第15話 適正検査を終えて
検査室を出ると、階段の途中にマユがちょこんと座っていた。きっと、さっきの光や音に驚いて避難していたんだろう。
「リオ、大丈夫だった……?」
その言葉に、俺ははっとして彼女の顔を見る。少しだけ不安げな瞳。でもその奥には、驚きと――どこか誇らしげな尊敬の色が浮かんでいた。
「怖くなかった? あんなに光って、音もして……」
「うん、ちょっとだけ。でも……リオ君が無事でよかった」
その小さな声に、胸の奥がじんわりと温かくなる。マユは言葉を探すように、膝に乗せた手をぎゅっと握った。
マユの指先はほんの少し震えていた。それでも、彼女はまっすぐに俺を見上げていた。
「……なんか、すごかったよ。怖かったけど、見てた。リオの周りが、きらきらしてて、風もふいて……でも、ちゃんとリオだった。変わってなくて……」
ぽつりぽつりとこぼれる言葉に、俺は目をそらせなかった。彼女のその目には、恐怖も混ざっていたけど、それ以上に――信じてくれている光があった。
ぽつりぽつりとこぼれる言葉に、俺は目をそらせなかった。マユの目には、戸惑いも不安も、それでもちゃんと俺を見ていようとする意志があった。
「……ごめん。驚かせたよな」
ただ、それだけを言った。自分でも、ほかに言えることがなかった。
マユは首を横に振った。すぐに答えが返ってこなかったけど、その間も目をそらすことはなかった。
「……リオが無事で、本当に、よかった。あれが……力なんだよね」
「たぶん。でも、まだよく分かってない」
「そっか……」
少しだけ沈黙が流れる。その沈黙すら、嫌なものじゃなかった。
「……まだ一緒にいれる?」
その言葉に、俺はうなずいた。
「うん」
マユは少しだけ笑って、階段の手すりに手を添えた。
「じゃあ、次は私が驚かせる番かもね」
その言葉には冗談めいた調子があったけど、目は真剣だった。俺も思わず、口元が緩んだ。
「……楽しみにしとくよ」
ちょうどそのとき、背後で紙を折りたたむ音がして、ザードの静かな声が降ってきた。
「この結果は、まだ正式な記録には載せられない。データが不安定だからね。でも……君の力は、確かに特別だ」
マユがふっと息を呑んだのが、横でわかった。
ザードは折りたたんだ紙を懐にしまい、俺たちのほうへと歩いてきた。
「少し休むと言ったけれど、案内はこのまま続けよう。無理をさせるつもりはないが……君のような子に見せておきたい場所がある」
そう言って、ザードは階段を上がりながら振り返った。
「マユ君も、一緒に来るといい。さっきは驚かせてしまったね」
マユは一瞬だけ戸惑ったようだったけれど、小さくうなずいて立ち上がる。手すりを頼りに立ち上がる姿が、どこか決意めいて見えた。
「……はい。ありがとうございます」
屋敷の中を進むあいだ、誰も言葉を発さなかった。静けさの中、俺は今さっきまでの光と風の感覚を思い出していた。自分の中にある、まだ輪郭の定まらない“力”。それが何なのか、どうすればいいのか――そんなことを、ずっと考えていた。
案内されたのは、広い書庫のような部屋だった。壁一面に並んだ本棚。見上げるほど高く、巻物や分厚い魔導書がぎっしりと収まっている。
「ここは私の屋敷の中でも、特別な部屋だ。古い文献や、魔法に関する実践的な記録も多い。リオ君には、好きなものを選んで読んでほしい」
思わず息を呑んだ。こんな場所が、あの村の外にはあったのかと。ページの重みを指先で確かめて、俺は心の中で呟いた。
――ここでなら、何かが掴めるかもしれない。
「好きなだけ持っていくといい。ただし、返却は忘れずに」
ザードの冗談めいた声に、マユが小さく笑った。
ふと、後ろから足音が聞こえてきた。振り返ると、長身の少年と、やや小柄なもう一人が立っていた。
小柄の少年の雰囲気はどことなくザードににている気がした。
長身の少年の目が、俺とマユに向けられた。切れ長の目元に、少しだけ興味を帯びた光が揺れる。
ザードが口を開く。
「紹介しよう。こちらは私の息子、オムイス。そしてその隣は、親友レイドの息子、カロイだ」
やはり、そうか。さっき感じた空気の違いは、ただの思い過ごしじゃなかった。
俺は自然と背筋を伸ばしていた。名前を聞いた瞬間、どこかで聞いたことがあるような気がしたのは、記憶の底で警鐘が鳴ったからかもしれない。
カロイは一歩前に出ると、じっと俺を見つめた。まるで、何かを試すかのように。その視線に、俺は怯まずに応える。
「お前がリオか?ずいぶんちっさいんだな」
カロイの言葉には明らかに嘲りが込められていた。俺はわざとらしい挑発には乗らず、視線を外さずに答えた。
「……そっちがでかすぎるんじゃないか?」
「へぇ、口は達者か。やっぱ、田舎の坊っちゃんでも、ちょっとすごい力があるって分かっただけで気が大きくなるもんなんだな」
カロイはにやりと笑いながら肩をすくめる。その態度は明らかに、試すようなものだった。
「カロイさん、それ以上はやめようよ。失礼だよ」
オムイスが一歩前に出て、カロイの前に腕を伸ばした。声は落ち着いていたが、どこか鋭さもあった。
「まだ紹介されたばかりでしょ。客人に対してその態度は、父様の名を汚すことになるよ」
「……ちぇ。分かってるよ、オムイス」
カロイは不満げに鼻を鳴らして肩をすくめたが、それ以上は言ってこなかった。
オムイスは俺に向き直り、丁寧に頭を下げた。
「ごめんね、リオ君。僕はオムイス。さっきの光、君のだよね?……すごかったよ」
そのまっすぐな言葉に、俺も自然と頭を下げた。
「ここにいるってことは多分本を探しに来たんだよね、ちょっと待っててね」
オムイスは少しだけ考えるように目を細めてから、書棚の一つに近づいた。手慣れた様子で背の高い書物を一冊引き抜く。
「これなんか、どうかな。『魔術入門:五属性の理』。基礎から応用まで、かなり詳しく書かれてるんだ。父様も推してた一冊だよ」
彼が手渡してくれた本は、古びていたが丁寧に扱われていた跡があった。ページの端にはいくつかの書き込みも見える。
「ありがとう。……読んでみるよ」
俺がそう言うと、オムイスは少しだけ微笑んだ。さっきのカロイの挑発とは違い、彼の言葉や態度にはどこか親しみがあった。
「他にも興味があるなら言って。僕、こういうの読むの好きだから」
そんなやり取りをしていると、背後から足音が聞こえ、重厚な扉が静かに開いた。振り返ると、そこに立っていたのはヴァルクと、もう一人の男性――たぶん、レイドだ。
ヴァルクの目が俺に向けられ、一瞬だけ安堵の色が浮かぶ。
「おう、リオ。無事だったか。」
レイドと名乗らなくとも分かるその男は、カロイとどこか面差しが似ていた。落ち着いた雰囲気をまとっていて、俺を見て小さくうなずく。
「……君が、リオ君か。ヴァルクから話は聞いていたが噂以上だな。さっきの光、俺たちも感じたよ」
それにどう返すべきか迷っていると、ヴァルクが続けた。
「さて、本題に入るか。実はな、近々この地方でノルディア剣魔大会が開かれるんだ。各地から若い剣士や術者が集まる大きな催しでな、腕試しにはもってこいだ」
マユが驚いたように顔を上げた。
「リオも出るの……?」
ヴァルクは俺の方を見て、問いかけるように目を細めた。
「どうだ? 興味はあるか?」
俺は本を胸に抱えたまま、しばらく黙って考える。そしてゆっくりとうなずいた。
「……出てみたいです。自分の力が、どこまで通用するか――試してみたい」
ヴァルクは満足げにうなずいた。
「よし、それでこそ俺の息子だ」
レイドも頷いてから、少し口元を緩めた。
「ただし……その舞台は甘くはない。オムイスやカロイも出場する予定だ。お前も、覚悟しておけ」
言葉には柔らかさがあったが、確かな圧もあった。俺はそれを受け止めて、静かに答えた。
「……覚悟は、もうしてます」
そう答えた俺に、レイドは満足そうに頷くと、ふとマユに目を向けた。
「君は?」
突然の問いかけに、マユは一瞬戸惑ったが、すぐに真っすぐこちらを見た。
「……私は、出ません。でも、リオのことは応援します」
マユが出ないと言い切ったその直後――ほんの一瞬の沈黙のあと、彼女は拳を握りしめるようにして、もう一度言葉を紡いだ。
「……やっぱり、私も出ます」
部屋の空気が変わった。驚いたのは俺だけじゃない。ヴァルクも、レイドも、目を見開いてマユを見つめている。
「マユ、お前……」
俺が声をかけると、彼女はまっすぐにこちらを見つめ返してきた。瞳の奥には、不安も、覚悟も、すべてが混ざり合っていた。
「怖いよ。出るのは怖いし、誰かに見られるのも、また襲われるかもしれないって思うと……でも、それでも」
言葉を切ったマユは、胸の前でぎゅっと両手を握る。
「私、自分の力で何かを変えたい。ただ助けられるだけじゃなくて……今度は、リオの隣に並んで戦いたいの」
その言葉に、俺は何も返せなかった。ただ――心の奥で、なにかが強く揺れ動くのを感じていた。
レイドが静かに頷き、少し微笑んだ。
「いい目だ。君にも、その資格はある。……だが、本気で出るつもりなら、それ相応の訓練が必要になる」
マユは頷いた。決意のこもったその顔を見て、俺も自然と力が湧いてきた。
「……じゃあ、一緒に出よう。」
俺が差し出した手を、マユは少し戸惑いながらも、しっかりと握り返してきた。
その手の温もりは、小さくて、だけど芯のある強さを宿していた。
「……うん。一緒に、戦おう」
マユの声は震えていなかった。彼女の決意が、まっすぐに俺の胸に届く。
ヴァルクが腕を組みながら頷いた。
「いい返事だ。なら、明日から訓練を始めるぞ。出場が決まったなら、これから本格的に鍛える。時間はそう多くない。お前が大会までにどこまで伸びるか、見せてもらおう」
俺は思わず苦笑する。きっとこの人は、最初から俺が出ると見越していたんだろう。
「わかりました。よろしくお願いします、父さん」
ヴァルクは笑いながら俺の肩を叩いた。
「よし、気合い入れていくぞ」
その瞬間、俺たちの中で何かが確かに変わった。
ただ守られる側だった少女が、自分の意志で前に進もうとしている。
そして俺も、誰かを守るために剣を握る覚悟を、改めて胸に刻む。
夜の静けさが戻った家の中で、俺たちはそれぞれに小さな決意を抱えたまま、明日を見据えていた。
窓の外には、雲の切れ間から覗いた星がひとつ、じっとこちらを見つめていた。
その光が、まるで未来を照らしてくれるかのように、やけに優しく思えた。




