『ご利用は計画的に!』(将軍さまのご利用は…二十才をすぎてから)
こちらの長政にも、なにか動きがあったようです。
『弱小』と『逆襲』が、こんがらがる人は、どちらか片方が適当に完結してからお読みくださる事を推奨いたします。
近江は、大混乱している。
将軍足利義輝公から、近江守護代として呼び出しを受け、俺は京に上り単独で拝謁した。
浅井家は、将軍足利義輝より 『御共衆』へ取り立てられました。
大変名誉なことであります。
その折、幕府より近江における『二階御殿の狂乱』の事態の収拾を命じられました。
「はぁ~っ」
俺は溜息をついた。
実のところ、浅井家は美濃の仕置きで手一杯なのである。
今は、『美濃守護代.浅井家』として、美濃を実効支配するために精力を注いでいる最中である。
予め仕込んでいたこともあり、国人クラスの者達は案外素直に従ってくれた。
しかし、地侍、寺社などの細かい勢力はこれから取り込んでいかなくてはならない。
西美濃四人衆の安藤、稲葉、氏家、不破、それに、明智、竹中が加わって直接交渉を進めている。
俺の近習や年長の小姓達もそれに従っている。
『治安維持』と称し300名×20 の旗本別動部隊が、美濃中を駆け回っているのだ。
戦いはほとんどないものの、みなが忙しく働いている。竹中重虎が吐いたとの報告も受けている……。
「半兵衛には無理をさせるな!! 稲葉山城にて、静養をさせよ!」 そう指示を下したばかりである。
(労ってやれなくて…すまん…、半兵衛っ)
大まかな検地も行おうと思って、石田正澄、板倉勝重、河田長親も現地に派遣してるところであった。
ぶっちゃけ俺は、南近江よりも先に美濃を固めたかったのである。
江南は、じわじわと影響力を高めたとは云え、昔の関係がある以上もう少し浅井家が力をつけないと侮られるに違いない。正直やりにくいのだ。
つよがってはいるものの、まあ現状はそんなもんである、だから俺の近江での動きが鈍いのだ……。
今回は、そこを見透かされたらしい。
義輝公の指示により、六角承禎を盟主に担いで近江の平定を命ぜられた。
その際、浅井家の功績を認められ 俺は、将軍足利義輝より『御共衆』へ取り立てられました。
面倒事を押しつけられたのだから、その見返りかな?
それとも、浅井をさらに取り込もうとする算段かな?
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将軍足利義輝公より『近江守護代・お供衆』に任じられている以上、信長との協調を模索するよりも、……
今後は、公方様を御護りし盛り立てた方が、こちらとしては色々と都合が良いように思う。
ただ、武士としての力量と将軍家再建の熱意、功績は認めるが。
義輝公は、性急すぎて多少危なっかしいのが玉に瑕だ。
三好長慶が亡くなって、すこし箍が外れたようである。 もう少しだけ自重していただきたいものだ。
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4月、雪解けを待って。 それまで事態を様子見していた、俺 『浅井長政』は行動を開始した。
― 小谷城 ―
御茶屋敷曲輪大広間にて評定をおこなった。
事実上の南近江平定会議である。
「将軍足利義輝より、俺のお供衆への取り立てと近江平定の御内書が出た」
「「「「「ははっ、おめでとうございまする!」」」」」
「うむっ」
『六角義定殺害の犯人』として、義治方に対しての攻撃準備を開始した。
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― 小谷城下浅井屋敷大広間 ―
大広間には、そうそうたる諸将が勢揃いした。
宿老:赤尾清綱、海北綱親、雨森清貞
重臣:遠藤直経、磯野員昌
雨森弥左衛門秋貞
海津政元、浅井井伴
国人衆:
阿閉貞征、新庄直頼、小川祐子忠、野村直隆、片桐直貞、月ヶ瀬忠清
浅見道西、安養寺氏種、大野木秀俊、久徳義時 、新庄直頼 、樋口直房
百々盛実、三田村国定、中島直親、弓削家澄他
(井伊直盛、明智光秀、竹中重治、石田正澄は、美濃仕置きのため不在。)
奏者・右筆:浅井政信、脇坂秀勝、小堀正次
側用人:中島貞清、磯野勝昌、宮部継潤
旧六角家家臣
高野瀬備前守、日夏氏、堀氏、池田、山崎氏、多賀氏
楢崎氏、永原氏、平井氏も協力
そして…六角(承禎)家臣
後藤氏、宮城氏、小倉氏、山岡氏、今村氏、他
甲賀衆のうち、美濃部氏、和田氏、山口氏、他
大広間は物々しい雰囲気である。
「皆の者良く集まってくれた、これより『六角義治の捕縛』と『近江平定』の為の評定を行う」
「「「「「はは~っ!!」」」」」 「「「……」」」
江北の国人衆たちと江南の者とでは、やはり温度差がある。
旧主を攻めるのだから仕方が無いことではある。
今回はあくまでも、事態収拾が目的の挙兵である。
「その前に、清綱!」
そのために、俺は特別に賓客を用意した。
「ははっ」
「上様のおな~り~!!」
それは、…第13代将軍足利義輝公その人である。
「「「……、ええ~っ?」」」
「まろが、第13代将軍.源朝臣義輝じゃ!」
「「「「「ははっ~」」」」」
将軍さまのご登場により、一気に場が引き締まった。
「これより、六角義治を討伐いたす! これは将軍家の上意じゃ、皆の者しかと心得よ。」
俺が、ぶちかました。
「「「「ははっ!!!」」」」
よしよし、これでなんとかなる。
須賀谷温泉を餌に将軍を引っ張り出しただけの、俺の苦労は報われた……。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
永禄8年(1565年)年4月20日
有無を言わさず、作戦行動開始である。
磯野員昌
赤尾清綱
海北綱親
遠藤直経
この4名を主将として、各3千の兵を率いさせる。
雨森清貞
雨森弥左衛門秋貞
阿閉貞征
高野瀬備前守
日夏氏、山岡氏、堀氏、池田、山崎氏
が、交渉役をになう。
必要であれば一時的に領地を接収する。
そのために、俺、『浅井長政』自身も5千の兵を率いる事とする。
総勢1万7千の大軍勢だ!
(ようやくこの時が来たっ!)
熱い想いを胸に秘め、静かに下知を下す。
『おのおの方、いざ出陣でござる!』
「「「「「ははッ!!」」」」」
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六角義治方の諸将は、あっさりと観音寺城を捨て、三雲城へ逃げ込んだらしい。
俺は交渉の名の下に、旧六角家臣に対して浅井への従属を強要していく。
将軍のご意向を最大限に利用させていただこう。
途中交渉を拒否するとこもあったが、なるだけ穏便に済ませていく。
あくまでも示威行動だ。 (但し、後で将軍に逆らった罪で取りつぶしだな。 ふふふ)
江南には数多くの城や砦が存在する。
とくに、箕作城、和田山城、垣見城、小川城、佐生城、山路城
新村城、伊庭城、木村城、浅小井城、金剛寺城、長光寺城は、早急に何とかすべきであろう。
さいわい目加田城は、すでに浅井の支配下にある。
従属した国人からも兵力を抽出させ、陣容を厚くしていく。すでに2万を超えた。
兵力が欲しいのでは無く、浅井の旗の下に従えたいのである。
一度従えてしまえば、後は成り行きでどうにかなりそうだ。
本心はともかく、多くの国人が将軍家をバックに持つ浅井家の調停を受け入れ『守護代浅井』の支配を認めた。
多少の小競り合いがあったが、あくまでも戦うことなく穏便に江南の諸将を囲い込んでいった。
敢えてゆっくりと、じわじわ圧力をかけながら進軍する。
費用はかさむが、効果は絶大である。
近江の国では、将軍のご意向はまだまだ健在である。
戦略上、激しい抵抗が予想されるところ(伊賀、甲賀地方)は後回しにしている関係で順調だ。
5月、一旦兵を休める目的で兵を観音寺城下へ軍勢を下げさせました。
忍びの話では、
高島一族 高島氏(佐々木越中家)、朽木氏(佐々木出羽家)
大津氏、蒲生定秀、蒲生賢秀が、『六角の危機である!』とばかりにあわてて義治に同調する動きを見せている。
六角の重臣の中には、『いつも近江へ逃げ込むばかりの将軍』に敬意を持たないで侮る連中もいるのである。
「ふふふ、馬鹿め……」
俺は、笑ってしまった。
今回は、将軍足利義輝公は逃げてきていないのだ、あくまで俺の要請で近江に来てもらっている。
権力を保持した、正真正銘の『将軍さま』である。
(踊れ踊れ!)
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5月8日
湖西の勢力(朽木、高島七頭一族)が軍を北上させ、浅井領へと侵攻してきました。
高島高賢、朽木元綱、永田秀宗、平井頼氏、田中重政、山崎兵庫頭、吉武壱岐守、田屋淡路守、植田甚之丞 。らの軍勢である。
「浅井家は、全軍を観音寺城下に集結させている」
その噂と、実際に兵が観音寺城下に集結している報告を受けての挙兵だろう。
琵琶湖の反対側なので、判断が鈍っているのだ。5千の兵をかき集め攻めてきやがった。
現在軍を再編成中である。
今後は、はげしい抵抗が予想される地域の接収作業に入るのだ。
浅井が恨まれることのないよう、接収作業を新たに従属してきた旧六角家家臣へと移行している所である。
つまり……、江北の兵はすでに半数以上は戦闘待機のまま小谷に戻っております。
遠藤、磯野にそれぞれ5千を指揮させるとしよう。
予め整備しておいた、賤ヶ岳の砦で待ち構え構えて引きつけるように指示を出してある。
山中に、訓練で鍛えた若手を集めた部隊を伏せています。
……、一日で決着が付きました。難なく蹴散らしました。
高島方面は、浅井直轄領として接収させていただきます。
朽木家だけは、過去に将軍を保護したことがある家なので仕方なく見逃しました。
ぶっちゃけ、俺は国人領主の所領はほとんどは安堵しているのです。
反乱軍に加わった者と、六角家の分のみ接収しましたが、たいして接収していないんです。
流石に罪人の所領は没収したし、救済した謝礼としての矢銭は受け取ったけれど。
戦国時代のわりには良心的だと思う。
こちらに付いた者は、その公平な仕置きにほとんどが納得している。
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5月末頃には、六角家を最終的に『山科の近く』に押し込めて調停が完了する予定です。
”かぽ~ん、ざざざ~ぁ”
「はあ~、何とか『永禄の変』は回避できたかな?」
の~んびり湯に浸かり、とてもご満悦な 『 義輝公 』 の姿を見て俺は溜息をこぼした。
「はぁ~ヤレヤレだぜぃ」
お待たせいたしました。
ややこしくてスミマセン。




