水族館
葉子さんと出会ってから2週間が経過した。何だかんだで殆ど毎日お邪魔した。
一度お友達の方もいらっしゃったりしたけど、基本二人で黙っている。葉子さんは絵を描いたり本を読んだりしていて、私にも薦めてくれるから半分くらいはそうして、あと半分は葉子さんを見てる。
じっとただ見る私を変な人だとは思わないでほしい。だって葉子さんを見ているとそれだけで落ち着くし、時間を忘れて見入ってしまうのだ。
葉子さんがあんまりに綺麗で、私にとっては美術品を見ているかのようなものだ。私にとって葉子さんは動く彫刻なのだから、見てしまうのは仕方ない。
コーヒーをいれたりするのも私の仕事になり、大分馴染んできた。
そんなある日。
「それじゃあまた、明日はお昼過ぎにでもお邪魔しますね」
「明日は、一日、暇?」
「え、はい」
というか暇だから午後に入り浸る予告をしたのだけど? 葉子さんとの会話は少ないだけに、今だに何を言いたいのかイマイチわからないことが多い。
「じゃあ、朝10時、来て」
「わかりました」
何だかよくわからないけど、来いというならもちろん来る。本当は最初から午前中にお邪魔したいくらいだったので望むところだ。
とはいえ、何か特別な用事だろうか。
「何か持ってくものとかあります?」
「ない」
葉子さんの言葉は簡潔で無駄がない。だから、ないというなら私が気にかけることは何一つないということだ。だから私は頷いた。
「わかりました。明日10時てすね」
「ん」
どういうつもりなのか、何処に行くのか、私には全然予想すらつかない。でもただ、朝から葉子さんと会えるのが嬉しくて楽しみだった。
○
うきうきと弾む心を表すように自然と足どりも軽く、私はスキップもどきなくらいに跳ねるように機嫌よく葉子さんの元へ向かっていた。
この角を曲がればあと一本向こうの角に葉子さんのマンションがある。小道なのでそこまで約一分。今は10時の3分前なのでこのペースならちょうど10時にインターホンを押せるはずだ。
今日は何にしようかなぁ。昨日カフェオレだしたまには葉子さんの真似してブラックにしようかな。
「!」
そんな予定をたてつつ角を曲がると、マンションの前に葉子さんが立っていたのが見えて、私は慌てて走り出した。
「よっ、葉子さん!」
「ん……」
振り向いた葉子さんの元へ駆け寄る。葉子さんが待っててくれたことが嬉しくてにこにこしてしまう。
「おはようございます!」
「おはようございます」
挨拶を返してくれた、のはいいんだけど何故か頭を撫でられた。
今まであんまり触れたりしてないのでちょっとどきっとしたけど、なんか嬉しい。何となく褒められた気がする。私はあんまり人に頭を撫でられなかったからか、妙に嬉しい。
「えへへ、なんですか?」
「ん、なんでもない」
笑いながら尋ねると、葉子さんはぽんぽんと二度私の頭に手を置くように優しく叩いてから手を下ろした。
あ、残念。聞くのはもうちょっと後にすろばよかった。
葉子さんはくるりと私に背を向け、顔だけこちらに向けた。
「行こう」
「はいっ」
殆ど表情を変えない葉子さんは相変わらず無表情だったけど、なんとなーく機嫌がよさそうに見えた気がした。
そんな葉子さんについていくと駅に着いた。
「どこまでですか?」
聞きながら財布をとりだすも、葉子さんは無言だ。言わないということはまとめて買ってくれるのだろうから待つ。
「ん」
「ありがとうございます。320円ですね」
「いい」
「え?」
「お姉さんの、奢り」
「……」
お、お姉さん? 一瞬、え、誰のお姉さん? 葉子さんってお姉さんいたっけ?と考えたけど、文脈から推察するに、葉子さんの奢りということだろう。
確かに葉子さんは私より年上なのでお姉さんだ。間違ってない。でもそんなキャラだっけ。
「……」
「あ、待ってくださいよ」
無言で切符を改札に通した葉子さんの後を慌ててついていく。
葉子さんと電車にのる。当たり前だけど葉子さんが電車にのってる姿は新鮮で、意味もなく見つめてしまうけど、いつものことなので葉子さんは特に何も言わない。
「次降りる」
「あ、はい」
そうしてるとあっという間だ。まあ元々320円区域で近いのはわかってたんだけど。
葉子さんの斜め後ろをついて行く。最初に一度不思議そうにした葉子さんだけど特にツッコミもないので好きにさせてもらってる。だってちょっと下がった方が葉子さんの後ろ姿が見えるんだもん。隣だと葉子さん見てたら前見えなくて危険だ。
「あ、水族館ですね。ここが目的地だったんですか」
「? 知らなかった?」
「え、いや、そりゃ、聞いてないですし」
「そう…」
? 葉子さんたら何で私が水族館に行くと知ってると思ったんだろ。あ、そういや駅の出口にでかでかと水族館の看板あったし、察しろってことか。葉子さんの頭の中を察するのは難しいなぁ。
「高校生一枚、大人一枚」
「ありがとうございます」
おっと、葉子さんの顔を見すぎて窓口に行ってることに気づかなかった。私は近寄りながら財布をだす。
「いくらですか?」
「いい」
葉子さんは私にチケットを渡しながら首を横にふった。
「え、いやでもさすがに」
「いい。私に付き合わせて、悪いから、お礼」
「いやいや! 私なんて葉子さんといられるだけで嬉しいですし。悪いなんてそんな、私がお金を払いたいくらいですよ」
いやマジで。葉子さんの美貌の拝観料として1000円くらいなら払ってもいいくらいだ。
「……」
また頭を撫でられた。ごまかそうとしてるのだろうと思ったけど、撫でられるのは嬉しいので黙って目を細めて堪能する。
「……じゃ、そういうことで」
「は、はい、わかりました。とりあえず今日はお言葉に甘えます」
どういうことかわからないけど、あんまり年上の提案を執拗に断るのも失礼なので了承した。今度何かお返しすればいいよね。けして頭を撫でられた心地よさから思考放棄したわけじゃない。
中に入ると、思ったより人がいた。水族館って凄い地味ーなイメージで小学生以来だけど、休日だからか意外と家族やカップルがいて混んでいた。
「美代」
突然、葉子さんが私の手をとった。手を繋ぐのは出会い以来でどきっとした。
「え、は」
「はぐれる」
ほうける私に葉子さんは淡々と言って、手をひいて歩きだした。
人込みの中大きな水槽の前をいくつも通過するけど、葉子さんはまっすぐ前を見ていて、水槽には目もくれない。
しばらく歩いてようやく足をとめた葉子さんは、ぽつぽつと壁に埋め込まれるようにある水槽を覗きこみだした。
「このクラゲは−」
と、突然葉子さんは水槽を見つめたままクラゲの説明を始めた。いつものトーンだけど興奮してるのか、まるで何かを朗読してるかのように長々と語っている。
私は何を言ってるのかわからなかったし、クラゲとか全然興味ないから、水槽の中がクラゲかも確認せずに照らされる葉子さんの横顔を見ながら、普段あまり聞けない葉子さんの声音を堪能することにした。
内容は聞き流して葉子さんのまっすぐな声をただただ聞いていると、なんか、ふにゃーってなる。ふわー? ふらーかも知れない。よくわかんないけど、なんか幸せな気持ちになる。
「っていう。……つまらない?」
「へ? いやまさか。もっと聞きたいです!」
「そう」
葉子さんと手をつないで、葉子さんの声を聞きながらじっくりとクラゲの水槽をまわった。
とても有意義な時間だった。気がついたら昼の3時を過ぎていて、気づいた葉子さんが遅れたけどお昼にしようと提案した。
○
例によってまたまた奢られてしまった。年上とはいうけど、葉子さんだって学生でバイトもしてないのに。
葉子さんの食べ方は何気に綺麗だ。それでふと思ったんだけど、葉子さんってお金持ち? マンションも綺麗で駅近いし、服も地味にブランドじゃない? ブランドよく知らないけど。
「葉子さん、葉子さんってお金持ちなんですか?」
「別に、普通」
ストレートに聞いてみたけど普通だったらしい。なんだ。まあお金持ちのお嬢様が私みたいな小娘を部屋にあげたりしないか。
ご飯を食べてから、今度はクラゲ以外をぶらぶらする。クラゲ以外には興味がないらしく静かな葉子さん。
なので葉子さんの手の感触に集中してみる。やや体温は低め。柔らかい。
「イルカってあんなに飛ぶんですね。私、テレビでしか見たことないからなんかびっくりしちゃいました」
「そう」
「鳴き声は思ってたのと違いましたー」
「…美代」
「はい、何ですか?」
「楽しかった?」
「はい! 今日は本当にありがとうございます」
「ん。じゃあ、全部見たから帰ろう」
「え、まだお土産屋見てないですよ。食堂の横にあったやつです。見ましょうよ」
「わかった」
イルカショーを見てややあがったテンションのまま、葉子さんの手を振りながらお土産屋へ。
「あ、葉子さん葉子さん。クラゲのぬいぐるみがありますよ!」
「ん」
「そうだ。今日は色々奢ってもらっちゃったんで、クラゲのぬいぐるみプレゼントしますよ。葉子さんクラゲ好きでしょう」
「クラゲは好き。でもいい」
「いいからいいから」
む、結構高いな。ぬいぐるみって元々安くないけど、クラゲのは足がやたら凝ってるから仕方ないか。
私は葉子さんの静止を無視して卓上サイズのぬいぐるみをさっさとレジに持って行った。
「プレゼント用でお願いします」
うん、ばっちりだ。財布の中からお札が消えたけど、些細な問題だよね!
「葉子さん、お待たせしました。はい! プレゼントです」
「…ありがとう、大切にする」
「!」
い、今、葉子さんが笑った…。うわ。今までも微笑みくらいならなくもなかったけど、普通に笑ったの初めて見た。
めちゃくちゃ、可愛い。黙ってたら死ぬほど美人で、笑ったら生き返るほど可愛いとか、葉子さん反則すぎる。
「ど、どういたしまして」
「ん。帰ろ」
葉子さんが再び私の手をとった。
笑顔にあてられてとろけたまま葉子さんの家に帰る。帰る途中、私はどうやってまた葉子さんを笑わそうかということだけを考えていて、手を繋いだままだと言うことに気づかなかった。
○