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十二歳~婚約~

 二人が十二歳になったある年、ある日。


 アクロイド卿が遠まわしに次男キュールの将来を案じてきた。

「お前は後継ぎじゃないが、ちゃんと結婚して世継ぎをもうけるのは貴族としての義務だぞ」

 そんな事を言いながらも、魔術にしか興味を抱けない息子の性格をきちんと把握しているキュールの父。

 それに甘えてばかりもいられないと、彼は意を決した。

「……一緒になりたい子……がいる」

「そうか」

 と、卿は落ち着いて紅茶をすすっていた。

 お互い無言のまま暫く茶をしていたが、突然父が椅子をひっくり返す勢いで立ち上がった音にキュールは何事かと肩を揺らした。

「何だって!? お前、今なんて言った!!?」

 つかつかと息子に早足で歩み寄り、唾を飛ばしながら詰め寄ってきてさすがのキュールも驚く。何故大分時間が空いたのだろうか。と。キュールは大分ずれている。

「確かなんだな!? 何処の誰だ!? 早く教えろ!」

「カレン……。ローイッシュ伯爵の……」

「あれの娘か! そんなに仲を深めていたとはっ! よし、この父に任せろ!」

 アクロイド家当主、ノイマン・アクロイド卿はその勢いのまま、近くに控えていた使用人に指示を出した。

「キュールに好いた娘が出来た! 俺は今からローイッシュに伺いの手紙をしたためる! すぐに届けろ! 速達だ!」

 半ば呆然と見送るキュールの後ろから、長年家に勤めてきた執事が言う。

「坊ちゃん。おめでとうございます」

「……え、うん……」

 台風一過の食堂で彼は、これでいいのだろうかと首を傾げる。別にカレンを研究するのに結婚なんて手段を取る必要はない。内容を言わずとも、協力を仰げばきっと笑って受諾してくれるだろう確信がキュールにはあったはずなのだ。

 いつも笑っているカレンの顔が浮かぶ。

(何で、おれ……)

 一緒になりたい。なんて言ったのだろうか。とキュールは自分の言葉が不思議だった。

(魅了にかかってない……のに)


 後日、父と共にローイッシュ伯爵邸へ赴いたキュールは、カレンと対面して婚約が成立した。

 部屋に二人だけになった時、キュールは彼女に研究の事を打ちあけた。もちろん魅了の事は伏せて。

「君の魔力……なんだけど、凄く特異で……珍しい物なんだ、だから……おれの研究に、協力してくれると……」

「ええ。私で良ければ」

 いつも笑顔でキュールに色んな話を振ってくれるカレンだが、その時ばかりは無表情というか、どこか心ここにあらずだった。

 それでもしっかりと応えてくれたのが彼女らしい、とキュールは少し気になりながらも、きっと急な状況についていけないのだろう。そう結論づけた。

「……研究室、いつでも……開いてる、から」

「はい」

 カレンが頷いたのを確認して、キュールは父と共に帰路についた。


 キュールの研究室はアクロイド家の屋敷の離れにある。

 カレンがそこに初めて足を踏み入れ、研究の協力をした後。彼女は持参したバスケットを掲げて。

「キュール様の執事から聞いたの。食事を抜くのは駄目よ。片手間でもいいから食べて」

 そう言ってバスケットを置いて退室した。また夕刻やってくると言い残して。

 この時、目の前の研究に没頭しすぎた事をキュールは後々まで悔いる事になるのだが――。


 カレンの魔力のサンプルを分析していて、気が付くと既に窓の外は赤くなっていた。急に空腹を感じるようになったキュールがカレンの置いたバスケットに目を向けた時、ノックと共に彼女が研究室に戻ってきた。

 バスケットを確認して、俯いた彼女は。

「……食べなかったのね」

 消え入りそうな声でそう呟いたから、キュールは思わず立ち上がる。

「今……食べようと思って」

「ごめんなさい。時間が経ってしまって……もう美味しくないと思うから。ちゃんと本邸にお帰りになって食事を摂ってね?」

 少し早足で退室したカレンの声は震えていた。

 酷く心臓が煩くて、手足の先から冷たくなって胃が収縮するような気分に気付いて。キュールは慌てて彼女を追った。


 門の前で息子の婚約者を見送っていた卿。自分に向かってくる普段走らない息子の全力疾走に驚いたが、しかし嬉しそうだった。

「キュール。カレン嬢の馬車はもう行ってしまったぞ。しかし、お前が婚約者を見送るなんて光景を俺が生きてるうちに見られるとはなぁ」

 彼の様子から、カレンは婚約者の態度を誰にも言うことなく何気ない態度だった事が分かる。

「……父さん」

 きびすを返して屋敷に帰ろうとする父を呼びとめて、キュールは意見を仰ぐ。

「おれ……多分……あの子、傷つけたんだと、思う。どう、すればいいんだろう」

 ここが痛い。

 と、胸をさする息子を、父は暫く無言で見ていた。

「誠心誠意、必死に謝る必要はないぞ。そういうのは時と場合による。下手をすれば逆効果になるからな」

 キュールが俯いていた顔を上げると、優しい顔があった。

「何があったかなんて敢えて聞かんが……そうだな。カレン嬢は明日も来ると行っていたぞ。それなら、カレン嬢が傷付いたとお前が感じた事を言わなければいいし、しなければいい」

 なんだ、そうか。

 なにかが音も無くはまったような感覚に、キュールは頷いてみせた。

「それにな、俺から見たカレン嬢は謝罪よりも感謝の言葉の方が喜びそうな感じだな。まあ、父としてというよりは人生の先輩の言葉として頭の隅にでも置いておけ」

 キュールの頭に手を軽く乗せ、卿は今度こそ屋敷に戻っていった。

 婚約者とは言え、まだ子供である令嬢を一時預かる責任者、アクロイド卿である。二人の邪魔をしてはいけないと、息子たちの動向など逐一把握している訳ではないが。それでも気を遣ってはいた。

 カレンがバスケットを持ってきている事。キュールがいつになく走ってやってきた事を鑑みて。

 キュールの微笑ましくも微細な変化に、父として敢えてその程度の助言をするにとどめたのだった。


 後日、カレンは同じバスケットを持って現れた。

「キュール様おはよう。今日も食事を用意したからちゃんと食べて? 一口でもいいの」

 彼女は朝食を抜く事の効率の悪さを生物学的に手短に語ってみせた。

 今日はカレンの血液を僅かだけど貰って検査をするとキュールが説明し。カレンは昨日の帰り際の様子は微塵もなくなって、いつものようにキュールに研究の話を振り、彼は相槌を打つという会話とも言えない会話をして。

「あ、そろそろお暇するわ。また夕方に」

「……あ」

 いつもの時間が訪れ席を立つカレンと同時に、キュールはバスケットを抱えて常に目に入る場所に置きなおす。

「……ちゃんと、食べる……ありがとう」

「キュール様」

 カレンは大きな目を更に見開いた後、ゆっくりと花が咲くように笑った。キュールは思わず顔を逸らして机に向き直る。

 そんな婚約者の態度を気にする様子もないカレンは、激励を残し颯爽と退室して行った。最初に出迎えも見送りもいらないと言われていたキュール。

(おかしな、話だ)

 彼女に甘えていると自覚したのだ。

(おれから言い出した婚約なのに)

 昨日と同じように心臓が煩くて、でも冷え切った体はうって変わって熱を上げた。

(わらってた。父さんの言ったとおりだ)

 謝罪よりも、持参してきてくれた食事を食べるだけでもあんなに喜んでくれるなら、笑ってくれると分かったら、これからは忘れずに毎食食べる自信が彼にはあった。


 色んな具材が挟まったサンドイッチを頬張りながら、キュールは今までになく食事そのものを観察する。

 食べやすいよう四角く切られたふかふかのパンは少し押し潰れ、断面も一定ではない。挟まった具材も、大きさ厚さがばらばらで、とても料理人に作らせた物とは思えなく当然既製品でもない。

(手作り?)

 そうとしか考えられない。当然良い食材を使っているのだから味は良い。というかキュールは食事自体頓着した事もなく、何かを美味しいと意識する事も稀だった。

(不格好だけど、おいしい)

 そう、素直に思った。


 キュールは昼の分も少し残して、研究を続ける。

 確かにカレンが語って聴かせた通り、いつもより効率が上がってる気がするのだ。普段より思考の潤滑が良い。この進捗なら近いうちに、考えていた試作品を作れるかもしれないと、キュールは俄然研究に熱が入った。

(はやく……カレンの魅了をなんとかしないと)

 もちろん昼は残った分を全部食べて、彼女が来るまで時間を忘れて研究に没頭した。


 空になったバスケットを確認したカレンはやはり嬉しそうに笑って、キュールはまた体が火照った。

「きれい、だ」

「え?」

 本当に無意識に口をついて出た言葉にキュール本人が驚いた。咄嗟に誤魔化す。

「君の、魔力……綺麗だから」

「魔力……そ、そう。ありがとう」

 複雑ながらも嬉しそうに笑ったカレンが、キュールには煌めいて輝いて見えて仕方がないのだ。こんな輝かしい笑顔を他に向けて、魅了された男たちが増える未来を増々感じていた。


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