『再会と目標』
「……で、その女誰?」
咲良に薬で手当てをしてもらい、無事に身体の痛みが消えた頃、俺は人生初の修羅場というやつを体験していた。
宿屋は一組一部屋と決まっているらしく、俺は簡易ベッドに座る葵衣を見上げるよう、床に正座していた。隣には咲良も居る。
「俺は夕狩葵衣、氷雨の恋人だ。お前は?」
頼むから余計なことは言わないでくれと念を送りながら、どうにか先手を打とうとするが――
「私は神在月咲良。氷雨の彼女よ」
やはり間に合わなかった。
葵衣の視線には殺意が込もっている。
「いや、頼む葵衣!聞いてくれ!」
「なんだ?遺言ならすぐに言ってくれよ?」
いつの間にやら俺が咲良に渡されたナイフを手にしている葵衣。
ここで下手に嘘をつけば死は免れないだろう。
「ごめんなさい、咲良と付き合ってます」
「この浮気者がっ!!」
「うわっ!」
降り下ろされたナイフを間一髪で避ける。
これでも一応素早さだけには自信があった。というのも、何度か死にかけたことがあり、必死に努力して鍛えたのだ。
――化け物には通じなかったわけだが
「ちょこまかすんじゃねぇっ!!」
ブンブンと振り回されるナイフを、華麗とは言えないがギリギリで避けていると、不意にその手が止まった。
がっしりと咲良が葵衣の手を掴んでいたのだ。
思いの外力強いのか、葵衣は振りほどけない。
「離せよ!」
「じゃあナイフを返してちょうだい」
気迫に耐えかねたのか、葵衣は渋々ながらも咲良にナイフを差し出す。
「……わかったよ」
ナイフが収納され、やっと一息つくことができたと思っていたが――
「さあどうぞ?」
「「止めるわけじゃないのかっ!?」」
ついつい口を揃えて反論してしまっていた。しかし咲良はケロリとした表情で告げる。
「私には関係無いもの」
当事者である自覚が皆無だということに、少し胸が傷んだ。
「それに、続きは明日にしましょう」
窓の外に目をやると真っ暗。屋台や店はすでに閉まっているようだった。
当然ながら通行人はいない。
時計の時間は八時くらい。ということは、かなり閉店時間は早いようだ。
「お腹が空いたわ」
不意に呟かれ、俺と葵衣は笑ってしまった。
葵衣の顔面に鉄拳が飛ぶが、寸止めだったようだ。
ところが葵衣は衝撃で気を失っているようだった。
「先行ってるわ」
「ほどほどにしてやってくれ」
咲良は食堂目指して葵衣を引きずって行った。
「俺も行くか……」
部屋を出ようとしていると、足下で咲良のリュックが倒れていた。
バラバラと床に荷物が散らばってしまう。
「全く、ちゃんと閉めとけよ」
薬草や瓶、本などの様々な物を仕舞っていく。
ふと、本に挟まる紙切れに目がいった。
周囲に誰もいないことを確認し、そっと紙切れを引き抜く。
「これって、もしかして」
色褪せた写真にはまだ幼い咲良と、二人の大人の姿。
きっと、咲良と家族の写真。
見てはいけない、咲良の大切なモノ――
『氷雨ー!早くしなさいよー!』
「い、いまいく!」
罪悪感を抱きながらも、元通りにして部屋を出た。
階段を下り、食堂で二人を探す。
「氷雨!遅いわよ!」
咲良は楽しそうに楕円形の揚げたイモをかじっていた。音からもっちりとした食感のようだ。
その隣では葵衣がサンドイッチを食べている。レタスを主役とし、トマトやチーズ、ベーコンなどが挟まれている。
丸テーブルのため、咲良と葵衣の二人の間に座ることができた。
すぐにウェイトレスのお姉さんが来る。水着にエプロン……下手すれば裸エプロンと同等の破壊力が――
「ご注文は何に致しますか?」
「えっ!?えっと!」
慌ててメニューをめくり、なるべく安くてお腹に溜まりそうなものを探す。
「じゃあ、黒パンで」
「かしこまりました」
ペコリとお辞儀をすると、ウェイトレスは去っていった。
「今、咲良からこの時代のこと色々聞いた」
そう言うとモグモグと口を動かし始めた葵衣。表情は何やら複雑そうだ。
「一夫多妻制とかもあるしな、浮気については謝罪するぜ」
「いや、問題はそこじゃないだろ」
「ん?ああ」
どうやら理解してくれたようだ。
「咲良、こいつ怒らせると大変なことになるから気を付けろよ?」
「そういうことじゃない!!」
「冗談だって」
本当に冗談なのかは怪しいが、まぁいいということで……
「人工的に神が造られ、見捨てられ、神に奪われたセカイ、だろ?」
チラッと俺を見る葵衣。
「そういえば、誰が神を造ったか、咲良は知ってるのか?」
「ん?この人よね?」
イモで葵衣のことを差す。
「行儀悪い」
咲良をたしなめると、俺は葵衣と目を合わせた。考えることは二人共同じだ。
「葵衣すごいな」
「俺ってすっげーんだな」
自画自賛していることはさておき、流石に葵衣を尊敬すべきだと思った。
――まさか本当に実現しちゃうんだから
「まぁ、タイムマシンも造ったくらいだしな」
「あ、そうそう」
何か思い出したかのように咲良が口を開いた。
「そのタイムマシンてどういう形なのかしら?氷雨の側にはそれらしきものは無かったのよね」
俺は適当な紙を手に、ポケットに隠していたペンで棺を描いていく。
「こんなの」
みるみるうちに咲良の顔が青くなっていく。
「咲良?」
心配そうに顔を覗いていると、突然咲良は頭をテーブルに付けた。
「ごめんなさい!私、数年前にそれを壊してしまっているの!」
「数年前に壊した?」
「神殿に置いてあったのを見つけて、オモチャかなとか思って弄ってたら……」
「…………」
明後日の方向を見つめながら、ダラダラと汗が流れていく。
沈黙に耐えることが出来なかったのか、咲良は頭を深々と下げた。
「ごめんなさいっ……!」
葵衣の額に汗が浮かんでいく。
ついでにこめかみがピクピクしている。
……あ、やばいかも
どうやら予感は的中していたらしい。
「俺ら帰れねぇじゃねーか!」
テーブルをひっくり返しそうな勢いで咲良に怒鳴る葵衣。けれど、俺は怒っていない。
「どうせすぐには帰れない」
「は?」
葵衣の機嫌は最悪だった。
「あのな、葵衣」
本当にこいつは残念な天才だな……
「あの時棺に触っていたのはお前だけじゃないはずだ」
「…………あ」
どうやらようやく気づいてくれたらしい。
「沙羅さんと結城さんが、このセカイの何処かにいるはずだ」
「その沙羅さんと結城さんって、どんな人なのかしら?」
「沙羅さんはたくさんのお稽古を嗜む大和撫子的なお嬢様。結城さんは……男同士の友情を愛するへんた――優しい人?だよ」
「その二人とはぐれてしまったのね」
葵衣はようやく平静になったようだ。
「恐らく俺らがバラバラになった理由は、タイムマシンの故障ってとこだろーな」
これでこの時代での目標が出来た。
一つは神に出会うこと。
もう一つは、二人を探し出すことだ。
しん……と、静寂が支配する中、一滴の水が地に落ちた。
カンテラに明かりが灯り、ゆっくりとその部屋を照らした。
黒が基調の広間のような空間には、玉座が据えられているだけ。
玉座に座るのは緋色の幼い少女。この世界で恐らく唯一、水着ではない。
可愛らしい赤と黒のドレスを身に纏い、幼くも妖艶な雰囲気を持つ。
年相応ではないそれは、少女の正体ゆえだろう。
この少女はとある青年により生み出され、傍観し、時に干渉しながら世界を動かしてきた。
――人間に神様と呼ばれる存在。
神はしばらく目を閉じていたが、開くとすぐに微笑んだ。
黒曜石で出来た床にはほんの少し水が張ってあり、常にひんやりとした空気を保つ。
その水面が、ぱしゃんと音を立てて揺らいだ。
「どうしたの……?」
神にそう訊ねたのは、サラサラとした緑髪を下ろし、スミレ色の袴を着た少女。横髪を編み、柊の髪留めで留めている。
清楚で上品な大人びた姿はまさしく――大和撫子という言葉がふさわしい。
「ナギ……?」
少女はナギという名の神の目前まで接近していた。さらに、段差により少女とは同じくらいの高さとなる。
「いやぁ、君の友達ってすっごく面白いねぇっ!」
「友達……?」
「氷雨君と葵衣君、友達じゃなかったのかなぁ?」
「友達じゃ、ない。でも――」
普段は無表情に近い少女の表情が、ほんのりと赤らみ、笑みを溢したことで、ナギは目を見張った。
「大切な人」
幸せなオーラが溢れ出し、思わぬことにナギは苦笑してしまう。
「そっかぁ」
けれど幸せはすぐに曇ってしまった。
「でも……大切な人、もう一人……」
「あぁ、結城夜宵のことだよねぇ」
意味深な反応に少女は眉をひそめる。
「やっぱり、知ってるの……?」
「ううん、あたしはこの世界を見捨てちゃったから、気になったことしか知らないことにしたんだぁ~」
「私のお願い、でも?」
「ダメだよぉ。この時代に来たのはあくまで偶然みたいだし、多分あの子がタイムマシンを壊しちゃったからだも~ん」
ナギは然り気無く少女の背後に回ると、にんまりといかにも悪巧みを思い付いたような黒い笑みを浮かべた。
「で・も」
両手をそっと背中から回し
「あっ……」
少女の柔らかく豊満な胸を、優しく揉み始める。
少女は頬を赤らめるだけで何も言わない。抵抗せずに受け入れていた。
「ん、はぁ……」
ありのまま、逆らうことは許されないとでも言うように。
「はぅっ」
力加減は次第に激しいものに変わっている。
「あたしをその気にさせてくれるなら、いくらでも教えてあげるよぉ~?」
「んぁあ……っ!」
少し強く握られ、少女はあられもない声を出す自分に気づいた。
恥ずかしそうに俯くが、ナギは容赦なく少女の顔を上げさせた。
「あたしのモノになっちゃいなよ、ねぇ?」
子供らしい見た目とは裏腹に、悪魔のような不気味な笑みが浮かべられる。
「ね?沙羅ちゃん♪」
沙羅はぐったりとした様子でナギの身体にもたれ掛かった。
――誰か、早く連れ出して。ここから
沙羅の心の声は誰にも届かず、部屋を流れる水の音に消されてしまった。