日光と月光
カシャという音がした。
間があり。
ギザギザした刃のようなもの。
突きつけられたのは記憶にあるが、その後は振り切って車で移動。
サタは護衛を勤めていた。
厳密に言うと、今も勤めているのだが。
今の場合、眼を潰されているザウのためにしてやれることは少ない。
車は大破し、逃れた先は国境を越えていた。
追手がもう車ごと、どこかに突き出しているだろうが。
ザウが無事ならサタには、それでよかった。
望遠鏡を滑車へ載せて、移動する。
天頂の星。
今しようとしているのは、天体や星座を見てみようかという、のんびりしたもので。
非常の割に。
のんびりと言っても、逃げている最中の。ほんの束の間のことである。
ザウは引き続き追われている身だし、サタにとってもこの、のんびりというのは嘘に近いものだ。
もっとも、「嘘」というのは、ザウが追われている理由として挙げられるものだった。
のだが。
望遠鏡をのぞいて空を見つめるのは、サタの役目だ。
彼女は眼を潰されている。これは幼い頃からなのだそうで。
最もそれが好機ともなったか、潰れた眼の代わりに、人には判らないものが分かるようになったという。
人一倍見えないものを見た。
聞こえないものを聞いた。
命があるものの何かも、ないものの何かも。
今世がどうとか来世がどうとかで、ザウには独自の考えが出来ていったらしい。
サタが護衛になったのは、ザウが教祖になったあとだったから、あまり彼女に関する昔の詳しいことは、よく知らなかった。
所詮、今となっては製品番号も型も「古い」ロボットに過ぎない。
そもそも、ザウを車に乗せて逃げて来たのもサタであり、ハンドル操作中に気を取られて弾丸を隙間に打ち込まれるのを許したのも、自分の機能が少しずつ衰えてきているせいだから。
かもしれないと、考えていた。
まあ、国を越えているから数日は稼げるはずだ。
どこまで逃げれば安全かも、よく分からないが。
サタはザウの顔に巻かれた布を取った。
二つの空いた眼窩に収まっている義眼。
あまり普段、人前では見せないのである。
それが異様に光っている。
「傷はどう?」
サタは訊いた。
ザウの足の表面には、車が横転して、それから少しずつ火が回る前に。
ドアを辛うじて開けて出た時に切った。怪我が、まだ残っている。
今は二日目に差し掛かるところ。
一時の滞在場所となっているこのキャンプ場の、周辺人物に身分はバレていない。
「それはいいのよ。ねえ、私の教義は嘘だったと、あなたは思う? 私は、自分の教えを他の悪い方に使おうと思ったことは一度もない。星座が出ているのよね」
「出ている。あれは、確か」
「オリオン座」
とザウ。
「見えてはいないの。でも、言ったでしょう。星座にも区別がある。人にも区別がある。私とあなたの存在する枠は、あの星座の枠とは違うと」
「この期に及んで、まだ難しい話を?」
とサタは苦笑いした。
「そもそも、あなたは見えていないでしょう。感じているだけだ」
「そう。でもあなたは空を見てしまった。災いが起こる」
ザウは眉をひそめて、低く言った。
批判する者も多かったザウの教団では、教義の中で陰謀論が強い傾向にあり。
ザウの言い分から逸れた行為をした者には、災いが降りかかる。というのが、無論。ほぼ常識になっていた。
事実、教団に入るための研修期間で、信者たちは徹底的に災いに巻き込まれた。
ザウの教団に入った者は、まず、夜の空。星座を見ることが出来なくなる。
「本当に起こるの?」
とサタ。
「もうすでに、大きな災いは起こってしまったようなものだが」
銃弾を撃ち込まれた上にハンドル操作を誤って、追手に一方的にやられたようなものだった。
幸い、二人共捕まえられてはいないものの。
「空を今のように、見ている余裕なんて。なかったじゃない」
とサタは付け加えつつ。
人工皮膚が剥げてしまっている。
周りの人々にバレる前に。
とはいっても、その夜は結局。
天体の話を普通にして、普通の人々。
ザウの教団内ではなく、別のものを信じて憚らない人や。
あるいは何も信じていない人と同じように、ザウとサタは空を見た。
月光。
時間が経てば日光が来る。
日光が出てくる前に、キャンプ場を離れるかどうか。
ザウの教義の言及は、医療関係者への個人攻撃という形にまで及び。
一層の反感を買った。
謀反のようになるのは、信者の彼らが「普通の生活」へ戻ってからである。
教団内での災いに慣れ過ぎたぶん、ザウの教義へ疑いを持ったあとの反応は、激しいものになる。
それが常だった。
今ではこうして、追われる身となっている。
もちろん、目立った表沙汰にはならない。
何故なら、教団のトップは既にザウの分身、否、代役を立ててあるから。
あくまでこちらは、裏で起こっていること。
本物が消されようが消されまいが、ザウの教団は残るのだ。
「あなたは謀反を起こしてはいないけれど、私の教義を信じていないみたいね。まだ」
とザウはサタへ言う。
「あなたこそ、教義を守るべきなのに」
ロボットには災いが、降りかからないのである。何故か。
「それよりも今は、どう逃げるかを考えなければ。二人とも殺られる」
とサタ。
「違うか。最も、私は死にはしない」
「そう。普通のスクラップになるだけね」
とザウ。
その後、ザウは眠った。
サタは少し後悔した。
星座を見る余裕があったのなら、とっとと逃げておけばよかったのだろう。
だが車は大破した。跡形もなかった。
サタの一方で、ザウには逃げる気すら失われているように見てとれた。
その通り、災いである。
日光が出てくる少し前に、ザウが捕らえられた。
捕らえるといっても、それも表沙汰ではない。
ザウは自らコテージを出た。
そこを、捕らえられたというより、何気なく二人連れで歩き出したのである。
後ろ手で縛られている。
ナイフの先が薄い光の中で、明滅が薄い中で、サタに見えた。
レーダーで見なくとも理解出来た。
数センチは、ザウの身体へ食い込んでいる。
ザウを信じて、星座を見るのをやめるべきだったろうか?
それにしても、速い。
殺すしかないだろうか。
反射で動き、ザウの身体からナイフを抜いたところで。
無論、サタも捕まる。
ああ、これで全機能停止になるだろうな。
「カシャ」という音がして、サタは眼を開ける。
ザウが笑っている。
彼女は、ナイフで刺されたところが血で滲んでいる。
気付くと、車内だった。
辺りは暗い。
サタは、ハンドルを握っていない。
握っているのは、ザウ。いや、誰?
サタは、まず自分の脇を見た。
血が滲んでいるのは明らかである。
刺された痕のようだ。
手を見る。
人工皮膚は、剥げている。
車内に二人。
ザウとサタのみなのだが、私はハンドルを持っていない。
そもそも、私は護衛をしている身ではなかったか?
銃弾が飛び込んで来たのが分かった。
ハンドル操作の誤り。
それもそのはずだ。
ハンドルを操作している者は義眼の持ち主。
大きく車は横転した。
乗り上げ、ドアの隙間を確保するのがやっとだった。
「ザウ」
と呼びかけられる。
「出られますか」
切れた。足の表面。
人工皮膚ではない。本物だ。
おかしい。血が滴っている。
同じことになっていなかったか?
先程も?
いや、二日前の夜だったはずだ?
車から辛うじて出て、というか引っ張り出された。
体を持ち上げられて、運ばれる。
火が上がっている。
「ザウはどこ……」
やっと訊いた。
「動転しているね」
と相手、彼女は微笑む。
銃声。
「あなたの名前でしょうに」