第19話 炎よりも雷
夜の森は、昼とはまるで別の顔をしていた。
風が梢を揺らすたび、枝葉のこすれる音が、妙に大きく聞こえる。
俺は人気のない川辺に立ち、深く息を吐いた。
手にした短剣の柄が、じんわりと汗で湿っている。
「……はぁ」
小さく漏れた息にまぎれて、魔力を練り上げる。
短剣に込めた魔力が、ピリピリと肌を刺すような感覚を残していった。
カロイの使った、フレイムエッジ。
あの技を――真似したかった。
あのときは炎の制御に失敗した。
コピアを使っても初見のスキルだとコピーできないことが分かった。
なら練習して感覚を掴むしか無い。
短剣を持ち直し、ぐっと魔力に意識を集中させる。
刃に魔力を乗せ、イメージを強く、もっと強く――
――燃えろ。
「……っ!」
短剣の先に、ぱっと炎が立ち上がった。
小さな火種じゃない。
ちゃんと“炎”になった。
けれど。
「わっ……!」
刃の上で、炎は暴れるように揺らぎ、制御がきかない。
俺の意志を振り切るように、バチバチと音を立てて跳ね回る。
慌てて魔力を引っ込めたが、炎はそのまま空中で爆ぜ、しぶきを散らした。
「くそっ……!」
短剣を川辺に叩きつける。
水際に弾かれた刃が、鈍い音を立てた。
炎自体は出せた。
だけど、全然……使いものにならない。
カロイの《フレイムエッジ》は、もっと滑らかだった。
一切の無駄がない、あの鋭い軌跡。
たった今の俺のは、それとは似ても似つかない、ただ暴れるだけの火。
「……」
夜の冷たい風が、皮膚を撫でる。
怒りよりも、悔しさが喉に詰まった。
もう一度だけ。
あと一回だけやって、ダメなら帰ろう。
短剣を拾い上げた――そのときだった。
「……こんな時間に、一人で何してるんだ。」
背後から、低く静かな声が落ちた。
心臓が一瞬跳ねる。
驚きに振り向けば、そこには父さんがいた。
月明かりを背負って、腕を組んだまま俺を見下ろしている。
怒っているわけでも、呆れているわけでもない。
ただ、少しだけ困ったような顔で――
それでも、どこか優しい目をしていた。
俺は、どう答えていいか分からず、短剣を持ったまま立ち尽くした。
「……ちょっと、練習してただけだよ。」
声がかすれる。
言い訳にしか聞こえないのは、自分でもわかっていた。
父さんは近づいてきて、俺の手元をちらりと見る。
焦げ跡の残る短剣と、まだうっすらと漂う焦げた匂い。
一目で何をしようとしていたか、察したのだろう。
「カロイのフレイムエッジを……真似してたのか?」
「……うん。」
小さく答えると、父さんはふっと息を吐いた。
呆れたような、でも責めるでもない、そんな息だった。
「この前言っただろ?コピアに頼るだけじゃなくて、自分の力で技を練り、磨き、創れって」
俺の頭に、大きな手がぽんと置かれる。
重たいのに、不思議と嫌な感じはしなかった。
「お前にはお前の道がある。他人の技を無理に真似たところで、本当に強くなれるわけじゃない。」
父さんの声は低く、でもしっかりと俺の胸に届いた。
俺は唇を噛み締める。
わかってる。そんなこと――本当は、とっくに。
でも、あのとき、何もできなかった自分が悔しくて。
少しでも、あの二人に追いつきたくて。
「……俺は、もっと強くなりたいんだ。」
ぽつりと、こぼれるように言った。
父さんは、少しだけ目を細めた。
「なら――リオ、お前に合った技を教えてやる。」
「え……?」
思わず顔を上げると、父さんはにやりと笑った。
「母さんから聞いたぞ?この前雷の魔法で庭の木を真っ二つにしたってな。それと雷の適性が、Sだってのも聞いてる。」
父さんは、俺の反応を確かめるように、ゆっくりと言葉を続けた。
「だからな、リオ。火属性で無理にやろうとするより、雷でやった方がずっとお前に合ってる。」
「雷……?」
戸惑いながら俺が聞き返すと、父さんは力強く頷いた。
「そうだ。魔法も、剣も、基本は自分に合ったものを極めるのが一番強い。
向いてない属性で無理をするより、得意な力を引き出してやる方が、何倍も成長できる。」
父さんの声には、迷いがなかった。
それだけで、俺の胸にじわりと熱いものが広がっていく。
「リオ、お前が本気で強くなりたいなら――まず、自分の力を信じろ。」
父さんはそう言うと、手に持った剣を軽く振った。
その瞬間、刃にぴしりと青白い光が走った。
雷だ。
火でもなく、風でもなく、鋭く、速く、ただ一直線に収束する力。
「雷は爆発的な破壊力と、一瞬の加速を持っている。火みたいに燃え広がったりしない。
一点に全てを集中させる。それが雷の力だ。」
俺は、目を見開いた。
父さんの剣から走った雷光は、まるで生き物みたいに脈動して、そしてすぐに消えた。
「……すげぇ。」
思わず漏れた声に、父さんはふっと笑った。
「お前もできるさ。雷の適性Sってのは、伊達じゃない。」
胸の奥が、じわりと熱くなる。
ああ、そうだ――
俺は、俺の道を行けばいいんだ。
誰かの真似じゃない。
俺だけの力で、俺だけの戦い方を。
「……教えて、くれる?」
気づけば、自然にそんな言葉が口をついていた。
父さんは、にやりと笑った。
「もちろんだ。――いいか、リオ。これから教えるのは、雷の刃を作る技術だ。」
俺はごくりと喉を鳴らし、短剣を握り直した。
夜の森の空気が、ぴんと張りつめる。
「まずは、雷の魔力を刃に沿わせるイメージからだ。」
父さんの声が、静かに響いた。
俺は深く息を吸い、父さんの言葉に集中した。
「雷はな、火と違って広がったりする性質は持っていない。だから無理に広げようとすると暴れる。
大事なのは――線を描くように、刃の形に沿わせることだ。」
父さんは自らの短剣を持ち上げると、軽く魔力を込めた。
刃に沿って、ぴたりと一本の雷光が走る。
無駄なく、滑らかに。
火花ひとつ、外へはじき飛ばしていない。
「できるだけ細く、鋭く、刃そのものになるように意識しろ。
力を込めるんじゃない。研ぎ澄ませるんだ。」
研ぎ澄ませる――
俺は、その言葉を胸の中で何度も繰り返す。
目を閉じ、呼吸を整える。
雷の魔力を、短剣の刃に――沿わせる。
バチバチ、と小さな音を立てながら、魔力が指先を走った。
まだ不安定だ。
刃からはみ出した雷が、空中で暴れそうになる。
「落ち着け。もっと静かに、もっと細く。」
父さんの声が支えてくれる。
俺は心を落ち着かせ、暴れそうな雷を、刃の上に縛り付けるイメージを膨らませた。
――研ぎ澄ませろ。
――刃になれ。
ふと、手の中にあった違和感が消えた。
目を開くと、短剣の刃に沿って、一本の細い雷光が走っていた。
「……できた。」
思わず呟いた俺に、父さんは満足そうに頷いた。
「よし、その調子だリオ。ここから先は――もっと雷に“速さ”を乗せていくぞ。」
父さんの言葉に、心の中で確かな期待が膨らむ。
「速さ、か……」
俺は再び短剣を握り直す。
雷の魔力を刃に沿わせる感覚をつかんだ今、次はその速度だ。
「速さを乗せるってのはな、刃が切れ味を持つだけじゃなく、雷の力を一気に爆発させるためだ。
だから、刃の動きが速ければ速いほど、その雷も鋭さを増す。」
父さんの言葉が頭に残る。
「でもな、注意しろ。速さを求めすぎると、魔力の制御が効かなくなる。
だからこそ、魔力を練り、刃に沿わせてから、動かし始める。」
ゆっくりと、父さんの手が剣を構える。
その動きはまるで無駄がなかった。
一瞬で雷の刃が現れ、あっという間に消えていく。
「まずは、自分の体を動かしながら、速さの感覚を掴んでみろ。体の動きに魔力をしっかりと乗せるんだ。」
その言葉通り、俺は体を少しずつ動かし始めた。
腕を前に突き出すようにして、短剣を構える。
「よし。」
刃に雷の魔力を流し込む。その瞬間、雷光が一気に短剣を包み込む。
だが、速度を増すことを意識すると、刃の形が乱れ、雷がふわりと外に飛び散る。
「ダメだ……!」
気がつくと、またもや雷が空中で暴れていた。
「焦るな、リオ。速さはな、急ぐもんじゃない。じっくりと、少しずつだ。」
父さんの声が静かに響く。
「魔力の流れを速くするんじゃない。自分の動きを速くして、雷がその動きに追いつくようにするんだ。」
俺はもう一度深く息を吸って、魔力を集中させる。
今度は、焦らずに、刃を動かす――
ゆっくり、でも確実に、短剣を振り上げる。
その時だ。
短剣から飛び出した雷の刃が、以前よりもずっと鋭く、速く、直線的に前へ進んだ。
「……できた!」
俺は思わず声を上げた。
雷光は一瞬、空気を切り裂くように走り、あっという間に消えていく。
父さんは、静かに頷いていた。
「よし、その調子だ、リオ。今の雷の刃なら、すぐにでも戦いに使えるようになる。少しの練習で、もっと速く、もっと強くなるぞ。」
その言葉に、俺は胸が熱くなった。
――少しずつ、俺の力が形になっていく。
「ただな、その技、少し気をつけた方が良いことがある。」
父さんの言葉に、少し驚きながらも身構える。
「え、なに?」
「この技はスピードと火力は申し分ないんだが。燃費が悪い。」
父さんはゆっくりと、手を振ってみせる。
「魔力を雷の刃に込めて放つっていうのは、それだけエネルギーを消費する。魔法と違って魔力の効率化もされてないしな。ましてやお前みたいに速さと切れ味を追求するとな、かなりの魔力を使うことになる。」
「え……それって、すぐに魔力が足りなくなるってこと?」
「その通りだ。だから、使いどころを考えろよ。連発するような技じゃないし、長時間使うのも厳しい。」
俺は少し考え込みながら、息を吐く。
「つまり、戦闘中に何度も使うのは無理ってことか。」
「そうだ。まぁ、最初は特に無理することはない。自分の魔力量と相談して、うまく使い分けるんだな。」
「わかった。」
それでも、この技が使えれば、戦闘で大きな力になりそうだと思うと、俺は少し嬉しくなった。
「ありがとう、父さん。」
そう言って、改めて父さんを見上げると、父さんは優しく笑った。
「何度も言うが、お前はお前の力で戦うんだ。その力をどう使うか、どう磨くか、それはお前が決めることだ。」
その言葉が、今の俺にとって、何よりも力強く感じられた。




