第10話 白髪と少年の正義
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「はーい……あら、リオ。ずいぶん遅かったわね……って……。」
扉がわずかに開いた瞬間、母さんの声が止まった。
俺の腕の中の少女を見て、目を見開いたまま動かなくなる。
「母さん、こいつ……森で襲われてたんだ。助けたんだけど、俺じゃ怪我を治せなくて……お願いだ! こいつを助けてやってくれ!」
少女をそっと抱き直しながら、俺は必死に訴えた。
母さんは何度か瞬きをし、小さく息を呑むと、すぐに顔を引き締めた。
「入って。ひどい傷……まずは手当てが先ね。あと、リオ、あなたもボロボロじゃない。」
母さんが扉を大きく開く。
囲炉裏の火がほのかに揺れる居間に、布団を敷き、俺は少女をそっと寝かせた。
母さんの指先が動き始める。
血のにじんだ擦り傷を拭い、打撲の腫れに冷やした薬草を当て、手際よく包帯を巻いていく。
深い傷には、淡い光を放つ回復魔法を施し、少女の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
その所作は穏やかで、まるで壊れ物を扱うような優しさだった。
「……よく、ここまで頑張ったわね。」
母さんの指が少女の頬に触れる。
少女は一瞬、痛みで眉をひそめたが、すぐに静かに目を閉じた。
「意識はあるわ。でも、かなり衰弱してる。しばらく休ませないと。」
「ありがとう、母さん……。」
「にしても、白髪ね……。」
母さんの手がわずかに止まり、俺を見た。
その視線に、村の掟――“白髪は魔族、見つけ次第殺せ”――が重くのしかかる。
「……森で襲われてたって言ったけど。」
「うん、多分、父さんの言ってた人攫いだと思う。でも、白髪だからって殺されかけてた。もう少し遅れてたら、きっと……。」
言葉に詰まりながら、俺は最後まで伝えた。
母さんは静かに頷き、少女の白銀の髪にもう一度視線を落とした。
「……こんな小さな子でも、白髪だからって……。」
呟く声には、怒りより深い悲しみが滲んでいた。
まるで、遠い記憶を掘り起こすような、切なさだった。
「この子、名前は?」
「いや……聞けてない。あんまり話せる状態じゃなかったから……。」
「そう……。」
母さんは少女の頬を撫で、布団の端を整えた。
「少し席を外すわ。水ともう少し薬草を取ってくるから、リオはここにいてあげて。」
「うん。」
俺は頷き、少女のそばに座った。
彼女の呼吸は浅いが規則正しく、かすかな安心感を与えてくれるリズムだった。
(この世界の“普通”が、どれだけ狂ってるかなんて、転生しなきゃ分からなかったかもしれない。)
そんなことを考えていると、玄関の戸がガタリと開いた。
「ただいま……って、おい、リオ、まだ起きてるのか?」
父さんの声に、俺ははっと顔を上げた。
「父さん……。」
「どうした、そんな顔して――って、ボロボロじゃないか。」
父さんが駆け寄り、俺の全身をさっと見回す。
「何があった? 怪我してるのか?」
「いや、大丈夫。僕は平気……でも、こっちの子が……。」
俺は横たわる少女に視線を落とした。
父さんの目が少女に向けられた瞬間、表情が一変する。
「……白髪、か。」
低く、重い声だった。
「森で襲われてたんだ。人攫いか、あるいは……誰かに殺されかけてた。僕が見つけなかったら、今頃……。」
父さんはしばらく無言で、じっと少女を見つめていた。
やがて、深い息を吐き、呟いた。
「……それで、お前が助けたのか。」
「ああ。」
「……そうか。」
父さんはそれ以上何も言わず、静かに腰を下ろし、少女の手元に毛布をかけた。
そのごつい手は、まるで壊れ物を守るように優しかった。
「母さんが水を取りに行ってる。少ししたら戻ってくる。」
俺がそう言うと、父さんは頷いた。
そして、ぽつりと。
「今朝話した人攫いのこと、覚えてるか? その犯人であろう男たちが自警団に自首してきたんだ。」
「――え?」
思わず声が漏れた。
「奴らはこう言ってた。金髪のバケモノみたいに強いガキがどうこうってな。」
「……多分、僕のことだと思う。」
唇が自然に動いた。声は震えていたが、妙に冷静な確信があった。
「襲ってたやつら、僕が倒したんだ。……あいつら、自首したのか……。」
父さんは驚いた様子もなく、小さく頷いた。
「そうか。お前が……。」
その目に、一瞬、何かがよぎった。誇らしさか、心配か、あるいは――何かもっと深いものか。
「お前は正しいことをした。この子を守ったのは、お前だ。けどな、リオ。」
父さんの声が低くなり、俺の目を真っ直ぐ見据える。
「この村の“正しさ”は、必ずしもお前の正義と同じじゃない。」
その言葉が、冷たい刃のように胸を切り裂いた。
分かってる。
この世界は、俺のいた世界と違う。
理不尽も、暴力も、差別も――当たり前の顔をしてそこにある。
「……それでも、俺は……見捨てられなかったんだ。」
父さんは黙って、俺の言葉を待ってくれていた。
「……白髪ってだけで殺されるなんて、絶対おかしい。」
そう言い切ると、胸の奥で何かが静かに燃えた。
父さんは目を細め、ゆっくり立ち上がった。
「……そうだな。おかしいな。だけど、それが“普通”だと信じてる奴らが、この村には山ほどいる。何より――それが掟だ。」
掟。
あの石碑に刻まれた文字――“黒髪や白髪は魔族、見つけ次第殺せ”。
俺は唇を噛み、少女の白銀の髪を見つめた。
父さんは無言で囲炉裏の火を見つめていた。
炎の揺らめきが、彼の顔を影絵のように揺らす。
「リオ、お前がこの子を助けたのは……運命だったかもしれないな。」
「運命……?」
「この世界の正しさがどうであれ、お前が選んだことは“人として”正しかった。俺は……それを誇りに思うよ。」
その言葉が、胸の奥にじんわり染み込んだ。
否定されると思った。怒られると思った。ぶん殴らると思った。
でも――父さんの言葉は、俺の心を軽くした。
「……ありがとう、父さん。」
父さんはただ、頷くだけだった。
やがて、母さんが戻ってきた。
水の入った桶と、薬草を乗せた木皿を手に。
「ふたりとも、ちゃんと休まないとダメよ。リオも、自分の身体をもっと大事にしなさい。」
「うん……ごめん。」
苦笑しながら返すと、母さんはふっと微笑み、俺の頭を軽く撫でてくれた。
「この子、朝まで様子を見て、状態が安定したら……名前、聞いてみましょう。きっと、話せるようになったら、いろいろ教えてくれるわ。」
「……そうだね。」
母さんは少女の枕元に薬草を置き、静かに立ち上がった。
「リオ、今日はもう休んで。ここは私たちが見るから。」
「……わかった。何かあったら、すぐ起こして。」
俺はそう言い残し、自室に向かった。
翌朝、少女はまだ目を覚ましていなかった。
目を覚ますと、朝の日差しが窓から差し込み、鳥のさえずりがかすかに聞こえていた。
居間に行くと、父さんと母さんが静かに話している。
「……やっぱり、このままじゃ危ないわ。村の誰かに見られたら――。」
母さんが言いかけたところで、俺の姿に気づき、言葉を飲み込む。
「おはよう。……どう? まだ、眠ったまま?」
「ええ。だいぶ落ち着いてはいるけど、まだ意識は戻らないわ。」
「そっか……。」
気まずい沈黙が流れる。
俺も薄々感じていた。
あの子の白銀の髪が、村で“悪”として扱われる現実。
「リオ、この子の髪……どうするつもりだ?」
父さんの声が、重く響いた。
「このままじゃ、村に見つかったときに面倒になるわ。隠すにしても限界があるし……。」
「染めればいいんじゃないかな。金髪とか。目の色が青いし、金髪なら僕とそっくりになる。」
母さんは少し驚いた顔をし、ゆっくり頷いた。
「そうね……それが一番安全だと思う。リオ、これで染料を買ってきてくれる?」
小さな革袋を差し出され、中に銀貨が数枚入っているのを確認する。
「わかった。オルドさんのところに行ってみるよ。鍛冶屋だけど、いろんな雑貨も扱ってるから、あるかもしれない。」
着替えを済ませ、家を出る。
朝の空気はひんやりと澄み、村の通りはまだ静かだった。
鍛冶屋のオルドは、いつも通り工房にいた。
鉄を打つ音が響く中、俺は入口で声をかけた。
「オルドさん、ちょっといい?」
「ん? おう、リオか。なんだ、剣でも折ったか?」
「いや、今日は雑貨を見に来たんだ。髪を染める染料、ある?」
オルドは目を丸くしたが、すぐにニヤリと笑った。
「めずらしいもん探してるな。あるにはあるぞ。旅人向けに仕入れてるからな。どの色にする?」
「金色とかある? 僕の髪と似たような色で。」
「了解。ちょっと待ってろ。」
奥から瓶を一つ持ってきて、カウンターに置く。
中には濃い金色の液体が入っていた。
「肌にも優しいやつだ。薄めて使えば、しばらくはもつ。銀貨二枚だ。」
「ありがとう。」
代金を渡し、瓶を受け取ると、俺は家へと急いだ。




