美濃のマムシと尾張のうつけ
美濃の首府たる稲葉山城は金華山と呼ばれる険しい山の上にそびえ立っていた。金華山はもののたとえで、本来の地名は井口山であるという。
織田家の使者一行は井ノ口の城下町に逗留している。これまで何度か平手の義父上が下交渉をしていたらしいが、ついにはある程度の目途が立ったというわけだ。
「士朗殿」
「これは義父上」
平手政秀殿が俺の義父になった。と言っても智を養女にしてくれたということで、平手殿の娘と結婚したわけではない。というか妙齢の娘がいなかったということが大きかった。
ほかの家臣や場合によっては一門衆ですら俺との縁談に興味を示していたと後から大殿にぼやかれた。
智は美人で気立てもよい。ないのは身分だけだ。そしてそれが一番致命的であった。逆に身分とか伝統ある一族の方はこういうのだ。伝統ある当家に迎え入れてやるのだ、感謝しろと。
わからなくもない。大殿の寵臣となった俺と縁をつなぐことで利益を引っ張ろうとするのは当然のことだ。
「明日、登城するでな。供を頼むぞ」
登城と言ってもふもとの居館までだ。山頂で暮らすのはさすがに不便が過ぎるし、防御施設を他国の人間に見せることはないだろう。
他国からの使者に会うためと思われる館に案内された。上座にはやたら目つきの鋭い老人が座っている。
「斎藤山城守である」
こちらが座に着くとニヤリと笑みを浮かべて名乗ってきた。互いに護衛の武者が数人おり、俺は副使として平手殿の後ろに座っている。さらに後ろには護衛として最も腕の立つ武者を置いていた。
「は、こちら平手中務にござる。山城守様にお目通りがかない、まこと光栄にござる」
「なに、いくさ場では何度も顔を合わせておろう。いつぞやのいくさでは平手衆の殿の粘り強き戦いぶりに弾正忠殿をうらやましく思うたでの」
「それはそれは、この政秀、末代までの語り草になりますな」
なんだろう、あっちがマムシならこっちはムジナか。互いに化かしあっているように見える。
そもそも、平手殿が殿を勤めたという話は聞いたことがないが、おそらく井ノ口崩れの話なのだろう。あっちはこの前のいくさではうちが勝ったんだからなとこっちをあてこすっているわけだ。
別に間違ったことは言っていない。実際大殿は弟の信康様を失っている。しかし向こうも弱みがある。先だって美濃を通ったとき道三殿と嫡子の義龍殿の中が険悪であるという話だった。内輪もめは外部に漏らすべき話ではない。それが国中のうわさになっている。
少なくとも外敵を迎え撃てる状態ではない。いや外敵がいれば曲がりなりにも団結はできるのか。それでも迎撃の後に背後を襲われる憂いを作ることになりえる。
こちらも清須と対立することになった場合、尾張北部で背後に敵を抱えることになる。
要するに利害は一致しているのだ。むしろ尾張で勢力を増しているうちの方が有利かもしれない。だからこそ最初に出鼻をくじこうと井ノ口崩れのことを話題に出したのだろうか。
「そういえば先日、傾いた振る舞いをした武者がおったそうですな」
「ああ、楽田のいくさのことですかな?」
「うむ、白装束の裃に皆朱の槍を振りかざし、返り血で深紅に染まったとか聞き及んでおる」
平手殿がスッとうつむいた。わずかに肩が震えているのはガッツリと付いた尾ひれに笑いがこらえきれなくなっているのだろうか。
「ああ、当家の娘婿でしてな。士朗殿、挨拶をしなされ」
そう促されると、道三の笑みが深くなる。同時にギラリと刃のような眼光が見えた気がした。
「山城守様には初めてお目にかかり申す。先日より織田家に仕えております天田士朗と申します」
「ふむ。よき面構えをしておる。当家と弾正忠家は和睦することと決まった。そなたのような武者を敵に回さずに済んだ、というべきかのう」
「はは、これは過分なるお褒めの言葉にござる」
「いくさ場に立つとな、結局は運がすべてではないかと思うのじゃ。いかに綿密に策を組み立てようとも一つの偶然でひっくり返ることなどよくある話よ」
「……なるほど」
「優勢に敵を押し込んでおった先陣大将が流れ矢で討ち死にしてひっくり返ったとかな。そう思えばそなたにはなにがしかの天運があるのであろうよ。雨あられと降り注ぐ矢の中を駆け抜け、陣に斬り込んで傷一つ負っておらぬ」
「流れ矢に当たって死ぬならばそれもまた命運というものでありましょう。おっしゃる通り、俺はこの時代の日ノ本で何かを成すべくしているのかもしれませぬ」
「ふん、その天運とやらがよりによってあの弾正忠のもとに下るとはの。世の中ままならぬものじゃ」
腕組みをして瞑目する姿は何かに必死に抗っているようにも見えた。
「ふむ、平手殿よ。我が娘の婿になる三郎殿はいかなる者じゃ? ただのうつけにはあるまい」
「先の楽田のいくさで嚆矢を付けたのが天田ならば、勝ちを決めたのは若の軍略にございますな」
「左様か。一つ頼みたいことがある」
「何でございましょうか?」
「娘が嫁いで後、落ち着いたら婿殿とお会いしたいのじゃ」
「……かしこまりました。主に諮りしのち、また使いを出しまするに」
「うむ、楽しみにしておるぞ」
ああ、胃が痛い。光秀が謀反を起こしたのは本気で信長のパワハラ体質が原因じゃないだろうか。立場的に断れなかったんだよなあ。
「後日にすることは無かろう。のう、爺よ」
「……!?」
ギギギと軋む音すらしそうな動きで平手殿が振り向いた。ふと目線を上げると道三殿もぽかんとしている。
「織田上総介信長である」
「この……大タワケがあああアアアアアアアアアアアアア!?」
平手殿の絶叫は途中からひっくり返って怪音波と化していた。
「うるさいぞ、爺。そもそもここは出先ゆえ家中におる時のような振舞はまずかろうが」
これ見よがしに耳を塞いで見せながら若が空気を読まない発言をする。
「そ・ん・な場合かああああああああああああ! そもそもここは敵地。そんな中に若がいたらどうなるかわからぬのですか!」
「ん? どうもならんだろうが。仮に我が捕らわれたとなっても勘十郎がおる」
「そういう問題ではございませぬ!」
「それにじゃ。たった今和睦は成ったと舅殿がおっしゃったではないか。さればこれよりは身内であろうが。のう?」
唐突に話を振られ道三殿が再起動した。
「ぷ、くくくく、ぶひゃひゃひゃひゃははははははははははげらげらげら!!!!」
道三殿は爆笑していた。
「げふげふ……おぬしら主従は儂を笑い殺す気か? なんとも面白き見世物よな」
「若! 当家の恥をさらしてしまったではありませぬか!」
「爺が取り乱すからであろうが!」
「この状況で平然とできるなら苦労はありませぬわ!」
「であるか。まあよい。我はこのような大うつけじゃ。興味本位で単身敵地に乗り込むような、のう」
「ふむ……」
俺を見た時よりも道三殿の表情は険しい。大殿とは幾度も戦い手の内も考えもある程度は通じるところはあるのだろう。
そしてここに異次元の思考回路を持つ若が降臨した。道三殿の困惑はいかなるものか、と思っていると、すぐに愁眉を開いた。むしろ晴れ晴れとした表情で口を開くととんでもないことを言いだす。
「では婿殿、頼みがある」
「お聞きしましょう」
「もし、儂があのアホ息子と争うことがありましたら助力を願いたい」
「承知した」
「義龍の阿呆め、いいように重臣どもに操られおって……」
道三殿の愚痴はそこから一刻余り続くのだった。
読んでいただきありがとうございます。
感想、ブックマーク、いいね、ポイント評価、そしてレビュー。
全て作者の創作の燃料となっております!




