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たぐいまれなるあるじ  作者: 九重 木春
たぐいまれなる執事
1/7

前編

 白いマグノーリヤの花が散る頃、ひとりの優秀な少年が卒業式を迎えました。少年の艶やかな黒髪は風に揺れ、軽やかな心は今にも空を飛んでしまいそうです。


「あぁ、はやく、たぐいまれなる(あるじ)にお会いしたい」


 彼の手は誰より香り高い紅茶を注ぎ、銀食器をピカピカに磨き上げます。容姿もとびきり整っていて貴族に劣らぬ教養を身につけた為、執事養成学校を最年少で卒業することができました。


 少年は学校にいる間も手紙を持ち歩いてしょっちゅう、自分が仕える主のことを頭の中に思い描いていました。少年の家は代々仕える家が決まっていて、祖父の手紙には自分の主はたぐいまれなるお人であるとしたためてありました。


 自分の主はきっと誰より賢く美しい、洗練された女性にちがいありません だから、少年は学友に自分の主は自分など足下に及ばぬ位、完璧な主だと自慢していたのです。




 少年は汽車を降り、心を躍らせながらたぐいまれなる主の家に向かいました。ちょうど少年が門の前に立った時、200フィート先の玄関の扉が開きました。少年はとても目が良かったので、その扉を開けたのが太陽のような黄色いドレスを着た少女だと解りました。


 すると、少女はすってんころりん、カゴからこぼれ落ちたジャガイモのように転がります。そのうしろを祖父やメイドが追いかけて行き来ます。そして、ようやく少女は少年の目前で止まりました。


「だ、大丈夫ですか」

 少年はしゃがんで少女に手を差し出しました。


「ええ、とても楽しかったわ」

 と言って少女は少年の手を取って立ち上がりました。


「あなたがわたしの執事のアズラクね。わたしはベルデス・ペレンニス、これからよろしくね」


 少年は現実を疑いました。それは少年が夢に見た主とたいそう違っていたのです。あちこちにはねた赤茶色の髪は少年のようにみじかく、黄色いドレスは砂まみれ、顔には田舎娘のようなそばかすが舞っています。


「ほんとうの、ほんとうにあなたが私の(あるじ)なのでしょうか」

「ほんとうの、ほんとうの、ほんとうよ。嘘だったらわたしの大好きな赤スグリのケーキをゆずってあげましょう。けどほんとうだからケーキはあげられないの、我慢してちょうだい」


 誰も赤スグリのケーキが欲しいとは一言も言ってません。少年はどちらかというと甘いものが苦手なのです。追いついた祖父は少女のドレスの砂を払い、メイドはハンカチで顔の汚れを拭い始めました。


「おじいさま、これはどういうことでしょうか」


 聞いていた話と違います。少年には目の前の少女が見目も頭も少しばかり足りていないように見えてなりません。


「この方はわしの主ではなく、お前の主じゃ。わしに聞くでない」

「……わかりました。よろしくお願いします、お嬢様」

 少年は釈然としないものを感じながら、苦虫を噛みつぶしたような顔で主に頭を下げるのでした。




 今日も今日とて、少年は主の屋敷であわただしく働いています。

 なにしろ少年の主は想像以上のおひとでした。


 何が想像以上かって?


 主が刺繍を縫えば前衛的な絵画のような作品に、ダンスをすれば主も教師も満身創痍、お菓子を作れば大爆発。女性だというのに、燃えてしまった主の髪はまたみじかくなってしまいました。


 少年は一息つく間もありません。主が何も問題を起こさない日は一日とてなかったのですから当然のはなしでしょう。しかし、少年は大変優秀でしたので、毎日欠かさず日誌にその日の出来事を記して、対策を練るようになりました。





「わたし、朝から晩まで赤スグリのケーキでいいわ」


 主がまたふざけたことを言いながらケーキを口に運びます。主はいつも少年にぺちゃくちゃ話しかけながら食べるのです。少年は胸元からハンカチを出して主の赤い口のまわりを拭きます。紅茶が熱いと主はカップを落とすので、紅茶はぬるくなるのを待ってから主の前に出します。立ち上がろうとするとドレスの裾を踏むのもお約束でしたので、少年は針子に頼んでドレスの前の方を少し短くするように頼みました。


 すると、すこしずつですが状況が改善されていきました。少年の地道な努力が林檎の木のように実りはじめたのです。少年は「優秀な私に掛かればまぬけな主だってなんのその」と鼻高々です。



「あら、どうしましょう」


 少年が主の散歩につき合っていると主が突然立ち止まりました。そこはたくさんの花が咲き誇る庭園で、決まって歩く散歩コースです。少年なら目を瞑ってだって歩けるでしょう。主の言葉を受けて、少年はあたりを見渡しました。


 足下には蛇もおりませんし、鋭い針を持った蜂も飛んでいません。

 天気は晴れ晴れとしていて、雲一つありません。


 少年が見る限り危険なものは見あたりませんでした。目のいい少年は十軒先の風見鶏がどちらを向いているのかさえ解るのですから間違いありません。


「こまったわ」


 じつは主は滅多なことではあわてたりしません。たくさんの失敗はすれど主はたいていのことは笑い飛ばしてしまうのです。しかもそれでも都合よく事が運んで何とかなってしまうのでした。その主が困るのですからたいそう大変なことなのでしょう。


「お嬢様、もったいぶらずに教えてくださいませ」

「おしえたら怒られてしまうわ」


「おしえてもおしえなくても怒りますから教えてください」

「それもそうね、ならとくべつに教えてあげましょう」


 お嬢様から聞いたときの衝撃といったらありません。


 それは「え、なんで、いままで気づかなかったんですか」と言いたくなるような内容でした。けれど少年の主ですから、そういうこともあるのでしょう。起こってしまったものは仕方ありません。少年は怒る気もなくして、主と一緒に屋敷に戻りました。





 家に着いた少年はひとりのメイドを呼び出します。

 そして小声で囁きました。


「お嬢様に下着を履かせてやりなさい」、と。


 メイドは驚きのあまり目を丸くしました。

 そしてハエを叩くような速さで少年の頭を叩きました。


「しょっちゅう二人で散歩に行くとは思ってましたけど……庭の茂みに隠れて純真なお嬢様に破廉恥なまねを……っ!ご主人様に報告しないと」

 走り出そうとするメイドを少年はあわてて止めました。


「事実無根だ。勘違いをされては困る」

「じゃぁ何でお嬢様はドロワーズを履いていらっしゃらないというのですか。そして何故、あなたがそれを知っているのですか。……お嬢様のスカートの中をお覗きになったのでしょう!執事の皮を被ったケダモノ!」

 これには普段冷静沈着な少年も黙ってはいられませんでした。


「私は悪魔に魂を売ってもそのようなまねはしないだろう。お嬢様は最初から下着を履いておられなかったのだ。これはお嬢様の身支度をした君たちの落ち度ではないか」

「そんな!そんな!そんな筈はありません。私はちゃんと履いてる所を見たのです」

「では今、お嬢様の所にゆき、事情も含めて確認してきなさい」

 少年が睨んで命令するとメイドは走ってお嬢様の部屋へ走っていきました。



 不機嫌な顔で少年は腕を組み、メイドが主の部屋から出てくるのを扉の前で待っていました。出て来たメイドは肩を落として部屋から姿を現しました。少年と目が合うとビクッと体を震わしてから「申し訳ありませんでした」と少年に謝り倒しました。


 ほうら、やっぱり、少年が正しかったのです。


 メイドから話を聞くに散歩に出掛ける前、お嬢様は寝間着からドレスに着替えていました。お嬢様ですから着替えにはメイドの手を借りねば着替えられません。でもお嬢様だって下着位なら履き替えられます。


 ドレスを着たお嬢様はメイドが衣裳部屋にドレスを取りに行った隙を狙って下着を履きかえようとしました。けれどドロワーズを脱いだ所でメイドが帰って来てしまいました。その後、メイド達に髪飾りはどちらがいいとか、靴はどの色がいいとか聞かれる内にお嬢様は下着を履くこと自体を忘れてしまったのです。


 メイドの不愉快な勘違いが解け、少年はホッとしたのも束の間、沸々と怒りがわいてきました。何故自分はこんなに主に尽くしているのに報われないんだろう。謂われのない罪までなすりつけられそうなった。あんまりじゃないか。



 ふと、少年が窓の外に視線をやると、少年の主の弟であるフラド様が馬車から降りてくる所でした。弟様は主に比べて賢く、外交術に長け、天使のように美しい、まさしく少年が思い描いていたご主人様像でした。その後ろには弟様の執事であるカスラーンを伴っています。少年は弟様という立派な主を持つカスラーンが羨ましくなりました。イトコのカスラーンは自分と血は繋がってますが、自分より愚鈍で執事養成学校の授業では寝てばかりだったと聞きます。


「フラド様が自分の主だったらよかったのに……」

「ならわたしがフラドに頼んであげるわ」


 なんという間の悪さでしょう。誰にも聞かれていないと思ってこぼした言葉を拾われて少年はうろたえました。しかもその相手は少年の主であるお嬢様だったのです。


「わたし、知らない内にあなたにはたくさん迷惑をかけてしまったみたい。気付かなくてごめんなさい」

 主が深く頭を下げました。そうです、自分は悪くありません。少年は主の尻ぬぐいをする為に執事になったのではありません。少年はこうなったら、と開き直って正直な気持ちを主に伝える事にしました。


「そうです。あなたは私の主人に足るお方ではありません。私の主はダンスも勉学もマナーも完璧でなくてはならないのです。これは何かの間違いだったのです」


「えぇ、お父様にも叱られてしまったわ。今のままでは立派なレディーとしてお披露目することが出来ないって。だからわたしはまず、あなたの願いごとを叶えることにするわ。なんてったって立派なレディーですもの」


 少年は、下着は履き忘れてましたけどね、と内心ツッコミつつお礼を言いました。


 こんなわけで少年は望み通り、次の日からカスラーンと交換という形で弟様の執事になったのでした。




















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