中編
明くる日の朝、青年は弟様の執務室を訪ねました。
何がはじまるかと言えば、いつも恒例の弟様会議です。
「あやしいな」
「アヤシイですよね」
二人がしきりにあやしいと話しているのはお嬢様の婚約者候補であるファティ様のことでした。ファティ様の素姓は確かで二人ともそこらへんの心配はしておりません。
問題なのは人間性でした。
ファティ様は好青年過ぎるのです。
お嬢様がファティ様そっちのけで飼い猫に餌をやっても、
手の滑ったお嬢様に熱々の紅茶をかけられても、
ダンスの練習で何十回とお嬢様に足を踏まれても、
眉ひとつ動かさず、笑みを崩さぬまま主を許すのです。
なんという忍耐力でしょう。
せっかく、ファティ様が主を嫌いになるよう仕向けたというのに。
青年の苦労が水の泡です。
「なに、僕だって顔のいい男だから信用ならないとは言わない。だがしかし、公爵家で騎士としての実力もあり、極めつけにはあの容姿だ。姉上以外の女性だってよりどりみどりだろう」
「そうですよね。お嬢様の魅力はよく味わってからわかるものであって、一目で理解されるものではないと思うのですよ。ちょっと容姿が整っていて口先の上手い男は危険です」
「そうだ、危険だ」
天使のような弟様と魅惑の美青年は顔を見合わせて深々と頷きます。
ええ、二人の話は誰が聞いてもとんだ言いがかりですね。
ですがそれだけお二人ともベルデスお嬢様のことを大事に思っていて、結婚相手を見る目が厳しくなってしまうのです。
「フラド様、お嬢様は私が選んだ男性と結婚したいと願われました。お嬢様はファティ様に多少の好意を抱いているようですが、私はファティ様以外の男性を選ぶのでご安心ください」
「君もとんでもないことを押し付けられたね。姉上のお相手の基準は決まっているのかい?」
「はい、まずはお嬢様に一途で大切にして下さること」
「それには僕も思う所があるよ。父上が碌でもない男だから」
「ふたつめに、お嬢様の異能性を否定されない方」
「姉上の力を好意的に受け止める者ならいいけど、奇異の目を向ける者も多いだろうね」
「みっつめに、小児性愛者でないこと」
「あれでも姉上はもう二十歳なんだよね。子供の作り方もしらない人だから心配だな」
「よっつめに、お嬢様に立派なレディーを強制しないこと」
「もうそれに関しては経験済だ。姉上は自然体でいられるのが一番だ」
「いつつめに、」
「……アズラク、この条件は何個あるのさ?」
「今のところ思い浮かんだのは五十個くらいですかね。まだまだ増えると思います」
「限りないね。けど君の言いたい事は解かった。僕は全ての条件を満たす男を知ってるよ」
「……それはいったい、どこの誰でしょう?」
「それを見つけるのが君の仕事だろう。この件は君に任せておけば何とかなりそうだ。あと今度、姉上が行く王宮のお茶会には君も付いていくようにしてね。姉上を野放しにしたら何が起こるか解らないから、制止役が必要だ。それじゃあ、姉上の婚約者が決まったら真っ先に僕に教えるように」
「わかりました」
大事にしてきたお嬢様を誰かに嫁がせなければならないとは、考えるだけで青年は憂欝でした。
「いや、君はまったくわかってない。でも嫌でも気付くよ、絶対にね」
弟様は預言者のような言葉を残して、仕事に取り掛かり始めました。これ以上この場にいても弟様はなにも教えてはくれないでしょう。そうしている内にも、青年の頭にはお嬢様の婚約者に求める条件が無数の泡のように浮かんできます。消えぬ内に書き写さねば、と急いで青年は部屋に戻って行きました。
「お待ちしておりましたわ、ペレンニス家の魔女さん。どうぞお座りになって」
王女の了解を得た主は、礼をしてからちょこんと椅子に座りました。二人は王宮の一角にある王女専用の庭園に来ていました。青年は内心ハラハラしながら主の様子を見守っております。
ピンクブロンドの髪にぽっちゃり体型の王女の名前はムニーラ・バトゥール。王様に甘やかされて育ったなれの果てです。彼女の後ろには主の婚約者候補であるファティ様が剣をたずさえてひかえておりました。
「王女様、わたしは魔女ではありませんよ?」
「?どこからどう見ても魔女でしょう。二十歳を過ぎても少女のまま、けれど容姿ばかりが美しくなっていくなんてうらやましいわ。私にも魔法をかけてくださらない」
「わたしはそのような魔法は使ったことはございません」
「嘘を吐くのはよろしくないわ。私に美しくなる魔法をかけてくれたら、何でも差し上げるわ」
「ムニーラ様」
ファティ様が後ろから王女を諫めます。青年から見ても王女は自分の言葉の重みを理解していないように見受けました。美しくなる代わりに魂をよこせと言われたらどうするのでしょう。何も考えていないに違いありません。主を困らせるのなら消えてしまえばいい、と青年は心の中で毒づきました。
「何よ、ファティは最近減量減量とうるさいのよ。こんなにおいしいお菓子を我慢できるわけないでしょう。ベルデス様も召し上がって。このマカロンというお菓子は天上の味がするのよ」
「はい、いただきます」
主がぱくっとマカロンを口に運ぶと見るからに表情がほころびました。王女はそんな主を見て満足げに頷きます。
「それにしてもあなたの執事は目の保養になるわね」
王女の俗っぽい視線が自分に向かい、青年は眉をしかめました。机に肘をつけた王女は夢見る少女のような瞳でうっとりと語りはじめました。
「あなたたちを知ったのはね、メイドたちがきゃあきゃあと騒いでいたからなの。町に出かけたらまるで劇場の舞台から飛び出してきたような美男と美少女を見たというじゃないの。お姫様だっこなんて、姫である私でもされたことがないのになんということでしょう」
この王女を持ち上げるには余程の腕力がなければ不可能でしょう。
「ムニーラ様が今の体重の半分になったら、私がお運びしますよ」
「ファティ、私はそのような非現実的な話をしてないわ。ベルデス様、ファティとあなたの執事をとりかえっこしましょうよ」
それは紛れもなく禁句でした。
王女の背後に立つファティ様は鬼のような顔で王女を見下ろしています。
そして青年も王女の元へ行くなどまっぴらごめんでした。
そんな冷たい空気が吹きずさむ中、主が静かに口を開きました。
「ファティ様、あなたが忠誠を誓ったのは王女様ですね」
「はい、私の剣はムニーラ王女だけに捧げられたもの。他の誰でもありません」
「王女様、たとえ主が代わっても心は簡単にとりかえっこ出来ません。
ファティ様が王女様だけを主として考えいるように
わたしはアズラクだけを執事として望むのです。
誰かの代わりなど、どこにもいないのです」
青年は主のセリフに胸が熱くなりました。以前、弟様に仕えるカスラーンと自分をとりかえっこした時は簡単に了承した主が今回はハッキリと王女の願いをお断りしたのです。青年を唯一の執事として望んでくれるなんて、こんなにうれしいことはありません。
「なによ、なによ!ちょっとくらい私のお願いを聞いてくれたっていいじゃない。私はこの国の王女なのよ!うやまいかたがなってないわ。ファティ、やっておしまい!」
いきなり出撃命令を出されたファティ様は肩を竦めてからスッと剣を抜きました。青年は咄嗟に主を守ろうとしましたが間に合いません。それだけファティ様は実力のある騎士でした。
主の首に突きつけられた剣を見て、青年の顔は青ざめました。何かの拍子に主が動いてしまえば、その細い首に剣の切っ先がブスリと突き刺さってしまうでしょう。
しばらく、沈黙が続きました。
「……お嬢様、私のことはよろしいですから」
青年は諦めたように口を開けました。王女は勝ち誇った笑みを浮かべます。まったくもって面白くない。青年は王女の執事にはなりたくありませんが、主の命には代えられませんでした。
「ダメよ」
主にしては厳しい口調で青年の言葉をさえぎりました。
青年はその見た事のない主の剣幕に息を飲み、何も言えなくなりました。
「ふふっ、貴女は思ったより情熱的な女性のようだ。なのに数々の男と見合いをするのですから、あまりにも罪作りだ」
ファティ様は主に剣を突きつけたまま嗤いました。
「おっしゃることがよくわからないわ、ファティ様。わたしは何がいちばん大切か解っているだけよ」
その後も主は一歩も譲らず、膠着状態が続きます。
「青い鳥が飛んでいるわ!」
緊張の糸を切ったのは王女でした。
王女は空を飛ぶ青い鳥を指差して周囲の者たちにつかまえるよう指示を出しました。王女の命令にメイドも給仕係りも庭師もみんなあわてて動き出します。ファティ様の注意がそれたその隙をついて、青年は主を自分の胸に抱き寄せすぐさま背中に隠しました。
「大丈夫ですか、お嬢様」
「ええ、あなたがいるもの」
青年は心臓をぎゅっと鷲掴みにされました。
主は青年を動揺させることに関しては天下一品なのです。
「ふふっ丸腰の君が彼女を守れると思っているのかい?」
余裕の笑みを浮かべたファティ様が青年に剣を一振りした時、剣は青い薔薇の花束に変化しました。これにはファティ様も驚きを隠せません。
「これが貴女が《ペレンニス家の魔女》たる所以かな」
「わたしは魔女ではないわ。ただの偶然よ」
この異常現象をただの偶然で片づけようとするなんて流石お嬢様。そのお嬢様の肩に青い鳥が止まり、ちゅんちゅんと頬をつつきました。
「ん?あなた、羽に棘が刺さっているのね。今、抜いてあげるわ」
確かによく見れば小さな棘が刺さっています。そのことに、捕まえようとしていた者達は誰も気が付きませんでした。その様子を王女様も使用人たちもみんな茫然と眺めています。先程まで逃げまどうように飛んでいた青い鳥がお嬢様を見つけた途端に一直線、その肩に止まったのですから不可解でなりません。
そして、主が棘を抜くとその棘はパァンと光りはじけて青い蝶に変わりました。その青い蝶は瞬く間に増えていき、主と青年の周りを囲うように飛びまわりました。
「このコ、わたしがこの前、馬車から見た蝶だわ」
「あぁ、いつか言ったとおりになりましたね」
青い蝶に、奇跡の青い薔薇と幸せの青い鳥。いつでも主の願いはいつだって人を幸せにする為に働きます。だからもう何の心配もいらないと青年は瞬時に悟りました。
青年の主の周りでは数々の奇跡が起きます。
でも青年はたとえ主が不思議な力を持っていなくてもいいのです。
何もないところで転んでもいいし、おっちょこちょいでお転婆で、人より苦手なことが多くて、昔のように髪が短くてもそばかすがあっても気にしません。
それらをすべてひっくるめての主です。
ファティ様が主に賛辞の言葉を贈る度、青年は心の中で叫びました。
『ベルデス様はとても可愛らしい』
そうでしょうとも!
私が手塩にかけて育てたお嬢様だ。
お嬢様の可愛らしさは容姿で語るものではない。
私はお嬢様のまばたきのひとつにさえ可愛らしさを見出せる。
『そこも貴女の魅力のひとつだね』
それがどうした!
私はお嬢様の魅力について一晩中語りつくせるし、本だって出版できる。
むしろ新参者がお嬢様を語るなんておこがましいにも程がある。
『何でもいいんだ、もっと貴女のことが知りたいな』
そんなの無駄無駄!
お嬢様の壊滅的な絵日記も黒こげミートパイの味も意外な歌の才能だって、私だけが知ることを許された特権だ。貴様の出る幕はない。
『どうか、どうか、私の為に来て頂けませんか』
ファティ様が主の手に口づけた時、青年はいまだかつてない怒りに支配されました。そのお嬢様に触れた汚らわしい唇に焼きごてを押し付けてやりたい。ギィギィのこぎりで手首を切り落してやればあの男の胡散臭い笑顔も崩れるだろう。
と、そこまで考えて青年は我に返りました。
青年がファティ様に罰を与えれば主は悲しむでしょう。
主を第一とする執事としてそれは許された行為ではありません。
つまり自分は主の為ではなく、自分の為にお嬢様に近付く男を遠ざけたかったのです。ファティ様もユリアン様もリンバーハット様もダスト様もファシール様もジョアサン様も皆、弟様が慎重に選んだ見合い相手だったにも関わらず青年の気持ちは変わりませんでした。
どうにもこうにもお嬢様に近付く男というだけで青年は相手が気に入らなかったのです。これでどうして主の結婚相手を見つけられるでしょう。
青年は自分の正直な感情を、認める他にありませんでした。
弟様の言うように青年は何もわかっていなかったのです。
蝶は二人を包むように円になって飛び回ります。青い蝶たちに囲まれて、王女もファティ様も見えなくなってしまいました。青年は何が起きても大丈夫なようにぎゅっと主を抱き締めました。
「どうしましょうか、お嬢様」
「そうね、おねがいしてみましょう」
きれいなきれいな青い羽
空のひとみがみえないわ
私をつつむ青いまなざし
空よりたかく海より深く
窓をあけたらあえるわね
主が歌い終わると青い蝶たちは高く高く飛んで空にとけていきました。見渡すとそこは王宮の庭園ではなく、見慣れたペレンニス家の庭でした。腕の中の主はじっと青年の顔を見上げています。急に恥ずかしくなった青年はバッと主の背中にまわしていた腕を解きました。
「やっぱりあなたの青がいちばんキレイね」
それは青年の瞳の色のことをさしているのでしょう。青年はいつか主がいらなくなったらちょうだいね、と言っていたことを思い出しました。
「あげませんよ」
「ええ、いいわ。あなたの瞳が手元になくても、わたしは空を見る度にあなたを思い出せる。あなたはどこにいてもわたしを見守ってくれてるわね」
それはまるで別れの挨拶のようでした。
代々ペレンニス家に仕える家に生まれた青年は主が結婚してしまえば嫁ぎ先までついていくことは出来ません。主がペレンニス家のお嬢様ではなくなってしまうからです。青年は見たくもなかった現実を他の誰でもない主に告げられ、自分の唇を強く噛みしめました。
「さぁ、帰りましょう。」
ちいさい主の手が青年の手を握ります。
七年前は同じ大きさだったのに、時が経つにつれ差は開いていき、手を繋ぐ回数も減っていきました。二人とも子供のままではいられませんから自然の流れでした。
それでも本当は、いつまでも主の手を繋いでいたかったのです。
「私達は大人になるには早すぎましたね」
「わたしもね、ずいぶん前からそう思ってたわ」
青年が指を絡ませると主は嬉しそうに青年を見上げました。
こんな顔をしてくれるのならば、もっと早く手を握ればよかった。
心から青年はそう思ったのです。




