固めの杯
愚痴に付き合うこと一刻余り、ようやくひとしきりのボヤキが終わった。平手殿は慣れているのか平然としているが、若干背中が煤けていた。
若は途中から斎藤家の若侍と語り合っていた。何やら意気投合したようで軍略や政治について語り合っている。
「しかしあれじゃ。間者の報告では普段より傾いたいでたちと聞いておったでな。まんまと騙されたわ」
「む? 我のことにございますか?」
「うむ。そうしておれば凛々しき武者ぶりではないか」
その一言に平手殿が盛大にため息を吐いた。
「普段からこうあってくれればと、拙者はどれほど胃を痛めたことか……」
「なに、今しておる振る舞いは爺が教えてくれたものではないか。凛々しき武者とお褒めの言葉をいただいたは爺の手柄ぞ」
その一言に平手殿の涙腺が崩壊した。
「若、とうとうわかっていただいたのでございますか。織田の嫡子としての自覚についに目覚めたのですねえええええええええええええ!!!!」
若は隣にいた小姓から瓢箪を受け取ると、栓を引き抜く。そしてそのまま平手殿の口に捻じ込んだ。
「うぐっ!? うごごごごごゴゴゴゴゴごがー」
ふわりと酒精の匂いが鼻を突く。そういえば先日、傷を洗うのに酒を使うがよいと進言して、非常用に持ち歩くことになっていたはずだ。
両目の幅で涙を流しつつ酔いつぶれて眠った平手殿を若がなにやら優し気な手つきで寝かせる。
「ふむ、使者の任で相当疲れがたまっておったのであろう。任を果たした安堵で眠ってしまったようだのう」
シレっと言い放つ若に道三殿は再び笑いが込み上げてきたようだ。主従の信頼関係に何やら思うところがあったのだろう。なにやら良い笑顔をしている道三殿がふと思いついたように口を開いた。
「おお、そうじゃ。帰蝶を呼べ」
小姓がこの場の空気に耐えきれなかったのか、凄まじい勢いで駆けだした。真っ先に反応した一人以外はしまったという顔をしていたがまさに後の祭りである。
小姓衆の油断なき動きに若も感じ入っていたようだった。
「お呼びですか、父上」
しばらくして艶やかな着物に身を包んだ少女が現れた。なるほど、美濃一の美姫というのは盛っていたわけではなさそうだ。個人的な意見を言えば、父親譲りなのかやたら目つきが鋭い。ギロッと睨まれているような気持になるのだ。
「おう、そなたの婿が訪ねて参ったぞ」
「は? 何をお戯れを……」
道三殿が指さす先には若が笑みを浮かべて一礼していた。
護衛の服装ではあるが、それだけに精悍さが際立つ。もともと若はトレーニングが趣味みたいなところがあって、暇さえあれば馬を駆り、相撲に剣術など稽古を欠かさない。
「きゅん!?」
帰蝶姫が何やらへんてこな悲鳴のような声を上げた。
「お初にお目にかかる。織田三郎信長である」
若も何やら緊張しているのか表情が硬い。必要以上に背筋が延ばされ、膝の上に置いた手は何やらプルプル震えている。
「帰蝶にございまする。不束者でございますが、末永くお願いいたします」
なにやらその場で式を挙げそうな雰囲気になってきた。エフェクトなのか知らないが部屋の空気がピンク色に見える。
「……父上、長らくお世話になりました」
「ちょっと待て、お前まさか……」
「はい、このまま尾張に参ります。次に会うときは敵味方となっておらぬことを切に望みますが……敵となったならば容赦いたしませぬ」
ゾクリと背筋に寒気が走る。
「おい、お前は斎藤家の……」
「嫁いだならば実家と言うものは存在しませぬ。夫となる方に随身し、死ぬまで、いえ、死んでも地獄までお供いたしましょう」
重! クッソ重い! というかこの執念、マムシだ。まさにマムシの娘だ!
「おお、そこまで我のことを……うれしいぞ帰蝶殿」
ススっと移動して若の隣に座るとその腕をつかんでしなだれかかる。
「殿などと、他人行儀な。蝶で良いですよ。私の帰るところは貴方様のお側以外にありませぬ」
「う、うむ。であるか。なれば我もそなたを守るために死力を尽くすと誓おう」
どうすんだこれ。婚礼は後日とか言ったら二人そろって駆け落ちでもしかねないぞこれ。
さすがに途方に暮れていると道三殿とばっちり目が合う。さすがにこの成り行きは予想外だったようだ。
「よし、家中の者を集めよ。婚礼を行うのだ!」
さすが美濃を獲った梟雄。判断が速い。その一言でピンク色の空気に耐えかねた小姓たちが四方に散る。
うちの方は若の護衛に付いてきていた池田恒興殿が城下に残っている人員を呼びに走り出す。
そうして次の日にはとりあえずの婚礼の用意が整っていた。道三殿の手際パねえとか思っていると、昨日若と意気投合していた武者がすごく手際よく人を動かしている。
「お役目ご苦労様です」
「ああ、いえ。そういえば名乗っておりませんでしたな。拙者、明智十兵衛と申します。大殿……道三様のお側仕えをしております」
「おお、貴殿が」
「おや、拙者他国にまで名を知られるような働きはしておりませぬぞ?」
「いえいえ、器量ある方はそれとなくうわさが広まるものですよ」
「そういうものですか……?」
けげんな顔をしているが、何とかごまかせたようだ。
館の広間にはぞろぞろと人が集まり始める。地方にいる領主は間に合わなかったようだが、城に在番していた者は参列しているようだ。
「おお!」
若と帰蝶姫が手を取りあって広間の上座に付いた。その横には道三殿と、若の父代理として平手殿が座っている。なお目からは手拭いが手放せないようだった。
二人は盃を交わすと、互いに見つめ合って微笑む。また場の雰囲気がピンク色になっていた。
俺も先日同じようにしていたなーとのんきに思っていると、ダンダンダンと大きな足音が近づいてくる。
バーンと大きな音を立てて一人の男が広間に踏み込んできた。
目は血走り、額には青筋が浮かぶ。怒り形相そのままに、六尺の巨躯を震わせていた。
「父上、何をお考えか! 織田と和睦などと!」
「義龍、めでたき場じゃ。わきまえよ」
「なれば我が問いに答えていただきたい!」
「織田とは和睦をいたす。浅井の蠢動に岩村には武田の手が伸びておる。そこで尾張まで敵に回すは下策。そういうことじゃ」
「浅井からは我が妻を迎えておりますぞ? 西の憂いは無くなります」
「……いくさ続きで美濃は疲弊しておる」
「それでも! 尾張の……?」
義龍は怒りに目がくらみ、道三殿しか目に入っていなかったのだろう。この場も和睦のための儀式だと思っていたはずだ。おおむね間違っていない。
「……帰蝶? 今日は普段に増して美しいな、ではない! なぜに白無垢をまとうておるか?」
半ば呆けたようにつぶやく兄を前に、キリキリキリと糸で引っ張ったかのように眦が吊り上がって行く。つい今ほどまではデレッとしていた表情は笑顔を貼り付けた般若のようであった。
「兄上、我が夫を紹介しますわ。織田三郎様です」
「織田……三郎!? 尾張のうつけか!」
「これは義兄上。お初にお目にかかる。我も思いもよらぬ成り行きでな。挨拶が遅れた無礼、お詫び申す」
「は!? え?? ちょ!?」
うつけと呼ばれた若殿はそれを気にするそぶりもなく儀礼にかなった挨拶をする。
「当家と斎藤家にはこれによって縁が結ばれた。難しきことなれど過去の怨恨は飲み込み、親類としての付き合いを所望いたす次第です」
「お、おう。よろしく頼み申す」
若の勢いに飲まれて義龍は致命的なやらかしをする。和睦を容認してしまったのだ。若の横に座る妹の眼光に射すくめられて……。嗚呼、どこの兄も妹には勝てないのだろうか?
義龍に付き従ってきたお付きの家臣が暗い灯をともしたような目線でこちらを見ている。美濃との関係は一歩進んだように見えるが、いまだ波乱を含んでいるようだ。
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