おめでとう
しばらくして葉子さんから電話があった。夜だからドアベルを鳴らすのは遠慮したらしい。
「こんばんわ」
「こ、こんばんわ」
玄関で迎えた葉子さんはいつものように挨拶をしてきたので慌てながら返す。玄関ライトに照らされた葉子さんはいつもより綺麗に見えた。
「あの、今日、葉子さん家に泊まってもいいですか?」
「もちろん」
時間が時間だけに葉子さんもそのつもりだろうと着替えを用意したけど、当然だと肯定されると以心伝心できたみたいで胸が熱くなった。
お母さんはもう寝ていたので念のため友達の家に泊まると書き置きを残し、私は葉子さんと家をでた。
鍵をもっているので、誰かに施錠を頼まなくていい。今日ほど鍵をもらってよかったと思うことはない。
「行きましょうか」
「荷物持つ」
「お願いします」
葉子さんは自転車でうちまで来ていて、私の荷物を預かってカゴにいれてくれた。
「あ、葉子さん乗っちゃって大丈夫ですよ。」
葉子さんが乗らずに歩きだしたので歩調をあわせながら言う。普段ごろごろしてる私だけど、体を動かすのは嫌いじゃない。むしろ昔に比べて運動しないのでたまに無性に走ったりしたくなる。
「大丈夫」
「んー、じゃあ、私乗せますよ。後ろに乗ってください」
「大丈夫?」
「大丈夫です。私、運動得意じゃないですけど好きなんで」
昔は飽き性な彩華に付き合って色々なことをして汗を流したものだ。自転車もどちらがより蛇行できるかとか競った。二人乗りもしょっちゅうしてたし、今でもできるはずだ。
やや強引に葉子さんを説得し、私の腰に捕まってもらい、自転車を走らせた。
そして葉子さん家についた。自転車を片付けて部屋に入る。昼ぶりに来たのにやっとこれたという気になった。
家につくと同時くらいにパラパラと雨が降り出した。ぎりぎりセーフだ。ちょっと汗かいちゃったから、クーラーのきいた葉子さんの部屋は涼しくて気持ちいい。
とりあえず荷物を置いていつものように飲み物をいれて隣に座る。
「さて…葉子さん」
「なに?」
「抱きしめてもいいですか?」
「……どう、ぞ?」
疑問形でとまどう葉子さんだけど構わず抱き着く。
あったかい。世界中の誰より今葉子さんは私の近くにいる。他の誰かじゃなく私といる。そんな当たり前の事実が、嬉しい。
「葉子さん、もし、今日、というか昨日が私の誕生日だって言ったらどうします?」
「誕生日、なの?」
「はい」
「じゃあ、行こう」
「え?」
葉子さんは私の抱き着きを解除し、立ち上がると私の手をひいた。
「コンビニ」
混乱するまま葉子さんに手をひかれ、マンションを出た。葉子さんが当たり前に傘をささないから、私もささずに濡れながら歩く。
葉子さんの反応の意味がよくわからなくて、困惑しながらとりあえず葉子さんの後についていく。
雨に濡れながら、街頭に照らされる葉子さんを見上げる。
葉子さん、コンビニで何をするんだろう。誕生日だって言ったらコンビニに向かう因果関係がわからない。
でもとりあえずは、雨の中浮き上がる葉子さんの横顔が綺麗だから気にしないことにする。
コンビニは歩いて3分ほどの距離にある。
「いらっしゃーせー」
ぼそぼそとした声でコンビニ店員が挨拶をしてくるのを横目に通り過ぎ、葉子さんはプリンとかの配列に行ってさっさと何かをとってレジに向かった。
斜め後ろにいて見えなかった商品がレジ台に置かれたことで見えた。二ついりのチーズケーキだった。
「えっ、ケーキ、ですか?」
「誕生日はケーキ……コンビニで、悪いけど。明日、また買う」
「いっ、そ、そんな! コンビニで十分です! 嬉しいです!」
「そう?」
こんな時間にいきなり言ったのに、当たり前みたいにケーキを買いに行く葉子さんの行為が、信じられないくらい嬉しい。
私はただ、おめでとうと一言あれば、たとえ義理でも反射でも言われるだけで嬉しいのに。
まさかちゃんとお祝いしてもらえるなんて!
胸がドキドキして、かーっとテンションがあがって跳ね回りたくなる。だからそのテンションで、ケーキを買ってコンビニを出た葉子さんの袋を持った手の逆に抱き着いた。
「えへへ、葉子さん大好きっ」
腕を組むようにぎゅっと抱きしめて、体もくっつける。雨が涼しいから暑くはない。
「ん」
葉子さんはくっつかれて歩きにくくてうざいだろうに、そのまま家まで歩いてくれた。
そーゆーとこがますます大好きっ。
○
葉子さんの家に帰り、とりあえず濡れちゃったからお風呂に入って持参したパジャマに着替えた。
葉子さんも寝巻きはパジャマ派らしい。彩華といい友達にはジャージ派とかが多かったので地味に嬉しい。
「ケーキ、食べよう」
「はいっ」
葉子さんのコーヒーと自分用のカフェオレをいれ、準備はオッケー。いつもの定位置に座り、ケーキをお皿に移す。
「美代」
「はい?」
さあ食べようとフォークを手にしたところで葉子さんに呼ばれ、顔をあげるとじっと私を見ていた。何だかいつもより真剣な顔だったので、慌てて居住まいを正して葉子さんを見つめる。
「な、なんですか?」
「はっぴばーすでーとゅーゆー、はっぴばーすでーとゅーゆー」
歌いだした。驚いて瞬きをする私に構わず葉子さんは歌いきった。一人で歌うのが恥ずかしいのかやや顔が赤い。
「誕生日、おめでとう。生まれてきて、おめでとう。私と一緒にいてくれて、ありがとう」
「葉子さん…っ」
なんだろう。この気持ちをなんと言おう。体の奥から震える。湧き出る気持ちに胸がつまり、開いた口から音がでない。
誕生日なんてただ歳をとるだけで、特別な日という気持ちはあんまりなかった。だけど葉子さんはこうしてちゃんとおめでとうと言ってくれる。私の誕生日を特別な日だと思ってくれてるんだ。
そして私は、本当はずっとこんな風に祝ってもらいたかったんだ。近すぎて彩華にもいえなくて、私自身さえ気づかなかったのに。
どうして葉子さんは私が望むことをしてくれるんだろう。いつもそうだ。葉子さんは、絶対に私を拒まない。私が隣に行って、他に移動しない。私を置いていかない。私を待っててくれる。我ながらうっとうしいくらい後をついてまわる私を、葉子さんは受け入れてくれる。
そして、一緒にいてありがとうなんてことを言う。それは間違いなく私の台詞なのに。
「っ…」
嬉しすぎて、涙がでた。
葉子さんが大好きだ。だからずっと言いたかったことがある。恥ずかしくて言えなかったけど、今なら、葉子さんも気恥ずかしいだろうに私に言ってくれたんだ。
言おう。そしてただの友達じゃなくて特別な存在になろう。
「よ、葉子さんっ」
お姉ちゃんって、呼んでもいいですか?
勇気をだして呼びかけた私は、だけど肝心な続きを口にできなかった。
「ん」
葉子さんが、当たり前のように私にくちづけたからだ。
「おめでとう、これからも、よろしく」
そして一瞬の後、唇を離した葉子さんは私が見たことないほどにっこりと、とても綺麗に微笑んだ。
触れるだけのいつもの戯れのキスで、なんでもないはずだ。だけど葉子さんの満面の笑顔を見て、突然私の体温があがりだし、先程の唇の感触が異様にフラッシュバックする。
「あ、う、うん……えと、よろ、しく」
「? うん」
今度は頬に、さっきこぼれた涙を拭うようにキスされた。
「ん、ケーキ、食べよう」
そしてなんでもないみたいに体を離した葉子さんはフォークを持った。促されるまま私も顔を机に向けてフォークを持つ。
「うん…」
フォークでケーキを切って、一口分を口に運ぶ。
「っ、ごほっ、けほっ」
口を閉じたところで、また葉子さんの唇を思い出してしまって思わず噛まないまま固まりを飲み込んでしまい、咳込んだ。
「大丈夫?」
葉子さんが私の背中を撫でた。かーっと体温があがる。
なにこれ、ちょっと待って。意識しすぎでしょ。これじゃまるで……え。
「だ、大丈夫です。すみません、何だか胸がいっぱいではいらなくて…また明日にまわしてもいいですか?」
「ん、じゃあ私も」
葉子さんは立ち上がり、ケーキを持ってキッチンへ向かう。その背中を見ながら自問自答する。
お姉ちゃんみたいで姉として好きなんだと思ってた。思ってたけど、もしかして違う? でも女同士だし、付き合いたいのかというとよくわからない。
キス、意識しちゃうけど嫌じゃない。一緒にいたいし、手を繋ぎたいし、ぎゅってしたい。でも女同士だから、全部やって友達でもおかしくない。
「もう、寝る?」
「はい」
歯磨きをして、ベッドに入るまでずっと考えていたけど、一緒のベッドにくっついてはいると途端にドキドキして考えられなくなる。
「……美代、起きてる?」
「は、はい」
「…何だか、変。私、何かした?」
「いえ、違います。ただ、嬉しいのが続いてて、何て言うか、感無量っていうか。とにかく、葉子さんがおめでとうって言ってお祝いしてくれたのが嬉しかったです」
「そう」
葉子さんは身じろぎをして、私の頭を撫でた。顔を向けると葉子さんが体ごとこっちを向いていて、ドキドキした。
「いい子、いい子」
「……葉子さん、だいすき」
「ん。私も好き」
顔があつい。葉子さんが寝る時に電気をつけっぱなしにする派じゃなくてよかった。こんな顔、とてもじゃないけど見せられない。
「落ち着いた?」
「は、はい……あの、抱きしめてもらっても、いいですか?」
葉子さんはなにも言わずに私を抱きしめた。
胸が熱くて、ドキドキするのに、すごく安心する。
「このまま、寝る?」
「……お願いします」
「ん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
眠れなくてもいいやと思ったけど、ドキドキしながらも目を閉じているといつの間にか眠っていた。
○