キス
「葉子さん、お腹減ったー。なんかないですか?」
「冷蔵庫」
許可をもらったので、ソファからジャンプして下りて冷蔵庫を開けた。
「……」
タッパーがいくつかに調味料とヨーグルトとプリンが複数種類がある。このヨーグルトとかプリンを食べていいんだろうか……というか、少な。うちが5人家族でこっちが一人暮らしなのを考慮しても少ない気がする。冷蔵庫自体がツードアの小さいやつだし。
「上」
「え、あ、はい」
上、と言われたので上側を開ける。上は冷凍室だから無視したのだけど。
「ああ……」
冷凍室はパンパンだった。出してみると冷凍のお好み焼きやらチャーハンやら色々あった。
「好きにして」
そこまでがっつりお腹すいてるわけじゃないです。ん、あ、でも今川焼き美味しそう。
「葉子さん、今川焼き食べます?」
「食べる」
二個をお皿に並べてレンジでチン。その間に冷蔵庫から牛乳出して小さい鍋にいれてお砂糖たっぷりホットミルクをつくって、鍋を洗って乾燥機にいれる。
できたので持っていく。もし牛乳いらないって言われたら私が飲もう。シナモンいれても美味しいんだよね。
「お待たせしました」
「ん…牛乳?」
「ホットミルクです。甘いですけど、いりません?」
あ、よく考えたら葉子さんはブラック飲めちゃう人だし砂糖なしの普通の牛乳の方がよかったかも?
「……いる」
よかった。甘い飲み物と甘い食べ物って組み合わせって嫌いな人もいるからなぁ。
カップとお皿を運んで、最近定位置になった隣に座る。肩をぶつける位置に座るけど特に何も言われないからそうしてる。
「あちち」
あつあつの今川焼きを割って冷まして食べる。ほかほかで生地はしんなりしてる。あつあつのつぶあんが甘くて美味しい。
お次は牛乳。牛乳も甘くてほわーんとした気分になる。んまーい。
「美代」
「はい?」
呼ばれて首を傾げるようにして隣の葉子さんを見上げる。葉子さんの顔が近づいてくる。相変わらず綺麗だなぁと思ってたら。
「ん」
近い、と言う間もなくキスをされた。
「……え?」
唇に暖かいものが触れたのは一瞬で、元の距離に離れた葉子さんはいつもと変わらない表情だ。え? なに? どういうこと?
「…な、なん、ですか?」
「牛乳がついてた」
「は……」
ああ、まあ、牛乳飲んだから? ……え、それで舐めとったってこと? 今舐められたんだっけ? でもキスされる方が意味わからないし、葉子さんが嘘つくわけないし。葉子さんのドアップに混乱して唇と舌を勘違いしたのか。
「な、なーんだ。一瞬キスされたのかと思っちゃいました。びっくりしたー」
「キスだったら、ダメ?」
「え? いや、別にダメじゃないですけど」
って、思わず否定したけど普通恋人でもない人とキスしないでしょ。女同士だし嫌ってわけじゃないけど。
「じゃあする」
「え」
キスされた。
一瞬だけ触れた唇はまたすぐに離れた。やっぱりさっきのキスじゃない?
「……いや、だった?」
「別にいいですけど。葉子さん酔っ払ってます?」
まあ、キス自体はどうってことはない。女同士は酔っ払った彩華に散々されて経験済みだ。彩華は酔うとキス魔になる。
ただ葉子さんの綺麗な顔がアップになるのでちょっとドキドキしてしまう。彩華だとそんなことないから、新鮮なドキドキに思わず恋に落ちそうだ。さすがにないか。
「……酔ってる?」
「私に聞かれても」
いつも通りに見えるけど、実は昨日私が帰ってから酒盛りでもしたんだろうか。
「美代が…」
「?」
「可愛い、から。嫌?」
え、可愛い!? えへへへ。照れるわー。
でも今気づいたんだけど、もしかして葉子さんて私のこと犬的に可愛がってくれてない? いるよね、ペットに可愛い可愛いってキスで愛情表現する人。
私は姉妹的に慕ってるんだけど……まあ、可愛がられてるには違いないしいいか。
「嫌じゃないです。葉子さんがしたいならしたいだけキスして可愛がってやって下さい。私はペット扱いでもウェルカムです」
「ペット……」
「はい。ちなみに私、何系ですか?」
「……犬?」
「あー、やっぱり」
犬っぽいと言われたことはある。動物に例えるなら犬だとはよく言われる。
「わんわん、よく言われます。葉子さんは猫っぽいですよね」
「そう?」
「絶対猫系ですよ。あっ、でも猫と犬ってあんまり仲いいイメージないですよね……やっぱり人間でいて下さいっ」
「……」
黙って頭を撫でられた。
ううむ、犬扱いむしろよし!
○
「お邪魔しまーす」
おざなりに挨拶をしながら部屋に入る。マンションの入口を通過する番号は教えてもらっていて、葉子さんがいる時には部屋に鍵がかかってないから特に葉子さんを呼ばずに入れる。
この間なんて合い鍵を渡そうかと言われてさすがに断った。気を許してくれるのは嬉しいけど、面倒だからって鍵を渡すのはやりすぎだ。
友人の何人かにも渡してるらしいし、葉子さんの感覚は謎だ。さすがにそこまで口をだしたりはしないけど。
「ん……」
葉子さんはこっちを見もせずにまた何か絵を描いている。最初の小さな『ん』が挨拶がわりなのは最近気づいた。
突撃するように隣に座った勢いで頭をスケッチブックの前に割り込ませ、葉子さんの腕をつかむ。
「あ、可愛ー。珍しー。葉子さんも犬とか書くんですね」
またくらげだろうと思ってたけど、描きかけの絵は犬と猫がボール?毛糸か。毛糸で戯れている絵だった。前のほどじゃないけど普通に可愛い。ここからさらにリアルになるんだろうか。
「たまには」
葉子さんが今まで描いたスケッチブックは膨大な量で、私は最近のをぱらぱら見ただけだから実は過去に猫を描きまくったり花にはまったりしたのだろうか。
いつか見せてもらおう。
頭をひっこめて肩にもたれ、負担にならない程度に手は葉子さんのひじあたりにおいておく。
これなら邪魔せずに描いていく過程が見れる。たまには葉子さんじゃなく真面目に絵を見てみよう。
「……」
「?」
何故か頭を撫でられた。
「葉子さん?」
名前を呼ぶも葉子さんは答えずにこつ、と私の頭に頭をあててきた。そして頬ずりならぬ頭ずりをしてから頬にキスされた。
びっくりして思わず頬を抑えた。
「よ、葉子さん?」
「酔っ払ってはいない。ダメ?」
「だ、ダメではないです。昨日もいいましたけど」
「ん」
もう一度頬にキスをしてから、葉子さんは頭を戻して鉛筆を動かしだした。すでに視線は私から離れている。
「……」
いいって言ったし、実際キスくらい別に、知らない人ならともかく葉子さんだしオッケーだ。オッケーだけど、何と言うか、素面でされると照れる。
私自身は酔ってなくても、相手が酔ってるなら仕方ないし気にならないけど、素でされるのはなんか違う。結構マジで照れる。
でも、まあ、うん。葉子さんがしたいならいいか。小さい子みたいで恥ずかしいけど、ちょっと嬉しいし。
「葉子さん、ぎゅー」
「ん、なに?」
「なんでもないのでお気になさらずっ」
「そう」
隙間に腕を差し込んでぎゅうっと抱き着くと、葉子さんはまた私の頭を一つ撫でてから作業に戻った。
こんなこと言ったら怒るか、そうじゃなくても気を悪くするだろうし、何より恥ずかしいから絶対言わないけど。
葉子さんて、お母さんみたいだなぁ。私のお母さんに似てるって意味じゃなくて、母性を感じる的な。
そんなに年も変わらないのに、葉子さんってすごい寛容というか、心が広いんだよね。一緒にいて安心するー。
結局この日もまた、葉子さんが絵を描く工程は見れなかったけど、まあいいよね! てゆーかどうでもいいし。
○
美代が帰っていった。立ち上がり、窓から外を見る。美代が帰る時にこっち側の道を通るのは知っていたけど、こうして見るのは初めてだ。
歩いて行く姿を上から眺めるのは新鮮だ。
美代は、可愛い。
最初は話し掛けてきた時はただうっとうしい世話焼きな子だと思った。その後、私の言葉に自分もと雨にうたれだした時は驚きと罪悪感を感じた。
すすめたわけでも誘ったわけでもないけれど、目の前で美味しいものを食べられたら自分も食べたくなるのは普通だから、美代が真似をするのも十分予想できたはずだ。
今まで友人は待ってくれたり理解はしても、一緒に雨にうたれようとはしなかったから、まさか美代がそうするとは思わなかった。
でもそれは言い訳で、予想可能であったのだから美代が学校に行けないくらい濡れたのは私のせいだ。
だから家に連れ帰って乾かした。それきりのはずだったのに、美代はまたやってきた。そしてたわいもない話をして、メルアドを聞いてきた。
メルアドを聞くということは、これからも連絡をとりたいということで、つまり友達になろうということだ。
私のぶっきらぼうな話し方にも気を悪くした様子もないし、素直ないい子っぽい。断る理由もない。
そうして始まった付き合いだけれど、美代はどうしてかわからないが私を気にいってくれたようだ。私の後についてきて、クラゲを好きと言っても引かず、プレゼントまでしてくれた。
私といて、私といるだけで、楽しいとさえ言ってくれる。目が合うだけでにこにこと笑顔になってくれる。
どうして私をそんなに気にいってくれるのかわからない。わからないけれど、嬉しい。美代は可愛い。
ただ可愛いと思っていた。だけど昨日、キスがしたいと衝動的に思ってしまった。思うだけではなく、行動に移してしまった。
普段から思ったことはすぐにしてしまう。何でもかんでもしてはいけないと学習したし、昔より我慢がきくようになってはいるけれど、基本的に私は堪え性がない。家にいたり友達といる時は油断してしまう。
と、一通り言い訳したけれどしてしまったものは仕方ない。したかったのだ。
でも開き直ろうとして、驚いている美代の顔を見て恐くなった。したかったから、と言ったらどうなるのか。
美代が好きになったかも知れないと言って、引かれたら? 美代が来なくなるかも知れない。美代の笑顔が見られなくなるかも知れない。女同士なんて変だと思うのが普通らしいから、変だと思われてしまう。
だから私は、嘘をついた。
嘘をついたのは何年ぶりだろうか。それも『牛乳がついてた』なんて、チープな嘘だ。
なのに美代は信じた。私を疑うということを考えないのか。ますます美代が可愛く見えた。
勇気を出して、キスじゃダメなのか聞いたら構わないと言われた。すごく嬉しくてもう一度キスをした。
美代が好きなのかも知れない。特別なことはなかったけれど、当たり前に私の側にいようとする彼女が大好きで、キスをしたくなった。私は恋をしているのかも知れない。
だけど、美代はキスをしているのにちっとも私の気持ちなんて理解していないみたいだ。酔っ払ってるのかとか、ペットでもいいとか、そんなとんちんかんなことを言っている。
でも、訂正はしないでおく。正直に気持ちを言って、拒否されたくない。気持ち悪いと思われたくない。
それに私自身、本当に恋をしてるのか自信がない。昔は自信がなくても自信がないことごと正直に伝えたけれど、今はそんな勇気はない。
美代が離れてしまうくらいならこのままでいい。側にいてくれてキスを許してくれるなら、無理に告白する必要なんかない。
今日もまた、キスをした。嫌がられなかったし、美代から抱き着いてきた。
とても幸せだと思う。だからこれでいい。
いいはずなのに、どうしてだろう。少しだけ、寂しい。
早く明日が来ればいいのに。美代に早く会いたいと、今別れたばかりなのに考えてしまう。
いつも美代はメールをくれるから、たまには私からメールを送ろうか。それは我ながらいい考えだと思えた。
○