よろしくお願いします
私は朝ぶりに、もう来ないだろうと思っていたマンションに来ていた。携帯電話を取りに来たのだけど、当然アポなしだし、何だか無性にドキドキする。
とりあえずインターホンを………部屋番号、何番だっけ?
「……」
やばい。完全に見てなかった。2階の角だから201?でも逆から数えてるかも。うーん……あ、ポスト見ればいいのか。えっと、うん、201で合ってる。
私は意を決して201と押して呼び出す。
数秒待つとボタンの上の小さな画面に葉子さんが映った。
「……開ける」
切れると同時に鍵が開く音がして、私は慌ててドアを開けた。マンションを尋ねるのは実は初めてだ。友達の家でも一人ではないからいつも他の人がやっていたし、緊張したがなんとかなってほっとした。
ドアの前に立ち、インターホンを改めて押そうとするとその前にドアが開いた。
「入って」
「は、はい。お邪魔します」
促されるまま、朝のリプレイのように傘立てに傘をいれて靴を脱ぎ、部屋へと入る。
「コーヒーいれる」
「あ、あの、私、携帯電話を」
「知ってる。机」
「あ、ありがとうございます」
言われて見れば机の上に私の携帯電話はおいてあった。目の前なのに気づかないとか、どれだけ緊張してるんだ。
少し自分で呆れつつ携帯電話をとる。迷惑メール2件と彩華からのメール1件がたまっていた。
「ん」
「あ、ありがとうございます」
コーヒーをだされた。すぐに帰るつもりだったはずなのに、葉子さんを前にするとちっとも普段通りではいられなくてペースを崩されてしまう。でも、葉子さんのゆったりしたペースに巻き込まれるのは嫌いではない。
コーヒーを飲んでぽつぽつと会話らしきものをしているとすぐに時間がたってしまった。
「買い物に行く。美代も帰った方がいい」
「そう、ですね。はい、長らくお邪魔してすみません」
「別にいい」
名残惜しかったのだけど、今度こそ忘れ物がないように確認をして私と葉子さんはマンションを出た。
「じゃ、また」
別れ道で葉子さんは軽くそう言った。
また、だなんて再会を匂わせることを言われて、我慢できなくなった。
「あの!」
「ん?」
歩きだす葉子さんを回り込む。葉子さんは不思議そうに首を傾げた。
「よかったら…メルアド、交換しませんか? これも何かの縁っていうか…」
「いいよ」
「い、いいんですか?」
「友達はメルアド交換するもの」
「友達…」
朝に会っただけで、私はもう二度と会わないだろうと勝手に思っていたのに、葉子さんは友達だと思ってくれていた。それは、なんだか、とてもくすぐったくて……
「? 友達、嫌?」
「いえ! …う、嬉しい、です」
うん、嬉しい、かな。友達だなんて、改まると恥ずかしいけど。これからも葉子さんに会えるのだと思うと指先がむずむずするような、なんだか不思議な感じだけどとにかく嬉しい。
メルアドを赤外線で交換した。『森下葉子』と表示された画面を見るとにやけてしまいそうになるのを堪えつつ葉子さんと別れた。
○
「う〜〜ん…」
お風呂をあがってベッドに寝転がりながら、携帯電話を開いては閉じ、開いては閉じる。
開く。アドレス帳を開いてま行を見る。
「……」
葉子さんにメール、しようかなぁ。と思いつつ、携帯電話を開いて閉じては寝返りをうってしまう。
「あー…」
したいかしたくないならもちろんメールしたい。でも迷惑かも、とか馴れ馴れしいと思われるかも、とかネガティブな想像をしてしまってイマイチ踏ん切りがつかない。
今までなら誰が相手でも、内容には迷っても送ること自体は迷わなかったのに。
葉子さんは今まで私の中にあったカテゴリーの全てにあてはまらない。どんな反応をするのか全く予想がつかなくて、何だか腰がひけてしまう。
「……い、いよしっ」
メール、打とう。大丈夫。友達って言ってもらったし、大丈夫。まさか嫌がられないはず。
『今日は本当にありがとうございました。これからよろしくお願いします。またメールしますね』
「…こ、こんなものかな? ……」
うーん。内容は別に変じゃないし、絵文字も無難にしたけど………、ええい、ままよ! 送っちゃえ!
私は目をつぶって携帯電話のボタンを押した。
「……」
…う、あー、返信早く来ないかなぁ。いや、さすがに1分立たずにってのはありえないし、気づかないって十分ありえるし、普段なら待ったりしない。
でも気になりすぎて他のことが手につかない!
「……」
……とりあえず、トイレ行こう。携帯電話は置いて、時間つぶさなきゃ。
ブブブ
「!」
机に置いた瞬間携帯電話が震え、私は浮かしかけた腰を下ろして慌てて携帯電話を開いた。
返事きた!
『よろしく』
めちゃくちゃシンプルな単語のみのメールだった。
でもなんかやばいくらいにやける。よろしく、だって。すぐ返信くれたし、嫌がられてないしむしろ歓迎とかは言いすぎ? でもでもとにかく!
「…ぅへへ」
嬉しいなぁ。
葉子さんは嫌なことはハッキリ言う人だろうし、いっそ私からガンガン会いに行っちゃおうか。積極的にメールなんか毎日送っちゃったりして。
そうしたら仲良くなれるだろうか。そうなれたらいい。とても綺麗な彼女が微笑みを向けてくれることを想像すると、それだけで嬉しくなる。
「…はぅぅ」
にやけながらベッドに転がる。
葉子さんと仲良くなりたい。葉子さんのことを、知りたい。
○
「こ、こんにちはっ」
「こんにちは」
緊張しながらした挨拶にも平然と葉子さんは応えてすぐに鍵をあけてくれた。
学校が終わって、何となく暇で、思い切って葉子さんに暇だし行ってもいいかとメールしたらOKが出たのだ。
部屋の前まで来たのでベルを押すと、メールが来た。『入って』
「お、お邪魔しまーす」
自分でドアを開けて入るのは妙にドキドキした。中に入ると、葉子さんはソファに座って何かを書いていた。
「こんにちは」
「あ、はい、こんにちは。お邪魔します」
「好きにして」
それだけ言うと葉子さんは顔を下げた。向かいに座る。葉子さんが持ってるのはスケッチブックだ。絵を書いているのか。
かりかり、しゃっ、と鉛筆が走る音をBGMに、ぼんやりとその様子を見つめる。
「……」
「……」
どれくらい時間がたっただろうか。
「…ん、美代」
「え、あ、はい?」
「まだいて大丈夫?」
「え……あ」
ふいに顔をあげた葉子さんに我に返り、時計を見るともう夕方の6時半だった。我が家では19時夕食なので、そろそろ帰る時間だ。
それにしても、いつの間に2時間以上も経ったのか。全く自覚がない。ただぼんやりと葉子さんを見ていただけで、退屈だとか思う間もなく、一瞬で時間が過ぎてしまった。
私は驚いて、時計を三回見直したけど、時間は変わらない。
「もうこんな時間……あ、なんか、すみません、長々お邪魔しちゃって」
「いい。むしろ、ごめん。コーヒーくらい、出すべきだった」
「い、いえ! そんな!」
「退屈な思いをさせた」
「いえ。自分でも不思議なんですけど、退屈だとは思わなかったんです」
「…そうなの?」
「はい」
葉子さんはじっと、私の言葉の真偽を計るかのように私を見てくる。そして一つ頷いた。
「…そう。ならいい。私はあんまり、気をつかうの得意じゃないから、何かあったらすぐ言うといい」
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫です。葉子さんといると、なんだか不思議と時間の流れがおだやかというか……とにかく、退屈なんかじゃないです」
「……ん。で、時間は?」
「あ、そ、そうでした。えっと、じゃあそろそろ帰ります」
立ち上がって鞄を持つ。葉子さんも立ち上がり、私を玄関まで送ってくれた。
「じゃ、また」
「はい! …あの、明日も、来て、いいですか?」
「構わない」
「やった! あ、すみません。えと、さよなら、また明日です!」
「ん」
素で喜んだのが声に出てしまって、私は恥ずかしくて時間は大丈夫だけど駆け足でマンションを出た。
「……はぁ」
エレベーターを待つのももどかしく階段を駆け降り、外に出てから私は息をついて歩調を緩めた。
……また、明日も会う約束をしてしまった。嬉しい。嬉しいけど、ちょっと強引だった気がしないでもない。でも嫌がられてはない、よね。
自分でもどうしてかわからない。けど、葉子さんがとても気にかかる。
恋とか、憧れとか、そういうのとは何か違う気がする。
大人っぽいし憧れてはいるし、好きか嫌いなら好きだけど、そうじゃなくて。わからないけど、葉子さんがとても大きな存在に感じて、近づきたくて仕方ない。近づけるのが嬉しい。
この気持ちはなんだろう。
わからないけど、私はとにかく嬉しかった。明日が楽しみだと、遠足前日の小学生のような気分で、意味もなく私は走って家に帰った。
○