平定のあとで…、『ご返済は現物ですか?』
さあ、さくさくと勢力を拡大する長政である。
ぶっちゃけ、金を貸している方が強いのだ!
征け! 長政!!
さあ、『借金の取り立て』である。
6月
綾姫が女子を出産した、愛姫と命名をした。
無事にうまれてくれて良かった。
「綾、ご苦労さん よく頑張ってくれたな」
「長政さまぁ♡」
「パパでちゅよ、愛たん生まれてきてくれてありがとう!」
「おぎゃっ」
娘の誕生のご報告として、摂関家をはじめ公家衆や朝廷の皆様方に気前よく贈り物をした。
使者はもちろん、『お公家さん』である。
報酬ももちろん、『お酒』である。
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7月
ある程度メドがついたところで将軍.義輝公は、機嫌良くお帰りになられました。
六角承禎さまを再び当主に据えるという、俺の画策は無事終了いたしました。
六角家には、大津、日野、甲賀、伊賀をお任せしましょう。
さすがにあそこを浅井が押さえるのは、強い反発が予想されます。まだ時期が尚早でしょう。
承禎さまにはとりあえず、大津の膳所城に拠点変更していただきます。
六角家は、ただいま逢坂山に新たな城を築城しているところです。
私の配下もお手伝いしますが、有償ですよ。 かかった費用は、きちんと請求いたしましょう。
もちろん格式は近江守護のままで、きっちりと責任だけは押しつけますね。
俺も幕府内では、これまで通りしっかりと六角承禎様を立てるつもりです。
俺の兵も出しません、必要なら守護の要請を受けて守護代から将兵を一時貸し与えるという形を取ります。
今の六角家の動員兵力は6千が精々ですね。
思えば遠くへ来たものです。
色よい返事を、幕府の将軍足利義輝公にご報告できそうです。
― 京の都 ―
8月に上洛し、義輝公に近江下向のお礼と、現状報告をいたしました。
俺は、すでに将軍足利義輝より『近江・美濃守護代と御共衆』へ取り立てられています。
ですから、報告に参上するのは必要なことなのです。
「先般は、将軍家自らの御出座、ありがとうございました。上様の威光によりつつがなく平定が完了できました」
「うむ、こちらもいろいろと世話になった」
「六角家は、近江守護として、とりあえず膳所城に詰め上様の護りを担当しております。
ゆくゆくは逢坂山にお引っ越しです」
「うむ大儀であった!」
上様は、にこやかに応対してくださった。
その後、俺は、御所に寄りお土産を渡しました。
摂関家に「昇殿出来る身とはいえ武家ですし、いきなりのご訪問は失礼かと」と、お使いをお願いしたら…なんか喜んで斡旋してくれた。
何故だか官位をもらいました。
気の早い 秋の除目だそうで 『 従五位上 近江守 』 です。
朝廷のお墨付き◎
まあ、朝廷もしたたかですね。
と思っていたら、綾姫の娘『愛姫』の誕生のお祝いだとか…さすがは摂関家…メッチャ私物化してますね。
有り難いことです、まずは、近江国内を取り纏めましょう。
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9月
またもや、将軍家からの召喚である。
今年は、えらく忙しい。
「長政よ、ちと相談なんじゃが……」
義輝公が、北伊勢の内紛を調停するよう私に打診(要請)してきました。
何だか、えらくやる気になっていますね。近江平定で、味をしめたみたいです。
どこからか、応援要請があったらしい。
打診も何も早い話が命令である。
武力ではなく、なるべく(茶人として)穏便に調停して欲しいらしい。
「日の本の安寧の為、そちの武勇を存分に示すが良い」と。
上様は、にこやかに話される。
幕府の連中としては、目障りな俺を京から遠ざけたいのと、俺を疲弊させ力を削ごうという腹づもりのようだ。
色々な思惑が複雑に絡まっているのであろう。
義輝公が、素直に俺の活躍を望んでおられるのが、せめてもの救いである。
察するに『借金の返済』と『幕府の権威復興』の、絶妙な一手と思われているのだろう。
前回の小谷滞在中に、借金が相当積み上がったと聞いている。
なんでも借金の返済のため、三淵や細川が駆けずり回っているとか……。
(費用は負担したハズなのに、なんでだろう?)
その証拠に……、内々に北伊勢半国守護代をちらつかせてきた。
北伊勢半国守護代か、いいね。
浅井がお金を貸し付ける代わりに、将軍の命令だと相手に判るように『御内書』を発行してもらいました。
早速準備を整えましょう。 もちろん入念な準備がいります、その旨を義輝公にもしっかりと伝えておいた。
― 現状の確認 ―
まずは、新規に召し抱えた忍びの報告から。
現状確認は大切です。
やはり、三好や六角の蒲生あたりが、裏でいろいろ画策しているようです。
他にも勢力を伸ばしてきた浅井家に対し警戒している者も居るだろう。慎重に行動していきたい。
「蒲生あたりは、絶対に失地回復をねらっているな」
なんとしてでも、観音寺城までは取り戻したいらしい、裏で色々暗躍をしていそうだ。
平定に反抗的な奴らのみ所領を没収したが、国人領主の所領はほとんど安堵している。
恨まれるのは理不尽だ。
承禎様も半分府抜けてしまったため、蒲生の抑えが効かない。
流石に義治の弟殺しは、堪えた様子だ。
陰謀でも何でもなく、暴発ではやりきれないだろう。陰謀の方がマシだったか?
「なんとかしないとなあ」
― 小谷にて ―
俺は調停に先立ち、商人や坊主・神官の伝を頼りに、国人衆にたいしてお手紙攻勢をした。
「将軍様から北伊勢の争いの調停を全権委任されました、お話が聞きたい。
ついては、そちらの言い分とその根拠を書状で教えて下さい。
できれば、小谷で皆様にお茶をふるまいたい。 長政 」
「兵を伴ってきてもOKだよ」と伝える。
小谷に来ない人ほど裁定が不利になるかもと匂わせた。
まあとりあえず、『顔繋ぎ』である。
10月
本格的に、北伊勢の仲介に入る
まあ、決定的な証拠を持つ者なんてほとんどいないし、遡れば朝廷や藤原氏とか貴族、寺社の所領であったところを横領しているはずだ。
開墾したとしても、その根拠を示す公的資料を求めようとしても出来ないだろう。
氏姓や受領名も勝手に名乗っているはずだ。
こちらは、殿上人であるとともに上様の使者です。
『朝廷・公家の資料がある』事をほのめかし、『申告に虚偽がある場合は没収もありえる』と恫喝する。
まあ本来は、そういう調停の為に将軍家が出来たのであるから、これはこれで良いだろう。
敵対者からの密告も踏まえて、バッサリと判定をおこなう。
と、思っていたら……。
意外と素直に受け入れられた。
「あれれ、源頼朝もこんな気分だったのかもしれないな」
北伊勢四十八家
千種氏、宇野部氏、後藤氏、赤堀氏、楠氏、稲生氏、南部氏、萱生氏。
このあたりが意外と従順に従ってきた。
彼らも生き残るため、中央の動きに敏感なのであろう。
他の氏族も、浅井家の裁定が公平であれば従う姿勢の様である。
「はあ~っ」
思わず溜息が漏れ出した。
まあ、そう簡単に皆を納得させられれば苦労はない。
戦でせめ滅ぼすのとは違った意味で大変である。
利害調整は、骨が折れる作業である。
内政担当の者は、美濃・近江でも只今修羅場の真っ最中なのである。
本来であれば、家臣にお任せで八割方いけるのだが…俺も頑張るしかない有様だ。
そうやって、駆けずり回って ちまちま調停の仕事をしていると、訃報が入った。
『永禄の変?』である。
「あれ?」
あれ?
さあ、新章に突入です!
長政は、ハードな世界です。
そうそう旨い具合には、まいりません。
義輝公には申し訳ないですが、『お疲れ様』といっておきましょう。




