第18話 模擬戦
昼を少し回ったころ、俺たちはザードの屋敷に着いた。
黒石でできた重厚な門を抜けると、広い中庭が広がっている。白砂が敷かれたその中心を、俺たちは静かに歩いていった。
出迎えたのは、屋敷の主ザード。そして、そのすぐ横にはオムイスとカロイ。
オムイスは静かに、だがまっすぐに俺たちを見つめ、軽く頭を下げる。
カロイはというと、腕を組みながらふてぶてしくこちらを見て、口元に薄く笑みを浮かべていた。
「ようこそ。待っていたよ」
ザードの声は低く、静かだった。
父が軽く会釈し、俺もそれにならう。マユは俺の背中に隠れるように小さく礼をした。
「リオ、マユちゃん。今日はよろしくね」
オムイスが、礼儀正しく声をかけてきた。
柔らかな物腰に、少しだけ緊張が和らぐ。
「……こちらこそ」
俺も短く返した、その横から──
「なんだ?緊張してるのかなぁ?」
カロイが挑発的に笑う。
口調は軽いが、その目だけは鋭かった。
「……別に」
俺は軽く受け流す。
カロイは「ふん」と鼻を鳴らし、肩をすくめた。
挨拶もそこそこに、ザードが話を切り出す。
「ヴァルクから聞いているとは思うが、今日は模擬戦をしてもらう。互いの力を測るためだ」
ザードは淡々と告げた後、続ける。
「武器はこちらで用意した。リオとカロイは石の剣、オムイスとマユちゃんは木の杖だ。異論はあるかな?」
「ありません」
オムイスが即答する。
カロイもニヤリと笑いながら石の剣を手に取り、試し振りをした。
俺も用意された石の剣を取った。
ずしりと重い。刃は丸みを帯び、殺し合いには適さないが、それでも相手を叩き伏せるには十分な重みがある。
マユも木の杖を両手で持ち、ぎゅっと握りしめた。
その指先は、少し震えている。
「おいおい、大丈夫かよ、お嬢ちゃん」
カロイが茶化すように言った。
マユは驚いて、俺の背中に隠れなおす。
「カロイさん、やめなよ。……怖がらせる必要なんてないでしょ」
オムイスがたしなめると、カロイは肩をすくめた。
そんなふたりを横目に、俺は心を静めた。
本気でやるなと言われたわけじゃない。
だが、俺は──自分で自分に制限をかけるつもりだった。
手の内、といってもスフィアくらいしかないのだが、本番まではこいつら相手には隠しておきたい。
ただもし相手側がスキルを使うとなればそこは遠慮なくコピアで真似するつもりだ。
ちらりと後ろを見る。
マユは杖を握りしめたまま、小さくうなずいた。
「俺が前に出る。マユは後ろから援護してくれ」
小声で告げると、マユは少しだけ顔を上げた。
「うん、わかった……!」
ぎこちないながらも、確かに返事をする。
あまり時間はない──すぐにザードの声が響いた。
「では、位置につけ」
中庭の中心に、俺たち二組が向かい合う。
正面には、オムイスとカロイ。
互いに十歩ほどの距離を取った。
オムイスは杖を両手で持ち、静かに構える。
カロイは石剣を肩に担ぎ、にやつきながら俺たちを見据えている。
一方、俺は石剣を腰だめに構え、軽く呼吸を整えた。
マユは俺の少し後ろ、杖を握りしめたまま立っている。
(油断するな。オムイスたちは、俺たちより強い)
空気が、ぴり、と張り詰める。
「模擬戦は、敵を行動不能にするか、降参の意志を示した時点で終了とする。死なせはしないが、それなりの覚悟はしておくように」
ザードが静かに言い放った。
「──始め!」
号令と同時に、オムイスとカロイが動いた。
オムイスは杖を素早く振り上げ──
カロイは地を蹴って、一直線に俺たちに向かって突っ込んできた。
「っ──!」
カロイは石剣を大きく振りかぶる。
真っ向から叩き伏せるつもりだ!
俺は即座に一歩横へ飛び退き、カロイの剣を回避した。
地面に叩きつけられた石剣が、白砂を跳ね上げる。
「おっと、避けたか!」
カロイが挑発するように声を上げる。
だが俺は応じない。
俺が冷静にカロイの攻撃を回避したその瞬間──
「フッ……!」
オムイスが何かを呟くように、口を開いた。
「疾風よ、一本の矢となりて、敵を貫け!」
オムイスの詠唱が終わると同時に、彼の杖の先から風の矢が放たれた。 空気を裂くような鋭い音──!
「マユ!」
俺が叫ぶと、マユは小さくうなずき、即座に杖を掲げた。
「守れ、風の盾!」
マユの周囲に、薄緑色の風の膜が展開される。 次の瞬間、オムイスの風の矢がそれにぶつかり──鋭く砕け散った。
(……間に合った!)
だが安心する間もなく、カロイが迫る。 今度は俺ではなく、マユを狙って──!
「させるか!」
俺は低く踏み込み、カロイとマユの間に割って入った。 石剣を横に振り、カロイの剣を受け止める。
ガンッ!
重たい金属音のような衝撃が腕に伝わる。 石剣同士の打ち合い──威力ではカロイに分がある。
俺はそのまま踏み込み、カロイの剣を受け止めたが、腕に伝わる衝撃が痛みを引き起こす。だが、そこで引くわけにはいかない。
「──くっ!」
歯を食いしばり、力を込めて石剣を振り下ろすと、カロイは一瞬動きを止め、少し後ろに引く。だが、すぐに反応しようとするその瞬間、俺は一歩踏み込んで右手を突き出した。
「──これで、どうだ!」
俺は急に足元を崩し、砂を蹴り上げてカロイの視界を一瞬遮った。まるで自然に転んだように見せかけ、砂埃を彼の顔に吹きつける。卑劣極まりない戦法だと俺は思う。
「ちっ、邪魔すんなよ!」
カロイが苛立ちに顔を歪め、さらに剣を振るう。 俺はそれを紙一重でいなしながら、冷静に間合いを測った。
カロイの剣筋は荒いが、一撃一撃が重い。
俺はそれをいなしながら、呼吸を整えた。
だが──
「うざいなぁ一気に焼き払ってやるよ!」
カロイがニヤリと笑った、その瞬間。
「燃えろ──《フレイムエッジ》!」
彼が叫ぶと同時に、カロイの石剣がぼうっと赤く光り始めた。
次いで、剣の刃全体に、まるで生き物のようにうねる炎が纏わりつく。
フレイムエッジ……多分アレもスキルだよな……?
となると、コピアの出番だな
心の中で小さく念じ、俺はスキルを発動する。
「コピア──!」
周囲の空気が一瞬震える。 俺の剣に、カロイの炎を真似た赤い光がまとわりつき始めた──が。
「っ、熱っ──!?」
炎はまともに制御できず、石剣から暴れ出し、俺の袖に燃え移った!
「リオ……!」
マユの叫びが聞こえる。
「風よ、炎を払い給え──エアブロー!」
マユが杖を振ると、強い風が吹き起こり、俺にまとわりついた火を吹き飛ばしてくれた。焦げた匂いが一気に漂う。
「……助かった、マユ」
俺は肩で息をしながら、マユに小さく礼を言った。
そんな俺たちを見て、カロイは鼻で笑った。
「アッハハハハ! なぁに真似してんだよ、オチビちゃん!」
肩を揺らして笑いながら、カロイは俺を指差す。
「俺のスキルを、そんな簡単に真似できるわけねぇだろ? なぁ?」
煽るような声音に、俺はギリ、と奥歯を噛み締めた。
(……まだだ。こっからだ──!)
「どうしたどうしたぁ!?」
カロイはなおも俺を見下すように笑いながら、石剣をぶんぶんと振り回した。
「なぁ、オチビちゃん。俺の真似するなんざ百年早ぇんだよ。無様に燃えて、女に助けられて……みっともねぇなぁ?」
チッ、と舌打ち混じりに言い放つ。 その顔には、侮蔑と優越感がこれでもかと滲んでいた。
(……クソッ)
悔しさで胸が焼ける。けど、頭だけは冷たく保った。
そんな中、すっと前に出たのは、カロイの相棒──オムイスだった。
「カロイさん、油断しないで。」
真剣な声色だった。
カロイはふっと肩をすくめる。
「分かってらぁ。だから叩き潰してやるんだろ?」
オムイスは短く頷きながら、ちら、と俺を見る。
「……多分、リオはきっとまだ何か隠してる」
その視線は、俺を値踏みするようでもあり、どこか、戦士同士の直感にも似た鋭さがあった。
(オムイス……こいつはわかってる。カロイより、ずっと……)
ゾクッと背筋が震える。 けどそれ以上に、心の奥に火が灯った。
(まだだ。……まだ、負けるわけにはいかない!)
俺は剣を構え直した。 膝を沈め、呼吸を整える。
さっきよりも、もっと深く──
次の瞬間、カロイが吠えた。
「次は燃えカスにしてやるよぉ!!」
カロイの剣がうねる炎とともに振り下ろされる。
(ここだ──!)
俺は地を蹴った。
カロイの剣を真正面から受け止める──フリをして、寸前で横へ滑り込む。
「なっ──!?」
カロイが驚愕の声を漏らす。
その脇腹、がら空きだ。
「──はぁぁっ!!」
全身の力を込め、俺は剣を振り抜いた。
石剣の腹がカロイの身体をとらえ、鈍い音が響く。
「ぐっ……!」
カロイの体がぐらりと揺れた。
(いける──!)
一瞬だけ、そう思った。
だが。
「……舐めんなよ、オチビがぁッ!!」
カロイは怒りに顔を歪め、踏みとどまった。
体勢を崩しながらも、石剣を乱暴に振り回してくる。
「──っ!」
俺はかわしきれなかった。
轟音とともに、炎を纏った剣が俺の腹部に叩き込まれる。
「が──はッ……!」
空気が肺から弾け飛ぶ。
視界がぐらりと揺れた。
(まずい──意識が……)
地面がやけに遠く感じる。
「悪ぃな、オチビ。もう寝とけ!」
(クソッ……ここまで、か……)
思考が暗闇に沈みかけた、そのとき──
「リオォ!!」
マユの叫びが、遠く響いた。
でも──もう、体は動かなかった。
重たい石みたいに、全身が沈んでいく。
ぐしゃり、と鈍い音がした。
膝が崩れ、俺は顔から地面に倒れ込む。
(……動かない……)
腕も、脚も、何ひとつ動かせなかった。
世界がぐにゃりと歪み、音も、光も、全てが遠ざかっていく。
最後に聞こえたのは、マユの泣き叫ぶような声だった。
──そこで、意識は完全に途切れた。
……あたたかい。
ふわりと体を包む、やわらかな感触。
(ここは──)
まぶたが重い。
必死に持ち上げると、見慣れた天井が視界に飛び込んできた。
「……家、か……?」
かすれた声でつぶやく。
ベッドの上だった。
自分の家──間違いない。
首を少しだけ動かすと、隣の椅子でうつ伏せに突っ伏しているマユの姿が見えた。
(マユ……?)
肩が小さく震えている。
寝ているのか、泣いているのか、よくわからなかった。
──とにかく、俺はまだ、生きてるらしい。
安堵と、わずかな痛みが、胸に広がった。
(……俺、負けたんだな)
現実を突きつけられるような感覚に、苦笑しかける。
しばらく、ぼんやりと天井を見つめていた。
体を動かそうとしたけれど、指先すら満足に動かない。
まだ力が入らないみたいだ。
「……っ……」
そんな俺の微かな気配に気づいたのか、マユがびくりと肩を震わせた。
「……リオ……?」
顔を上げたマユの瞳は、泣きはらしたみたいに赤かった。
目が合った瞬間、マユは小さく息を呑み──
「リオォッ!」
たまらず、俺に抱きついてきた。
「わっ、マユ、いって……!」
傷に触れたのか、思わず呻く。
「ご、ごめん……っ!」
慌てて離れたマユは、涙をぽろぽろと零しながら、それでも必死に笑った。
「よかった……生きてて……」
そう呟く声は、かすれて震えていた。
俺は苦笑しながら、かすかに頭を撫でるふりだけしてみせた。
「……悪い。心配かけた。」
それだけが、今の俺にできる精一杯のことだった。
マユは首を横に振りながら、袖でぐいぐい涙を拭う。
「リオ……あの後……」
震える声で、ぽつりぽつりと、話し始めた。
──あの後、俺が倒れたとき。
マユは叫びながら、俺に駆け寄ったらしい。
けれど、すぐに父さんとザード止めに入り、俺は運ばれたという。
戦闘続行は不可能とされカロイたちは勝利を宣言され、それ以上は何もせずに試合は終わったらしい。
「……怖かった、リオ……!」
マユはそう言って、ぎゅっとシーツを握り締めた。
俺は、静かに目を閉じた。
まだ、俺は弱い。
でも──負けっぱなしで終わる気なんて、これっぽっちもない。
必ず──大会までに、追いつく。超えてみせる
そう、胸の奥で誓った。




