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たぐいまれなるあるじ  作者: 九重 木春
たぐいまれなるお嬢様
5/7

前編

 町の石畳の上にひとりの少女が馬車からいきおいよく飛び出してきました。そのうしろを青年が追い駆けます。町の人々は何事かと、じろじろ二人のようすを眺めています。


「お嬢様、大丈夫ですかっ」


 靴のヒールが折れて少女は顔から転んでしまいました。

 青年はポケットからハンカチを出して少女の鼻の上の傷にあてます。


「らいりょうふよ」

 見た限りちっとも大丈夫そうではありません。青年はため息をついて、少女を胸に抱き上げました。少女は楽しそうな顔で青年を見上げます。


「事情はあとで聞きますから、ひとまず馬車へもどりましょうね」

「あーあ」


 軽々と少女を持ち上げた黒髪の美青年に町娘たちは見とれています。抱き上げられた少女は愛らしく、それはまるで物語から飛び出してきたような二人でした。








「ふわふわ青い蝶が飛んでたのよ」

 青年の主は頬を膨らませて馬車から出た理由を話しました。


「めずらしいでしょう」

 だからアズラクにも見せてあげたかったの、しゅんと顔を伏せた主に青年は大きなため息をつきました。


「お気持ちは嬉しいです。ですが、私には蝶よりお嬢様がいなくなった方が一大事なのですよ。驚いた馬に轢かれたらどうするんですか!そのようなことでお嬢様が命を落としたら死んでも死にきれません」

「ごめんなさい、気をつけるわ」

 主は素直に青年に謝ります。青年はその素直な所も主の美徳としておりますから主に厳しくしきれません。


「……まぁ奇跡の青い薔薇に、しあわせの青い鳥と言いますからね。青い蝶も縁起がよろしいかと」

 主はパァァッと表情を明るくし、身を乗り出して大きく頷きました。


「あなたの青い瞳とおんなじね!」

 青年は主の言葉にドキッとしました。何故なら異性の瞳を誉めることは口説き文句に等しいのです。しかし青年は長年、主の執事をやっておりますから他意がないことは重々承知しておりました。


「お嬢様、くれぐれも気安く異性の瞳をお誉めにならないでくださいね」

「あら、お父様はしょっちゅう口にしているわよ。わたし世界でいちばんキレイなものはあなたの瞳だと思っているの。いらなくなったらわたしにちょうだいね」


「そのようなことしなくても私は傍におりますよ」

「それもそうね」

 と主は出会った頃と変わらぬあどけない笑みを浮かべるのでした。










 (あるじ)の執事になって七年の時が経ち、少年は青年に成長しました。


 一方、主は赤茶けた髪がやさしい亜麻色に変化しそばかすが消えた為、姿は以前より愛らしくなりましたが身長も内面も幼い頃のままの《少女》でした。だれも主が青年より三歳年上の女性だなんて思いもしないでしょう


 青年は数年前から、少女のような主が少しでも成長してるのではないかと定期的に主の身長を測り記録していましたが一目盛りも伸びていません。


 その特異性からいつしか主は《ペレンニス家の魔女》と噂されるようになりました。主は「魔女なんて、何だかみんな夢見がちなのね」とけらけら笑いましたが、先のことを考えると青年はどうしても憂欝になってしまいました。


 しかし、いくら成長の兆しが見えなくとも主はお年頃。ふつうのお嬢様でしたらこの年ともなると、とっくのとうにフィアンセなど決まっているものですが、主にはおりませんでした。弟様も主が嫁き遅れないよう主のフィアンセを決めようと必至です。


 すでに主は何度もお見合いをしておりますが、主のとんちんかんな話術と続く失態に、お見合い相手の男性は苦笑いをこぼしてはお断りの手紙を送ってきます。かんばしくない結果に弟様は頭を抱えるのでした。







 それでも主は懲りずにニコニコと婚約者候補の方とお茶を楽しんでおります。


「とても美味しい紅茶ですね」

「ありがとうございます、皆さんそう言ってくださるの」


「皆さん、ですか」

「ええ、ユリアン様とリンバーハット様と……あとはどなただったかしら」


 主が青年にたずねるように視線を寄越すので青年は答えました。

「ダスト様とファシール様にジョアサン様でございます」


 案の定、主の返答にお相手の方は顔をひきつらせています。そうですよね、普通はお見合いの席で他の男性の話をするなんてご法度です。それだけでなく複数の相手を匂わせるのですから、身持ちの軽い女性と思われても仕方ありません。


 おそらくこのお見合いも破談になるでしょう。

 そして今日も去っていく婚約者候補の後姿を青年は嬉しそうに見送るのでした。






 しかし、何事にも例外はつきもので青年の主ともう一度会いたいという猛者(もさ)があらわれました。ええ猛者と言いましても、見目麗しく、王宮で騎士をしている理想的な男性です。


 名前はファティ様――青年は彼との出会いを昨日のことのように思い出すことが出来ます。それだけファティ様は印象的な人物でした。






 ――あれはうららかな春の日のこと、


「君がいれてくれたからかな、とても美味しいよ。ありがとう」


 優雅な仕草で青年のいれた紅茶を飲み、ふわりと大輪の薔薇のような笑みを浮かべたファティ様。


 こんなことははじめてでした。いつも主の婚約者候補の方達には邪険にされるばかり……青年に向かってお礼を言ったのは彼ひとりだけだったのです。青年はお優しいファティ様にザワザワザワとみょうな胸騒ぎを覚えました。


「ベルデス様はとても可愛らしい」

「そこも貴女の魅力のひとつだね」

「何でもいいんだ、もっと貴女のことが知りたいな」


 主がいくら失態を晒しても懐の深いファティ様は笑って許してくれます。

 青年は心中穏やかではありません。


 ――この男は早く排除しなければならないぞ。


 その甘い顔立ちと思わせぶりな態度で何人の女性をたぶらかしてきたのでしょう。要注意人物としてファティ様は青年の記憶に残っていたのです。








 ここはペレンニス家の一室。


 青年はファティ様が主に不埒な真似をしないよう、厳しい目で見張っておりました。


 調査してみた所、ファティ様は清廉潔白で評判のいい騎士様でしたので青年はまったくもって面白くありません。ファティ様が愛人の一人や二人抱えて、金遣いが荒くて、酒癖の悪い男であればすぐにでも追い払ってやったのに、と舌打ちしたい気分です。


「よろしければ、私と共に王宮へ来て頂けませんか」

 今度、王宮で第一王女様が催すお茶会に参加して欲しいとファティ様は言いました。主は差し出された招待状を受け取って悩んでいるようです。ご丁寧に招待状には王家の印章まで押されています。


 青年には主の心情が手に取るようにわかりました。ファティ様は主がうっかり(・・・・)手を滑らせてファティ様の頭に紅茶を掛けてしまっても許してくれましたが王女様相手では難しいでしょう。けれどお茶会の席を断ったら不敬罪に当たるのでは、と心配しているのです。


「どうか、どうか、私の為に来て頂けませんか」

 ファティ様は主の手を取り、口づけました。


 その瞬間、目の前が火が灯ったように真っ赤に染めあがりました。


 主のそのちいさく愛らしい手はファティ様に可愛がられる為に存在しているのでは決してない。お嬢様が穢れるわ!!紅茶に鈴蘭の花粉を振りかけてやればよかった!と青年は脳内でファティ様を様々な方法を用いてこてんぱんにやっつけました。


「わたしでよろしいのでしたら」

 ずいぶん間を置いた後、主はファティ様の誘いにこたえました。ファティ様は嬉しそうに礼を言い「次会える日を楽しみにしております」とペレンニス家をあとにしました。








 青年はファティ様が帰った後、主に問いただしました。


「お嬢様ははあの方を好いておいでで?」

「もちろん好きよ。あの方を嫌いな人なんているのかしら」


 すぐ目の前におりますよ。

 青年は今回の件で視界に入れたくない程ファティ様が嫌いになりました。


「色男ですからね。あの方と結婚したら絶対苦労しますよ。街角で知らない女に刺されるかもしれません」

「じゃぁ、アズラクは苦労するわね。ファティ様はちらちらとあなたの視線を意識してたわ。あなたのことが気になるみたい」


 主の気色の悪い勘違いに青年は大声をあげました。


「ちがいます、それは断じてちがいます!」

「そうなの?わたしはあなたの良さが解るなんて見る目のある方だと……」

「私はファティ様に好意の欠片も抱いておりませんのでご承知おき下さい。それより今はお嬢様のことです。いいのですか、このままだとファティ様と結婚することになります」


「いいわよ」

「じゃぁダスト様は?」

「かまわないわ」

「ジョアサン様でも?」

「あなたが決めてくれるのなら、誰でもいいのよ」


 お嬢様の他人任せの投げやりな態度に、ぷつん、と青年の堪忍袋の緒が切れました。


「結婚はお嬢様の一生を決める大切なことなんですよ。それを誰でもいいだなんて、何を考えていらっしゃるんですか」

「あなたが誰よりわたしの幸せを願ってくれてるのはわかっているわ」


 主は椅子から立ち上がって、枕の中からひとつの指輪を出して青年に見せました。


「これは家を出て行ったお母様の指輪。結婚してもいいことはひとつもなかったといつもわたしにこぼしてた」


 青年は御母堂様が家を出た理由を知っていました。それは度重なる当主様の浮気でした。当主様は性格が悪くとも大変な色男でしたので、結婚した後も使用人に手を付けたり、娼館から人をよんだり、人妻に手を出したり。《女狂い》の当主様に愛想を尽かして御母堂様は出て行ったのです。その行方は誰も知りません。


「わたしは誰と結婚してもいいの。わたしの心は指輪ひとつで縛れるものではないもの」

 主は窓を開け、振りかぶって指輪を空の彼方に投げました。

 指輪は流れ星のように夜の底へこぼれおちます。


 青年が窓の外を見てもどこにあるかはもうわかりません。

 枕の中に隠して、大切にとっておいただろう御母堂様の指輪。


 本当に、捨ててよかったんでしょうか?

 心から、主は捨てたかったんでしょうか?


 振り返った主はスッキリした顔をしていました。

 何かに終止符をうってしまったような主に青年は困惑しました。



「アズラクが選んでちょうだい」



 少女のままの主が大人の女性のような穏やかな笑顔で青年を見上げます。



「わたし、あなたが選んでくれた方のお嫁さんになりたいわ」



 主が、自分以外の男性を乞う日が来るなんて。

 なんと残酷なことをおっしゃるのだろう。

 思わず青年はそう思ってしまいました。

 

 しかしこれはお嬢様が青年に最大の信頼を寄せてくれているからこその願いでした。青年はそれを忠実なる執事として喜ばなければなりません。


 自分以上にお嬢様を幸せに出来る男性にお嬢様を託さなければならない。


 その時、青年はお嬢様の傍にいられないでしょう。

 青年は胸の痛みを堪えながら、声を絞り出しました。


「かならずや、お嬢様に見合う男性を私が見つけましょうとも。お任せ下さい、お嬢様」




















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