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長政はつらいよっ!弱小浅井はハードすぎ!!  作者: 山田ひさまさ
~ 新たなる秩序をもとめて ~
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将軍さまが いない世界で……


真面目に歴史改変をした結果……、いろいろ歴史が変わっております。


他家の皆さんの状況を、ダイジェストでご覧下さい!



将軍足利義輝公が、永禄の変で命を落とされて以来。


世の中は、大きく動き目まぐるしく変わっていった。

おそらくこの事件こそが、私達の知る『戦国時代』を形作ったとも云えよう。


曲がりなりにも幕府に従う姿勢を見せていた各地の群雄達が、この時とばかりに勢力の拡大に乗り出したのである。


もはや、誰もその勢いを止めるものはいなかった。


なぜならば、”力あるものこそが正義”なのである。


その代表が、将軍を弑した三好家であり、勢力を急成長させてきた浅井家であった。




三好家は、従来より勢力を持っていた家である。

松永の離反?により一部勢いを削がれてはいるが、将軍候補義栄を擁し天下を握るに近い位置にいる。




一方の浅井家は、ようやく戦国大名として名乗りを上げた、出来星大名である。


しかし、当主の浅井長政は、”慈しみ”の武将であった。

民の安寧を願い、世の争乱を憂い、私欲を捨て慈悲の心で統治する『理想の領主』といえよう。


その評価は非常に高く、将軍足利義輝公の信任厚く、朝廷の覚えも目出度かった。

その浅井家が、勇躍その版図を広げている。

近江はもちろん、美濃・北伊勢・伊賀を押さえ侮れない勢力となりつつあった。




各国の大名が、蠢いていた。




~ ・ ~ ・ ~  ・~ ・ ~ ・ ~



松永家の場合


三好と敵対した以上、もはや浅井と組むしか生き残る道はない。

浅井長政は、信頼できる人物である。


「あるいは、長慶さま亡き後、儂が仕えるにたるお方は、長政殿なのかも知れないな」


もちろん三好家、特に長慶に恩義を感じる久秀としては、三好を盛り立てたい。

しかし肝腎の長慶さま、義興さま亡き後、久秀の三好との縁は切れてしまったと云えよう。


「気がかりなのは義継さまであるが、義継さまのお年の頃にはすでに長政殿は当主であったな……」


幼い当主と思っていたが、もう独り立ちしていなければならないお年である。


「三好にいいようにされているようならば、所詮それまでのお方か……」


三好義継は、長慶の甥であり後継者ではあるが、実子ではないという時点で久秀の熱は冷めていた。


「あの浅井長政と命運をともにするのも、また一興だろうて!」


久秀は、松永家の命運を長政に託したのであった。



丹波を領する、松永久秀の弟、内藤宗勝も長政には恩義を感じていた。

すでに他家を継いだ身ではあるが、さすがに『松永家』を将軍暗殺の下手人とされた事は我慢がならなかった。


「兄の汚名を雪いでくださったばかりか、三好の薄汚い策謀も配下の甲賀衆によって暴いてくださった……、

汚名を雪ぐことに気を取られ、まんまと三好に嵌められるところであった

今、私が生きていられるのは、長政殿のおかげである」


すでに宗勝の忠誠は、長政に向かっていた。



~ ・ ~ ・ ~  ・~ ・ ~ ・ ~



上杉(長尾)家の場合


上杉謙信は、将軍足利義輝の訃報を聞き暗澹たる気持であった。


関東管領として、北条に鉄槌を下すつもりであったがどうにも上手くいかない。


守護殺しの父の汚名を雪ぐべく、”義”をもって戦う謙信。


将軍足利義輝とも友好を築けていただけに悔やまれる。


「それにしても、武田め~」


謙信の理想を阻むのは、いつも武田信玄であった。

海を求める武田信玄は、執拗なまでに越後を狙っていた。




~ ・ ~ ・ ~  ・~ ・ ~ ・ ~




武田家の場合



「活路を見出すのは、越中である」


駿河の今川、越後の上杉に阻まれ、信玄は海を手に入れられなかった。


『桶狭間の激戦』で、義元が死んでいればまた状況は違っていたであろう?



『隻腕の義元』『赤鬼こと井伊直親』この両名がいる限り、今川は盤石である。


「本来であれば、駿河を手にするはずだったのに……」


信玄は今川が大敗した時、手を打って喜んだが。

ふたを開ければ、今川がよりしたたかになっただけであった。


仮に、武田が三国同盟を破棄したとしても、今川・北条の連合軍が敵になるだけであった。


信玄は、密かに本願寺と手を組み、加・甲同盟を締結しようともくろんでいた。

「狙うは、越中である!」


永禄9年(1566年)末 


ようやく同盟が締結された。

但し、本願寺に協力的な大名・国人と争わない。という一文が付いていたが、信玄は気にも留めなかった。


「ようやく海を、盗れる!」





~ ・ ~ ・ ~  ・~ ・ ~ ・ ~



尼子氏の場合



永禄3年(1560年)に尼子晴久が急死した。


尼子晴久死去による動揺もあり、晴久の嫡男 『尼子義久』 は、足利義輝に和睦を願いでた。


今ではすっかり落ちぶれてしまったが……

尼子氏は、足利義輝より、山陰山陽8ヶ国(出雲・隠岐・伯耆・因幡・美作・備前・備中・備後)の

守護及び幕府相伴衆に任ぜられた家柄である。



しかし、それは果たせなかった……。



 この和睦を元就は一方的に破棄し、永禄5年(1562年)より『出雲侵攻』を開始している。

これに対して晴久の跡を継いだ尼子義久は、難攻不落の名城『月山富田城』に籠城し尼子十旗と呼ばれる防衛網で毛利軍を迎え撃った。



毛利元就は、積年の恨みを果たすが如く執拗に尼子を責め立てていた。


「毛利元就は、尼子を潰す気だ!」


義久は…、毛利元就のその執念に恐怖した。




尼子氏と縁がある、浅井家の支援だけが唯一の支えであった。


もちろん軍勢の派遣は望むべくも無かったが、大量の兵糧と武具それに資金を提供してもらった。


当主、長政公の書状には、


「援軍を派遣できずに申し訳ない、祖母の”尼子御前”が心配しているので、差しでがましいようですがお受け取りください。 あとで10倍にして返してもらえると有り難いです(笑)。 今はこれが精一杯!! 」



なんとも人を喰ったような、若々しく微笑ましい文章であった。


「長政殿は私よりも5つも年下であるのに、小領の豪族の浅井家を盛り立てておる。

わしは”中国の覇者”、尼子の当主として情けない。 皆、この御恩は決して忘れてはならぬ!」


義久は、そう言って家中の混乱を静めたのであった。

思わぬ援助に、皆が希望を見出していた。



権謀術数に長けた、毛利元就相手に苦しい戦いを続けているが、なんとか出雲を死守していた。


折々にもたらされる、浅井家からの贈り物と補給が、尼子義久の支えであった。




~ ・ ~ ・ ~  ・~ ・ ~ ・ ~



毛利家の場合


元就は、悲願を達成しようとしていた。


『宿敵尼子氏を出雲に押し込め殲滅する』


「ひとり残らず殺さねば、生き残りが必ずや毛利に噛みつくであろう」


その執念は、なにやらおぞましいものがあった。 




永禄6年(1563年)9月、長男の隆元は尼子攻めに参加する途上、毛利氏傘下の国人の饗応の直後、安芸の佐々部で急死した。享年41歳



元就は、若過ぎる息子の死を嘆いた……。



 ところがそんな事も無いのです、40過ぎの”おじさん”いや、当時なら”おじいさん手前”なのです。


 毛利隆元は、浅井長政の父.久政よりも年上の、いいおっさんであった。

 あの、『使えない”ぼんぼん” 』で有名な、毛利輝元も長政と8つほど下なだけである。


 「 毛利~。 どんだけ、過保護な”ボンボン”だ~」




 まあ、そんな話は置いといて、平和を乱す“ 悪い毛利 ”にお仕置きである。


曲直瀬正盛 (道三)他、有名どころの医者を京から引き抜いた結果……



1566年 某月



毛利元就が、苦しみまくり、のたうち回って死亡した。


『大内義隆の祟り』とか、『尼子の祟り』『小早川正平?』『井上氏?』

『陶晴賢かな?』

その他いろいろ憶測されたが……


他にも、『心当たりが、ありすぎて』 判らないぐらいであった。



元就の死は隠されねばならなかったが、数日を待たずして全国に知れ渡った。



「毛利元就は、人を貶めすぎた、恨まれ呪われて当然!」との、噂がいずこからともなく流された。


中国地方の国人衆は、あらためて、『 毛利元就の”謀殺名人”』という嫌な側面を思い知らされたのであった。



後日、家中のおもだった者だけで、葬儀がしめやかに営まれたが……。


棺桶ひつぎの中には、狒々が横たわっていた。



もちろん、それを見てしまった国人衆は、毛利両川に密かに殺された。





『この家のことが知りたい!』という リクエストお待ちしております。

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