怨念の一塊
黒い粉末状の靄が一人の人間を中心に集まって行く。数千の人の骸が塵芥に還り、吹き散らされていた物が渦巻いていた。
『Mission 怨念の塊を浄化せよ!!』
すっごい無茶振りが来た。人外と戦えるメンバーは信長、ジーン、ジル、そして俺だ。
「天田、この刀を使え」
「それは織田家の当主にしか使えないのでは?」
「ふん、なぜか貴様なら使える気がするでな。……最後の力をこめて矢を放つ。
あの怨霊を少しでも弱らせよ」
「何とかやってみます」
「ふん、こういう時に大口をたたかぬのは貴様らしいな」
全身から汗を滴らせ、息を弾ませつつそう告げる姿に、逃げることは無理だと悟った。
「佐久間殿、すまんが兵をまとめておいていただきたい」
「うむ、承った」
雪斎の異変を感じるとすぐに兵をまとめて引き返していた。今川の敗残兵も救助して引き取っているあたり、さすがは退き佐久間であった。
川の向こうではジーンが聖句を唱えている。
「主よ、貴方の威をわたくしに貸し与えてください。迷える御霊を天に還す力を!」
ジルの鎧と剣が光に包まれる。そこに何か黒い塊が飛んできた。
「グガアアアア!!」
ジルが獣じみた雄たけびを上げてその塊を斬り飛ばす。
そこで理解した。あれは雪斎に吸収された死人の成れの果てで、生を憎む亡者の塊だと。
「ええい、ままよ!」
ここで突っ立っていても仕方ない。それに殿の前で敵に後ろを見せるのは、別の意味で死を意味していた。仮にここで生き残ったとしても敵前逃亡は切腹ものだ。
先ほど佐久間衆が渡り切った川の浅瀬に踏み込み一気に渡ろうとするが、やはり水の抵抗に足を取られ、前に進まない。
「オオオオオオオオオ!」
苦悶の表情を浮かべた人魂が飛んできて俺に迫る。殿より借り受けた刀を抜き放つと刀身は結露したかのような水滴がついている。
白木の鞘は破邪の力を秘め、刃を振るうと霧雨を呼んだ。
「はっ!」
ぐっと足を踏みしめ、燐光を放って飛んでくる人魂に向け刀を一閃する。
手ごたえ一つなく、人魂はパンと爆散した。
「殿! こちらへ!」
ジーンの呼び声に従ってジルの背中に隠れるように駆け込む。
「殿、ジーンのこと、頼む」
「だめだ、ジル!」
ジルの来ている鎧が強い光を放った。
「うおおおおおおおおおおおおおお!!」
喉も張り裂けよとばかりの大声をあげて飛んでくる人魂を斬り飛ばしながらジルが駆け出す。
「あ22wせdrftgyふじこlp@」
雪斎だった者はもはや人の言葉を話すこともできないのか、悪鬼のごとき形相で何かを叫んでいる。
手を振ると黒い靄が塊となってこちらに飛んでくる。剣でさばききれないものはジルが体で受け止めていた。
「ジル、ジルウウウウウ!」
ジーンは滂沱の涙を流してそれでも眦を決してジルの背後について走る。
ジルの身体から徐々に生気が失せてきた。亡者の呪いと言えばいいのか、肌がどす黒く、まるで死者のような姿になっていく。
「ぐがああああああああああああ!!」
獣が断末魔を上げるかのような雄たけびと共に、ついにジルの剣が雪斎の身体を捉えた。その剣先は雪斎を袈裟懸けに斬り、そのまま通過した。
「なっ!」
驚きのあまりジルの動きが止まる。すっと突き出された指先がジルの胸板を貫いた。
「グガ、ガ、ガ……」
ごぶりと口から大量の血を吐き出す。
「くっ、これならどうだ!」
ジーンの攻撃もその身体をすり抜けた。
『見切りスキルが極限状態で昇華しました。心眼が発動されます』
システムメッセージと同時に、体感時間がものすごくゆっくりになる。透き通るように見える雪斎の身体で、眉間に一瞬見えた☆マークに向けてすれ違いざま刀を振るう。
パシッと何かを叩いた感触があった。気合と、決死の覚悟と、これまで磨いてきた刀術の型。そのすべてが何かの拍子で噛み合い、刀の切っ先は最速で疾走り、自分の体感したことのない速度で一点を斬り裂く。
「はあっ!」
背後から裂帛の気合が放たれた。もろ肌を脱いだ殿が愛用の弓を構え、破魔矢を番え、放った。
熱田神宮の神職が清めた矢は、過たず雪斎の眉間を貫き、怨霊の核とでもいおうか、その根源となる一点を貫いた。
「……織田の御曹司よ。呪詛返しを破ってくれて感謝いたす。まさか人として死ねるとは思わなんだわ」
ぽつりとつぶやいただけの言葉であったが、この戦場に立っていたすべての人間の耳に届いたという。
「御館様、申し訳ありませぬ」
その一言を遺言として、今川の黒衣の宰相と呼ばれた太原雪斎は倒れ伏した。
「ジル! 目を開けて! ジル!」
ジーンが倒れ伏したジルに縋りついている。満足げな笑みを浮かべた彼の目は、もう開くことはなかった。
「見事なる討ち死にであった。その者の功を貴様が賞するがよい」
その一言に目の前がカッと熱くなる。わずか数日の付き合いとはいえ、ジルは友人と呼べる存在になっていた。
ゲームでNPCが死ぬなんてよくあることだ。そういう冷静な思考を押し流すような激情で、俺は涙していた。
矢作川を渡り、岡崎城に入る。戦後処理は暗澹としていた。岡崎衆の戦死者の名を読み上げるたびに酒井殿の顔がゆがむ。
松平の連枝衆や、重鎮であった大久保、本多らの一門の戦死者が多く、そもそも当主となる嫡子がいまだ年齢一桁だ。
「酒井よ。貴様を岡崎城代に任ずる。竹千代は清須にて預かる。また今川が攻めてこんとも限らぬでな」
「は、ははっ!」
「安心せよ。城主は竹千代である。元服の後に岡崎にもどすと確約する」
金打を鳴らし、その言葉の裏付けとした。また隣では祐筆の武井殿が書面を作成している。
松平の幹部のみならず、織田の重鎮もいる中での宣言ゆえに、これを破れば殿の名は相当に傷つくこととなる。
死人の軍勢であったことは一つだけ利点があった。狼藉を働いた形跡がないのだ。無論飢饉や疫病で村には相応の損害が出ているが、そこにあの軍勢が狼藉を働いていれば、西三河から人がいなくなっていてもおかしくなかった。
そう考えると、雪斎の考えは安祥を落として竹千代を捕らえ、西三河統治の名分にしたかったということであろうか。
なお、清須より兵をまとめて息も絶え絶えに駆けこんできた権六殿が、いくさは終わったと聞いて半狂乱になったことは日ごろの彼の武者を知るものとして笑い話になったようである。
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