唯一
玄関の木戸をノックした女は、暫時返事を待つように上げた腕を脇へ下ろして佇んでいたが、どれだけ待とうと中から誰何の声が返らず、諦めて立ち去るかと思えば、無遠慮に扉へ手をかけて引き開けた。
そして、他人の家へ躊躇いもせず足を踏み入れる。
灯りがなく薄暗い部屋には、入って直ぐの場所に木製のテーブルがあり、女が近付いてみれば、上に何やら小石のようなものが散らかされていた。
その内の適当な一粒を右手の人差し指と親指で摘み、目の高さまで上げて見入る。
如何にも叩き割った際に飛び散った破片のような、歪な形をしたその石らしき水色の塊は、女の知る、元は拳大の球だったものの残骸だろう。
そう思うのは、砕けた理由に心当たりがあるからだ。
「―――行ったの?」
沈痛な面持ちで破片を見詰めていると、玄関口から声を掛ける者が現れたが、女は振り向きもせず、ただ「たぶんね……」とだけ小さな声で返した。
静まり返った家の中では聞き取るに充分な声音だったのだろう、声を掛けた人物――女と同じサイレンは、やはり特に断りを口にすることもなく室内へ踏み入ってきた。
先にいた女の横に並び、こちらもテーブル上の破片を手に取る。
「……今頃はもう、目的を果たしたかな……」
「さあ……」
果たしたとしても果たせなかったとしても、確認する術は彼女達にはない。
何処にいるともしれない、この家の主だったサイレンの伴侶。
そして、そのサイレンの妹の仇。
家の主のサイレンは、稀なる〔転移〕能力者だった。
しかし、その能力に価値を見出さず、不要のものとしてただ一度使ったきりで、とうとうまともに活用することもなく逝った。
そのたった一度で作ったのが、テーブル上の砕け散ったオーブ――魔道具だった。
恋人である魔術師の戯れの産物で、使い切りの〔転移〕の道具。望む人のそばまで一度だけ、送り届けてくれる。まだサイレンが健やかだった頃の、欲とは無縁な玩具。
まさかその他愛ない遊び心の結晶が製作者を殺す目的で使用されようとは、協力したサイレンも思いもしなかっただろう。しかも、己の妹の手で。
その妹の恋人を自身の恋人が殺すに至ったことも、ついぞ知ることはなかった――知れる筈もなかった、哀れで幸運なサイレン。
作った当人達がすっかり忘れ果てていた魔道具を、妹が姉の家の整理をしている時に見つけてしまったのは果たして幸運だったのか……。
その妹も死期が近付き、動くことも叶わなくなるまで時間が残されていなかった。
だからこその決起。
相手は高位の魔術師だ、返り討ちに遭う可能性は充分過ぎるほどにあった。
それでも、女達は何も言わず、復讐者を送り出した。
復讐は何をも生み出さない?
しなかったところで何も生まれはしない。
姉妹には子供はなく、伴侶だけが全てだった。
覚書
先にいたサイレン ユーエルラーダ・サディミレン
後から来たサイレン パヴァニーヤ・チャクロイガ