六角騒動!『 刻は、いまっ!! 』
この物語りの一つの大事な部分です。
観音寺騒動の収め方で、未来が変わります
六角承禎さんは、久米田の戦い(1562年)で三好義賢(実休)を討ち取り最盛期を迎えた。
「ああそうか、同じ義賢だからいきなり承禎に名前を変えたのか?」
俺は、思わず声をあげた。
「殿はお気づきでは、なかったのですか?」
それを耳聡い勝重が聞きつけたのだ。
「ぜんぜん気付かなかった、いや今、気が付いたぞ勝重は気付いていたのか?」
「当然であります」
「まあ、出家するのは気分転換みたいなものだな、そういえば 『道三』 『信玄』は坊主名だ。」
「殿!法名といいます、徳栄軒信玄です。」
「ああ、はいはい (徳栄軒かぁ、ラ~メンが喰いてぇ~)」
「軽く流さないで下さい」
「実に血生臭い法名だな、『利政』『晴信』の方が無害そうで、いたって爽やかというのが笑えるなあ」
「ぷぷっ、たしかにそうですねぇ」
江南は出兵続きで忙しそうだが、江北浅井領はいたって平穏でありました。
新町も完成し、『長浜』になったし、お祝いごとも続いた。
そんなまったりした空気の中、騒動が起きた。
六角義治(バカ殿)が、最有力の重臣で人望もあった筆頭家臣後藤賢豊を観音寺城内で惨殺するという事件が起こったのだ。
歴史では、『 観音寺騒動(1563年)』と習った事件だ。
当時はどうしてこれを覚える必要があるのか、皆目理解が出来なかった。
『墨俣の一夜城』の話を知りたいと真剣に思ったものである。
閑話休題
理由は諸説あるが、賢豊は定頼時代からの六角家中における功臣だ。
人望も厚く、進藤貞治と共に「六角氏の両藤」と称されるほどの宿老である。
彼は、奉行人として『六角氏の当主代理として政務を執行できる権限』を有していたほどである。
そのことから、賢豊の権力と若年の当主・義治とが争った末に、当主としての執行権を取り戻すために暗殺したと思われている。
(地位を利用して着服していた疑いもあるが、裁判無しに惨殺では誰も納得しないだろう。)
「ああ、やはり義治め我慢出来なかったか、予想通りすぎて笑えるわ」
手紙を読んだ俺は、独り言を漏らさずにはいられなかった。
俺の時で懲りておけばいいのに、またやらかすとは、成長せん奴だ。
なにか理由があるのかもしれないが、短絡的すぎる。
せっかく後藤賢豊が、がんばって盛り立ていたのだが逆に徒になったかな?
なんにしろ奴の大ポカは2回目だからな、義治では六角が持たないだろうな。
案の定、六角義治に対する家臣団の反感は恐ろしく深刻だったそうだ。
義父.平井定武の書状によると、
「六角家の家臣の多くが六角氏に対して不信感を爆発させ収拾がつかない状態らしい」
「まあそうだろうな、後藤家からも義治を糾弾する書状が来ているし。」
俺を担ぎ出す気満々だな。
まあ将軍家が健在では、ヘタを打つと謀反人になりかねないし、軍を出すわけにもいかない。
穏便に義治を排除する方向で調停しようかな、これ以上の混乱は俺も困るしな。
平井どのに連絡を入れよう。
騒動はさらに広がりを見せ、うっかり息子をかばった承禎も義治と共に観音寺城から追いだされてしまったらしい。
いまは、重臣の蒲生定秀・賢秀父子が仲介に奔走していると、義父上からの手紙に書いてあった。
こういう所が、蒲生は目聡いのだ。
義治は日野に逃げている
承禎様は、三雲かな?
観音寺城は、今ガラ空きの状態だ、赤尾清冬、磯野勝太郎を俺の名代として送り込むことにした。
この二人なら人質の時からの家臣だから観音寺城の構造と六角家臣に詳しい。
『夜叉丸曲輪』に精兵150人を入れ詰めさす、あくまで一応浅井は守護配下の一員というポーズだ。
佐和山の磯野員昌には、念のため有事に備えるように伝えておこう。
『今回は出陣は無しで行く』ことを伝えている。
しつこいようだが、守護・将軍家に刃向かって謀反人呼ばわりされたくないからな。
あれから数日が経った。
今回の騒動で、俺に書状や使者を送ってきたものは多い。
中には臣従の申し出もあるが……。
特に今後についての協力要請が多岐にわたり送られてきている。
(愛智一族の高野瀬氏、池田氏、山崎氏、は先の戦の後で浅井方に属している。)
楢崎氏、永原氏、平井氏も協力関係を申し入れてきた。
後藤氏、宮城氏、小倉氏、今村氏、といった六角被官もよしみを通じてきた。
甲賀衆のうち、三雲氏、美濃部氏、和田氏、山口氏、が内々に協力を求めてきている。
山中氏、水原氏、望月氏、多羅尾氏は六角承禎派として手を貸して欲しいようすだ。
とりあえずわざわざ小谷までやって来た者には、落ち着いてもらうようお茶に招待した。
皆を区別しないで応対する。
軽々しくは動かない。
蒲生と三雲あたりが、必死に六角を支えている。
六角家擁護の建部・吉田・鏡・長田・青地
義治派の望月といった感じか?
義治が日野に逃げている以上、蒲生は義治を擁護(利用)するつもりなのだろう。
俺は、蒲生、三雲の他に事態の収拾が可能なのが誰かを見定め、ここはやはり後藤氏、進藤氏に連絡を取ることとした。
「蒲生賢秀は、殺された後藤賢豊の娘婿なのに犯人を匿うとは酷いやつだ、信義に反する」
そう書状にしたため、協力する用意がある事を伝えた。
噂をばらまくとしよう。
『蒲生賢秀は、殺された後藤賢豊の娘婿なのに酷いやつだ、信義に反してまで、義治を担ごうとしている。
六角家を牛耳るつもりに違いない』
後藤氏働きかけ、新当主の後藤高治に妹の離縁状を出させて、妹を引き取らせた。
ついでに妹腹の子供、蒲生氏郷(7才)・弟重郷も引き取らせた。
後で小姓としてもらい受けようと思っている。
そのぐらいは当然だろう?
どうせ後藤家にすれば厄介者だ、しかたがない言い出した俺がもらってやろう。
さあ、人材登用チートの時間だ!!
六角家には俺が、喉から手が出るほど欲しい人材が居る、……
それは、”Toki”だ
”ニッポニア・ニッポン”ではない、保護が必要という点は奇しくも一致しているが……。
俺の現在の重要課題それは、西美濃の支配の正当性の確保である。
つまりは、土岐氏の取り込みだ。
六角家には土岐頼芸
松永家には土岐頼次
(一色家には頼継の弟に当たる頼元がいるが、既に何者かに殺されていた。)
この二人をまとめて、京極曲輪改め、濃州曲輪にご招待したいのである。
まあ、早い話が美濃守護の囲い込みである。
わざわざ、京極高吉に資金を提供していい人ぶっているのもこの布石なのだ。
強引に拉致するのではなく、自発的に来ていただくのだ。
つまりは、『土岐の保護』である。
おれは、守護代の権限が欲しいのだ
もし彼らが『自分で政治をしたい』と思っているようなら、教育してやろう。
直経と渡辺にしごかせ、光秀・友松の仕事を押しつけ、半兵衛に評価して貰おう
『あなたたちは無能です!』 と判定させて心を折ってやろう。
もし彼らが出来る人材で、使えるのであればそれはそれで良い。
室町幕府にテコ入れするのに使えるからな。
別に、俺はそこまでの欲望がないのだ。
次代の守護をまともに教育出来れば、それで良い。
責任を果たさず権力に胡座をかくのがイケナイだけで、英才教育出来れば別に問題はない。
というわけで、騒動の調停の前に、土岐頼芸を小谷に招き寄せた。
他に行くとこもないようだった。
そして、土岐頼芸に土岐頼次を呼ばせた。
『まつながくん』とは、お茶友であるから土岐頼次を快く送り出してくれた。
二人とも行動の自由も保障している、ただ危ないから警護を付けている。
二,三回死にそうな目にあってからは、おとなしいものだ。 ふふふ
歓迎の酒宴も開いて懐柔済みだ。
彼らは、もはや家名と血筋しか誇るモノがないからな。
奪われるものもなくなって、以外と物わかりも良い。
いい御輿になりそうだ。
『産まれた子供を、浅井家が守護に担ぐ』ことで合意した。
(すでに、適当な娘を父の養女に迎えて、頼次の側女として与えるように手配している。)
こういうときに火事場泥棒をしない実績が生きてくる。
だいたい昔、浅井が土岐頼芸を支援していたこともあるだ。
(その時は、斎藤道三の支援のついでだったが。)
彼ら(Toki)の世話は、父久政に任せる、以外と座持ちもいいし目上の者に取り入る才能があるのだ。
父上も戦国大名でなければ、評判良くそれなりに出世したかもしれん。
任せても良さそうだ。
予算は五千石だ、朝廷より多いと感謝しろ。
『浅井家は、土岐家の総意で美濃守護代を勤めるよう要請された事を、正式に幕府に奏上した』
ああ、そうそう!
六角家の内紛の話がまだだったね。
現在、蒲生定秀が六角家臣からの要望を近江式目にとりまとめる事を主張している。
式目を自分の都合の良いようにするつもりなのだろう。
俺的には領主の権限を制限されてはかなわないので、そこは排除したい。
せめて義治オンリーにして欲しい。
蒲生以外の家は、大なり小なり問題を抱えていそうだ。
浅井親派の方に少しずつ肩入れして、情勢を有利に傾けてやる。
あくまでも漁夫の利狙いなので、表面上は不介入・公平な裁定を押し通す。
『水軍衆の猪飼』
『勢多の山岡家』
『平井家』
『浅井に臣従している愛知一族』
上4つの家が最優先である。
それ以外の家は、浅井にとってどうなろうと大して影響はないのだ。
まずは勢力を弱めるのが肝要だ。
六角家に対しても、浅井からは仕掛けない。
まがりなりにも将軍を担ぎ出したお家である、『六角家』と『朽木家』は、表面上放置である。
下手に介入をしてもバレるので、経済的に追い込んでゆくつもりだ。
浅井家は、いちばん目立たない湖西を静かに侵攻する。
あとの所は影響力を高めるようにしよう。
「浅井としては、事態を静観する」旨を、使者を蒲生に送り伝えた。
俺の強力な軍事力の後ろ盾が欲しいだろうが、あえて放置だ。
蒲生と三雲他が必死に交渉して家臣団の暴発を押さえるように奔走しているが、小競り合いは始まっている。
俺は、『調停を頼まれれば、出て行く』と云う方針を採った。
もちろん、将軍足利義輝公にはその旨を書状をもって知らせてある。
浅井家としては、『六角の名代としての大義名分』が欲しいのである。
なるべく公平に裁定し、不満が出ないように心がけるが。
浅井家に都合が悪いところは、理由を付け引き延ばしにかかる。
猪飼水軍を味方につけているので、琵琶湖を使えば、甲賀・信楽以外は楽に派兵が出来るのだ。
所詮は国人衆同士の諍いだ、こちらが3000人ほどの援軍を送れば状況はどうにでも出来る。
今の浅井家であれば、3000人の常時出動はさほど問題ない。
蒲生が、奔走しているがご苦労様である。
(浅井さえ味方につければ、勝てると踏んでいる国人衆の説得は大変だろうな。)
俺は、国人達に協力をする密約を交わしながら、状況をコントロールした。
後藤・進藤・平井このカードが揃っている時点で、勝負はこちらのものである。
後は、欲しい手札をチョイスするだけである。
目加田城を接収した。
まあ本当に欲しいのは安土山であるが……。
一応、内湖に桟橋を設け、軍勢を収容出来るだけの用地を整備した。
今は、小城程度の規模に押さえている。
ヘタに観音寺城や箕作城を接収すると五月蠅いからな。
マイナス面を考えれば、今は別に欲しくはない。
最終的には蒲生も欲しいのだが、いかんせん奴らは野望を秘めているようなので厄介である。
潰した方が、良いのかもしれない。
混乱は、年をまたぐであろう。
もはや沈静化したとしても、わだかまりが残るのは避けられないだろう。
次の手としては、義治派と義定派に分裂させるもくろみである。
俺は、あくまで『六角承禎派』である。
大勢が決まるまで、どちらにも与しないつもりだ。
と云うか、浅井が味方した方が勝つように仕向ける。
待ち望んでいたお家騒動だ、精々利用してやるとしよう。
『 刻は、いまっ!! 』
いかがでしたでしょうか?
ぜひ、感想をお聞かせ下さい。
お待ちしております。
感想をいただき、”Toki”が、脳内から降りて来ました。
ぽつぽつ雨が降ってきた。
とある村。
ト :「すいません~その大根食べます?・捨てます?」
農夫:「なに言ってるだぁ~こげなもん売りもんに…」
ト :「貰っちゃってもイイですかね?」
農夫:「おおっ、ええともええとも」
ト :「やった~」
農夫:「あれ、もしかしてお前さん……」
ト :「あれっ、ばれました?」
農夫:「Tokiの頼芸さんじゃ~、ばあさぁ~ん」
「「「 ウチの村にもTokiが来ただ~」」」
あめがしたしる中、さっき来た~。
コウノトリの如く、美濃の支配権を持ってきた。
Tokiがネギしょってやって来た。
ひさまさでした
『その花嫁は、ニセモノですぅ!』
新しい話も投稿しました。
賢政目線が加わります。




