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雨の中で  作者: 川木
本編
1/11

出会い

 雨が降っている。何だか憂鬱だ。特に理由はないけど、荷物濡れるしくせ毛がはねるし、あ、理由あるか。

 傘。新しい水玉の傘。買った時はうきうきしていたけど、いざ使う段階になると憂鬱だ。

 今日は水曜日で、午前中は丸々朝会でその分7時間目まである最悪な日だ。ただでさえ憂鬱な水曜日に雨が降るなんてホント最悪。


「行ってきまーす」


 朝は慌ただしく、親は弟や妹の世話に手をとられていて私の挨拶に返事を返す人はいない。

 別にいいけど、今更だけど、お姉ちゃんだからとちょっと放置しすぎじゃないかな。いいけど。


 じゃばじゃばと玄関脇の下水道の穴が音をたてている。昨夜からの雨はわりと強くて、今日も一日続くらしい。


 いつもショートカットに横切る公園の入口を今日はスルーして真っ直ぐすすむ。泥はねはできるだけ避けたい。


 ぶるぶると左胸の下が震えた。内ポケットの携帯電話だ。取り出して開くと、普段駅の一つ手前で待ち合わせて一緒に登校する友達からで、先に行くという内容だった。

 ちぇっ。

 仕方ないけど何だかつまらなくて内心でふてくされ、返信しようとした時、視界のすみに足が見えて携帯電話の画面から顔をあげた。

 公園の柵に腰掛けて、女の人が傘もささずに空を見上げるように顔をあげ、目を閉じていた。

 思わず立ち止まる。


「……」


 すごく、変な人だ。でも変と思うより先に綺麗だと思った。すごく綺麗な女の人で、まるで絵画のようで、何かの撮影かと一瞬思って周りを見渡したけど、なにもない。やっぱりただの変な人だ。


 いくら綺麗でも、女の人でも、こういう人は無視に限る。学校に行かなきゃいけないし、関わってる暇はない。


「あの…」


 なのに気づいたら、私はその人に傘をさしだしていた。


「風邪、ひきますよ」


 ゆっくりと目が開き、顔がこちらを向いた。正面から見つめられると何だかドキドキした。あんまりに綺麗な人で、恐いくらいだ。


「馬鹿は風邪をひかないから、大丈夫。あなたこそ、風邪をひく」


 平坦な感情の読めない声で、氷のように冷たいけど、内容は私を気遣うもので、彼女は私の傘の先を押し返した。

 ぽたぽたと手をかけた場所から雫が落ちて、彼女のジーパンの膝を濡らした。


「馬鹿って……あの、とにかく、風邪ひきますよ。駅までなら送りますけど」

「ありがとう。でも大丈夫」


 いら。ちょっとムカついた。顔がひきつったのを自覚して無理矢理笑ってみせる。


「いいから。送ります」

「いらない。あなた、ちょっとしつこい」


 かすかに機嫌の悪そうな調子で女の人は私を見た。無表情からわずかに眉をよせている。


 その態度に気圧されて、私は口をつぐむ。女の人はそんな私を見てすぐに顔をあげた。真っすぐに目を開けたまま、女の人は虚空を見てる。


「……何してるんですか?」


 ちょっと気になった。頑なにここから動かないのは、誰かを待っているのか。


「……雨」


 女の人は目を閉じて、私を見ないまま口を開いた。


「雨?」

「気持ちいい」


 雨にうたれるのが気持ちいい、という意味だろうか。


「……」


 黙って目を閉じ空を仰ぐ、その姿は、やっぱり綺麗だった。

 変だと思う。自分でも変だと思う。思うのに、私は傘を閉じていた。


「隣、いいですか?」

「……好きにすればいい」


 女の人はちらっとだけ私を見て、また目を閉じた。

 私はその隣に座って、真似をして顔をあげて目を閉じた。


「……」


 冷たい雨が容赦なく降り注ぐ。

 髪が重くなり、瞼に落ちた雨が涙のように流れ、唇の上で跳ねた雫は顎を伝う。ブレザーから露出してるシャツの胸元が濡れて張り付く。

 冷たい。

 そろそろ冬服が熱くなる4月の雨は、冷たくて気持ち良かった。

 スカートが重くなり、靴下までびっしょりしてきた。体温が下がるのを感じる。それが、どこか非現実的だ。目を閉じているせいだろうか。お尻の下の柵の固さと鞄の重みだけが私を地上にしばりつける。


「……っくしゅん」

「……寒い?」

「あ…すみません」


 くしゃみが出て、反射的に身震いした。声をかけられて目を開けると無表情な瞳が私に向けられていて思わず謝る。


「……」

「え? あ、あの…」


 これ以上邪魔をするのははばかられたし、何より遅刻してしまう。だからお尻をあげたのだけど、何故か女の人も立ち上がり私の手を掴んだ。

 私より長くいた彼女の手は当たり前だけどすごく冷たくて、氷のようでドキっとした。

 あんまりに綺麗で冷たい彼女は、まるで雪女みたいだ。なんて思う私は、少し子供っぽすぎるのだろうか。


「風邪ひく」


 女の人は私の手をひいて歩きだした。触れた手から体温を奪われているようで何だかぼんやりしてしまう。現実味のない私は逆らわずに黙ってついて行った。


「あがって」


 氷の国のお城にでも行くのだろうかと思っていたが、当たり前だけどそんな訳はなく、マンションへ連れて行かれ、2階の角の部屋のドアを開けて促された。


「あの、私…が、学校に行かなきゃ…」


 玄関口で手を離された私はようやく意識をとりもどし、一歩後ずさった。


 何をしているんだ、私は。名前も知らない変な人にのこのこ着いてきて。とっくに遅刻も確定だし、何よりびしょ濡れだ。

 がーっと頭の中が混乱し、後悔したけど遅い。どうしよう。泣きそうだ。


「今日、テスト?」

「違います、けど」

「なら、乾かすといい。あがって」


 彼女はまた私の手をとった。どこにも強引さはなくて、むしろゆっくりした上品な動作だったのに、避けられなかった。彼女が私を見つめると見とれて動けなくなる。

 触れられた手が、何故か熱をもった。

 私は魔法にでもかけられたみたいに、さっきまでの後悔や焦りや警戒を消して、頷いて促されるまま部屋に入った。









「はい」

「あ、ありがとうございます」


 リアルなイルカが描かれたマグカップを受けとった。熱いくらいのマグカップには真っ黒なコーヒーが入ってる。


 下着もシャツも借り物のせいでとても居心地が悪い。お風呂まで一緒に入ったし今更だけど、ズボン履いてないのもちょっと恥ずかしいし。


「……」


 小さな丸テーブルを挟んで向かいに座っている。向かいでクラゲのマグカップでコーヒーを飲む白い喉が上下するのを見ていたら、自然と視線が下がって胸の谷間を見てしまった。

 大きいなぁ、とさっきも思ったけどまた思う。白くて、スタイルよくて、美人だ。ビックリするくらい美人で、同性でも見とれてしまう。


「あ」

「え…?」

「名前」

「え…え?」

「私、森下葉子もりしたようこ

「あっ、ああ、すみません。私は下村美代しもむらみよです」


 突然名前を言われて混乱したけど、自己紹介をまだしていなかったことに気づいて名前を答えた。

 すでに出会ってから一時間近く経過してるのに、今だに名乗っていなかったことに驚いた。というか私、名前も知らない人の家にあがってお風呂まで入ったのか。何をしているんだ。


「よろしくお願いします」

「よっ、よろしくお願いします」


 マグカップを置いたと思うと森下さんはいきなり手をついて頭を下げた。慌てて私も下げたけど、いやなにこれ。どういう状況?


「美代、コーヒー、ブラック駄目なの?」

「あ、えっと…ちょっと、ミルクがあった方がいいかなー、なんて」

「ん」


 私が口をつけていないことに気づいたらしい森下さん。無口で社交性なさそうだけど、意外と気遣いのできる人らしい。って、年上に言うのも失礼な話だけど。


 立ち上がりキッチンに行った森下さんはすぐにミルクと砂糖片手に戻ってきた。また向かいに座り、それを渡される。


「ありがとうございます」


 適量入れて飲む。はぁ、あったかい。

 飲みながらちらりと森下さんを見る。


「……」


 ぼうっとしているのか、それとも何か考えているのか。ただ黙って虚空を見つめる森下さんからの様子からはわからない。


「あの、森下さん」

「葉子でいい」

「あ…はぁ、えっと、葉子さん」

「ん」


 沈黙が気まずくて話し掛けたらすぐに訂正された。結構フレンドリーな人みたいだ。ほっとしながらとりあえず話のネタを探す。


「葉子さんは学生ですか?」

「大学生。2年」

「私は高2なんで、3つ違いですね」

「そう」


 興味がないのか、ローテンションだ。いやさっきからだけど。えっと。


「雨の日は、よくあんな風にしてるんですか?」

「たまに。美代は?」


 お、食いついた?


「私は初めてです。結構気持ちいいですよね」

「ん。落ち着く」

「でも体調には気をつけてくださいね」

「大丈夫。馬鹿は風邪をひかない」

「いえ、自信満々なとこ悪いですけど、馬鹿も風邪ひきますよ」

「?」

「馬鹿は風邪をひいても気づかないだけです」

「でも私、滅多にひかない」

「…それは単に丈夫なだけです。てか滅多でもひいてるじゃないですか」

「なるほど」


 ……風邪をひかないはともかく、もしかしてこの人は本気で馬鹿なんだろうか。


 ピーッ

 機械音が響く。乾燥機の止まった音だ。勝手に行くのも居心地が悪いので葉子さんの様子を伺うも、動かない


「あの」

「ん?」

「いや、えっと、乾燥機止まったみたいなんでとりに行きますね」

「まだ」

「へ?」

「ブレザーはまだ」


 ブレザーは回る乾燥機ダメ、と主張する葉子さんにより布団乾燥機的に熱風を送り込むタイプの室内乾燥機を押し入れから出してまでしてくれてる。


「古いからちょっと時間かかる」

「はあ…あ、でもまあブレザーは肌に触れないですからちょっとくらいしけってても…」

「急いでる?」

「……お言葉に甘えます」


 別に責められてるわけでも、執拗に引き止めようとされてるわけでもなくて、ただの疑問なんだろうけど、なんというか、じっと見られるとノーと言いづらい。


「そう。コーヒーいる?」

「お願いします」










「美代、今日は災難だったねー。つかどうせならサボればいいのに」


 車に泥水をかけられて遅れて行くからごまかしといて、とメールでお願いしていた幼なじみの彩華さいかが軽ーくそんなことを言う。

 ちょっと呆れるけど彩華はたまにサボってるプチ不良さんだから仕方ない。そんな彩華だから気楽にごまかすのも受けてくれたわけだし。

 彩華が私と普段登校する相手で、幼稚園からで何だかんだでつるんでいて長い付き合いで仲がいい。


「サボらない。彩華と一緒にしないでよ、不良娘」

「へいへーい、一緒に悪落ちしようぜ。ていうか私の方が成績いいし」

「急にマジにならないでよ。悲しくなるから」


 彩華はサボってるしろくにノートとらないくせに、私のノート写して私よりいい点とる。美代は要領が悪いんだよと笑いながら言われた時は頬をつまみあげてやったけど、ちょっと根に持ってる。


「にしてもホント、泥かけられるとか朝から最悪だよね」

「う、うん」


 最悪、か。実際には泥を被ったのでもないし、自分から濡れたのだからちょっと違う。


「雨、早くあがんないかな」

「そうだね」


 いつもなら無条件に同意できるけど、今日はちょっとだけ、雨もいいかなと思った。

 思わぬ出会いがあるなんていうのは漫画の中だけだと思っていた。実際に起こるとなんだか新鮮で、まだ余韻を引きずっている気がする。


 あれから結局、私はシャツやスカートにアイロンまでかけてもらってから家を出た。めちゃくちゃマメな人だった。

 美人で無口で変わってて、何だか側にいるととても気になるというか、引き込まれるような不思議な雰囲気のある人だ。


 葉子さん、か…。


 印象的な出会いで、ドキドキした。とはいえ、もう会うこともないだろうなぁ。家は知ってるけど、会いに行く理由なんかないし、向こうも迷惑だろうし。


 せっかく出会ったんだから、メルアドくらい聞けばよかったかな。今更遅いけど、何だか急に後悔した。

 もうあの不思議な人との接点がない。雨の日だけの特別な一瞬の出来事で、それはもう終わったのだ。そう思うと、少し寂しい気さえした。戸惑い、一時は何でついて行ったんだと自責さえしたくせに、今になってもっと関わりたいと思えてきてしまう。

 だってきっと、あんな出会いは私の人生にそうそうないだろう。もう二度とないかも知れない。それを無為にしてしまった。


「なーんか美代暗くない? ま、朝から雨ふって汚れてりゃ当たり前か。そだ、放課後気晴らしにカラオケ行かない?」

「あ、んー…そうだなぁ、今割引してるとこあったっけ」


 いつまでも引きずっても仕方ない。彩華の提案にのって気持ちを切り替えようかな。

 私は答えながら携帯電話を…


「あれ?」

「ん? どしたの?」

「携帯……ない」

「え、マジで? どっか落とした?」

「…忘れてきたかも」










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