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「じゃあね」で始まり「おはよう」で終わる俺たちのラブコメディ

作者: 墨江夢

「じゃあ、またね」


 別れを示すその言葉を寂しく感じなくなったのは、一体いつからだっただろうか?

 微笑みながら去って行く彼女に手を振りながら、俺・鷹野慶成(たかのけいせい)はふと思う。


 小さい頃は、「じゃあね」という言葉が大嫌いだった。

 俺の家は両親共に海外勤務であり、数ヶ月に一回くらいしか日本に帰ってこない。

 2、3日一緒に過ごしても、その後すぐに数ヶ月に及ぶ別れがやって来る。俺にとって「じゃあね」はそんな長い別れの始まりで。

 その言葉は、寂しさの象徴とも言えた。


 俺の面倒を見てくれていた叔母には、勿論感謝している。でも……子供だった当時の俺には、やはり両親に対して恋しさがあった。


 高校生になり、流石に当時ほどの寂しさは感じなくなった。

 叔母の手も離れ、一人暮らしにも慣れてきたし。これを成長と呼ぶのだろう。


 ……いや、少し訂正。

「一人暮らし」はしているものの、一人で生活しているわけじゃない。今の俺には家族以外に、夕食を共にしたり夜一緒にテレビを観たりする相手がいる。


 コンコンコン。


 不意にベランダの窓が叩かれる。

 俺がベランダに向かうと、窓の向こうには先程別れたばかりの彼女・小田原璃子(おだわらりこ)が立っていた。


 俺が窓を開けると、璃子はルームウェアの入った鞄を掲げながら微笑む。


「来ちゃいました」

「いらっしゃい」


 女の子をいつまでも外に立たせておくわけにはいかない。俺は璃子を家の中に招き入れた。


 俺の家と璃子の家は、隣接している道こそ違えど隣同士だ。俺の家の裏が璃子の家、そういう配置になっている。


 元々は単なるクラスメイトという関係性だった俺と璃子だが、家が近所でかつ二人とも一人暮らしという共通点から仲良くなり、今ではこうして夕食等を共にする仲になった。


 付き合っているのかと問われると、答えは「付き合ってはいない」だ。

 お互いの好意を確認したことなんてないし、それ故にキスとかハグをしたことだってない。


 じゃあ好きでもない女の子を自宅に招いているのかと問われると、それもまた答えは「NO」だ。

 ソファーの上でだらけきった姿とか、料理をしながら無意識のうちに鼻歌を歌い、それを目撃されて真っ赤になる姿とか。俺は小田原璃子という女の子の自然体を、誰よりも近くで見ているんだぞ? 

 可愛いと思うのなんていつものことだし、好きになってしまうのも当然だといえた。


「それじゃあ、お邪魔します」


 学校では決して見せない表情をしながら、璃子は我が家に上がり込む。


 帰宅して始まる璃子との日常。この幸せな時間が訪れるからこそ、俺は「じゃあね」が大好きになった。

 




 璃子が来たというのに、俺は自室にこもって明日の授業の予習をしていた。

 彼女と喧嘩したから……なんて理由ではない。第一璃子を怒らせたら、速攻で謝るし。


 璃子がいるにも関わらず、俺が自室にこもっている理由。それは……現在璃子が入浴しているからだった。


 俺の家に通い始めた当初は、単に夕食を一緒に食べるだけだった。

 それから月日を重ねるにつれ、警戒心が薄れていったのか、今ではお風呂も我が家で済ませてしまっている。

 信頼して貰えるのは嬉しいが、彼女に恋慕している身としては、複雑な感情だった。


 璃子は「気にしないで良いですよ」と言っているが、俺の方が気になってしまう。だって思春期の男の子だもの。

 自らの煩悩を抑える為にも、俺は璃子の入浴中は、こうして自室で勉強しているのだ。


 璃子の入浴時間は、大体いつも30分くらいだ。だからこの日も30分が経過する頃合いを見計らって、俺はリビングに戻る。


 リビングのドアを開けると、案の定璃子がいた。……バスタオル一枚の姿で。


「悪いっ!」


 俺は慌ててドアを閉める。不可抗力とはいえ、女の子がバスタオル一枚でいるところを目撃してしまった。

 人の視力とは思いの外優れているもので、ほんの一瞬しか見ていないというのに、バスタオル一枚の彼女の姿が脳内にしっかり焼き付いていた。


「煩悩退散煩悩退散。……こういう時は、円周率を数えるといいんだっけ? えーと……」


 ヤバい! 焦るあまり円周率が1桁も思い出せない!

 辛うじて頭に浮かんだのは、「π(パイ)」の記号のみ。いや、煩悩なくなってないじゃん!


 俺が己の中の煩悩と格闘していると、リビングの中からドアが開いた。

 つまり、俺ではなく璃子が開けたのだ。


「どうしました、慶くん?」

「いや、何でもない。気にしないで……って、おい璃子! 格好!」


 俺の前に現れた璃子は、依然としてバスタオル一枚だった。


「?」


 璃子は一度自身の格好を確認した後で、「バスタオル一枚ですが、何か?」と言わんばかりに首を傾げてくる。

 無自覚かつ天然というのは、なんとも恐ろしいものだ。


「女なんだから、そういう格好を男に見せるんじゃねーよ」

「私がこんな姿を晒すのは、慶くんの前だけですよ?」

「お前な……そういう勘違いを誘発させるようなことを言うんじゃねぇ」

「勘違いではなく、事実なんですが?」


 そう。璃子は事実しか言っていない。

 言葉通り、璃子は俺以外の人間の前でバスタオル一枚になったりなんてしないだろう。

 だけど俺も男だということを、彼女にも理解して貰いたい。本当、こういうところはタチが悪い。


「……風邪引くから、早く服を着てこい」

「心配してくれているんですか? 慶くんは優しいですね」


 そう言って、璃子は脱衣所に戻っていく。

 脱衣所から戻ってきた璃子は、流石にもうバスタオル一枚なんてことはなく、ルームウェアを着用していた。

 ゆったりとしたルームウェアに身を包んだ彼女もまた、可愛らしくて。これはこれで、ドキドキが止まらなくなってくる。


「そろそろ夕食の支度でもするか」

「お願いしまーす」

「……手伝う気ゼロかよ」

「私は慶くんの手料理が大好きなので」


 俺が夕食を作っている間、璃子はソファーに寝そべってスマホをいじっていた。

 時折ニヤニヤしているから、SNSで面白い動画でも見つけたのだろうか。


 今夜の献立は、オムライスだ。

 パパッと作り終えると、俺は二人分のオムライスをリビングに運ぶ。


「何見てるんだ?」

「同棲中の彼氏をその気にさせる方ほ……んんっ! 可愛い猫の動画ですよ」


 可愛い猫の可愛い仕草は、癒されるからな。俺も後で見せてもらうとしよう。


「ところで、何時くらいに帰るつもりなんだ?」

「そうですねぇ……今夜は泊まっていくことにします」

「……さいですか」


「一人暮らしの男の家に泊まるなんて、何を考えているんだ!」なんてお決まりのセリフは、もう言わない。そんなの今更だ。

 俺の記憶が正しければ、今週だって既に3日泊まっているし。


 夕食を終えた後は、二人でテレビを観たりゲームをしたりした。なんだかんだ言いつつ、この時間が一番楽しかったりする。


 11時を回ったあたりで、明日も学校があるので今夜はもう寝ることにした。

 璃子を母さんの部屋で眠らせた後で、俺は自室へ向かった。


 翌朝。璃子が朝シャワーを浴びている間に朝食の支度を済ませ、彼女がリビングに戻ってくると同時に朝食を開始する。

 

 ルームウェアは持って来ていても、制服は自宅に置きっぱなしだ。璃子は来た時同様ベランダから帰っていく。

 

 それから20分後。

 自宅を出ると、家の前で制服姿の璃子が待っていた。


「おはようございます、()()()()


 挨拶をする璃子の微笑みは、一緒に食事をしたりテレビを観ている時とは違う。それはつまり、もう二人きりの時間ではないということを表していて。

 

「おはよう」。この言葉で、俺たちの幸せな時間は一旦終わりを迎えるのだった。





 それは夏のとある日のことだった。

 璃子が我が家に通い始めて、最初の夏。思い出作りの一環として花火でもやろうかと計画していたわけど、残念なことにこの日は生憎の夕立に見舞われた。


 光ってからすぐに音が聞こえるので、雷は近いのだろう。それに準じて、雨もかなり激しかった。


「これじゃあ多分花火は無理だな」


 とはいえ、別に夏は今日だけじゃない。

 明日も明後日もその次も、嫌になるくらい暑い日は続く。思い出を作る機会だって、沢山あるはずだ。


 雨が降っているとはいえ、気温や湿度はそれなりに高い。こういう日は脂っこいものよりも、さっぱりしたものの方が食が進む。

 そういうわけで、今夜の献立は冷やし中華に決めた。


「……にしても、今日は来ないな」


「じゃあね」をしてから小一時間、璃子は未だに窓を叩いていない。

 いつもなら帰宅して10分も満たないうちにやって来るというのに……何かあったのだろうか?


 もしかして、自宅で倒れているとか? 一人暮らしだから、助けを呼べずに困っているとか?

 ……いやいや、それは考えすぎだ。恐らく友達から電話がかかってきたとか、そんな事情だろう。


 冷やし中華を作り終えた。しかし璃子はまだ来ない。

 ……もし今晩は来ないつもりなら、連絡くらい寄越すだろう。璃子ならそれくらいの気を使う。


 連絡すらないとなると……流石に心配になってきたな。

 俺はベランダに出ると、なるべく雨に当たらないよう急いで小田原家のベランダへ向かった。


 小田原家の中は、明かりがついていない。……璃子のやつ、出かけているのか?


「おーい、璃子。いないのか?」


 窓を叩きながら、俺は璃子の名前を呼ぶ。果たして璃子からの返答は……なかった。

 一応の確認で、俺は窓に手をかける。すると、


「え? 開いてる?」


 驚くことに、窓の鍵が開けっ放しになっていた。


「お邪魔しまーす」


 いけないとわかっていつつも、俺は窓を開けて、小田原家の中に入る。

 リビングを進むと、すぐ近くで啜り泣きが聞こえてきた。


「……璃子か?」

「もしかして……慶くんですか?」


 璃子はリビングの隅で、体育座りをしながら縮こまっていた。

 どうしてそんなところで、身を縮こまらせて泣いているのか? それがわからない俺ではない。


「もしかして、雷が怖いのか?」

「……はい」


 俺が尋ねると、璃子は弱々しく頷いた。

 璃子が頷くと同時に、近くに雷が落ちる。その音を聞いて、彼女は「ひぃっ!」と更に怯えてしまった。


「慶くん、雷をどこかに追いやって下さい」

「俺は神様か。そんなこと出来るわけないだろ」

「それじゃあ雷より大きな声で笑ってみて下さい」

「そんなことしたらご近所さんから危ない奴認定されるだろうがよ」

「だったら――私が安心するように、優しく抱き締めて下さい」

「……そのくらいなら出来るかな」


 緊張がないといえば、嘘になる。

 それでも折角璃子が頼ってくれたんだ。彼女に男らしいところを見せたかった。


「えーと、こんな感じか」


 俺は後ろから、璃子を優しく抱き締める。すると彼女は、俺の腕をキュッと掴んできた。


「慶くんの腕……凄く安心します」

「そりゃあ良かった」

「ずっとこの腕で抱き締められたいと思っていましたが、まさかその夢がこんな形で叶うなんて。ちょっとだけ、雷が好きになりました」

「……璃子?」


 璃子が俺の顔を見上げる。

 雷に怯えるあまり顔面蒼白だったのに、いつの間にか頬が赤みを帯びている。


「好きです」


 微かにだが、璃子は震えていた。その震えは雷への恐怖によるものなのか、それとも俺に拒絶されることへの恐怖によるものなのか。


 俺は今、安心させる為にこうして璃子を抱き締めている。だったらこの告白に対する答えも決まっているはずだ。


 ……なんて、格好つけすぎだな。

 そんな大義名分がなくても、俺が璃子のことを好いている事実は変えようのない事実だった。


「俺も璃子が好きだよ」

「……本当ですか?」

「俺が今まで嘘をついたことがあったか?」

「……夕食がカップラーメンの日に、「今夜はステーキだ」って嘘をつかれました」


 ……あー。そういや、そんなこともあったな。

 

「嘘じゃないというのなら、雷が止むまで、こうしていて下さい」

「雷が止むまででいいのか?」

「……訂正します。いつまでも、私のことを抱き締め続けて下さい」


 いつまでだって、何度だって抱き締めてやるさ。


 その日から、俺たちは「じゃあね」を言わなくなった。その代わり、璃子が我が家を訪れる度にこう言うのだ。


「おかえりなさい」、と。

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