『旅路の途中で』
色々な出来事が起こりながら、未来に来て三日目の朝を迎えた。
正直未来だという実感は子孫に会うまで無かったわけだが……というか、本当に俺の子孫なのかも怪しいが……
何はともあれようやく荷造りが終わり、神殿へと旅立とうとしていた。
人数的にも荷物が増えてしまい、俺らは徒歩で向かうことを余儀無くされた。
食料をヤノ、日用品をユノが背負っている。
咲良は本日、紺に黄色のラインが入った競泳水着を着ていた。その上に白衣を羽織り、足にナイフをくくり付けている。
白衣の裏には爆弾が大量にぶら下がっているとか。
そして俺らはというと、相変わらずの制服姿だが、早速昨日購入した武器を装備している。
「扱い方は使って慣れるのが一番よ」
というわけで、スナップイーターの出没ポイントを中心に歩いていた。
イーターと付くからには凶暴なのだろうと予想していたが……
「少し大きめな、ミミズ?」
蛇の胴体が太くなったようなもの。人間くらいというわけではないので、拍子抜けしてしまった。
「ひぃぃっ!!」
……葵衣が気絶しかけるほどではあるみたいだけど。
短い無数の足で地を這いながら近寄るスナップイーター。
俺の振るう槍が空を切り裂き、スナップイーターを切断した。
切れてもまだ動くため、今度は串刺しにすると、ようやく動きを止めた。
「まあまあね。それでも――」
そして咲良は葵衣に目をやる。
「あれよりは数百倍マシよ」
怒るべきか、泣くべきか、喜ぶべきか……冗談抜きで反応に迷る。
「ち、近づくんじゃねぇっ!」
利き手で順手に持った太刀、反対の手で逆手に持つ小太刀。
その両方があらぬ方向へ向けられ、見事に空振っていた。
本人の意図とは関係なくスナップイーターの注目を集め、警戒させるため、俺と咲良は後ろからこっそり切りつけるだけで絶命させられた。
「もしかして盾としては使えるのかしら……」
咲良の発言はもはや葵衣を道具と認識しているようなものだが、現状を考慮すると、確かに盾役が適任に思える。
「氷雨、次行くわよ」
「あ、うん」
葵衣の背を叩き、先へと進んでいく。
「神殿に近付いてくほどに強くなっていくから、用心しなさい」
本当にゲームみたいだ……でも、間違いなくゲームの世界じゃない……
必要以上の憧れは傲慢に等しい。
……だから俺は、もう現実から逃げ出さない。
過去の自分に恥じないためにも、前に進み続ける。
「また来たわね」
すでに何度目の遭遇だろう。
まだ三分の一程度しか進めていないが、敵は容赦なく行く手を阻む。
「はっ!」
槍を胴体へと振り下ろし、スナップイーターを真っ二つに裂いた。
切られた身体を未だにうにょうにょと動かす姿に、ついに葵衣は凍りついたまま動かなくなっていた。
「いい加減、腹くくりなさいよ」
命懸けの覚悟が無ければ生きていけない。咲良の言葉の裏には、そんな思いが含まれているようだった。
それに対する葵衣の返答。
「…………むり、だ」
ガタガタと生まれたての小鹿のように足を震わせ、立っているのがやっとといった具合。
とても戦うことなど出来そうにない。
「私は守らないわ。容赦無く見捨てるわよ」
もはや咲良は支援することを諦め、匙を投げた。とはいえ、俺も咲良の気持ちがわからないわけではない。
「いつまでも、守っていられない」
葵衣が俺のことを見る。
切望の眼をしている理由は、最終的には助けてもらえると思っているのかもしれない。
学力や機械に関しては聡明でも、バカ正直で人の感情に鈍感な葵衣。
だからこそ俺は、胸が痛くなることがある。
――葵衣は本当の俺を知らないから。
「俺は俺の命が一番大事なんだ」
いざとなれば他人のことは切り捨てる。
人を見殺しにする覚悟は出来ている。
「……氷雨は、自分が思っている以上に優しいよ」
知ったような口を利く葵衣。
『俺は、お前の望むような人間じゃない』
喉まで出かかった言葉を慌てて呑み込んだ。
善人面をしようって訳じゃない。ただ、葵衣の失望する表情を見るのが怖いと思った。
「無駄口叩いてないで、さっさと進むわよ」
機嫌が最悪な咲良は、俺が葵衣を突き放すのとは別にプレッシャーを与えていた。
けれど、咲良のおかげで深刻な雰囲気から逃れることが出来たという意味ではホッとしている。
「それにしても、一体どれくらいかかるんだ……」
「ヤノとユノに乗れれば、これくらいの距離余裕だったのよ?」
神殿が視界に入る程度の大きさまで近付いたとはいえ、途方もない道のりだった。
真っさらな砂漠は途中に町や植物など無い。
時おり見えるのは虫の影と、ヤノやユノのような巨鳥に乗る人くらいだ。
「それにしてもあっついわね……」
「ああ……」
俺らが歩む度に砂漠には水玉模様が描かれていた。
制服はすっかり汗ばみ、肌が透けている。女の子ならば色っぽいんだろうなと不純な事を考えてしまう。
――カシャシャシャシャシャシャッ!
唐突に無数のシャッター音が聞こえ、思わず音がした方へ振り向く。
当然ながら犯人は――
「ぴゅ~」
「葵衣?」
口笛を吹いて(吹けてはいない)誤魔化しているが、つい先程までスマホのカメラ機能を使っていたことは明白だった。
「…………」
無言のまま見つめていると、苦笑いしながら背中に隠していたスマホをポケットへ……
「わりぃ、つい手が滑った」
「いや、仕舞わないで消せよ」
「消した消した。心配してんじゃねぇよ」
「消してないだろ、明らかに」
俺と葵衣のやり取りを傍観していた咲良は、あまりにもくだらない内容に頭を抱えていた。
「そ、それにしても、こんなに砂漠ばかりになったのは、やっぱり神様の影響なのか?」
苦笑しつつ話を変えると、葵衣はこっそりガッツポーズをしていた。
……昨日咲良に頼んだあれは、案外早く出番が来るかもしれない、か?
眩しい日が照っている中で砂漠を歩き続けるのは、予想以上に体力を消耗していた。
「氷雨、そろそろ水飲みなさいよ」
竹筒の水筒はあと4本。先はまだまだ遠い。
「その水、どう考えても貴重だろ。咲良が飲めよ」
「私のはまだあるわよ」
葵衣の様子を見ると、もはや干からびたミイラのようになっており、竹筒を逆さにしながら必死に舌を出していたが……
「ちょっと葵衣!それ私が作った爆弾よっ!?」
火薬のびっしり詰まった爆弾から水が出るなんてことはあり得ず、咲良が慌てて爆弾と水筒をすり替えた。
やっぱり咲良も、なんやかんや葵衣のことを気にしてるのか……
「火薬は水より貴重なんだからね!」
「そっちかよ!」
あまりにも酷い扱いに葵衣へ哀れみを感じていた。
「い、生き返るぅ……!」
うっとりしながら空を見上げる姿はなんというか……今にも天に召されそうなほど、清々しかった。
「それにしても、思った以上に時間がかかるわね」
ビクッと葵衣が震えた。
それもそのはず。主に葵衣の戦闘に時間が食われているのだ。
「でもまぁ、少しは動けるようになってきたみたいじゃない」
最初はとりあえず刀を振ることと固まることしか出来なかったが、数時間の間に攻撃を避けながら一撃入れることが出来るようになっていた。
「お、おう、さんきゅーな」
ぎこちなく返答する葵衣は、何故かガタガタと大きく震えていた。
「葵衣?」
「違うわ」
青ざめる咲良はすでに危険を察知していた。
ドドドドドドドド……
今まで聞いたことがないほどの地響きがした。
俺らだけではなく、ヤノとユノまで立っていられずに倒れてしまった。
地震に例えると震度5くらいはある気がする。
まるで地中から地面を何度も叩きつけるような音と共に、ゆっくりと巨大な虫が現れる。
虫とはいえ、その大きさは今までの比ではない。十両の電車が突如として地面から生えてきたような迫力。
――そんな印象だった。
「……もはや、虫じゃなく化け物じゃねぇかっ!!」
ようやくイーターという名称にふさわしい姿を拝めた。
ところが、武器を構えたというのに、俺らには目もくれなかった。
スナップイーターは自身の体に向けて、鋭い牙の生える口を大きく開けていた。
「あいつ、何をするつもりなんだ……」
おどろおどろしい姿に俺は思わず後ずさった。咲良と葵衣も距離を取っている。
そして、ブチュッ!と音を立て、スナップイーターの身体が千切れた。
血が飛び散り、三人は血の雨を浴びた。
「え……」
全身を覆う真っ赤な水玉模様に、胸騒ぎがした。
――ドクン
大きく心臓が波打つ音。
自分の身体が、自分のものでは無いような感覚。
けれど、胸は沸騰したかのように熱く感じる。
『お前は用済みだ。さっさと消えろ――』
頭に響いた声は無情にも家を追い出された時に告げられた言葉。
両親と死別し、新しい家族として親戚に迎えられた。
新しい人生を、新しい家族達と過ごしていくことに疑う余地などなかった。
……はずだった。
『お前は遺産を手にするための道具。価値はもう無い』
幸せな時間は翌週には奪われていた。
突然家の外へと投げ飛ばされ、汚れひとつ無かった白い服は灰色に染まり、身体は擦り傷だらけ。髪の毛も含めた全身が泥にまみれていた。
『さっさと消えろ。父さんも母さんもボクのものだ』
ドアの影から覗き込み、上から目線の言葉を放たれる。
それは年下の弟分的な存在だった少年。
家族に愛されていた。
友人に好かれていた。
弟に慕われていた。
――そんな気がしていただけだった。
本当は自分の味方など皆無だったらしい。
血の繋がりがあろうと、結局親戚は少し顔を知っているだけの、他人でしかない。
それでも俺には、ここにしか居場所が無かった。
『お願い、します……俺、他に行くところが無いんです…………』
俺は恥を捨ててまで、どしゃ降りの中で泣きながら、泥を啜りながら土下座した。
なんでもするから、どんな扱いでも構わないから置いてくれと、必死にすがり付いていた。
プライドなんて持っていなかったかのように、感情を、想いを、心を、理性を殺して……
殺して、
殺して、
殺し尽くして、
何もかも言う通りにするほど従順だったとしても、存在を許しては貰えなかった。
何でもするという言葉通り、都合の良いようにこき使われ、ストレス発散のためのサンドバッグにされる。
用が無ければ明かりの無い倉庫に閉じ込められたまま、数日を過ごすことさえあった。
理不尽に心を奪われ、理不尽に殴られ続ける日々。
もはや痛覚ですら、生まれたときから備わっていないと思えるほどに機能しない。
虐待が続いたある日告げられた言葉は、未だ忘れられない。
『血が出ても、泣きも叫びもしない。気色悪いなお前……』
そう言って酒瓶を構えられた。
――ピキッ
その酒瓶はコント等で使われるものとは違う。すぐには割れず、ただの鈍器でしかない。
鋭い破片で刺されることは無いが、その分撲殺される恐怖が頭を過る。
殴られても殴られても……いや、殴られる程に痛みは感じなくなっていた……
――パキパキ……
痛みは無くとも、血は流れ続ける。
血液が足らなければ、頭も視界もボヤけていたはず。けれど、俺の思考はむしろ冴え渡っていた。
俺が望んだわけじゃない。
お前らが望むように、決して歯向かわない操り人形になったんだ。
――パキーンッ!!
心が、壊れる音がした。