醜怪な少女
よくあるハーレムもののアンチテーゼのようになっています。そういう作品がお好きな方はご気分を害されると思うので、ご注意ください。
「あなたは、アーサー様のなんなのですか!?」
突然の少女の叫びに絶句する。
アーサーは苦笑を零していた。
顔を真っ赤にさせて、小動物のような少女は小刻みに震えている。
自国の王女に対するその物言いに、場にいた騎士たちが甲冑の音を立てるのに微苦笑を零す。
愛らしいと、きっと呼ばれる態度なのだろう。
愛しの殿御が、見知らぬ女を連れてくれば、街の女はきっとこういう態度を取るのだろう。
サティフィールドは視線を和らげる。
――自分には出来ない。
目の前の少女のように、自分の内の『女』を晒して初対面の、明らかに身分が上の人物に詰問するなど……恥ずかしくて、できない。
一挙手一投足。
言葉通り……足運びひとつ、目線ひとつでさえ周囲は王女の自分を求めてくる。
アーサーの傍にいれば、自分らしくいられると思った。
真っ直ぐであたたかな彼の元なら、素の自分を曝け出せるのではないかと思った。
でも、違った。
王女としての自分は、自分を形成するひとつで、行動ひとつすら躊躇わせてしまう。
ふふ、と笑いが滑り落ちた。
その声を聴いて、少女が睨み付けてくる。
不敬罪だと、甲冑を鳴らせて心根の幼い少女を脅そうとする騎士に片手をあげて微苦笑を見せる。そのわたくしの顔を見て、騎士は動きを止めた。
気高い騎士を、こんな自分を守ることすらできない少女相手に使いたくない。騎士たちに失礼だ。
「アーサーはわたくしを守る騎士の一人です。その騎士の領土を見たいと思ったまで……彼が語るように、この土地は豊かで穏やかだわ。ひとえに、領主殿のお人柄によるものでしょう」
小首を傾げて少女を見下ろす。
一般的な令嬢よりも高い身長は、こういう時に見下すことができて便利だ。
「ありがとう……姫。おい、ローリー、失礼だろう、お前」
きっと、アーサーの素の言葉なのだろう。
お前、という単語に眉をひそめそうになる。
いくら親しいとはいえ、他人に『お前』などと呼ばれたくない。
そう、思っただけで……自分の中の温度がすっと冷めたことを知る。
「え、でも、アーサー様……す、すみません」
街中でぶつかった時のような謝り方に、苦笑しか零せない。
一国の王女が相手なら、手打ちすらあり得る自分の態度に、目の前の少女は一切気が付いていない。そのことに呆気にとられそうになる。
親は、王族への敬意を教えなかったのだろうか。
それとも、敬意を払う必要のない王族と思われているのだろうか。
疑問を払い除けて穏やかに微笑む。
「いいえ、好きな方がいきなり変な女を連れてきたら、気になるのは当たり前だわ。ふふ。アーサー、わたくしの護衛はここまでで結構です。適当にこのあたりを見て回ったら、わたくしは王都に戻ります。案内役、感謝いたします」
王宮では見ることのない、角の削れた素朴な椅子……手入れがされていないみすぼらしい椅子とも言える……から立ち上がり、サティは振り返らずに扉を目指す。
「姫!」
アーサーの呼ぶ声に、これで最後だと思って振り返る。
そこには、右腕に少女を貼り付かせたままの、街の男がいた。
自分が魅かれた騎士の青年はいない。
醜悪な表情を浮かべた少女は、ただの女にしか見えない。
この、自分の切り替えの早さにいたたまれなくなる。
「アーサー、ありがとう」
ふんわりと微笑む。
姿を見かけるだけで、心臓が高鳴った。
頬が熱くなった。
呼吸が止まりそうになった。
指先が震えた。
初めての感情ばかり。
制御ができない衝動に、恐怖を感じるよりも、心が喜びで弾んだ。
楽しい日々だった。
衣擦れの音と共に甲冑の音が響く。
小さな頃から、この音は当たり前だった。
わたくしを守るのは、彼らのすべきことだからだ。
それが嫌だった。
だから、彼のような普通の青年に、ただ一人の女として守られてみたかった。
でも、同じことを望む少女の醜怪さを目にして我に返る。
ああはなれない。
いや、なりたくない。
どうして、彼女はあんなに自分に自信が持てるのだろう。
――幼い頃から、大事にされてきたのだろう。
両親から、あたたかい瞳で愛されてきたのだろう。
困っていたら、誰かが自然と助けてくれたのだろう。
幼馴染の少年と喧嘩をしても、周囲の人間は見守ってくれて、自然と仲直りをすることができたのだろう。
もしできなかったとしても、そっと手助けをしてくれただろう。
自分には、なにひとつ与えられなかったこと。
自分が幸運に満たされていると気が付かない者は、自分の正義を振り翳す。慎重に動くことや用心を重ねなければどうしようもないことを『自分を卑下しないで』とか『自分を悪く言うことなんてしなくていいよ』などという甘ったるい言葉で覆うとする。
その、根拠のない自信を振り翳し、自分の思い通りに進まなければ断罪し、意に添わなければ反論し、それを自由と宣う。
自分の言葉に、相手がどれだけ傷つくのか慮ろうともしない。
自分が成し得ていないことを論評し、自分の価値観を押し付ける。
どうして私の助言を聞かないのか。
どうして私の誠意を汲み取ってくれないのか。
そうやって、考えの違いを踏み潰す。
自分が合っているのだと。
そう、言外の表情に乗せて。
まるで、自分の物だと言うように、背後の醜怪な少女は街の男の腕に抱き着いている。
吐き気が込み上げる。
まるで、大樹に絡みつく藤の花のよう……
この国は、災厄に満ちていた。
国境を接する国全てと開戦状態で、戦いが日常だった。
そんな時に、南の領主代理の青年が小さくはあったが軍を率いて王都奪還に尽くしてくれたのが昨年のこと。
国王の命が危うかったのを少数精鋭で救ってくれたのだ。
国民は彼のことを『疾風の英雄』と呼ぶ。
「ふっ」
「サティフィールドさま?」
後ろの近衛騎士が自分の笑い声に反応する。
振り返れば、そこにはずっと傍にいた近衛騎士たちと侍女たちが心配そうにサティフィールドを見つめている。
二十日後にサティフィールドは病の床の国王に代わり、王位に就く。
この恋と思わしき感情のほとんどは、国王という地位からの逃避から成り立っていたのだと、今ならわかる。
「先程の様子で、みなもわかったわね?」
「は。疾風殿には、この国は御しきれません」
サティフィールドがこの領地に赴いたのは、『疾風の英雄』を女王の伴侶と認められるかどうかを、背後の騎士の格好をした重鎮たちに判別してもらうためだった。
彼女だけを愛し、戦い、剣を振るうような騎士ならば、彼らも認めただろう。
だが、彼は女性に対しても疾風だった。
しかも、女の好みが物凄く偏った上、上手に自分が上位に立てる者を識別していた。
あれは、なんという恐ろしい能力だろう。
自分を煽て、立て、後ろで支え、些細な言葉で喜び、尻尾を振るような女ばかりを周囲に揃える。
一時の愛情さえ与えれば満足するように調教し、餌は与えない。
――繁殖期に、一雄多雌の群れを形成するある種の動物がいる。動物ならそれは自然の摂理だ。
あの子が可愛いから口説こう。
あの人が素敵だから自分の第二夫人にしよう。
と、いうのは通常の人間なら行わない。
権力を用いて見ない振りをされているか、上手に人員の心情を整える能力に秀でていなければ無理な相談だ。
表面に出てきたのは幼馴染の少女だけだが、館の中にまだ三人いるのを優秀なサティフィールドの部下は調べ上げていた。
隣接する国の騎士団長の六女、森に棲む妖精族の血を引いた深緑の森の戦乙女、病弱だけれど知略に長けた子爵令嬢。
どうして、たかが一領主が隣国の騎士団長の娘を愛人にできると思うのだろう。心底不思議で仕方がない。
「隣国の騎士団長の娘御は、彼女の従兄弟をひそかに呼び寄せて改心させましょう。非合法な薬を用いても構いません。次に深緑の森の長老に手紙を出します。内容は真実のみ記載すれば結構だわ。それから子爵令嬢は放置しますが、彼の子爵家は王家に謀反の意志ありと噂を流します」
サティフィールドは酷薄な笑みを浮かべる。
この三人と並列だったかと思うと、自尊心が焼け付くようだ。
悔しい口惜しい苦しい。
まるで海で集めた貝殻のように並べて見て楽しまれていたのかと思うと、奥歯が削られていきそうだ。
恋に溺れた女と、復讐のように権力を振り翳すわたくし。
――どちらが、醜怪な少女なのかしら?
***
緑豊かな領地からの移動中、甲冑を身に纏ったままの再従兄弟が正面でくすりと笑う。
「サティ、なんであんな男に愛称を許したの?」
穏やかな笑顔を浮かべているが、目は笑っていない。
サティフィールドはそんな再従兄弟のロードリックを見返して首を傾げる。
筋骨逞しい二歳年上のロードリックは二十歳。戦績目覚ましい、この国を代表する騎士であり、サティフィールドの行動を冷ややかに見ていた一人だ。
「さあ、熱病の一種だったと思ってくれたら嬉しいわ」
「その熱病はまた掛かりそう?」
「とりあえずは……しばらくはお仕事に精を出すわ。わたくしは、彼のためを思って身を引いた健気な失恋少女だもの」
扇を広げて、にこりと眼だけで微笑む。
すると目の前のロードリックは苦笑を浮かべた。
「そうしてくれると助かる」
サティフィールドの恋は、周囲に嵐以上の迷惑をかけた。
それがわかっているので自嘲の笑みが漏れる。
「そうね」
「だが、我が国の結婚適齢期は十六歳から二十一歳くらいだ。それまでには、失恋から立ち直ってくれよ、十八歳の国王陛下」
「忙しくなるわね、筆頭近衛騎士殿」
「まあ、俺は結構暇だけどな」
「じゃあ、書類整理手伝いなさい」
「うわー、サティの横暴」
「リック、知らないの? 彼の領地には『使えるものは、親でも使え』っていう格言があるのよ」
「知るか」
「使える再従兄弟は、使えるだけ使うことにするわ。わたくし、失恋で男性恐怖症になっているのだもの」
「テキトー抜かすな」
「貴方も、彼くらいに口が悪いわね」
サティフィールドの言葉に、ロードリックは苦い薬を口に無理矢理押し込まれたような表情を浮かべた。
「でも、俺は『お前』とは言わないし、第一変な女共を囲い込もうなんてする悪趣味でもない」
ムッとしながら唇を尖らせた。
「ロードリックさま、その癖はいつになったら直るのですか」
今まで静かに控えていた年嵩の侍女が再従兄弟に注意する。彼女は、ロードリックとサティフィールドの乳母の一人でもあった。そのためこのような口振りが三人の時のみ許されている。
サティフィールドは、ふっくらと逞しい侍女に寄りかかる。
「まあ、サティさま。お可愛らしい」
侍女はさらさらの銀の髪を撫でて慈愛の笑みを浮かべる。
「……わたくしのこと、可愛いなんて言うの、カイラくらいよ」
「俺も……仲間に入れておけよ」
ロードリックの小さな呟きはサティフィールドの耳に届かず、彼女は久し振りの深い眠りに支配された。
サティフィールドが即位をしてから二ヶ月後、疾風の英雄が保護した四人とは別の少女に脇腹を刺されたと報告が上がったが、ロードリックはその書類を見やると侍従を呼び、国王陛下に報告する内容は精査するように申し伝えた。
英雄は、戦後に報酬をしっかりと与えたためすでに王家とは関係のない人物になっていた。彼からの登用の申請もなかったので、サティフィールドが追加の報酬を与えた程だった。
「さて、もういい時期かな」
ロードリックの呟きは、またしてもサティフィールドの耳には届かなかった。
***
国王に即位してから、時間は貴重だとしみじみと実感をしていた。
疾風の英雄が刺されたという話も、ロードリックがその報告を握り潰していることもサティフィールドの元に伝えられている。
「さて、どうしようかしら……もうしばらく、失恋に酔っていたかったんだけど」
冗談なのか本気なのか、言っている本人にもわからない呟きは絢爛豪華な室内に溶けて消えた。
おしまい
面白い!! と思って読み始めるとハーレムものになって、そっと閉じ……が多いため、書いてみました。自尊心が空に届くまで高いような少女だとこうなるかな~と。即位前にふらふらできないでしょう、というツッコミはご容赦ください(^^;)