プロローグ~喪失~
君の魔力は綺麗だ。
心境としては複雑ではあるけど、カレン・ローイッシュは想い人からそう言われ、思われる事は嬉しかった。魔術の研究に没頭して、自分にも他人にも無関心な彼が唯一自分を見てくれる瞬間だから。
八歳という幼い時分にお茶会で出会って、四年あまり。
そんな彼……いや、彼の家から婚約の申し込みがあった時、カレンは耳を疑った。直接対面して婚約が決まって、メイドたちに祝福されるまで実感など湧かなかった位には。
カレンの魔力は少し特異なのだと言っていた彼――キュール・アクロイド。この婚約がカレンの魔力を研究したいがための口実だとしても、彼女は天にも昇る心地だった。それほどカレンはキュールを幼い頃から好いていた。
婚約者となってからは、キュールの研究室に入る事を許されたカレン。
以前も別に許されていなかったわけではないが、キュールの特別な場所に滞在する事の許可を貰った事がカレンを浮かれさせた。
差し入れをしようと初めて厨房に入り、初めて包丁を持ち、パンに自ら切った具材を挟み。なんとか食べやすいよう切り分けたサンドイッチをバスケットに詰めて。
ハラハラと見守る周りの目をよそに、初めて料理をした! と胸を満足感でいっぱいにして浮かれたのだ。そんな『初めての手料理』は結局キュールの腹に入る事はなかった。
果たして食べてくれるのか、期待と不安が入り混じったカレンがバスケットを回収しに研究室に戻った時、中身が減っていなかったのを確認したからだ。
屋敷に戻ってカレンが再度バスケットを開けると、すっかりぱさついたパンに、萎びた野菜たち。硬くなった薄切り肉に悲しくなって、せめて、と自分で食べたのだ。見かねたメイドも一緒に。
味は思いの外、悪くなかったのがカレンの心を少し慰めた。
だが懲りずに次を用意した時、キュールはちゃんと完食してくれた。その事が飛びあがる程に嬉しかったものだ。だからカレンは今日も、食事も忘れるほどに研究に没頭している婚約者にバスケットを持参して会いに行く。
いつも訪問するのはカレンから。だが、口下手な彼が少しでも会話に応じてくれるのが嬉しくて、もうそれで充分だった。
カレンは、それ以上なんて望まないのに。
十七歳になったカレンを謎の高熱が襲った。
寝込んでいた間は当然差し入れなんて出来なかったし、キュールのお見舞いも断っていた。大事な研究を抱えている彼にうつしてはいけないとの思いだったが、数日とはいえ会えない時間がただカレンには辛かった。
そして熱が下がってから……キュールの元へ行く口実が。二人の婚約を繋ぐ口実が見つからなくなった。
突如としてカレンの内蔵魔力が消え失せたからだ。
病み上がりで頭と体が重い中、カレンは。
(もうキュール様と……会う事はなくなる……)
そんな思いを抱え、ひたすらベッドの上で泣き暮らす日々を送っていた。魔力の無い自分に価値はないだろうし、近いうちに婚約を解消されるかもしれないと。
絶望に打ちひしがれているカレンにやはり追い打ちがかかる。
「カレン。キュール・アクロイドとの婚約は破談になった」
父の決定的な言葉に気が遠くなって、カレンは目の前が真っ暗になったような気がした。まだ父が何か言っていたようだが、彼女はふらつく足取りで何とか自室に戻った。
メイドを下がらせ、ひとりベッドに座って呆然とする。
(直接会う事すらせずに婚約解消されるなんて……そこまで)
そこまで、興味を向けられていないとは正直思わなかった。自惚れていた。
お互い十七歳になった今まで、短くない時間を一緒に過ごしてきたはずだった。差し入れも食べてくれて、カレンの言葉にちゃんと返してくれるようになって……。
その時、カレンは気付きたくない事に気付く。
一度も彼に名前を呼ばれた事すらないという事実に。