妹の貢がせアピール(笑)を妹の友人に相談する貢ぎマゾの話
「最近、くるみがおかしい」
「はぁ」
まだ夏の暑さが多分に残る9月の初頭。俺は目の前で麦茶をこくこくと飲んでいるエリカに、そう悩みを打ち明けた。
「んくっ、んっ……ぷはっ。おかしいって、何がですかー? 先輩」
空になったグラスを覗き込みながら、エリカはおざなりな態度でそう答えた。
「なんというか、急に言動が変わったんだよ。友達のお前なら何か聞いてないか?」
「知らないですねぇ」
「今まで言ったこともないような言葉を言ったり、やったことないようなことをやってみたり。可愛い妹が変な人間と関わっていないか、兄は心配でならないのだ」
「ほむほむ」
「一応、原因は分かってるんだけど」
「ほうー。おっ、まだある……」
エリカはグラスから垂れてくる僅かな水滴を口に入れようとしながら、どこまでも適当な返事をしてくる。おかわりが欲しいなら言ってくれれば良いんだが。
「その、お前は知ってるだろ? 俺の……『アレ』のこと」
「…………んー?」
その言葉を聞き、エリカはグラスを望遠鏡のようにこちらに向けてきた。それまで興味なさげな色をしていた大きな瞳が唐突に輝きを放ちはじめ、俺を見つめている。
と、突然グラスを置いたエリカは、
「――いや、ちょっと分かんないかもしれないなぁー! 思い浮かぶものはいくつかありますけど、本当にあってるかどうかまでは……」
にやにやと、明らかに分かっている口ぶりでそんなことを言ってきた。というか、いくつかってなんだ? そんなに沢山は無いぞ? たぶん。たぶん……。
「だから、その……俺の、性癖のことだよ」
「先輩の性癖とな。あー、ちょっとど忘れしちゃったかもなぁ。もう一度教えていただけません? ね、先輩?」
口元のにやつきを手で抑えながら、こちらに身を乗り出して上目遣いで見上げてくる。
ちらりとエリカのワイシャツの下が覗きそうになって、慌てて目線を上げた。
「ほらぁ、先輩。はーやくっ」
「……っ! だから! 俺が『貢ぎマゾ』だってことだよ!!」
「はーい、よく言えました。ちゃんと言えて偉いです!」
「う……くっそ……」
鏡で見なくても自分の顔が真っ赤になっているのが分かり、ぱたぱたと手で顔を扇ぐ。
「わざわざ言わせなくても良かっただろ……」
「こういうのもお好きかと思いまして?」
「すき」
「……即答は流石にちょっと引くかもです。ま、良いですけど」
そう、俺は何を隠そう、生粋の貢ぎマゾだった。
貢ぎマゾ。それは、いわゆるマイナー性癖の1つだ。
『マゾ』という言葉は、聞いたことのある人も多いと思う。いわゆる『いじめられて喜ぶタイプの人』のことで、典型的なパターンでは、黒くてテカテカしたスーツを着た女の人に鞭で叩かれていたりする。
貢ぎマゾとは、そのマゾの中でも、『お貢ぎすること』に快感を覚える人間のことである。大体の場合、お金を払う――貢ぐことで、貢いだ人物に何かしらの見返り(基本えっちなこと)を貰う。それが段々とエスカレートしていき、やがては破滅する、なんてシチュエーションも多い。
もちろん、それらの多くはフィクションなのだが、なかには現実に、貢ぐために借金を背負う人の話なんかもある。
それだけを聞くと、危ない性癖のように思えるかもしれない。しかし、使いすぎることは問題かもしれないが、自分が自由に出来る範囲のお金をどう使おうと、それは本人の自由だと思うのだ。
「だから、貢ぎマゾであるからと言ってそれがイコール破滅型のダメ人間であるみたいな論調は間違っていると俺は思うのだ!!」
「あーはいはい。何回も聞きましたからそれ。世間的に言ってダメ人間だと思いますよ。で、それが何でくるみちゃんにバレたんですか? ていうか私、同じクラスで友達のはずなのにあの子に何の相談も受けてないんですけどなぜに?」
「ああ。事の発端は1週間前の夜だった…………あんまり信用されてないんじゃないか?」
「良いからはよいけや」
こわい。そっちが聞いてきたから答えたのに……
その時、俺は日課のネットサーフィン中だった。
ひと通り巡回を終えたタイミングで、部屋のドアがノックされて、くるみが入っても良いか聞いてきたんだ。
当然断る理由もなかったので、俺はあいつを部屋の中に入れた。
ここに来る前に風呂に入ってきたのだろう、あいつの長い黒髪はしっとりと濡れ、肌は瑞々しく輝いていて……え、さっさと進め? 描写が長くてキモい?
……とにかく! 部屋に入るなり、あいつは俺に相談があるって言ってきたんだ。
その相談自体は大したことじゃない。そろそろ文化祭が近いだろ? だから、それ用にポスターを作らなきゃいけないらしい。そう、クラスの出し物を宣伝するためのやつだ。そのために、俺のパソコンを貸してほしいって話だった。俺のならソフトも入ってるしな。
特に目的があってパソコンを触ってたわけじゃないし、何より可愛い妹の頼みだ。ちょうど暇だったのもあって、パソコンを貸すだけじゃなく、ついでにポスター作りも手伝ってやることになった。
本当は、そこで気づくべきだったんだ。俺はその時、日課のネットサーフィンの途中だった。1人で、見たいものを見たいように見る、あの至福のひとときを過ごしていたん
だ。それならば、その巡回先には当然……
「えっちなサイトも含まれていた、と」
「……………………はい。正確にはえっちなサイトの購入履歴です」
「あー、うん。どんまい?」
こういうときこそ、にやにや笑ってほしいってお兄さん思うな……。
「そういえば、エリカも画像編集系のソフト持ってたよな? それも俺より全然良いプロレベルのやつ。なんであいつ、お前に頼まなかったんだろうな」
「え。……た、たぶん知らなかったんじゃないですかね!? 普段くるみちゃんとあんまりそういう話しないんで!」
何で急にそんなに慌てた様子なんだろう。
怪しさを感じ、追求しようとした俺に先手を取るように、エリカが声を上げた。
「そ、それで? 思春期真っ只中におにーちゃんがえっちな、それも大分アブノーマルなのを購入した証を見せつけられて『不潔っっ!!』ってなっちゃったわけですか?」
「と、思うだろう? 俺だってそうなるかと思って覚悟した。『洗濯物一緒に洗わないで』とか『こんなのが兄とか血が恥ずかしい』とか『同じ人間ってのがありえん無理』とか、言われるように……なるのかな、って……ッッ!!」
あ、やば。想像したら死にたくなってきた。ううぅぅ……。
「そこまで卑屈にならんでも。あのお兄ちゃん大好きっ子がそんなこと言いませんて。あーもう泣かないでください、よーしよし。というか、『なるかと思った』ってことは……」
年下の女の子に子供扱いなでなでをされ、俺の中のマゾ心が疼くと同時に少し元気になった。
「ぐすん……ああ。俺の性癖を知って忌避するのは、悲しいけれど、とても悲しいけれど、それでもおかしなことじゃない。俺だって父さんのパソコンからNTRものとか出てきたらショックだろうから。けど、そうはならなかった」
「なるほど、おかしいものを見せられたのであれば拒否るのは普通ですもんね。でも、何をするっていうんです? 学校にいるときは普段通りだったと思うんですけど」
得心がいったように頷きながら失礼なことを言うエリカに対し、俺も神妙に頷きを返す。
「はじまりは、あいつが俺のパソコンを見た次の日、学校から帰ってきてからだった」
『兄さん』
『は、はいっ!』
『私、今日1日ずーっと考えてた。それで、決めた』
『兄さんの性癖に私が口を挟むことは出来ない。だけど、兄さんが本当に悪い女に騙されたりしたら困る。だから――』
『私が貢がせてあげることにした』
「また極端なことを言い出しますねぇあの子は」
「だろう?」
あいつは昔から、こうと決めたら聞かないところがあった。それを分かっているからこそ、2人して苦笑いしてしまう。
「それで、先輩はなんて答えたんですか? もしかして、ついに可愛いご主人さまが現れて喜んだりしたんです?」
「まさか。現実と空想は別物だ。俺はそういうシチュの作品が好きなだけであって、現実で破滅するまでお貢ぎしたいなんて思ったことはない」
そう断言した俺に対し、エリカは胡乱げな目を向ける。
「ほう。じゃあ、どんな誘惑をされたとしても、欠片も心が動くことはないと?」
「……モチロン」
「…………」
もしかしたらほんのちょっぴり棒読みになってしまったかもしれないが、俺の意思は堅い。決して、女の子の誘惑に屈したりなどしないのだ。
「……ね、せーんぱい?」
俺がケツイをみなぎらせていると。唐突にエリカが甘えるような声を出し、すり寄ってきた。するりと俺の腕を絡め取り、自分のどう見ても平均以上ある胸元にぎゅっと抱き寄せる。必然、俺達の距離はぐっと近づき、栗色の髪からは女の子特有の甘い香りがふわりと漂ってきた。
「わたし、実は今欲しいものがあってね? 先輩がそれ買ってくれるならぁ……」
そこで一度言葉を切ると、エリカは驚くほど自然な仕草で唇を耳元に寄せ、こう囁いた。
「――なんでも、してあげる♡」
演技だというのは分かっている。さっきまで普通に話していたのに急にこんなことを言い出すわけがないのだから。
だが、演技だからこそ。こういうあざとくて、引っかかってはいけないと分かりきっている誘惑にこそ、貢ぎマゾは弱いのだ。
だから俺は、あっさりと堕ちた。
「な、なにが欲しいの?」
「……うそつき」
「んなっ!!」
罵倒されて悲しさよりも嬉しさが勝るのはマゾの性。ああ、今日も負けてしまった……。
「ほら、今もちょっと喜んでる。そんなんじゃあの子も心配するに決まってます。反省してくださいね?」
「すいません……」
叱られるのは別に嬉しくなかった。
「まぁ、良いですけど。私は先輩からかえて楽しかったですし?」
諦めるようにため息をつくエリカを見て、また少しだけ嬉しくなってしまったのは、バレていないと思いたかった。
「そういえば、その当の本人はどこいったんです? 私あの子が家で一緒に文化祭の作業しようって言うから来たんですけど」
「あー、多分買い出しじゃないか? 昨日教室の飾り付けする色紙が足りないってぼやいてたから」
「ふーん。まだかかるんですかね?」
「どうだろう。店出る時には連絡がきそうだけど」
くるみはいつも必ず、家へ帰ってくるときには俺に連絡を入れる。
たとえ俺が家にいなかったとしても、一緒に帰っているときだったとしても関係なく連絡してくるので、俺とあいつのトーク履歴は『帰る』と『了解』の不毛なやりとりがほとんどを占めている。
「……あ、色々悩んでるからまだ結構掛かるそうです。あと、連絡してなくてごめんって」
スマホを見ていたエリカから聞いたのとほぼ同じくらいのタイミングで、俺のところにもメッセージが届いた。それに適当に返事をしながら、
「じゃあ、もう少し悩み相談出来そうだな」
喜んだ俺に対し、エリカは乗り気ではなかった。
「えぇ……まだするんですかぁ。まぁ暇ですし良いですけど……先輩からだけの偏った情報聞いてもなぁ」
「気になるならあとで本人に聞けば良い。今は俺の話を聞いてくれ」
「それもそっか。よし、良いですよ? なーんでもくるみちゃんの大親友、エリカさんに相談してみなさい!」
「その大親友は俺から聞かされるまで何も知らなかったわけだが」
「相談して! みなさい!!!」
「いたいいたいいたい!!! 分かったから! 引っ張るのはやめろ!!」
こいつさっきから耳ばっかり責めやがって……感じたらどうするんだ。
仕切り直すため、麦茶をお互いのグラスに注ぎ、1口含む。
「で、どこまで聞きましたっけ?」
「あいつが俺に貢がせるって言い出したところまでだよ。具体的に何をしたかについてはこれから」
「あー、そっかそっか。それで? あの子が何をしたっていうんですか!」
「息子をかばう母親みたいな言い方するな」
エリカはあははー、と能天気に笑うと、少しだけ真剣な顔になって、
「でも、貢がせる、ですか。貢がせるためにする行動っていうと……もしかして、さっき私がやったみたいな?」
「……うん、大体そんな感じ」
「大体?」
きょとんとした目を向けるエリカに対し、俺はようやく、事の本題を話し始めた。
「多分、あいつが目指してるのはさっきお前がやったみたいな誘惑――色仕掛けなんだろう。だけど……」
「あー、あの子その手の知識ないですもんねぇ」
「そうなんだよ。それなのに、中途半端に調べたんだろうなぁ」
「というと?」
どこから仕入れてきたのか分からないが、くるみの知識はとても偏っていた……というか、重要な部分だけが間違っていた。
『……ハートが好きなんじゃ? いっぱいハートを使うって聞いた』
『そりゃセリフとか描写にな! 物理的にじゃない! ドギツいホテルかここは!!』
『そっか。学び』
『兄さん。耳、弱いの?』
『え? ……まぁ、うん』
『そっか。じゃあこれ』
『え?』
『マッサージ券。すごい気持いいと評判らしい。特に耳マッサージが』
『……そ、そうか。ありがとう?』
『うん。兄さんはマッサージが好き、と。学び』
『兄さん。このゲームで勝負。兄さんが勝ったら私がなんでも言うこと聞く』
『良いけど……』
『じゃあ、スタート』
『………………』
『…………………………ぴとっ』
『っ!』
『………………………………ぎゅっ』
『っっっっ!!』
『……………………………………やっぱりやめ』
『え』
『やめ。引き分けで良い。……兄さんの体は思ったよりたくましい。学び』
「てな感じだ」
「なんか最後だけイチャイチャしてませんでした?」
「……そんなことはない」
ないったらない。
「で、だ。俺はどうすればいいと思う?」
「どうって、きちんと話して安心させてあげれば良いんじゃ? 俺は悪い女なんかに騙されたりしないよ、って」
至極真っ当な意見を告げるエリカだが、そんなことが出来るならば最初からやっている。
「…………自信がない」
「は?」
「自信がない! もしここから先、可愛くて年下で甘やかすのが上手くて、だけどとびっきり性格が悪い女の子が現れたら、全てを貢いでしまう可能性が無いと言い切る自信が!」
「うわ、すっごく情けないこと言ってる自覚あります? しかも割と条件きついし」
エリカがジト目を向けてくるが、それでも俺はここだけは曲げられなかった。
自分が誘惑に弱いということに関しては、誰よりも自覚している。
「お前もさっき見ただろう! 俺はどんなに分かりやすい誘惑でも、それが美少女からのものであれば簡単に受け入れてしまう。少し思わせぶりな態度を取られるだけで、簡単に勘違いしてしまう!」
「まぁ、私レベルで可愛ければ仕方ないですよ」
「そういう態度もマズイの!」
「えぇ……? 冗談のつもりだったんですけど……面倒だなぁ」
貢ぎマゾは誰しも、『自分の可愛さをよく理解している女の子』に弱いものなのだ。
エリカは腕を組むと、「うーん」と唸った。
「あの子が心配してるのは、先輩が『悪い女に騙されないか』ってことなんですよね?」
「ああ。そう言ってた」
「つまり、悪い女にさえ騙されなければ、先輩がどんなにクズでカスで人として終わっていても何の心配もないと?」
「性癖自体に口を出すつもりはないらしいぞ」
俺が都合の悪い部分をガン無視しながらそう答えると、何故か突然そわそわとしだすエリカ。忙しなく体を揺らして、髪の毛を手櫛で撫で付ける。
「なら……それなら、わ、わたしが先輩の」
「ただいま」
「わひゃっ!?」
「あ、おかえり」
がちゃり、とリビングのドアが押し開けられ、件の妹が帰ってきた。
「えあ、な、なななんで!?」
「なんでって、買い出し終わったから。待たせてごめん。連絡したと思うけど……」
言われて、エリカはわたわたとスマホを取り出すと、「あ、ほんとだ……」とつぶやいた。
確認してみると、俺のところにも「今から帰る。遅くなってごめん」という連絡が来ていた。どうやら2人揃って話に夢中になっていて気づかなかったらしい。
くるみが急に声をかけたのに相当驚いたのだろう、エリカは胸を抑え、大きく息を吐いていた。
くるみは買ってきたものをエコバッグから出しながら、こちらに問いかける。
「2人で何してたの?」
「え!? あー……しりとり?」
「? そう」
少し首を傾げたものの、わざわざ問い正すほどではないと判断したのだろう。助かった……。
荷物を出し終えたくるみは、椅子に座り、満足気に頷いた。
「必要なものも揃ったし、これでようやく作業に入れる。ね、エリカちゃん?」
「あ、うん! そうだね!」
くるみに話しかけられ、ようやく立ち直ったエリカは、机の上に広げられたものを見渡すと、「あれ?」と疑問の声を上げた。
「ねぇ、黄色のオーナメントがないみたいなんだけど……」
「え? 嘘」
くるみは少し慌てたような仕草でバッグを漁り、次いでスマホをチェックしたかと思うと、肩をがっくりと落とした。
「……買い忘れた。というより、そもそもメモをしてない」
「あー、まぁ仕方ないね。今日は最悪なくても良いし、このまま……」
「買いに行ってくる」
慰めようとしたエリカの言葉を遮るように、くるみはエコバッグを持って部屋を出ていこうとした。
「え、ちょ、待った!」
「もう1回行くって、帰ってきたらもう作業の時間ほとんど無いぞ!?」
くるみは俺たちをじっと見つめると、こちらに戻ってきてすとんと座り直した。
「……それもそう。じゃあ、明日にする」
不満気ではあったが、一応言うことを聞いてくれたらしい。
「あ、じゃあ、先輩が買ってきてくれれば良いじゃないですか。それなら私達は作業できるし」
少しだけ落ち込んだ様子のくるみを気遣ってか、エリカの声は殊更に明るかった。
「俺? 別に良いけど……」
「やた! じゃあお願いします!」
「分かった。じゃあ行ってくるから」
「ちょっと待って」
なるべく速く帰ってくるに越したことはないと、さっさと行こうとした俺を、くるみが引き止めた。
既にリビングから出ようとしていた俺のところまで寄ってくると、俺の手に両手でエコバッグを握らせてくる。
家に帰ってきてまだ間もないその柔らかい手は外気で冷やされ、ひんやりとしていた。
思わずどきっとしてしまった俺を、くるみは上目遣いで見上げ、常にない、少し弱ったような――甘えるような声で囁いた。
「ごめんね、兄さん。頼んでも良い?」
「……お、おう。分かった、任せとけ」
「……もしかして、普段通りが1番効くのでは?」
核心を突くエリカの言葉を努めて無視し、俺は財布と渡されたエコバッグだけを持って出発した。
先輩が行ってからしばらく、私達は黙々と作業を続けていた。
最初に口を開いたのは、彼女の方からだった。
「昨日、また失敗した」
「ありゃ。今度はなんで? たしか昨日は、勝負をふっかけて色仕掛けで負かすプランだったよね?」
「うん。原因は分かってる。私自身に色仕掛けに対する耐性が足りなかった。……まさか、くっつくだけであんなにドキドキするとは」
その時のことを思い出し、肩――おそらく先輩と触れ合った場所だろう――をさするくるみちゃんを見て、私は小さく微笑んだ。
そう。先輩に言った『何の相談も受けていない』なんて、真っ赤な嘘。私は真っ先に彼女から相談を受けていた。
そうして、先輩が悪い女に騙される前に自分に依存させればいい、と彼女に吹き込んだのだ。
勘違いしないでほしいのだが、別にくるみちゃんを失敗させようと思っていたわけではない。むしろ、なるべく成功するように、『甘えるように、ハートを使うイメージで』とか、『耳が弱いみたいだから揉んであげたら?』とか、『色仕掛けで負かして言うことを聞かすのは鉄板』とか教えてあげたのだ。
知識がない彼女に対して少々乱暴な教え方をした自覚はあるが、全てをあんな斜め下に解釈して行動するとは思わなかったのだ。こればかりは仕方ないと思う。
元々の計画では、もう少し彼女が成功して、『最近妹が積極的に迫ってきて困る』と先輩が悩み相談してくる予定だった。その話を聞いて先輩をからかい、ちょっと私が実演して見せて、あわよくば先輩が悪い女に騙されないように私が代わりに……。まぁ、最後のは出来なかったが、結果的に計画は概ね成功と言っても良いだろう。
「ねぇ、次はどうすればいいと思う?」
っと、いけない。少し自分の世界に入り過ぎていた。
「うーん、そうだなぁ……いっそストレートに欲しいものでもおねだりしてみたら? 今欲しい物は?」
「兄さんが欲しい」
「わー、この上なくストレート」
私には絶対言えないセリフだ。
彼女には友達として、素直に頑張って欲しいと思う。兄妹なんて関係なく、せめて好きという気持ちくらいは伝えてほしいと思う。
だけどそれと同時に、私だって、とも思ってしまうのは、ワガママだろうか。
「ただいまー」
「あ、帰ってきた」
その後、しばらく彼女と今後の計画を練りながら作業をしていたら、先輩が帰ってきた。
聞こえた声に反応し、彼女は急いで出迎えに向かう。
束の間、1人になった部屋で、ぽつりとつぶやいた。
「悪い女の子に騙されるっていうのも、あながち夢じゃないかもですね?」
「……なーんてっ」