙って杖を握り直した。
俺たちは装備を整えると、すぐに村の北端へと向かった。空はすでに薄闇に染まり、森から吹き抜ける風はどこか湿り気を帯びていた。
「走るぞ。ついて来い」
ヴァルクの短い号令とともに、俺たちは森の中へと駆け込んだ。マユの足取りは意外にも安定していて、杖を握る指にも震えはなかった。
森の奥へ進むにつれて、血と土の匂いが濃くなっていく。そして──
「いたぞ!」
ヴァルクが声を上げて駆け寄る先、一本の倒木の陰に、血に染まった男が横たわっていた。
「トムさん……!」
マユが駆け寄ろうとするが、父が手を伸ばして制した。
「後ろを見ろ。──来るぞ」
ザリ……と、木の枝を踏みしめる音。
視線を上げた瞬間、森の茂みがうねるように動き、いくつもの目が光った。
「ガァァアアアアッ!!」
牙をむき出しにした魔獣が三体、左右と正面から飛び出してくる。
「リオ、右だ! マユは援護!」
「了解っ!」
俺は右の個体に向かって駆け出しながら、雷の魔力を呼び起こす。あの夜からも何度も練習した──きっとできる。やるしかない。
「……サンダースラッシュ!」
短剣に雷の魔力を纏わせようと意識を集中させる。だが、刃の周囲にまとわりつく光は不安定で、すぐに霧散した。
(駄目だ、集中が足りない! もう一度!)
一度剣を引き、再度唱える。
「サンダースラッシュッ!」
今度は刃がわずかに淡く光る。だが魔獣の素早い動きについていけない。踏み込みの途中で光が消えた。
魔獣が唸り声をあげて牙を剥く。跳ねるように飛びかかってきたその巨体を、かろうじて左に飛んで回避する。
「くっ……!」
再び構え直す。
「サンダースラッシュ!!」
今度は成功──雷が一瞬だけ、短剣の周囲にしっかりと纏う。
「いける……!」
そう思った次の瞬間、魔獣の鋭い前脚が地をえぐり、俺の死角から大きく薙ぎ払ってきた。
「ぐっ──!」
剣を構える暇すらなかった。腹部に直撃する衝撃が走る。鉄槌で殴られたような鈍い痛みと共に、俺の身体は宙に浮き、地面を転がった。
「リオ!!」
マユの叫び声が聞こえる。視界がぐらつき、肺の奥から空気が抜けていく。口の中に血の味が広がった。
地面に倒れたまま、荒い息を吐きながら、俺は短剣を見た。わずかに残った雷の残滓が、パチッ、と音を立てて弾ける。
(……遅い。発動が、遅すぎる)
魔力の収束、刃への定着、それに意識を割く時間。ほんの数秒──されど戦場では致命的な“溜め”だった。
(こんなのじゃまともに魔獣には当たらない……)
自分の未熟さが腹立たしい。修練では出来た気になっていた。だがそれは、相手が静止していたからだ。本当の敵は、容赦なく動き、牙を剥いてくる。
「くそ……!」
唇を噛みしめながら、俺は膝をついて立ち上がろうとする。視線の先では、魔獣が再びこちらへ向き直る。




