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長政はつらいよっ!弱小浅井はハードすぎ!!  作者: 山田ひさまさ
~ 朝倉氏、義秋公を奉じ上洛す ~
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朝倉氏、上洛に動く!

ついに動き出します。


ああ、かたおもい。

スローな更新で申し訳ないです。


永禄9年(1566年)


 朝倉義景は、足利義昭が越前に下向したのを機に若狭に出兵し、武力でもって強引に平定した。

それまでさんざん若狭武田家を支援し世話をしていただけに、見事な手の平返しであった。


若狭の武田氏は逃げ込んできた義秋を手放したことで、幕府の庇護を受ける立場では無くなっていたのだ。


正直な話、朝倉家がいきなり積極的に動いたのは、意外であった。



どうも、敦賀郡司家の景晃は、若狭併合に反対の立場だった様子である。

朝倉本家と大野の景鏡が、そうとう浅井家の躍進を警戒しているようである。


朝倉家が将軍弟、義秋を奉じる以上、三好三人衆と結託することは無いとは思うが、頭が痛いことである。


 史実よりもヤル気があるのが、良いのか悪いのか判断できないのが、厄介である。

どのように受け取れば良いのであろう?


俺は、のんきにそう考えていた……。



~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



永禄10年(1567年) 正月


朝倉義景は、将軍弟義秋を奉じて彼の名の下に上洛する決意を固めた。

逆らう者は討伐する意向を、天下に示したのである。


各地に書状が出された。


「んぐぐぐぐ……」


朝倉が動く、それはいい。

が、かなり困ったことになってしまった。



朝倉義景は、各地の管領・守護宛てに”上洛の檄”を飛ばしたのであった。




― 4月 ―


 朝倉義景は他国侵攻の大義名分として将軍家嫡流の足利義昭を奉戴し、上洛を開始する運びとなった。


朝倉に従うは、駿河の今川家、越後の上杉家、若狭の武田家、近江の六角家、美濃の土岐家他である。


 遠方の守護大名もかなりの数が、義秋公の支持を表明しているようだ。

どちらかというと各守護家は、義秋に対して名義を貸したという感じである。

もちろんその下に、守護代・国人が続く。


そんな中、甲斐の武田信玄は、若狭の武田が出ているので見守るとしていた。

朝倉の若狭武田氏への対応の不満を示すという形で、出兵を拒否したのであろう。



~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



― 小谷城 ―



「流石にこれはヤラレた!」


 土岐家に遣わしていた家中の者からの報告で、朝倉の意図を初めて知った俺は呻いた。


俺も家臣達も唖然とするしか無い、まさに瓢箪から駒である。

自分たちが傀儡にしようとしている勢力(六角・土岐)を切り離そうという算段のようである。


将軍(候補)義秋が下知する以上、守護の方が守護代よりも上位なのは当然というわけである。


守護の命を聞かない守護代は、懲罰の対象となってしまう。

上洛の連合軍が相手だと流石に厳しい。


「ここで、足利幕府の序列を持ち出されるのは正直意外だった」

俺もこれには苦笑いだ。


「殿! 笑っている場合ではございません、如何なされます?」

皆が蒼白となっている。



「今は従うしか無い! ヘタすれば、いきなり『上克下』という馬鹿馬鹿しい話になる」

忌々しいが、どうにもならない。


「「「「しかし、……」」」」

家臣達の動揺も判る、義輝公の時にその権威という力を肌で知ったはずである。


「もし朝倉が浅井家を潰すつもりなら、こちらにも考えがある。だから狼狽えるな!!」

俺は立ち上がり、皆に気合いを入れるべく唱和を開始する。


「大一大万大吉~ぃ」


「「「大一大万大吉」」」


「浅井は、領民のために戦う!」


「「「浅井は、領民のために戦う!」」」



「今は、朝倉義景と足利義秋の働きを見守ろうでは無いか」 俺は傲然とそう締めくくった。



正直悔しい部分がある。

浅井家は格下であると、働くのが当然であると、端っから決めつけられているのだ。

今回は準備が整わず、後手に回る形となってしまった……。


バカ殿であっても、将軍義輝公の弟ということで恭順するしかなかった。


「くそっ」



― 5月 ―


 朝倉軍の上洛作戦が開始された。

遠方より兵を募るため少し遅れ気味であるが、朝倉の動きとしては怖ろしく速いと思う。

正直なところ、下準備にあと一年費やすかと思っていた。


しかし思っていた以上に参加が多いな。

義秋のことだ、どうせ無責任な約束をしていることだろう。

内容如何によっては、切るしか無いのかな。

いやあ、”斬る”のでは無いぞ!

将軍としては失格だから支持しないという意味の”切る”だ。




朝倉軍1万5千、上杉軍3千、武田(若狭)軍3千の二万余の上洛軍が、若狭湾を船で西進、由良川を使い丹波路を南下するのだ。


義景自身は朝倉家の勢力拡大のために丹波路を押さえる腹づもりらしい。

若狭・丹後を取ってその後は、丹波か?


六角・土岐・今川ほかの、第二軍が中山道を進むこととなった。


三好の本軍を浅井家他の中山道連合に当てて、互いの勢力を削ぐつもりだろう。


上洛にかこつけた、露骨な勢力の拡大だな。



「ばかばかしい、戦力を二分したとして、率いる将がアレではしかたがあるまい。」


中山道の軍の大将は、何故か朝倉景鏡であった。

派手な具足を纏った姿は、ひたすら滑稽だった。


「おいおいそこは六角承禎様だろう? と思ったがすでに決まっているらしかった」


「義秋公のご差配である」

朝倉景鏡の腰巾着におさまった、朽木元綱のバカが偉そうにそうほざいていた。


「ああ、そうでござるか」


これだから、犬は嫌いだ。

義秋に泣き付いて、旧領を取り戻すとは、イヤらしい奴である。

さらに浅井から毟り取ろうとするのが見え見えだ、バカがいずれ後悔させてやる。


 こんな険悪な雰囲気で戦わなければならないかと思うと、反吐が出る。

六角・土岐・今川の連合軍というが、六角1500名、土岐1000名、今川は1500名の4000名

それに、景鏡の大野衆3000名そして浅井家の3000名。計1万名である。



朽木元綱が、「何故浅井家は、もっと兵を出さないのですか? 舐めてます?」

とか言ってきたので、


「いえいえ、主家よりも多い兵を出すだけでも恐れ多いというのに、総大将の大野殿より多い兵を指揮しては、私が総大将に間違われますからねぇ」

言外に六角家の名代の朽木元綱と大野郡司家の不甲斐なさをなじってやった。


六角家や朝倉家に寄生している以上、兵力についてそれ以上の悪口は言えまい。

やつめ顔を怒りで真っ赤にして出て行きやがった。


「ざまあ」


まあ、実際のところ京までの道のりは、ほぼ俺の勢力下である。

後でいくらでも兵を追加できるように、準備は整えてあるから心配は要らない。


差し出した兵も、伊勢から選抜した国人衆が大半で再編成中の部隊だ。

連中の動きを知るにはちょうど良いだろう。



~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



― 戦況 ―


 丹波路では、内藤宗勝が早々と朝倉家がひきいる上洛軍に従った。

三好の支援を受けた波多野秀治 荻野直正 逸見昌経 赤井直正らが各地で激しく抵抗をしたが、二ヶ月後にはすべて降伏した。


 近江・山科では、ほとんど大規模な戦闘が無く、浅井家に従っていない国人や夜盗に近い者達が散発的に嫌がらせをするにとどまった。


もちろん警戒しているので、浅井家には被害は無かった。


景鏡と元綱のせいで、ストレスはずいぶんと溜まったがな。



まさかの、新章突入でした。


『上克下』つまり、”成敗!” というわけですな。

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