_記憶の泥沼_4
バッグの下に紫陽花が咲いている。
こんなところに紫陽花? 前からあった?
紫陽花は真っ青で、とても魅力的な輝きを放っている。
冷たく不気味に輝く紫陽花は、光りを浴びたことのないような、光りを全て吸収して花びらの中に閉じ込めたような、自分の内側に全てをひきずり込もうとしているように妖しくあざみを誘惑した。
ホーム上で誰かが叫んでいるのが視界の片隅に入ってはいるが、紫陽花に心奪われ、まるで音は耳に入ってこない。
無音。
ホーム上から手を伸ばし、連れ戻そうとする人たちがいるのが分かるが、目が離せない。
『あざみ!!!!』
用賀の声が聞こえ、意識を戻した。
けたたましい警笛が耳に入り、それがうるさくて顔をしかめた。強風が髪を後ろになびかせる。
心臓がさけそうになる。
既に電車がホームに入ってきて、ブレーキをかける金属音とそのときに電車に押されて届く風、けたたましい警笛の雨があざみに降りかかる。
手を伸ばしている誰だかわからない人たちがホーム上から叫ぶ。
桜とタイラは後ろの方、ベンチの辺りまで下がり、口元に手を当てて目を恐怖に見開いていた。
助けてくれるって、引き上げてくれるって、言ったのに。
助けてくれるって言ったのに。
「助けてくれくれるって……」
遠くにいる二人の姿を見て、怒りと悲しみが入り交じったなんともいえない気持ちになる。
心が鈍く痛む。うっとうしいくらいに警笛が鳴らされ、後ずさり、線路に靴が当たった。そこから電車が走る震動が伝わり脳天に駆け抜けた。
既に紫陽花は、無い。
左右を見回して探したが、花びらひとつ残っていない。
錯覚か。
ホームに向かって足を踏み出したところで動けなくなった。
息を飲んだ。1歩も動けない。
ホームに上がれない。
そこまで、たどり着けない。
目の前で警笛が長く連続的に鳴らされ、顔を向ける。
かばんを胸の前で力の限り、ぎゅっと抱きしめた。
電車が入って来たときに見たもの。
目の前に現れたものに恐怖し、腰が砕け、その場に座り込んだ。
体が動かない。立てない。震える。
無表情の電車がすぐそこにせまる振動が腰から伝わり、心臓をえぐり出すように血液が体中を回る。
ホーム下の待避所と書かれた字が目に入り、そこまで這おうと震える体をなんとか四つん這いにさせた。
恐怖に耐えてがちがち鳴る歯、自分の意志とは真逆に大きく震える両腕、膝には力が入らない。
金属音が近づく。電車がせまる。風に煽られる。
ホーム上から悲鳴が聞こえた。
全身を針で刺されたような痛みを感じ、髪の毛が逆立つのを感じた。
待避所に行くことができない。
もう、動けない。




