『新生浅井の国作り、はじまります!』
かなり、話しが進んでいったかな?
三好を放置しているのには、理由があります。
いずれ出てくるでしょう。
さあ、お待ちかねの北伊勢侵攻だ!
一気呵成に、去年のやり残しを片付けた。
50家以上に分裂して面倒とはいえ、各個撃破である、問題ない。
反抗的な勢力を潰し、後は浅井家に従属という形で治めた。
『無理矢理隷属させるのは悪手である』
俺はそう思っている。
強引な取りつぶしや、酷い搾取は、結局のところ反抗されるし、かえってコストがかかる。
適当に従属させ、使い続けた方が効果がデカイ。
その中で反抗する奴は取りつぶしても構わないし、そのうち浅井に従うのに慣れてくるだろう。
”飴”も用意しているからな。
一見費用がかかるようだが、経済規模が大きくなれば、その分合理化も出来るし消費がかなり増える。
上手くやりさえすれば、商業や産業が活性化して、結局の所は儲かるのである。
『浅井に従えば、得をする』 と思わせることが重要である。
まあ、そんな具合に『鬼の居ぬ間の洗濯』ならぬ、将軍が不在のうちに勢力拡大を行った。
将軍の権威を利用するのとはまた違った、圧倒的な武力による恫喝である。
まあ、はかどるはかどる。
大した苦労をせずに、当初の予定を終えた。
斯くして、浅井家は、近江・美濃・伊賀・北伊勢を支配下に置くことに成功した。
畿内は、三好が勢力拡大に乗り出して荒れている。
そちらの方は、大和の松永と丹波の内藤を裏から支援して任せている。
近畿の争いは、魑魅魍魎が跋扈するため、浅井ではまだ荷が重そう(面倒)である。
俺としては、早い内に『浅井家を戦国大名化』して行きたいのだ。
正直、終わりのない不毛な戦いには首を突っこみたくはない。
それより、どうしてもやっておかなくてはならないことがあるのだ。
1566年7月
浅井長政は、領内での宗教の自由を標榜した。
まあ、浅井家はもとから宗教に寛容である。
(出自が低く、手ごわい敵を牽制するために、祖父亮政なんかは一向宗に取り入ろうとしたぐらいである。)
干し椎茸の販売からはじまったお付き合いもそろそろ10年が経つ、いろいろ伝手も出来てきた。
各寺と本格的に調整をすることにしたのだ。
まあ、水面下ではすでに同意を得ている。
ただ、近江の国以外の領内にも適用範囲を広げるため、慎重に折衝を行った。
『浅井家が寺社を保護する代わりに、寺社は無用な兵力は持たないこと』
この一文を入れることに苦労した。
比叡山延暦寺、願証寺あたりがやたら煩かった。
”無用な”という部分を拡大解釈させ、”必要と思われる分”を黙認するかたちで許可している。
「まあ、今はそれでいい」
改革というものは、何事も一気に進めることなど出来ないものである。
筋道をたてておき、じっくりと進めてゆくのだ。
「急がば回れ、だよな」
この時代、寺社勢力というものは強大な力を持っている、侮ってはいけない。
敵対勢力に利用させないためにも、浅井家は信用できることを示さねばならないのである。
さあ、陰気な話はこれくらいにしておこう。
今は、1566年である。
ようやく、あの三成が小姓として勉強しはじめる頃合いだ、将来の武将を育てることもまた重要である。
配下となった、忍びの者を使い人材を集めるとしよう。
夢が広がるなぁ、昔は出来なかった”人材青田刈りチート”。(本当はやりたかったんだよ。)
「さあ他に誰がいたかな?」
『皆様から、登用する人材の推薦をお待ち申し上げております』
― PS. ―
山田3兄妹の末妹 ”ひさひでちゃん”が、投稿しております。
『天下をとるのは、この俺だっ!』 ~天下人になろう~
という作品です。
「歴史カテゴリ交流企画」 というものに参加しておりますので、皆さんぜひ読んでやってくださいませ。
ひさまさからのお願いでした。




