長島の戦いの後、『正しい犬のしつけ方』
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いろいろあるのですよ。
尾張の織田信長の卑劣な横槍を受け、加持戸島の三河松平勢は壊走した。
翌日19日には、大島も陥落した。
彼らには、もはや、大島を守る理由がなかった……。
それでも、本多忠勝、榊原康政、大久保忠勝、杉浦勝吉らは、主君元康の命を守ろうと抗った。
長政が密かに遣わした、愛州宗通率いる切り込み隊には、
本多正信、本多正重、渡辺守綱、蜂屋貞次、夏目吉信、内藤清長ら三河の一揆勢から引き抜いてきた者達を加えている。
まあ、抵抗する三河兵も、知りあいが降伏を呼びかけた方が信用できるだろう。
本多達は、一向宗願証寺を助ける”浅井の度量”に涙を流し感激したらしい。
まあ、浅井の待遇は、他の三河モンに比べれば、月とすっぽんの極上だしな。
彼らは、もう完全に俺の臣下である。
「元康は…それはもうケチだった…」それが彼らの口癖だった。
彼らから三河の内情を聞き出し、忍びの報告から人物を見定めてもらうことにした。
そこで、本多忠勝、榊原康政、大久保忠勝が大島にいることが判明したわけである。
島を守る三河兵は精強で、すでに死兵と化していたので無理をさせるつもりはなかった。
鉄砲の玉がなくなったのを確認してから、切り込むようにと伝えた。
本多忠勝は、鎗捌きも巧みに奮戦したが、覚禅房胤栄に破れた。
他の者達も、衆寡敵せず捕虜となった。
「正信! どの面下げて浅井にいる、裏切り者め殺す!」
と、虜囚となった忠勝は意気込んでいたが……
元康が、他の者を見捨てて、逃げたこと。
三河の者が苦労している時に、駿河でのうのう暮らしていたこと。
そのせいで、三河が困窮したこと。
部下を働かせるのを当然と思い、恩賞がないこと。
をつらつらあげて、忠勝の心をへし折った。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
― 小谷城 ―
浅井政元・ 浅井政之には長政より書状が届いていた。
政之の京都上洛が決まってからは、慌ただしく準備に終われる2人であったが、ここに来てさらなる課題が舞い込んできた。
それは……。
捕虜として捉えた、本多忠勝、榊原康政、大久保忠勝、杉浦勝吉 を味方に引き入れ配下にせよというものであった。
「兄上、昨日まで戦っていた者を引き込めとは、ハッキリ言って無茶苦茶です」
政之が兄である政元に愚痴をこぼした。
「ならば、長政兄上にそう言うか?」
「ご冗談を、長政兄上の言葉を違えるくらいであれば、三河者を調教した方がまだマシです」
「ならば、そうしろ。三河兵は強い、頼りになるぞ!」
政元は、弟を突き放した。
可哀想だとは思うが、政元も兄の指示には逆らえない。
「はあ~。判っていますよ」
数日後、忠勝らは小谷城へ移送されてきた。
忠勝を始め、捕虜一行は丁重にもてなされた。
ハッキリ言って客人扱いであった。
貧しい三河の者では、考えられない歓待振りに彼らは度肝を抜かれた。
正直な話、浅井政元・政之のまっすぐな性根には好感が持て、少しは心が動いた。
とはいえ、忠勝は政之からの従軍要請は断るつもりであった。
「我が主は、元康様ただ一人」
それが三河の心意気だと信じて疑わなかった……。
政之の、せめて兄に会ってくれという懇願に押し切られる形で。
半ば、状況に流されながら、忠勝ら三河の御一行は、政元と京までの道のりを共にした。
拘束を解かれているので、逃げようと思えば逃げられたのだが、信義を裏切るつもりはなかった。
それに、浅井長政という人物がどんな男か見て見たかったという事もある。
政之からは、くれぐれも兄の機嫌を損ねないようにと厳重に注意されていた。
― 南禅寺境内 浅井陣屋 ―
8月27日
浅井長政と 本多忠勝、榊原康政、大久保忠勝の初顔合わせが実現した。
会見は和やかな雰囲気で始まった。
浅井長政は、2人の兄らしく穏やかで物腰が柔らかかった。
「すまぬが、弟の政之の力になってやってくれ」
長政は、そう本題を切り出した。
「お断り申す!」
忠勝が、間髪入れずに吠えた!
「俺は三河の人間だ、主を裏切りはしない。裏切り者の正信と一緒にしないでいただこう!」
それが、忠勝の正義のはずだった……。
長政は、顔色ひとつ変えずに応えた。
「左様か、ならば。捉えた三河兵は斬首、織田に攻められている松平の援助もやめるよう今川に通達いたそう」
そう言うや長政は、座を立ち上がった。
さすがに、これには忠勝や康政も慌てた。
このままでは三河が滅ぶ。
「「お待ち下されい」」
忠勝は、立ち去る長政を引き留めようと……思わず手を出した。
”ズダ~ン”
長政の肩に忠勝の手がかかるか掛からない間合いで、忠勝が派手に吹っ飛んだ。
「んな」
榊原康政も声が出なかった、ここまで不覚をとる忠勝など始めてみたのだった。
「げふっ」
長政公は、どのような手段を用いたのか判らない早業で、忠勝を制し締め落としてしまわれたのだ。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
― 浅井政之 ―
私は兄上の推挙もあり、朝廷より 従五位下 『佐渡守』に任ぜられた。
官位をいただけるとは、とても名誉でございます。
それだけではございません。
こたびの戦いでは、かの『軍神』上杉謙信殿の麾下に配属されました。
兄上からは、謙信公の戦い方をつぶさに見て戦を学ぶように、と発破をかけられました。
兄上より預かった、1500名の兵。決しておろそかには致しません。
京を出立する浅井政之の軍勢には、 本多忠勝、榊原康政、大久保忠勝、杉浦勝吉と元三河兵の姿があった。
彼らは、政之の兄.長政に屈した形となっていた。
頭に血が上った忠勝は、あの後何度も長政に挑んだものの、その度に返り討ちに遭っていた。
もちろん長政がタダで立ち会ってくれるはずもなく……
何故か、忠勝を始め三河兵が”長政公のためにいのちを捧げること”と相成った。
他の者達は些か釈然としない部分が、無きにしもあらずのようではあるが、意外と気分よく従ってくれている。
新たに与えられた軍装も気に入っているみたいだ。
《三河では、欲しくても買えなかった装備が浅井では普通に支給されたのであった。》
ようやく、元康から本多忠勝、榊原康政、大久保忠勝を引き離せました。
長政は、弟の政之が心配で配下につけました。




