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製造番号 44123 ~ 3日目

挿絵(By みてみん)



 朝が訪れる。


 普段なら、ヤミンの軽やかな足音や、彼女の無邪気な挨拶が俺を引き戻してくれる。


 だが、今日は違った。


 空気が張り詰め、部屋全体が妙に静まり返っている。


 カーテン越しの淡い光だけが室内に差し込み、俺の心に不安の影を落としている。


 息遣いが重く、肌に冷たい汗が滲む。


 まるで時が止まったかのように、俺はベッドの方へと視線を移した。


 そこには、ヤミンが横たわっている。


 体が微動だにしない彼女を見つめると、胸の奥に押し寄せる焦燥が、次第に恐怖へと変わっていく。


「……ヤミン?」


 何の返答もない。


 俺の声が虚空に消え、静寂がまた戻ってきた。


 この瞬間、何かが違う。直感的に分かるが、理解が追いつかない。


 冷や汗が背中を伝い、手が震え出す。


 心臓がひどく速く、荒々しく鼓動を打つ。


 俺は慌てて彼女に駆け寄り、その肩にそっと手を置いた。


 彼女の肌は冷たくはないが、いつも感じられるその温かな生命力は、今はほとんど感じられない。


 何かが消えつつある――それは俺が知るべきではない何かだ。


 息が詰まり、喉が渇いていた。


「……大丈夫か?」


 声が震え、ひどくかすれた。


 すると、彼女の瞼がゆっくりと動き、重く目を開けた。


 その瞳には、どこか優しい光が微かに宿っている。


 彼女の微笑みはかすかで、弱々しいが、確かに存在している。


「……大丈夫です、博士。今日は……3日目ですから。」


 3日目――その言葉が胸に深く突き刺さる。


 3日目だと? 何を言っている? 


 俺の思考が停滞し、一瞬の混乱が心を覆う。


 そして次の瞬間、彼女の言葉が何を意味しているのかが、俺に冷酷な現実として押し寄せた。


 全身が凍りつき、言葉を失う。


 ヤミンは、まるで当たり前のことのように、ゆっくりと話を続けた。


「私の寿命が来たのです……博士、前の私も、3日目に寿命で死にました。覚えていませんか?」


「……寿命?死んだって……?」


 その言葉が頭の中でこだましている。


 寿命? 死ぬ? ヤミンが?


 俺は言葉の意味を理解しようとするが、どうにも信じられない。


 ヤミンはずっと俺の傍にいて、何度も俺と共に過ごしてきたはずだ。


 彼女が消えるなんて、そんなことはありえない。


「嘘だろ……? どうして……俺は……知らない……覚えていないんだ!」


 叫びたくなるような感情が押し寄せ、喉が締めつけられる。


 ヤミンが死ぬなんて、そんな事実を俺は受け入れることができない。


 何かの間違いだと思いたかった。


 だが、彼女は静かに俺を見つめた。


 その目に浮かぶ静かな覚悟が、まるで俺の心を貫く矢のようだった。


「博士、私は何度もこうして死にます。そして、また新しい私が生まれるのです。博士は毎回、私の死を忘れて、新しい私と出会う。それが、この施設での繰り返しです」


 その言葉が、俺の中で全ての謎を解き明かした。


 記憶の断片が合わさり、俺の心は一瞬にして打ちのめされた。


 何度も彼女を失い、何度もその記憶を消し去り、そしてまた最初から始まっていた。


 繰り返し、繰り返し――この終わらない輪の中で、俺は何も知らずに生き続けていたのだ。


「でも……俺は……ヤミンと……」


 言葉が詰まり、何も言えなかった。


 どれほど言葉を探しても、虚しさが胸の中を支配している。


 ヤミンは静かに俺の手を取った。


 その手は冷たく、彼女の生気が少しずつ失われているのが、ひしひしと伝わってくる。


「博士……ずっと研究所の中しか知らなかった私に、お願いがあります。」


 彼女の声は穏やかだが、そこには確かな決意が感じられた。


「……お願い?」


 俺は、ぼんやりとした意識の中で、彼女の言葉を反芻した。


 彼女の無機質な瞳の奥に、何か温かい感情が揺れているように感じた。


「私は……広い世界を見たいです。博士が教えてくれた外の世界、そして……広い海に行きたい。」


 海。


 彼女が言うその言葉には、どこか切実な願いが込められている。


 俺たちが出会ったこの狭い施設の外に広がる、無限の世界。


 彼女はそれを知りたがっていた。


「でも……どうやって?」


 俺は虚ろな声で尋ねた。


 彼女はかすかに笑い、ゆっくりと、静かに答えた。


「私が死んだら……海へ放してくれれば、私は世界中を巡ることができます。」


 たしかに、海に流せばそれは叶うかもしれない。


 広い海が、彼女の望みを受け入れてくれるだろう。


 だが、俺の心はそれを受け入れる準備ができていなかった。


 彼女をこの手から手放すことが、耐え難いほど辛い。


 失いたくない――何度も、何度も同じように繰り返されるこの瞬間が、どれほど重くのしかかるかを、俺は痛感していた。


「是非、そうしてください。広い海に私を開放してください」と、ヤミンは静かに、しかし決然と言った。


 その声は、まるで時間の流れから切り離されたかのように、穏やかで、凛としたものであった。


 俺は、その言葉を聞いて、何も言えなかった。


 喉が詰まり、胸が締め付けられた。


 彼女の穏やかな笑顔は、俺の心を刺すように痛めた。


 自分の無力さが、嫌というほど突きつけられる。


 何もできない、何も変えられない、ただ受け入れることしかできない自分が、ひどく哀れだった。


「博士と過ごした時間は、楽しかったです」


 ヤミンは優しく続けた。


「特に、昨日作ったカレーのこと……あの香辛料の香り、今でも鮮明に覚えています。おいしい野菜と、博士の顔を見ながら一緒に食事をする時間が、私にとって何よりの宝物です」


 その言葉に、俺の心はさらに乱された。


 昨日のカレー――確かに、あの時も俺は忘れていた。


 何度も同じことを繰り返し、何度も失ってきた時間。


 だが、彼女はそんな時間を宝物だと言ってくれる。


 俺の存在が、彼女にとっての価値となっていた。


 それが、どれほど彼女を大切にしていたとしても、俺には到底見合わないものに思えた。


「博士は何でも忘れてしまいます。困ったものです」と、ヤミンは静かに告げた。


 俺は息を飲んだ。


 彼女がどれだけその事実を受け入れているかを感じさせる声だった。


 ああ、そうだな。


 俺は何も覚えていない。


 ただ、また次の瞬間が訪れるたび、全てを忘れてしまう。


 忘れたくないのに、何も残らない。


 それが、この世界の残酷さだ。


「忘れてしまう博士に、何でも教えてあげるのが私の役目です」


 彼女はそう言いながら、静かに微笑んだ。


 その微笑みが、どこか寂しげで、でも同時に慈愛に満ちているように見えた。


 返す言葉もない。


 俺は、彼女に何一つしてやれなかった。


 記憶を失い続ける俺を、彼女は毎回何も変わらず、優しく受け入れてくれた。


 それがどれだけ重いものなのかを、今になってようやく実感していた。


 彼女がいなければ、俺は何もできなかっただろう。


「私はもっともっと世界中の知識を知りたい。博士に教えてあげられるように。」


 ヤミン、お前はそこまで俺のことを思ってくれていたのか。


 俺は言葉に詰まり、胸が張り裂けそうだった。


 彼女の目には希望があった。


 いつか自分が世界を知り、その知識を俺に与えるという強い意思。


 それが、彼女の生きる意味だったのだろう。


「だから……私が死んだら、そのまま土に埋められるのではなく、海へと……私を解き放ってください。広い海に、私を連れて行ってください。それが、私の最後の願いです」


 彼女の願いは、あまりにも純粋で、あまりにも悲しかった。


 俺はただ頷くしかなかった。


 彼女の願いを拒むことなど、できるはずがない。


 それが、彼女の最後の希望であり、俺にできる唯一のことだ。


 俺は無力だったが、彼女のその願いだけは叶えてやりたかった。


「……ああ、分かったよ、ヤミン。」


 俺の声は震えていた。


 彼女の言葉を聞きながら、胸の奥が締め付けられるような感覚に押しつぶされていた。


 ヤミンはいつも、俺の傍にいてくれた。


 俺が何も知らず、記憶を失い続けても、彼女は笑顔で俺のそばにいてくれた。


 それを忘れてしまう俺が、どれだけ酷い存在であったか。


 だが、彼女はそれでも俺を許し、支え続けてくれた。


 だからこそ、彼女の願いを拒むことなんて、できるはずがない。


「ありがとう、博士……本当に。」


 ヤミンの目には、いつもの穏やかな光が浮かんでいた。


 それを見て、俺は彼女の手を強く握りしめる。


 小さくて、冷たいその手が、やけに重く感じられる。


 彼女がいなくなるなんて、想像することさえできない。


 だが、現実は無情に迫ってくる。


 彼女はその運命を受け入れているが、俺はどうしてもその現実に抗いたかった。


「ヤミン……俺は、お前のことを……」


 言葉が詰まり、続きを言うことができなかった。


 ヤミンの顔を見つめながら、涙がこぼれそうになるのを必死に堪えた。


 何度も繰り返してきたこの瞬間を、何も知らずに俺は忘れてしまっていたのだ。


 それが、どれほど残酷であるかを、今さらのように思い知らされる。


「博士、泣かないでください……。私は幸せです。博士と一緒にいられたこと、それが私の全てです。」


 彼女の声は柔らかく、どこか夢の中のようだった。


 俺は無言で、彼女の額にそっと唇を押し当てた。


 彼女の体はますます冷たくなり、時が迫っていることがひしひしと感じられる。


 時間は、残酷にも俺たちを置き去りにしようとしていた。


「……海に行こう、ヤミン。お前の望みを叶えてやる。約束だ。」


 涙がこぼれ落ちるのをもう抑えきれなかった。


 ヤミンは静かに微笑みながら、そっと瞼を閉じた。


 その姿は、まるで永遠の眠りに入る天使のようだった。


 穏やかで、そして美しい彼女の最後の瞬間が、俺の心に深く刻まれた。


 俺は彼女をそっと抱き上げ、約束の場所へ向かうことを心に誓った。


 海へ――ヤミンの望んだ場所へ、彼女を連れて行く。


 それが、彼女が俺に託した最後の使命だった。


 広い海へと彼女を送り出し、俺はまた新たな記憶を失うのかもしれない。


 だが、この瞬間、この感情だけは、決して忘れたくない。


 ◆・◆・◆



 目の前に広がる青い海は、まるで世界の全てを飲み込んでしまうかのように、果てしなく続いていた。


 波が穏やかに打ち寄せる音が、静寂の中で俺の耳に響く。


 潮風が鼻をかすめる度に、俺の心は乱され、胸の奥で重苦しい感情が渦巻いていた。


 この場所に来るまでの道のりは、永遠にも思えた。


 俺の心は、既に彼女を失うという事実に打ちのめされていたからだ。


 だが、彼女の望み――それを叶えるために、ここに来る以外の選択肢はなかった。


 今までのヤミンたちも例外なく、この3日目を迎えていたようだ。


 それは、彼女の終わりが近づいていることを示す数字だった。


 だが、その事実に気づきたくない自分がいた。


 こんなにも広い世界が彼女の前に広がっているのに、なぜ彼女はその世界をこれ以上見ることができないのか?


 どうして、彼女はこの瞬間を最後にしなければならないのか?


 俺の心の中には、怒りともつかないような感情が渦巻き、そしてその感情をどこにぶつけていいのか分からなかった。


「博士……」


 彼女の小さな声が、俺の思考を引き戻す。


 振り返ると、彼女は俺のすぐそばに立っていた。


 彼女の髪は潮風に揺れ、彼女の瞳は静かに、でも確かな輝きを湛えていた。


 どこか機械的で、感情の少ない表情が、逆に俺の心を締め付ける。


「博士、この海、広いですね。ずっと、ここに来たいと思っていました」


 彼女の言葉に、俺は無意識に頷くしかできなかった。


 こんなに広い世界が目の前にあるのに、彼女はもうすぐそれを見られなくなる。


 その事実が、俺を絶望させた。


 彼女の淡々とした口調は、まるで自分の運命を受け入れたかのようで、それが俺にとっては何よりも辛かった。


 どうして、彼女はこんなにも落ち着いていられるのだろうか?


 俺は、まだ彼女と一緒にいたい。


 まだ、彼女と時間を過ごしたいのに。


「ヤミン……本当に、これで終わりなのか?」


 俺の声は、震えていた。


 自分でも、どうしてこう言ってしまうのか分からなかった。


 彼女が死ぬことは分かっていた。


 毎回そうだ。それでも、俺の中には抗い難い感情が溢れていた。


 彼女が消えることを受け入れたくないという気持ちと、彼女を引き止める手段がないという無力感

が、俺を蝕んでいた。


「私はいつも博士と一緒にいるつもりです。ここに来られたことが、とても嬉しいです」


 彼女の声は、まるで全てを悟っているかのように穏やかだった。


 その冷静さが、俺を一層混乱させた。


 彼女は、本当にこれでいいと思っているのか?


 彼女が見つめている海の向こうには、俺たちがまだ見ていない世界があるというのに、どうして彼女

はその未来をあきらめることができるのか?


「ヤミン、まだ時間がある。まだ……終わりじゃないだろう? これからだって、俺たちにはやれることが――」


 俺は言葉を詰まらせた。何を言っても無意味だということは分かっていた。


 それでも、どうしても止められなかった。


 彼女が終わりを受け入れるその姿勢が、俺にとってはどうしようもなく耐え難かった。


「博士……私は、もっとたくさんの世界を見たかった。でも、これで充分です。あなたと一緒に、ここに来られたことが、私にとっては大切な思い出です」


 彼女の言葉が、俺の心をさらに締め付けた。


 彼女の目は、海の向こうを見つめていた。


 広がる水平線の先に、彼女が見ることができなかった世界があることを知っていた。


 それでも、彼女はそれを受け入れていた。


 俺にはそれが理解できなかった。


 俺はまだ、彼女と一緒にいたかった。


 まだ、彼女とこの世界を探索し、そして共に生きていたかったのに。


「……ヤミン、本当にそれでいいのか?」


 俺の声は、もう力を失っていた。


 彼女は静かに頷き、再び海の方を見つめた。


 その目に映るものが何なのか、俺にはもう分からなかった。


「はい。これで、いいんです。博士、ありがとうございます。私をここまで連れて来てくれて」


 彼女の声は、まるで遠くから響いてくるかのようだった。


 その瞬間、俺は彼女がもう手の届かないところにいることを悟った。


 彼女は、もう既にこの世界の一部ではないのだ。


 それでも、俺は何もできなかった。


 彼女を引き止めることも、彼女の運命を変えることも。


「……ヤミン……」


 俺はただ、その名前を呼ぶしかできなかった。


 彼女は静かに俺を見つめ、微笑んだ。その微笑みは、どこか寂しげで、でも穏やかだった。


「博士、さようなら」


 彼女の声が、最後の言葉だった。俺の手の中で、彼女の身体が徐々に力を失っていくのを感じた。




 その瞬間、俺の心は何かが欠けてしまったように感じた。



 ◆・◆・◆



『 CHU BCUD 』


Softly tied, a pinkie thread, I still recall that day we said,

A vow so pure, just me and you—our dream that never swayed.


In the springtime’s fleeting glow,

We swayed like petals in the flow,

Holding onto fears unknown, yet chasing what we craved.


In the pouring rain, no shelter,

Laughing as we ran together,

To the crossroad where we knew our hearts would break apart.


It was love, so young, so bright,

That was all I knew inside.

In a world unchanging, you were all that made it shine.

In the city dressed in white,

We had made a vow that night,

With my left hand, fingers laced—

And you had smiled.


Softly tied, a pinkie thread, I still recall that day we said,

A vow so pure, just me and you—our dream that never swayed.


In the springtime’s fleeting glow,

We swayed like petals in the flow,

Holding onto fears unknown, yet chasing what we craved.


In the pouring rain, no shelter,

Laughing as we ran together,

To the crossroad where we knew our hearts would break apart.


It was love, so young, so bright,

That was all I knew inside.

In a world unchanging, you were all that made it shine.

In the city dressed in white,

We had made a vow that night,


With my left hand, fingers laced and you had smiled.



 ◆・◆・◆


窓辺の天使 AFTER STORY 『ARTIFICAL ANGEL ~人造天使は終活したい~』

3章 水葬の記憶 - 完


ノベルゲームコレクション Vol. 1

窓辺の天使 AFTER STORY 『ARTIFICAL ANGEL ~人造天使は終活したい~』


https://novelgame.jp/games/show/10705


脚本:荒毘妃ヤミン / 萌流もる

原画:たまごかけ幼風パスタ

翻訳:薔薇牧百萬値(CHATGPT)

校正:あがてゃん

音楽:SENTIVE / VtuberPlus

制作:VtuberPlus / SANTUARIO



ノベルゲームコレクション Vol. 1

『ARTIFICAL ANGEL ~人造天使は終活したい~』

ノベルゲームコレクション Vol. 2

『異世界転生 Hron of Revelion ~最後の天使と4人の勇者~』

オリジナルソングアルバム 『ARTIFICIAL ANGLE'S ENDING NOTE』


https://youtu.be/9K1hoiGdMeg


作詞:荒毘妃ヤミン(YaminBismillah)

作曲:VtuberPlus (SunoPro)

編曲:VtuberPlus

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