第一話「水の都 ミューレア」
カラカラと、馬車の車輪が乾いた音を鳴らす。
ゆったりと進んでいく馬車の横で、川の上に落ちた小枝が滑らかに流れ、視界の先へ進み、消えていく。
そんな様子を横目に、大量の汗を流すカインは息を荒らげた。
「ふんぬぅあぁあああ!」
その掛け声とともに、馬車が鳴らす音がわずかに大きくなる。
御者が座る位置に当たる場所に腰かけているリズが右手を挙げた。
「が、がんばれっ……! カイン……!」
「うん! 頑張るよ……ッ!」
アルリガード王国からルフィア、リズとともに脱出し、ルフィアにかかった呪いの正体を探すため、三人はダンダリアへの旅路を進む。
しかし、遠いダンダリアへはこの馬車だけで指名手配犯という肩書きを持ったまま辿り着くことは困難だ。
そのため、水運によって発展した水の都ミューレアでこっそりと川を使ってダンダリアへと向かおうとしていた。
「ほれほれ、私が現役のときは馬車の一つくらいサクッと引っ張ってたぞー」
「それは師匠だからじゃないですか……!」
「ん? 私が女らしくないって?」
「そんなことないですけど! 師匠は世界一可愛いですけど!」
「ふふん。ならか弱い乙女を運ぶために頑張ってね~」
「任されましたぁああ!」
汗だらけのカインの背中を眺めながら、ルフィアは荷台でごろごろと転がっていた。
その横で、「俺、仕事しなくてもいいの……?」って顔で馬が歩いていた。
カインは「大丈夫だよ。これは僕がやりたくてやってることだから。むしろここまで運んでくれてありがとう」って顔で笑っていた。
そんな優しさに甘えるように鼻を鳴らした馬も顔をカインにこすりつけて鼓舞を送る。
息も絶え絶えのカインが馬車を引っ張り続けること一時間。
ついに、目的地のミューレアが一望できる位置まで来た。
背が高い建物は少ないものの、その全てが巨大な二つの川に沿って作られており、その川が交差する中心に大量に存在する巨大な中州にも住宅などが立ち並び、数多くの橋が架けられ、その下をゆったりと船が通っていく。
「わぁー! カイン、カイン、ふね、たくさん……っ!」
「そうだね。特に問題なく、船に乗れればいいんだけど」
金銭的な問題よりも、やはり危惧すべきは指名手配だ。
ルフィアの顔が見られてしまうだけでも、船に乗ってダンダリアへ向かうことが困難になる。
アルリガード王国のときの同じように、表を歩くのはカインのみで、ルフィアにはリズとともに隠れてもらうのが一番なのだが。
「うーん。まずは宿を探して、仮の拠点にしないといけなさそうだ」
カインが呟くと、馬車の荷台からルフィアがひょっこりと顔を出した。
「そうね。あなたが休める場所も必要だし、リズもちゃんとベッドで眠らせてあげたいわね」
「はい。そうしたら、僕とリズちゃんで宿を借りて、師匠には忍び込んでもらうのが一番かなと思うんですけど」
「それもいいけど、もっといい場所があるわよ」
かつて世界中を冒険したルフィアは、以前もここに訪れ、滞在していたことがあるらしい。
カインがルフィアの冒険に加わる前なので、何があったのかはよく分からないが。
「町の外れに、古びた家があるはずなのよ。そこが残っていれば、誰かに顔を見られることなく休憩できるはずよ」
「今も誰もいないんですか?」
「いないはずよ。どっかの誰かが売り払ってなければね」
ルフィアが少し含みある言い方をしたので、カインは首を傾げる。
「お知り合いの家なんですか?」
「んー、そうとも言うし、違うとも言えるわね」
「な、なんですか、その言い方」
「別に気にしなくていいわよ。今はとにかくダンダリアへ向かうことが優先でしょ」
「そ、そうですけどぉ」
詳細が気になるのか、カインはそわそわとルフィアの顔を伺う。
子犬のような表情に耐えかねたルフィアは「無事に船に乗れたら説明するわ」とカインの頭を優しく撫でた。
ミューレアの入り口にたどり着き、カインは門に立つ兵士の顔を伺いながら会話をする。
どうやら、カインの顔はミューレアにおいてもまだ知られていないようだ。これなら、リズとの買い出しも問題なくできそうだ。
軽く荷台を兵士が覗く。
「人がいるのか?」
「はい。僕の姉なのですが、体が弱いので今は妹と一緒に寝ています」
「ふむ。それなのにここに?」
「実家へと帰る途中なのですが、馬の疲労が激しく、一旦ここで休ませてもらおうかと。足の怪我も不安なので」
「なるほど。まあゆっくりしていくといい。ここは多様な物資と人々が集まる街だ」
爽やかな笑顔で、兵士は道を開けた。
陸路は商人の通行が少ないため、門の警備はそこまで厳しくないらしい。
だが、
「あ、そうそう」
通り過ぎようとしたカインを呼び止めると、兵士はまっすぐな顔で、
「ついさっき、アルリガードから指名手配犯が逃げ出したという連絡が入った。ミューレアは近いから、もしかしたらこちらにも来るかもしれないらしい。気を付けろよ」
「は、はい……」
苦笑いを浮かべながら、カインは足早に町の中へと入っていった。
ミューレアを歩くこと一〇分。
街外れの居住区の、そのまた隅に、ルフィアの言う通り古びた家があった。
しかし、古びてはいるが廃れてはいない。
誰かが住んでいると言われても疑問に思わない程度には。
「少し生活感がありますね」
「知らない人が住んでる、なんてことにならなきゃいいけど」
フードを深く被ったルフィアがそっと物陰に隠れるのを確認して、カインが家のドアを開ける。
「お邪魔しまーす」
中へ入っていくと、間違いなく誰かが今もここで暮らしている様子が見て取れた。
壁にぶら下がる光沢のあるフライパンに、パンくずの残った皿に、一口分だけ飲み物の残ったマグカップ。
生活感があると言うより、むしろ今この瞬間にも誰かが食事をしていたかのような――
「動くな」
殺気。
突き刺すようなそれに気づいたのは、首元に当てられたナイフの冷たさを感じてからだった。
抵抗できず、声が出せないカインに対するは、低く太い声。
「どこの誰だかは知らねえが、勝手に人の家に入るなって簡単なことも教わらなかったのか?」
と、話しながらカインの剣に手を伸ばした男は、突然に息を呑んだ。
「お前、この剣は……ッ!」
声を荒らげた男の腕に力が入るが、その手が唐突に止まる。
「相変わらず、一度自分が優位に立つと油断する癖、直ってないのね」
「お前、生きてたのか……!?」
「そこの弟子に助けてもらってなんとかね」
「……そういうことか」
呟くと、男はカインに当てたナイフを離し、その刃を納める。
振り返って、男の風貌をようやくその視界に捉えた。
短く整えられ、刈り上げられた黒髪に、武骨で筋肉質な身体。
カインよりも頭二つ分ほど高い位置から、緑色の瞳が睨みつけていた。
「えっと、師匠。この人は……」
「俺の名前はエルガー。エルガー=クレシード」
ルフィアの代わりに、エルガー本人が答えた。
「その様子だと、俺のことを話さずにここに来たのか?」
「てっきり、放置してどこかでぶらついてると思ってたから」
「残念。今もここは俺の家だ」
エルガーは不満そうな顔で、
「正直、思い出したくもなかったよ。お前みたいな生粋の善人のことなんて」
「私だって、こんな状況だったら来なかったわよ」
やけに距離間の近い二人の会話を聞いて、カインが戸惑いの表情を浮かべると、ルフィアは深くため息を吐いて、
「こうなったら説明するしかないわね」
ルフィアは頭を掻きながら、
「この家は一〇代のときにエルガーと買ったのよ」
「え……? ってことは……」
「エルガーは、私の昔の恋人よ」




