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長政はつらいよっ!弱小浅井はハードすぎ!!  作者: 山田ひさまさ
~ 朝倉氏、義秋公を奉じ上洛す ~
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伊勢長島の戦い



― 松平勢 ―



 松平勢が、長島を担当するのには訳がある。

至極簡単な話である。市江島の服部友貞は、実質今川の配下なのである。


それゆえに、おいそれと手を出す訳にはいかなかったのだ。

どちらかといえば、島でもひとつ分捕った方が、松平家としてもおいしい思いができる。


伊勢湾の交易のあがりはでかい。

信長殿の”津島の町”をみれば判る。多少勢いが衰えたとはいえ、その利益は大きいのだ。


座して富が手に入るとなれば、放っておくのは”たわけ”のすることである。

現状周りにどこにも攻め込めないのであれば、攻めに出掛ければよいのである。


多少の危険など、武士ならば受け入れて当然。松平党を維持し続けるには拡大が必要なのである。


『守りに入った途端、三河は分裂する』 

元康は、それを危惧していた。


鳥居元忠を留守居役に残し、元康自身が家臣を引き連れて参陣していた。


酒井忠次、松平康忠、大久保忠世、大久保忠佐、平岩親吉、服部正成、内藤正成 。

旗本先手役として、若い本多忠勝、榊原康政も参加していた。


「雑兵どもを組み分けせよ!」


「「ははっ」」


元康は、雑多に集めた雑兵を酒井忠次・松平康忠らに丁寧に検分させて、使えそうな奴とそうでは無い者に仕分けた。

その上で、無頼の者を上陸させ略奪に走らせた。



夜明けまえの薄暗い中。

5千近くの兵が、大島砦のある大島と、加路戸砦のある加路戸島に上陸した。

本願寺の末寺や村、川湊が……松平勢の激しい略奪に遭い容赦なく蹂躙されていった。


阿鼻叫喚の地獄が、地上に現れた。


「ふんっ」 


「ぐぁっ」


愛用の鎗の一閃で、脆くも敵が崩れ落ちる。

まさに手練れのワザであった。若いとはいえ、業物を振るうに充分な貫禄を醸し出している。


「なんだかなあ~」


「どうした!」


旗本先手役として、本多忠勝、榊原康政も戦に加わっていたが少々勝手が違っていた。

民衆が普通なのだ、決して兇徒ではない。

そればかりか、民衆を守る兵は弱いながらも本当に必死に戦っていた。


三河の一向一揆の討伐に加わった経験のある二人は違和感を感じた。


「まるで我々が、物盗りにでもなったような気分だ」

忠勝がぼやく。


まさにその通りなのであるが、彼らの正義はまた違っていた。


「つまらんことを考えていないで、次ぎ行くぞ」

康正自身も釈然としないものの、そう言って僚友をなだめた。


「へいへい」


彼らにとって三河・松平家の元康の命が、何よりも大事なのである。

ゆえに後味が悪くともひたすら蹂躙した。


逃げ遅れた女子供を見逃したのが、彼らのせめてもの仏心であろうか……。




~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



― 願証寺 ―



すぐ先に見える本願寺の末寺や村、それに様々な施設が、無頼の輩に壊されていった。


願証寺の守備兵は、願証寺と長島城の防備に手一杯であった。

それなりの兵力を有していても、20を越える島々を守るとなると兵がまるで足らなかった。


相手は、5千ほど。迂闊に打っては出られなかった。


願証寺証意は、

門徒兵が集まるまでの間、歯ぎしりをして見守るしかないのであった。




~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~




― 市江島の攻防 ―



市江島の服部友貞は、信長の侵攻を予測していた。


「浅井家が大躍進した以上、信長が攻めることができるのはここしかあるまい」


服部党の者に下知をして、堀を穿ち、土塁・柵を設け防御に力を入れてきた。

この地を死守すれば、必ず今川家は軍を出すそう信じていた。

今川家にとっても、伊勢湾の利権は無視できないものがあるのだ。


思えば、桶狭間の合戦でミソがついたのである。

ここを耐えさえすれば。今度は、今川の逆襲があるだろうと踏んでいた。

本願寺が、浅井家にすり寄っている今、友貞は今川だけが頼りであった。


だからこそ、あえて願証寺との連携をしていないのである。

(いずれ長島も、儂が押さえてやる。ひひひ…)



大変な危機にも関わらず、冷静に、笑みまでうかべる大将に皆が希望を見出す。


友貞は一族郎党、配下の衆に下知を飛ばした。


「なんとしてでも、持ち堪えよ!」


それは、奇しくも信長が…「なんとしてもを潰せ!」…と下知を飛ばしたのと同じときであった。




― 進撃する信長 ―



織田信長本人、織田信興、佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀が5つに分けた軍を指揮する。


信長の本隊には、池田恒興と前田利家、河尻秀隆らがついた。

津田盛月、滝川一益、佐々成政、岡田重善、金森長近、毛利良勝、長谷川橋助らは、雑兵の指揮のため各隊に配属された。


特に滝川一益は、丹羽長秀と組んで水上からの攻撃を担当することとなった。


こちらも5千を超える陣容にまで膨れあがった。

対する服部党は、2千と云うところであろうか?


「願証寺が攻められている今、それ以上人を集められまい」


信長のしたたかな計算があった。

このままじわじわ締め上げてゆけば、こちらの兵は増え向こうは逆に離反するであろう。


「あと少しで、王手である」


味方の損害が増えすぎないよう、それでいて執拗な攻撃を加える。

状況を整えた信長の勝ちとなるのであろうか?




~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



― 浅井家の戦略 ―



《永禄10年(1567年)時点での戦略会議にて。》


現状では、浅井家での一番の敵は、他でもない『三好家』である。


他はといえば、やはり交戦履歴のある織田家であろう。


浅井家が、国境を接する国としては……

若狭・越前の朝倉家、当主不在の足利家の山城、大和の松永家、伊勢の北畠家、尾張の織田家、甲斐の武田家、ごく一部が三河の今川家(松平家)に接する、そして親藩の飛騨の一色(斎藤)家があげられる。


 まず最大の警戒が必要というあたりでは、甲斐の武田家の名前が上がるのは当然であった。

武田信玄の戦意は旺盛で、しかも手強い。 最大限の警戒が必要であった。


もちろん、織田信長が北伊勢の願証寺を狙う危険性も考えられていた。


国人レベルで見て見れば、市江島を根城とする服部氏は願証寺とは関係が深いものの今川家の配下と云える。

尾張の国人でもあるし、あまり深く干渉はできない。


しかし、願証寺の保護は、『寺社の戦力放棄』 という、長政の願いの肝の部分である。

それゆえ、入念な防衛計画が立てられていた。


とはいえ、初動はあくまで現地駐在の部隊に頼らざるを得なかった。

帰る家やアテがない者達を足軽として雇い、願証寺派の侍をあえて浅井家の者として雇った。

これは、まあ願証寺への飴であり、配慮である。


信長という脅威がある以上、綺麗事だけでは済まないかも知れないのだ。


兵を招集し装備を調え移動させるというのは、大変手間のかかるものなのである。

即応部隊としては、3千ほど維持するのが精々である。


あとはいかに情報を早く掴み、的確に軍を投入できるかであった。




~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



― 浅井家 ―


そして、織田・松平の侵攻が判明した。


”いま、浅井家の力量が問われる時である。”






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