うつけ殿の決意
尾張に帰還すると蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「若殿が美濃の手の者にさらわれた!」
「いや、すでにだまし討ちにあったと聞くぞ」
「美濃へ行くと書置きがあったというがなぜそのようなことをせねばならん。おかしいであろうが」
「しかし書置きは若の字であったと祐筆殿も言うておる。であれば?」
「平手殿の謀反じゃ!」
流言飛語とはこのような状態のことか。ちなみに若殿は出立時と同じ、護衛の武者と同じいでたちである。
美濃からは明智十兵衛殿が姫の輿を守りつつ同行していた。
「おお、平手殿! 若がどこにも見つかりません! 何か知りませぬか?」
復命のため古渡の城に戻ると、若お付きの家臣が涙目で縋りついてきた。
その問いに平手殿は海よりも深いため息を吐く。
「うむ、知っておる」
「若はご無事なので?」
「問題ないぞ」
すごく疲れ切った顔でだるそうに返答している。気持ちはよくわかる。感情の振れ幅が大きすぎて表面に出せていないのも。
「おう、今帰ったぞ!」
そんな空気を読まず、若が傘をとって声を上げた。
「「若殿!?」」
右往左往していた小者たちは目を見開く。
「ん? 我の顔に何かついておるか?」
注目を集めたことに気づき何やらポリポリと頬をかいている。
「……普段の格好と違い過ぎるからでしょう」
「お? おお! であるか」
普段はいわゆる傾奇者の服装で領内を練り歩いていた。お付きの小姓たちも似たような格好だ。
それが今は身だしなみを整え、重臣である平手殿付きの武者の姿だ。
「ほええええええええ……」
大殿に仕えて長い家臣たちもまるで呆けたように若の姿を見ていた。
「若殿! このようなことをされては困りまするに! 貴方様は当家の跡継ぎにございますぞ!」
そんな中、おそらく同じように泡を食っていた重臣の一人、林佐渡殿が眦を釣り上げて苦言を呈してきた。
「うむ。このような悪ふざけは金輪際せぬ。手間をかけたな」
普段は木で鼻をくくったような返答をする若が、真面目に答えている。同時に行状をあらためるとも口にした。
あまりの衝撃に林殿は自らの頬をつねり上げている。
「若、若にございますよなあ? まさか狐狸の類に化かされておるのでは……」
「佐渡よ、我にも思うところがあったと致せ」
「は、はあ。……あ! 大殿がお待ちにございます。すぐに向かってくださいませ」
「承知した。役目大儀」
ふと周りを見ると、若の変わりように同じく頬をつねっている者や、互いの顔を張り飛ばす小姓たち。そして美濃からの一行の説明に苦慮している平手殿がいた。
林殿と明智殿がにこやかに挨拶をしている。そして輿から降りてきた姫に再び場内がどよめいた。
「……若、まさか?」
「おう、我が妻は美しかろうが」
「つま!?」
「帰蝶と申します。よろしくお頼み申す」
その名前を聞いて林殿はさすがに腰を抜かした。
斎藤家との和睦で、若とあちらの姫が婚姻を結ぶことは水面下で決まっていた。ただうつけと名高いうちの若である。適当な家臣の娘を養女にして嫁がせることもあり得る話だった。
それが嫡出の姫をお持ち帰りしたのである。無論外交の成果としては最上である。同時に人質としてもだ。
問題はなんかいろいろとすっ飛ばして結果だけを持ち帰ったことなのだろう。場内は再び別の意味で大騒ぎになった。
「あなた様。何やら騒がしいですな」
「ふん、胆と腰の据わっておらぬ奴らよのう」
他人事のように言う二人を、なんとも似合いの夫婦だと思った。空気の読めなさも含めて。
若だけであるなら問題はないが、斎藤家からの使者を迎えるとあってはさすがに身支度がいる。
大騒ぎの帰還から一刻ほどを経て、古渡の広間に重臣たちを含めて集まっていた。
「政秀、役目大儀であった。報告を聞こうか」
「はっ、美濃斎藤家との和睦相成り、道三殿は嫡出の姫君である帰蝶様を若と娶せました」
「……うむ。三郎がやらかしたとは聞いた」
「道三殿は若のことをことのほか気に入られまして」
その一言に場がざわめく。当代きっての切れ者と尾張一の大うつけでどう話が合うのだというわけだ。
先のいくさで初陣ながら敵を討ち破ったが、その功績はなぜか俺のおかげということになっている。奇策を弄して敵を見だし、その隙に平手勢が敵を破った。というわけだ。
実はというか、当たり前のように若が全軍の進退を指揮した。先陣の手柄がないとは言わないが、最初に得た勢いをそのままに生かして敵を討ち破ったのは間違いなく若なのである。
ざわめきが収まりきらぬ中、若が帰蝶姫を連れて広間に入ってきた。隣に控えるように明智十兵衛殿がいる。
「父上、ご心配をおかけしたことお詫び申し上げる」
身だしなみをしっかりと整え、礼儀にかなった作法で挨拶する姿は織田の御曹司というにふさわしい振る舞いだった。
「結果が出たのでそこは良い。して何を思うておったのか?」
ぎろりと向けられる視線に一切怯むことなく答える。
「マムシ見物に」
その一言に大殿が吹き出した。
「……貴様らしい答えだのう。してマムシはどうであったか?」
「少なくとも人でありましたな」
「……」
「息子との対立に心を痛め、娘の幸せを願う一人の親でした。父上と何ら変わることのない心をお持ちでした」
「であるか」
「ゆえにちと思うところありましてな。正直に申さば、我に何かがあっても勘十郎がおる。そうとも思うておったのですが……」
「このたわけが!」
「そう、まさにそれなのですよ。うつけと疎まれているとばかり思うておったのですが、平手の爺をはじめとして我にも心を寄せてくれておる者どもがおる。そう気づいたのです」
平手殿は美濃で見た時よりも激しく号泣していた。というかこの人の感情表現激しいのって皆慣れているのか、すすっと周囲の人たちが手拭いや懐紙を差し出している。
「それに、守るべき者ができました」
晴れ晴れとした顔で隣にいる帰蝶姫を見る。直後に場の雰囲気がピンクに染まる。
「お初にお目にかかります。斎藤道三が娘、帰蝶と申しまするに」
「うむ。突然のことであったゆえ部屋などの用意ができておらぬ。那古野に順次手配しておる故、しばらくの不自由は許せ」
「はい。こちらこそ無作法をお詫び申し上げまする」
その艶やかな話しぶりに家臣たちは若が尻に敷かれるであろうことを理解した。
「父上、我は妻と、いずれ生まれてくる子を守る。そのためには尾張で争うておる場合ではないのじゃ。なんなら日ノ本から争いをなくさねばならぬ」
話の飛躍がひどかった。ただその言葉に感じ入った家臣も多かった。
「ふん、口先だけではあるまいな?」
「それはこれからの我を見て判断されよ。無理と思われたならば廃嫡でもなんでもするがよい」
「よかろう。期待しておる」
その晩は宴が開かれた。姫の前でもろ肌を脱ごうとする大殿を腕自慢の小姓衆が制圧し、同じく暑苦しい筋肉を披露しようとした権六殿を平手殿がキュッと締め落とした場面が宴会で一番の盛り上がりを見せた。
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