いくつかの太陽
公園に着いた春花は、ふとブランコの方を見た。いた。
今日もいる、金髪の三つ編みの女の子。綺麗な金髪とは対照的に、いまいち感情が読めない曇った灰色の瞳が、3日前に公園の去り際に見てからずっと忘れられなかった。
春花の性格は社交的と言っても内気と言ってもうそになる。
いわゆる普通の女の子だった。だから、いきなり声をかけてびっくりされないかな、とか、でも、声かけてみたい、とか、いろんな気持ちが胸の中でごちゃごちゃしていた。
だけど、なんかもう 色々考えるの面倒だな‥‥。
「こんにちは、いきなり声かけてごめんなさい、金髪、かわいいな‥‥って思って」
思い立った時には少女の前にいた。言い終わった後に、自分の行動がテレビ中継の時差みたいに意識に降りてきて、苦しくなった。突飛なことをすると、緊張と後悔とがないまぜになって胸が締め付けられる。けど、びっくりしたのは何よりも目の前の女の子の方だろう。灰色の目を大きく開いてから、瞼をぱちぱちしている。
「ありがとう、ございます‥‥。」
伏目がちに女の子が言った。かわいい声だな、と思った。でも、何かどこかで聞いたことのあるような声だった。なんでだろう、緊張を保ちながら、左手の拳がゆっくりと弛緩していくのを感じた。
「わたし、中学2年生の春花っていいます。」
「わたしも同い年!花乃です。」
「え!うれしい!っていうか、すごい花乃ちゃんって感じする!笑」
「ほんと?ちょっとこの名前言いにくいんだよね」
「そうかな?良い名前だと思うよ?」
「ありがとう!どこらへんに住んでるの?」
「この近くだよ、第一小の裏あたり」
「え、わたし第一小通ってた!」
花乃ちゃんは遠くで眺めているよりも、話してみると、良い意味で普通の女の子だった。帰る時に、高そうな形の綺麗な黒のコートを羽織った時は、ちょっとびっくりしてしまったけど‥‥。思ったより話が弾んで楽しかった。昔から友達だったみたいだ。久しぶりの経験に春花は良い気分になった。あの時、声をかけてよかった。花乃ちゃんと連絡先も交換した。
そうだ、折角だし何か送ってみよう。花乃ちゃんのLINEを探す。はなの、と設定された彼女のアイコンは初期画像だった。珍しいな、初期設定のままなんて。中学2年生の女の子は週ごとにころころアイコンが変わっていくような子が大半である。海外のアーティストのアイコンからキラキラに加工されたいちご飴の写真まで、みんなは何色にも染まっていく。そんな中でカラフルな友達リストの中にある、灰色のアイコンはどこか現実味を欠いていた。そもそも、花乃ちゃんは苗字も知らない、公園であっただけの女の子だ。春花はさっきまでの会話の輪郭が少しずつぼやけていくのを感じた。まあ後にしよう。スマホを閉じた。
翌週の木曜日、珍しくLINEの通知が来た。誰だろうと思って、それまで見ていたTwitterを閉じ、LINEを開くと花乃ちゃんからだった。
「今週末、一緒に映画観に行かない?」
自分が送るならともかく、まさか花乃ちゃんから何か送られてくるとは思わなかったので、最初見た時、送り間違えられてると思った。けれど、続けて、
「春花ちゃんは桜が咲く前にもう観た?」
と送られてきたので、やっぱり自分宛だったのだと、驚くような、安心するような、気持ちが絡まる。『桜が咲く前に』は、今流行っている恋愛映画だ。春花も観に行きたいとは思っていたが、少し年上の俳優が出ているそれは中学生には敷居が高く思われて、結局行かないパターンだなと自分の中でぼんやり思っていた。けど、花乃ちゃんと一緒なら、なんだか凄く素敵な気がする。
「見てないよ!わたしも観たいと思ってた!一緒に観に行こ!」
週末が少し楽しみになった。
日曜日になり、花乃ちゃんと渋谷で落ち合った。別に近所の映画館でよかったのだが、なんとなく、渋谷で『桜が咲く前に』を観る人になりたかったのだ。それにもし話題が尽きても、色んなお店を回れるなとか、思ったりした。これは電車で思いついた後付けなのだが。花乃ちゃんは今日も金髪の三つ編みに黒いコート、ベージュの大判マフラーをしていた。雑誌の中の子のようなおしゃれな出立ちに、ダウンジャケットにロングスカートの自分が惨めに思えてくる。持て余して、ダウンジャケットを撫でて上から綿を圧縮したりしていると、
「春花ちゃんの服、かわいいね」
と褒めてくれた。嘘か本当かはよく分からなかったけどなんとなく
「ありがと??」
と返すと、2人で笑った。公園で盛り上がっていた時の記憶が少しずつ蘇ってきた。
映画を見終わった私達は無言のまま、大通りを外れた狭い喫茶店に寄った。お互い渋谷の喧騒に疲れてきていたので、こじんまりした、人の少なそうなそれを見つけた瞬間、目を見合わせて黙って合意を結んだ。扉を開けるとカランコロンと爽やかな鈴の音が鳴った。
「映画、面白かったねー。」
「面白かったけど、結局恋愛映画って最後死んじゃうのなんなの。」
かわいらしい見た目に反して、花乃ちゃんから厳しい意見が出たのがおかしくて、わたしは笑ってしまった。
「ね、1人になるって寂しいよねえ。」
急に涙が出てきた。なんとなしにした発言が口に出した瞬間、ゆっくりと心に染み渡っていくようだった。抑えつけていたものが、突然何かから解放されたようだった。
「何!?急に!そんな感動してたの?!」
「そうじゃないんだけど、一人って考えたら急に悲しくなってきた。」
「ええ、大丈夫‥‥?わたしね、‥‥」
花乃ちゃんが何かを言いかけて口篭っている。困らせちゃってごめん、と思った。でも、何か胸につかえていたものを今なら下ろせる気がした。わたしは止まれなかった。
「わたしね、友達といても、家族といてもなんか一人でいるように感じちゃうんだ。学校で友達がいないわけじゃないんだけどね、話す相手はいるんだけどね、でも何か気持ちは一人なの。どこにいても、何をしても、結局誰もわたしの気持ちを分かりきることはないんだろうなって思うと急に寂しくなる事がある。自分に湧き上がった気持ちを自分で認めることで満足しなくちゃいけないよね。でも自分に自信がないから唯一の理解者が自分であることがずっと受け入れられてない。なんかいきなりこんなこと話し出しちゃってほんとごめん‥‥」
花乃ちゃんはゆっくり口を結ぶような仕草をした。それがどういう意味であるのか、わからなかった。花乃ちゃんも多分分かっていないだろう。ただ、困らせている。そう感じた。
「じゃあ春花ちゃんは、わたしと別れた帰り道、やっぱり一人だってまた寂しくなる‥‥?」
「どうだろう、まだ帰ってないからわからないな 笑」
「春花ちゃんってさ、天邪鬼だよね。多分自分もそばにいないよ?」
黙ってしまった。わかるような、わからないような曖昧な言葉がゆっくりと心を刺していく。花乃ちゃんが慌てたようにくしゃっと笑った。作られた笑顔だった。でもそれが、とっても魅力的に、春花には映った。
「でもさ、先週金髪褒めてもらって、わたし凄く嬉しかったな!」
「だってすごくかわいかったもん!つやつやで、天使みたいだった!」
「ブリーチすれば全員なれるよ。」
「いやそういうことじゃないよー!あと、わたし、花乃ちゃんの灰色の目もすっごく綺麗だなって思ってた‥‥。」
「カラコン入れればなれるって。」
「そういう話なの?」
「そうだよ、だいたい全部そうなんだよ。みんな等しく、替えが効くんだよ。わたしみたいな子もいっぱいいるよ。」
「悲しいこと言うね‥‥。」
「でも、替えが効くからがんばるんだ!春花ちゃん、わたしの手を握ってみて。」
差し出された手は見た事がないくらい、白かった。生気のない白だった。わたしはゆっくり壊さないように花乃ちゃんの手を握った。凄く冷たかった。ただ、それが自分の手であることに気づくまで、時間はかからなかった。花乃ちゃんは目の前にいなかった。途端に怖くなった。もう帰りたい。わたしは急いでレジに向かった。
「440円です。」
自分が頼んだアイスコーヒーの分しか請求されなかった。
「一人でしゃべってらっしゃいましたけど、電話でもなさっていたんですか?」
「え‥‥」
「すみません、ちょっと気になってしまって笑 またお越し下さい。」
驚いた。恥ずかしくなった。わたしは一体誰としゃべっていたんだろう。嫌に自分をさらけ出せると思った。でもそれは幻だったの‥‥?
私は結局どこまでも一人だ。そうやって確信が深くなるうちに心の裂け目も深くなっていく。目の前の寂しい小道を夕陽が照らしいている。でも、この太陽もいつか爆発した日には、また新しい太陽が出てくるんだろうな、投げやりにそんなことも思った。非現実なのは分かっている。ただ、わたしのなかで、それは紛れもなく、暗く、深く、事実だった。ポケットに突っ込まれた映画の半券はぺらぺらで、次の日も、またずっと次の日も、取り出されることはなかった。




